アリス日記

 アリス・バラードという名前は、この地には届いていない。

 それもそのはずだ。私の名前が聖域よりれることは、そう多くない。

 それでも情報にさとい者であれば、僅かに漏れ流れてきた話の欠片かけらを拾い集めて、私という存在を作りあげているかもしれない。

 特に、あの流れ星の巫女達は他とは毛色の違う雰囲気ふんいきを纏っていて、私の気を揉ました。


「不思議な者たちだ」

「どうなされました? アリス様」


 ふと漏れた私の小さな呟きを耳聡く聞いた巫女が、薙刀の手を止めて此方こちらを気づかうように見つめる。それを私は「いや、何でもない」と返して、足もとに広がり始めた三日月の影を砕いた。


「はあっ!」

「今度こそは!」


 四方から迫る薙刀の刃や月光矢を捌きながら、私は戦巫女達を見渡す。


 有り得ない、と最初に思ったのは、エルネア君に彼女達を紹介されたときだった。

 流れ星の集団。三十人寄の者達がひとつの地域から一度に流れるなど、聖域を守護する私であっても聞いたことがない。

 しかも、流れ星の一部の者は、過去の行いから法力を失ったまま流れてきたという。


 流れ星とは、己の宿命を探すために故郷の神殿を離れ、世界を巡る過酷な試練に挑む巫女ことだ。

 ただでさえ尋常じんじょうならざる旅になるというのに、法力を失った巫女が流れるなど、前代未聞だろう。

 それでも、この者たちは流れ星となった。


「「やあぁっ!」」


 双子らしい息の合った左右からの攻撃に、私は敢えて右に大きく間合いを詰めて、狙っていたであろう連携を崩す。

 左右ともに間合いを崩されて、双子の戦巫女の動きが乱れた。空かさず私が追い打ちを掛けようとしたところに、背後から月光矢が飛来する。

 だが、私は月光矢を無視したまま、両刃薙刀を振るう。

 あの程度の法術であれば、私なら強制的に消滅させられる。動きで対処するまでもない。


「っ!」


 双子の戦巫女の片割れが、体勢を崩しながらも私の一撃を受けようと動く。


「遅い!」


 一瞬の対応の遅れは、そのまま敗北に繋がる。相手が格上であれば、尚更だ。

 しかし、私が振り下ろした両刃薙刀の刃は、正面から一気に間合いを詰めてきたもうひとりの戦巫女によって防がれた。

 私の攻撃を、正面の戦巫女が受ける。その隙に双子の戦巫女は体勢を立て直し、背後に回り込んだ複数の巫女たちが更なる法術の詠唱には入った。


 素晴らしい連携だと、巫女騎士である私でさえも感嘆かんたんしてしまう。

 誰かの危機を他の者が上手くかばう。

 独特な戦い方だと最初に思った。

 流れ星の巫女達は、目の前の安易な勝利よりも全員が無事に戦いを終える、という戦略を第一の目標として意志を揃えている。

 場合によっては、多少の犠牲を払えば攻勢に転じられるような場面であっても、彼女らは絶対に犠牲者を出さない選択を取る。


 まるで、ひとつの戦いで勝利を収めても負傷者が増えれば先の戦いに支障が出てしまうことを何よりも恐れているように。

 だがそれでは、極限の戦いにおいては勝てない。

 彼女らは、絶対に仲間の犠牲を出さず負けない戦いを選ぶが、それでは肝心な場面で勝機を掴めずに、結局は戦いの趨勢すうせいを逃して自分たちが追い込まれる結果となる。


 それとも、と私は乱取り稽古に参加していない巫女達の存在を思い浮かべた。

 流れ星の巫女達は、一願千日いちがんせんにちという過酷な試練に挑んでいる。

 ひとつの願を創造の女神アレスティーナ様に祈り続け、その願が叶うその時まで祈りを絶やさないという、常人には立ち向かえないような試練だ。


 流れ星の巫女達は、こう言ったという。

「自分達の未熟さゆえに、大切なお方だけに辛い運命を背負わせてしまったのです。もう、私たちはあのお方だけにご負担はかけません。いつの日か、あのお方が私たちの前に無事な姿をお見せくださったとき、今度は私たちがあのお方を支えるのです」と。

 もしかすると、彼女達が一願千日で願うその者こそが、流れ星達の切り札なのかもしれない。

 自分達が負けず、犠牲者も出さずに耐えていれば、その者が必ず勝機を掴んでくれるのだと信じているのだろう。

 だからこそ、流れ星達は裏方に徹するのだ。


 では、その者とは誰なのか。

 三十人寄の流れ星達から全幅の信頼以上の崇拝すうはいにも似た想いを受ける者。

 法力を失った者でさえも流れ星となる覚悟をさせて、この地に送り出した存在。

 間違いなく、希代の人物なのだろう。

 そして、それほどの人物であれば、あらゆる情報に聡く、私の噂の断片なりを少なからず耳にしているかもしれない。

 特に、バラード姓から私の家系を紐解かれてしまうと、出自が露見しかねなかった。


 エルネア君やその家族の者達には、私の情報を隠してもらっている。

 そのおかげか、私が危惧きぐするほどには彼女達が情報を持っていないということが徐々にわかって、私はほっと胸を撫で下ろしたことを覚えている。


「しかし、君達はそれでは駄目だと感じているのだろう!」


 両刃薙刀に法力を乗せて、全てを薙ぎ払う。

 防御も攻撃も回避も意味を無くす一撃に、乱取り稽古をしていた流れ星の巫女達の全てが悲鳴をあげて吹き飛んだ。


「崇拝する者に頼ってばかりいては、次に進めない! 誰かが必ず勝機を掴んでくれるから、自分達は裏方でも良いと? 裏方に徹することが自分達の仕事だと? 馬鹿を言え! その者がとどめを刺すわずらわしさを肩代わりできるほどの実力を身につけるのだと、こころざしを高く持て。お前達がその意識を見事に変えられたとき、女神様は再び御力おんちからを君達の魂に宿らせてくださるだろう!」


 はい! と揃って返事を返す流れ星の巫女達。

 どれほどに手酷く私に負けても、彼女達はうつむかない。

 力の限り、精神の限界まで自分自身を追い込んで、目の前の困難に真正面から挑む。

 この直向ひたむきな心で前に進んでいれば、法力を失ってしまった流れ星にも、再び法力は宿るだろう。


 色々と迷惑を掛けたエルネア君への恩返しとして、私はできる限り流れ星達を導こう。


「ふふ、ふふふ。面白そうなことを本日も行っていますのですね」


 長大な屋敷の中庭で、流れ星の巫女達と乱取り稽古をしていると、始祖族しそぞくの女二人が悪意に満ちた笑みを浮かべながらやってきた。


 エルネア君たちが竜峰と呼ばれる東に見える大山脈に入って以降、私の日常といえば流れ星の巫女達の修行を指導したり、稽古の相手をすることだが。それとは別に、もうひとつあった。

 それは、悪巧みばかり企んでいる始祖族の相手だ。


 ひとりは、猫公爵ねここうしゃくという魔族の高位身分を持つ女。名はアステルだったか。

 まさに猫のような瞳と、猫のごとき自由気ままな性格で、周りの者達を翻弄ほんろうする、困った奴だ。

 もうひとりは、傀儡くぐつおうと呼ばれる少女。

 こちらも他者に迷惑を掛けて遊ぶことに楽しみを見出すような、迷惑極まりない性格をしている。

 ただし、エルネア君と「悪いことをしたら絶交する」という子供のような約束を律儀に守っているのか、こちら側が心底に辟易へきえきするような悪戯や誰かが負傷するような危険な悪事は働かない。


 この二人の始祖族に共通することは、自身には戦闘能力ないということだ。しかし、その弱点を補って余りある特殊能力をそれぞれが有していた。


「暇だったからな。面白い武器を創ってみたぞ。いいか、よく聞け。この剣に斬られた者は、半日面白くない冗談を言い続けながら踊り狂う呪いにかかる。わはははっ、アリスよ、今日こそは観念しろよ!」

「ふふ、ふふふ。馬鹿猫の剣を振るうのは私の造った人形でございます。剣術の腕前は、あの剣術馬鹿子爵と同等ですので、ご油断なららぬようにご注意くださいませ」


 元は、顔を合わせれば周りを巻き込む大喧嘩ばかりをするような最悪の仲だったという話だが、エルネア君が奇縁きえんを結ぶ役割を果たしたのか、いまやこの始祖族の二人は仲良く手を取り合って悪さをする。

 なんとも馬鹿馬鹿しい呪いの魔剣を手にした人形が、乱取り稽古中のこちらに向かって跳躍してきた。

 そして、私を挑発しておきながら、問答無用で流れ星の巫女達に斬りかかる。


「接近戦では対処仕切れませんよ! 距離を取りなさい!」


 指示役の年長の巫女が的確に指示を出し、素早く乱入者に対応する流れ星の巫女達。

 こういう臨機応変な動きを見ても、彼女たちが歴戦の強者つわものであることが伺える。

 幾度となく自分達よりも遥かに格上の者と戦い続けて、いかに守るか、どにように戦局を動かすかを全員が熟知している戦い方だ。


 人形の乱入によって突発的な混乱は生じたが、熟練の戦いを見せる流れ星の巫女達を危機に陥れるまでの状況にはならなかった。

 とはいえ、このままでは実入りのある稽古にはなるまい。

 私は両刃薙刀を握りしめると、流れ星と人形の間に割り込む!


「戦場において、混乱や混戦は常在だ。巫女達よ、この難局を乗り越えてみせろ!」


 私は容赦なく上位法術を放つ。

 両刃薙刀の刃から生まれた星々のきらめきが、長い尾を引きながら放射状に放たれた。


「受けきれない!」

「みんな、散って!!」


 法術に乗せられた法力の強さを正確に読み取った優秀な巫女が危険を発し、全員が的確に回避行動に移る。


「ぎゃあっ」

「きゃあ!」


 だが、逃げ遅れた者たちがいた!

 法術「月宮つきのみや 彗星矢りゅうせいのや」から慌てて逃げる始祖族の二人。


「気をつけろよ。戦場では、気を抜いている者から死ぬぞ」

「この暴力巫女め!」

「ふふふ、困ったものですね」


 自分たちが先に挑発したのだから、反撃される覚悟くらいはしておいてほしいものだ。


 猫公爵アステルが、悲鳴をあげながら大盾を一瞬で創り出す。その影に、傀儡の王エリンベリルと共に身を潜めながら、なにやらこちらを罵倒ばとうするような遠吠えを発しているが、その程度で私が怯えるはずもない。

 だが、月宮 彗星矢は無事に弾けたようだ。


 改めてアステルの物質創造という稀有けうな能力の真髄を実感する。

 妖魔であっても一撃で貫く上位法術を、ああも軽々と弾く盾を一瞬で創り出すとは。

 もしもアステルに邪悪な野心や謀略が僅かでも垣間見えていたとしたら、私は全力で彼女を殺すだろう。

 幸いにも、アステルは真に猫のような性格をしているようで、自由気まま、自分勝手な行動ばかりをとるが、そこに世界を穢す悪意はないようだ。


「ふふ、ふふふ。剣術馬鹿人形だけでは物足りないようでございますね? それでは、こちらももう少し趣向を凝らしましょう」


 エリンベリルの指先が動く。

 凝視しても見えないほど極細の糸が放たれる。


「くっ!」

「私たちをまた操るおつもりですね!?」


 エリンベリルの常套手段だ。

 傀儡人形を造り出す以外にも、ああして魔法の糸で他者を操って翻弄する。

 しかし、見える糸に惑わされてはいけない。極細の糸はまやかしであり、本命は目視できない魔力の糸だ!

 こちらに向かって放たれた無数の糸を、法力の宿った両刃薙刀で払い斬る。


「私を操ろうなどとは思うなよ?」


 これでも聖域を守護する巫女騎士だ。

 まあ、現在は一身上の都合による休職中の身ではあるが。それでも、戦闘能力を有さない始祖族に遅れを取るわけにはいかない。

 迫る魔力の糸を払いながら、私は糸に操られる者が続出している巫女達の中に再び飛び込む。

 そうして、操られていようが操られていまいが、区別なく巫女達に攻撃を仕掛けた!


 乱取り稽古中の巫女達から悲鳴が上がり、場がより一層に混沌とした状況へと急変していく。

 おそらくは、実戦であってもこれほどの乱戦はそう巡り会わないだろう。

 いい修行だ。


 にやり、と笑みを浮かべた私は、更なる法術を放ちながら巫女達を激励げきれいした。


 そして、始祖族の悲鳴が響く。


 禁領と呼ばれる地も、そろそろ本格的な冬になるようだ。

 東に見える竜峰より遅れて降り始めた雪が、長大な屋敷とその中庭に降り積もり始めていた。

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