戻る者 帰る者

 僕たちが竜の祭壇から禁領へ帰ると、いろいろと変化が起きていた。

 まず最初に驚いたのは、竜峰を瞬く間に染め上げた雪の銀世界が、禁領全土に広がっていたこと。

 もちろん、竜峰に入る前から雪は少し降っていたんだけど、それでも出発前まではニーミアの背中に乗って大空から大地を見渡すと、雪の白よりも晩秋に染まった鮮やかな自然の色の方が目立っていたんだよね。

 だけど、いまや禁領は完全に冬に覆われていた。


「今年の冬は厳しくなりそうね?」


 ミストラルの言葉に、みんなが頷く。


「うん。風の谷に行っている耳長族のみんなは大丈夫かな? そろそろ切り上げてこないと、大変なことになっちゃうかも?」


 精霊と絆を結んで契約を交わす、という試練に挑んでいる耳長族の有志のみんな。年越し前の本格的な雪の時季までに、戻ってきてほしい。

 なにも、試練が今回限りなわけじゃないからね。今回失敗しても、また挑戦はできるんだ。

 ただ、まあ。一度失敗した者が何の教訓もなく再試練というわけにはいかないから、きっとカーリーさんやケイトさんから厳しい指導が入るんだろうけどね。

 それでも、雪が降り積もる大自然のなかで、命を賭けて行わなきゃいけない試練というわけじゃない。


「場合によっては、ニーミアとレヴァリアにお願いをして迎えにいかなきゃいけないかもね?」


 という僕の心配を良い意味で裏切ってくれて、僕たちを驚かせてくれたのは、耳長族の人たちだった。

 ニーミアの背中に乗って、禁領のお屋敷に帰ってきた僕たち。

 中庭に降り立った僕たちは、ある二人の耳長族の男女に目が向いた。


「ナリエラさん? ウ、ウイットさん!?」


 ひとりは、おっとりとした性格のナリエラさん。小柄で可愛らしい女性の耳長族だ。

 そしてもうひとりは、ちょっと内気だけど本当はとても優しくて、気の回る耳長族の男性のウイットさん。……でも、ウイットさんは髪を伸ばしていたような? それが、今は丸坊主!?

 いやいや、それよりも!


「二人は、精霊との契約の試練に挑んでいましたよね? それがお屋敷に帰ってきているということは……?」


 極寒の冬を前に、試練を断念してきた。というわけじゃない。だって、ナリエラさんとウイットさん以外の試練挑戦中の耳長族の有志の姿はないからね。

 だとすると、考えられる理由はひとつだよね!


「はい。おかげさまで無事に精霊と契約を交わすことができました」

「自分もなんとか契約を交わして、こうしてご報告に戻ることができました。エルネア様の方も、無事にご家族と合流できたんですね?」

「はははは。僕のことはまた今度にお話しするね」


 それよりも、と僕たちはみんなでナリエラさんとウイットさんを祝福する。

 嬉しいことだよね!

 精霊を傷つけながら生活してきた耳長族は、精霊たちから嫌われてしまっていた。

 だから、僕たちは願った。プリシアちゃんのように、精霊と仲良くなって絆を結び直して、契約を交わせるようになってほしいと。


「二人とも、聞かせて? どうやって精霊さんと仲良くなったの?」


 優秀な耳長族であるプリシアちゃんと、精霊まで見えるようになった竜眼を宿すルイセイネは、既に二人が使役する精霊に視点が合っているみたい。

 だけど僕たちは、顕現けんげんしていない精霊を視ることはできないからね。

 僕がお願いをすると、二人は契約を交わした精霊さんを顕現させてくれた。


「私は、その……ただ、ずっとこの子と遊んでいただけなのです」


 とナリエラさんが喚び出した精霊は、不思議な姿をしていた。

 体は緑色のお魚。ただし、胸鰭むなびれが半透明の蝶々ちょうちょうはねをしていて、尻尾も同じように羽になっている。そして、空中で胸鰭と尻尾の羽をふわふわと羽ばたかせて、ゆっくりと泳ぐように漂っていた。


「風の谷に入って、まず最初にこの子と出会ったのです。この子が、木陰から隠れるようにしてこちらを見つめていて。それで、精霊を知るためにはまず観察かなって思って、この子をずっと観察していたのです。そのうちに、気付いたらお互いの距離が近くなっていて。優しいこの子が、最後には私と契約してくれたのです」


 きっと、この精霊さんも穏やかな性格なんだろうね。それで、ナリエラさんと波長が合ったんだね。

 まさに、おっとりな性格のナリエラさんにぴったりと相性の良い精霊さんだね!

 緑色を基調とした姿だから、きっと風の精霊さんに違いない。


「自分は、風の谷に入って数日後の朝でした。大木の根もとで寝起きしながら精霊との交信を図っていたのですが……。ある朝、目が覚めると髪を全ぶ切られてしまっていたのです……」


 内気な表情を隠そうとしていたのかな? ウイットさんは前々から長い髪で顔を隠している印象があったけど、現在は丸坊主です。しかも、ウイットさんの髪を全部切ってまったのは、精霊さんだったという。

 ウイットさんが召喚した精霊も、不思議な姿をしていた。

 薄い半月のような刃に見える、緑色の体。その体の周りを、淡い光が包んでいる。

 生物としての姿ではないから、きっと下位の精霊なんだろうね。でも、精霊の格付けなんて問題ではないんだ。肝心なのは、どんな精霊とであれ、仲良くなって絆を結ぶことなんだからね。


「この者が、私の髪を……。自分は、最初はそりゃあいきどおりましたし、表情を隠せる髪がなくなって、とても恥ずかしかったんですよ? ですが、自分はこのお屋敷で精霊達のことを少し学べていましたので。精霊は悪意のない悪戯好きだと。だから、ぐっと我慢したんです。それと、自分に興味を持ってくれて悪戯をしてくれたこの者と、なんとかして意思疎通ができるようになればと頑張ったら……」

「精霊さんと契約を交わすまで仲良くなったんですね! すごい!」


 でも、度が過ぎる悪戯をしたときはしかって良いんですよ? と僕が言うと、ウイットさんは恥ずかしそうに笑みを浮かべた。

 これはきっと、内気なウイットさんには叱ることはできないね!


「二人とも、おめでとう。精霊と契約を交わせたことを誇りに思いなさい。そして、これで終わりではなくて、これからが大切なのだと肝に銘じるのよ?」


 僕たちが帰ってきたことを知ったプリシアちゃんのお母さんが、お屋敷に来た。そして、逃げようとしたプリシアちゃんを、精霊を使役して素早く捕まえる!


「プリシア、遊びはお終いよ。年末年始は竜の森でお爺ちゃんたちと過ごすこと。良いわね?」

「いやいやんっ」


 逃げ出そうと暴れるプリシアちゃんを、精霊さんがしっかりと抱きかかえて離さない。そうやって、まるで見本のようにしっかりと精霊を使役しながら、プリシアちゃんのお母さんは二人に言う。


「使役する精霊は、親友であり戦友であり家族よ。だから、お互いの意思疎通が完璧になるように努力すること。もちろん、精霊の方もね?」


 にこり、とプリシアちゃんのお母さんに微笑みを向けられたナリエラさんの精霊さんとウイットさんの精霊さんが、ぶるりと震えた。

 本能でわかっているんですね。プリシアちゃんのお母さんを怒らせたら怖いのだと!

 もちろん、それを誰よりも知っているのがプリシアちゃんだ。

 ぶうぶうと頬を膨らませて不満を露わにするプリシアちゃんだけど、遊び過ぎたという自覚があるのか、お母さんを困らせるような我儘わがままは起こさなかった。


「……エルネア様、皆様。それで、ご相談があるのですが」

「なにかな? 何でも言って! 二人のお祝いに、どんな相談でも受けるよ!」

「エルネア君が安請け合いをしてしまったわ」

「エルネア君が後先考えない返事をしてしまったわ」

「はわわっ、エルネア様!?」


 ユフィーリアとニーナとライラが、相談事を抱えているウイットさんじゃなくて僕の心配をしているよ!?


 せぬ。


 それはさて置き。

 僕はウイットさんの相談を聞く。


「自分もナリエラも、精霊と契約を交わしたものの、まだまだ未熟です。それに、他の者たちは現在も風の谷で試練に挑んでいる最中です」


 雪が降り積もる冬が訪れたから、そろそろ今回の試練を終わらせた方が良いかな? という僕たちの心配に、ナリエラさんが首を横に振って答えた。


「むしろ、もう暫く私たちに猶予ゆうよをお与えください。きっと、他のみんなも今が一番大切なのです」


 精霊との絆を結ぼうと、耳長族の有志は必死に努力している。だから、僕たちが最初に設定した期限が迫ろうとしている今、二人は試練の延長をお願いしてきた。

 ウイットさんは、内気な性格を押して、僕に必死に訴える。


「自分たちも、もう一度風の谷に戻ろうと思います。精霊と絆を結ぶことのできた自分たちだからこそ、他の者に助言ができたり援助ができると思うんです。……ま、まだまだ未熟ですけど」


 ナリエラさんが続く。


「ですが、やはり冬は厳しいです。それで、できれば防寒着や冬の食糧難をしのぐご支援をいただけないかと、ウイット君と相談していたのです」


 二人の提案に、僕たちは最初は驚いて、次に喜ぶ。


「素敵な考えですね! 僕たちは、みんなを見くびっていました。冬が来たから今回の試練は終了だなんて、真剣に挑んでいる人たちに失礼でしたね。もちろん、全力で支援しますよ!」


 今回の試練はどうやら、期限内に目的を達する、という意味は薄いのかもしれない。むしろ、頑張っている者たちの背中をこれまで以上に押してあげることが大切なのかもね。

 それに、禁領の耳長族の人たちは、いつまでも過去に囚われているような愚か者ではないんだ。

 僕たちと同じように前を向いて歩き、どうすれば自分や精霊や仲間たちのために尽くせるのかと考えてくれている。


 ナリエラさんとウイットさんの素敵な提案に、僕たはこれまで以上に嬉しくなる。

 もちろん、みんなが成長するための支援の出し惜しみなんてしないよ!


「よし。それじゃあ準備をしよう。プリシアちゃんが獣人族から良質な毛皮を貰ってきてくれたし、食糧だって今年の秋は豊作だったからね!」


 僕が指示を出すまでもなく、みんなは既に動き出していた。

 お屋敷に残って今回の試練を見送っていた耳長族の人たちも、仲間の意気込みに感化されたようで、積極的に準備をしてくれる。なかには「次回は俺も!」と早速のように未来を見据えて気合を入れている人もいた。


「素晴らしいな」


 すると、これまで控え目に様子を見ていたアリスさんが、今度は僕に話しかけてきた。


「アリスさん、流れ星さまの試練を見てくてれありがとう」

「お母さんと呼べ」

「お、お母さん……」


 苦笑しながら言い直したら、アリスさんは笑ってくれた。


 アリスさんは、僕たちが不在の間、流れ星の巫女さまたちを指導してくれていたんだ。

 そして周りを見回せば、アリスさんが十全に成果を出してくれたことがすぐにわかる。

 流れ星の巫女さまは、禁領に来た当初は暗い表情の人も多かった。いろんなことに苦悩し、絶望を抱えていた。それでも、優秀な流れ星の巫女さまたちは自分たちの力で前を向き、進もうと努力してきた。

 僕たちもそのお手伝いをしてきたわけだけど。

 いかんせん、元々が優秀な巫女さまだからね。

 僕たちよりも規律の取れた生活を送り、ルイセイネやマドリーヌよりも深い知識を持っている流れ星さまたちを支えようと思ったら、実は意外と大変なんだ。


 でも、そんな流れ星さまの上をいく人こそが、聖域の巫女騎士であるアリスさんだ。

 武術においても、法術や神殿宗教の知識においても、生活の規律においても、全てアリスさんが上回っている。

 だから、アリスさんが流れ星の巫女さまたちを指導してくれて、僕たちはとても助かったんだ。


 そして、流れ星の巫女さまたちにとっても、とても有意義な内容だったみたい。

 流れ星の巫女さまたちの表情が引き締まっていた。

 自分たちが信じるもの、守らなきゃいけないものをしっかりと見定めて、迷いなく進む人の表情だね。


 ありがとうございます。と僕がお礼を言うと、アリスさんは「君への恩返しをしただけだ」とまさに武人のような誠実さで返答してくれた。


「それでなのだが。私もそろそろ暇乞いとまごいをさせていただこうかと思う。故郷では、年末年始の行事も色々とあるのでな」

「そうですね。早く帰ってミシェルさんたちを安心させないといけないですからね」

「ふふふ、そうだな。だが、私はひとつだけ失敗してしまったと後悔している」

「アリスお母さんがどんな失敗を?」


 アリスさんは、禁領を去ると知らされて悲しそうな様子の流れ星の巫女さまたちを見渡しながら言う。


「ミシェルたちを早々に帰らせずに、残すべきだった。流れ星の直向ひたむきな姿勢を、あれらに学ばせる良い機会だったと、後悔している」

「なるほど!」


 ミシェルさんたちも、優秀な巫女さまなんだけどね?

 きっと戦闘技量や神殿宗教の知識だけなら、流れ星さまたちよりも優れていると思う。

 たけど、心の強さを比べると、やはり揺るぎない覚悟を宿した流れ星の巫女さまたちの方が上だよね。


「アリスさまはお帰りになられるのですね?」


 寂しそうに、流れ星の巫女さまたちがアリスさんの周りに集まってきた。

 全員が、名残惜しそうにこれまでのお礼を伝える。


「君たちは、私の知るどの巫女たちよりも強い信念を宿している。きっと、一願千日の試練も乗り越えられるだろう。そして、法力を失ってしまった者にも、再び女神様は微笑んでくださるだろう。私は君たちの未来を共に歩むことはできないが、遠い土地で君たちのことを忘れずに想っていよう」


 涙を流して別れを惜しむ流れ星の巫女さまの名前をひとりひとり呼びながら、アリスさんは笑顔を向けた。


「いつか。君たちがしたう者が生還し、向かうべき場所が定まった時。もしも君たちがそれに同行していて、もしもある難関でどうしても前に進めなくなってしまったら。その時は、私の名前を出しなさい。私はきっと、君たちの役に立てるだろう」

「アリスさん?」


 それは、流れ星の巫女さまたちがいずれは聖地を目指すだろう、という予感で言っているのかな?

 アリスさんの正体を知らされていない流れ星の巫女さまたちは、揃って不思議そうに首を傾げていた。それをアリスさんは笑みで受け流しながら、相棒の白い天馬を呼ぶ。


「イヴ、待たせたな」

「えええっ。帰るって、もう今から帰っちゃうんですか!? せめて、お別れ会くらいはしましょうよ!」


 流れ星の巫女さまたちも、どうにしかしアリスさんとの時間をもう少しでも長く取ろうと、必死に呼び止める。

 だけど、アリスさんはやはり武人だった。


「今生の別れではないと、私は確信している。だから湿った別れは必要ない。次にまた会えるように、精進を忘れるな!」


 言って軽やかにイヴにまたがったアリスさんは、手綱を握って合図を送る。イヴはいななき、真っ白な翼を羽ばたかせて空へと舞い上がった。

 そして、西の空へと飛び去っていく。

 きっと、霊山を大きく迂回して、あの古代遺跡から聖域へ帰るんだろうね。


「……ああっ! 古代遺跡のことを詳しく聞くのを忘れちゃっていたよ!」

「むうむうっ。プリシアもお馬さんに乗って遊びたかったよ!」


 僕とプリシアちゃんの悲痛な叫びが、雪降る冬の更に虚しく響いた。

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