みんなには内緒だよ

「はっ!」


 魔王襲来に匹敵するような悪寒を感じ、及び腰で周囲を見渡す僕。だけど、竜の森はいつも通りの清廉せいれんさで、違和感は微塵もない。

 森のなかで唯一の邪悪さといえば、同行しているルイララの存在くらいだ。


「変だなぁ?」

「エルネア、どうかしたの?」


 おっかなびっくりで周囲を見渡す僕を、ミストラルが不思議そうに見ていた。


「ううん、なんでもないよ。きっと気のせいだから」


 ミストラルがなにも感じていないということは、きっと僕の気のせいなんだ。

 珍しく、かんを外しちゃったかな?

 気を取り直すと、歩みを再開させる。


「やっぱり、森のなかは気分が良いもんだね。竜の森に入るなんて、若い頃以来ですよ」

「ふふふ、それは旦那さんとのきで?」

「いやですよ、セーラ様。そんな恥かしい」


 双子の母親であるセーラ様と仲睦なかむつまじく会話をしているのは、僕の母さん。

 言動こそ丁寧なものだけど、母さんはきもたまわっているからね。臆することなく王族や聖職者の人とも交流しちゃっている。


 母さんは、まだまだ元気そうだ。

 少し厚着をしすぎたかしらね、なんて笑いながらひたいに浮いた汗をぬぐっている。

 出発前、ミストラルに見立ててもらった防寒装備は、今のところ用無しだね。僕の背負う荷物のなかに、厚手の衣類は収納している。


「今は自力で歩いているからそうでもないですが、竜峰に入って地竜に乗れば、寒さがぶり返してきますよ」

「ミストさんが言うのだから、本当なんだろうね」


 ミストラルや妻のみんなも、結構しっかりとしている。しゅうとめである僕の母さんとも普通に話すし、一緒にご飯を作ったり仲が良い。

 まあ、それは僕の母さんに対してだけじゃなくて、他の母親たちに対してもなんだけどね。


「ほら、見て、スフィア。木の実がこんなに」

「セレイア、無闇やたらと採っては駄目よ。森の恵みを必要以上に採ると、災いが起きるって話だわね」


 歩きながら木の実を採ったり森の恵みをんでいるのは、セレイア様だね。


「母さん、りすぎじゃない?」

「そう? 大人数なんだし、多少はね」


 セレイア様をたしなめているのは、娘のセフィーナさん。

 セリースちゃんの母親であるスフィア様は、セフィーナさんとセレイア様のやり取りに笑いながらも、セレイア様が集めた恵みを袋に詰めていく。

 というか、災いが、なんて言いながら回収していくって、どういうことですか!?

 そうですか。災いも楽しもうということですか。

 なんという人たちだ……


「生態系に影響が及ばなければ、問題視はしていない。それに、エルネアの身内なら止めることはできんな」

「ちょっと待って、カーリーさん。それって、僕の身内なら許されるって意味じゃなくて、その場合は僕に災いが降りかかるから良いやって意味だよね!?」

「はははっ。気のせいだ」

「いいや、絶対に気のせいじゃないよっ」


 みなさん、ライラとレネイラ様のように慎みを持って行動しましょうね!


「レネイラ様、足もとに気をつけてくださいませ。苔の上は滑りますわ」

「ありがとう、ライラ。初めて竜の森へと来たけれど、なんて美しい自然なのかしら」


 集団の後ろのほうで、仲睦まじく手を繋いで歩いているのは、ライラとレネイラ様。


 今回の旅仲間のなかでもっとも華奢きゃしゃ、というか弱い存在は、レネイラ様で間違いない。

 ヨルテニトス王国の身分制度で育ち、王妃としてなに不自由なく生活してきた。それはそれで素敵な人生なんだろうけど、苦労をしていないってことは、それだけ体力がなかったり精神が弱かったりするんだよね。

 散歩といえば、王宮や離宮のお庭。歩くといっても一刻程度。そんな王妃様が、まともに道も整備されていないような竜の森を日中いっぱい歩き通すのは大変だ。


 僕たちの歩みは、レネイラ様の歩調に合わせているといっても過言ではない。

 そんななかで、ライラはレネイラ様に付き添い、しっかりと支えてくれているみたいだね。


 春になり、緑に染まり始めた自然を見渡しながら、ゆっくりと進む二人。

 でも、ライラとレネイラ様が最後尾というわけではない。


 隊列の殿しんがりは、僕とミストラルだよ?

 先頭は道案内のカーリーさんで、僕は遭難者が出ないように一番後ろから見守る立場です。


 それで、後方のライラたちと僕との間には、もうひと組の影があった。


「マドリーヌ様、本当によろしかったのですか?」

「リセーネさん、なにも心配することはないですよ。私は自らの役目を全うしているだけなのです。悪しき魔王に奪われた錫杖を奪い返す、という大切な役目を!」

「奪われてしまった、という汚点をつけたのは貴女自身なのだけれど?」

「むきーっ。ミストさん、それは言わないでくださる?」

「ヨ、ヨルテニトス王国の方は大丈夫なのかな?」

「エルネア君、心配してくれてありがとう。もちろん、代理を立てていますので問題ないですよ」


 ルイセイネの母親のリセーネさんから心配されているのは、ヨルテニトス王国の巫女頭であるマドリーヌ様。

 でも、当の本人は後顧こうこうれいなんて微塵も感じていないようで、旅を満喫している。


「アネス、向こうに鹿が居たわよ」

「カミラ、あっちにはいのししが居たわ」

「今夜の夕食はどうします?」

「そうねえ。大所帯だし、お鍋にしましょう」

「セレイアとスフィアが色々と採っているみたいだし、腕によりをかけましょうか」

「そうすると、やっぱり新鮮なお肉よね?」

「そうね、猪なら今の時期くらいまでじゃないかしら?」

「暑くなると、臭みが出てしまうものね」

「なら、今冬食べ収めの猪ね」

「じゃあ、あっちだわ」


 今晩のご飯の話だなんて、まるで王妃様らしからぬ会話を繰り広げていたルビオン様の母親のアネス様と、ルドリアードさんの母親のカミラ様。と思っていたら、なんだか物騒になってきました。


 二人は荷物から弓矢を取り出し、げんを張る。そして矢をくつがえすと、猪を見たという方へ腰を低くして行きそうになる。


「アネス母様、隊列から逸れたら迷うわ」

「カミラ母様、そういうのはエルネア君がするわ」

「えっ!?」


 ユフィーリアの言い分はごもっとも。竜の森は、一般的にはあまり知られていないけど、迷いの術が全体に張り巡らされているからね。不用意に奥へと進むと、みんなから逸れて知らない場所に飛ばされちゃう。

 でもですねぇ、そこのニーナさん。なにか不穏なことを口走りませんでしたでしょうか。


「狩りをするのはやぶさかではないけど、まだ急ぐ必要はないんじゃないかな?」


 新鮮な食材は大切だけれど、お肉の塊を持ち運ぶのは結構な荷物になります。

 夕食前くらいから狩りに出ても、きっと大丈夫だと思うんだよね。そう説明すると、ルイセイネに微笑まれた。


「ふふふ。エルネア君が立派になりました」

「そうね。出会った頃は、わたしが狩りをしていたものね」

「ああっ、ミストラルっ。それは言っちゃ駄目なんだよっ」


 赤面する僕。

 確かにさ。十四歳になって学校に通い始めた頃は、ひ弱で頼り甲斐のない男子だったという自覚はある。でも、現在の僕は違います!

 狩りをすれば、竜人族の戦士だって真っ青の猟果をあげるんだからね。


 闇雲に進んで狩りをするのは、二流の仕事だね。

 僕くらいになれば、先ずはこうして周囲の気配を探ってさ……


 探って……


 探らなきゃ良かった!


 周囲の森へと意識を広げた僕は、感じてはいけない気配を感じ取る。

 大小様々な大きさ。だけど、どれもが人族を軽く凌駕りょうがする凶暴な存在感を放つ者たち。十を超える不穏な気配が、周囲に潜んでいることに気づく。


 どどどどど……


 僕に気配を悟られた、と相手も気づいたらしい。

 密かに忍び寄っていた者たちは存在を露わにして、怒涛どとうのようにこちらへと迫ってきた!


「な、なんだい、なんだい!?」


 足もとを揺らす地響きに、母さんが怯える。


「きゃあぁぁーっ」

「レネイラ様、落ち着いてくださいませ」


 レネイラ様も、周囲の異様な気配を感じ取ったのか、怯えてライラに抱きつく。


「きゃー」

「はい、マドリーヌ。それは禁止よ」

「きいぃぃーっ!」


 どさくさに紛れて僕へと抱きつこうとしたマドリーヌ様は、ミストラルに阻止された。


 だけど、残りの旅行者たち……

 そう。

 セーラ様、スフィア様、セレイア様、アネス様とカミラ様は、怯えるどころか武器を構えて臨戦態勢に入ってます!

 更には、控えめに同行していたカレンさんまでもがやる気満々で身構えていた。


「み、みんな……!」


 叫ぶ僕の声は、地響きと共に現れた集団の雄叫びによってかき消された。


「んんっと、いけーっ!」

「いけいけー!」


 巨大なうさぎ。のように見える魔獣に騎乗した悪魔が二人。

 悪魔に率いられた魔獣軍団が、僕目掛けて襲いかかる。


 僕だけを目掛けて!!


「にゃーん」

「ぎゃーっ!」


 襲いかかる魔獣の群れに、僕は恐怖のあまり逃げ出してしまった。


「みんな、捕まえるんだよっ」

「つかまえよう、つかまえよう」

「いやいや、物盗りじゃないんだからねっ」


 ずどどどどっ、と僕を追いかけてくる悪魔幼女と魔獣たち。

 突然現れた魔獣の群れに、みんなは大混乱……していませんでした!

 僕を見て、みんなが笑っている。


 そうか。結婚の儀や僕の実家で魔獣を見慣れているせいか、姿さえ確認しちゃえば怖くないんだよね。

 ただひとり、レネイラ様だけが怯えてライラに抱きついているのが新鮮に見えちゃう。


 って、呑気のんきに観察している場合じゃありません。

 逃げなきゃ!


「というか、僕はなぜ逃げなきゃいけないのでしょう?」


 僕って、なにか悪いことでもした?


「にゃーん」


 僕の叫びに、可愛らしい鳴き声が反応する。

 そうそう。この鳴き声がさっきも聞こえて、そのあとに悪寒が……。はっ!


 足を止めて、背後を振り返る。


 びたーんっ! と兎魔獣の前脚に押し潰されたのは、その直後だった。


「んんっと、うさちゃんの勝ちね」

『勝ったー』

『負けたー』

『残念』

『無念』

「にゃん」


 やはり!


 僕は、もふもふの兎魔獣の手からい出ると、騎乗する悪魔幼女、プリシアちゃんとアレスちゃんを見上げた。


「捕まったから、罰としてさっきのことをみんなに言うにゃん」

「ああっ!」


 悪魔の頭に、大悪魔が鎮座していた。


「にゃんは大悪魔にゃん? なら、悪魔らしくするにゃーん」

「だめだめっ。それは駄目だよっ」


 とっても懐かしい感じがする。


 ふわふわの長い体毛は白。だけど毛先がほんのり桃色なせいか、遠目で見ると白桃色の子猫に見えちゃう。

 でも、羊のような可愛らしいつのや背中の小さな翼が、猫じゃないと示していた。


「ニーミア、おかえり」

「ただいまにゃん」


 ようやく兎魔獣の捕縛から抜け出した僕は、もぞもぞと兎魔獣の背中へ這い上がる。そして、プリシアちゃんの頭の上で瞳をくりくりとさせているニーミアを抱きしめた。


「なんでも言うことを聞くから、さっきの思考は秘密だよ?」

「わかったにゃん」


 ニーミアは嬉しそうに瞳を細めて、僕の頬をぺろぺろと舐めた。

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