内乱戦勃発

 ぜぇ、はぁ、と息を切らせて森を抜けた僕たちは、それを見た。

 乾いた冬の風に巻き上げられた土埃つちぼこりと、怒声や悲鳴が響き渡る戦場を。


「どうやら、魔族の軍同士がぶつかり合っていたみたいですね」

「マイン様、合っていた、と過去形なのはつまり?」


 僕たちよりも先に森を抜けて、魔族同士の戦場を観察していたマイン様に質問すると、南方に後退していく一団を指差された。


「先ほどまで激しい混戦状態だったのですが、北に布陣した軍が押し始めました。南側の軍隊は敗走を始めたようですね」


 なるほど、と僕だけでなくリステアとスラットンも頷く。


「軍同士の戦闘か。聞いていた情勢と照らし合わせるなら、どちらかが内乱を起こしている勢力で、もう片方が正規軍なんだろうな」

「リースの言う通りだな。願わくば、北側の魔族が正規軍で、反乱分子を制圧しているところだと良いな」


 遠目からだと、荒野に巻き上がった土埃のせいで詳しい様子まではうかがえない。

 それでも、南側の軍勢が敗走し始めている気配は読めた。


「あら、あらあらあら? 敗走側の一部の進路が変わりましたね?」

「えっ!?」


 気のせいかな?

 南方面に敗走を始めていた軍勢の統率が崩壊してしまったようで、魔族が散り散りに逃げ始めた。そして、一部の敗軍の進路が大きく変わって、こちら側に魔族の軍勢が迫って来たよ!?


「リード様!?」

「あらあらあら、私は何もしていませんよ? 頭のいい魔族が、広野を延々えんえんと逃げるよりも森を利用して追撃軍を振り払おうとしているのではないでしょうか」


 たしかに、荒野を無闇に逃げ回っているだけでは助からない。どうにかして追撃軍の手から逃れないと、待っているのは死か死よりも酷い未来だけだ。


「でもだからといって、こっちに来なくても良いんじゃないかな!?」


 敗走の魔族は、全力で逃げてくる。それこそ、命が掛かっているからね。

 だけど、僕たちから見ればいい迷惑でしかありません!


「ぼ、僕たちも逃げよう! 巻き込まれたら大変だからね」


 言って、森の奥に引き返そうとした僕たち。

 だけど、現実はそう甘くない!


「くっ」

「ぐおっ!」


 リステアとスラットンの困惑したような声と同時に、僕も異常事態を察知する。


「足が地面に埋まっちゃっているよ!?」


 そう。僕たち全員の足が、くるぶし辺りまで地面に埋まっていた。

 言うまでもない。これは地の精霊さんの悪戯だね!


 幸いなことに、軽く埋まっていただけだったので、すぐに足を抜くことができた。

 だけど、その僅かな時間で、魔族の敗走軍は間近まで迫ってきていた!


「ちっ、もう魔族どもにこちらを把握されているぞ」

「それでも逃げるんだ! 全員、はぐれないように魔族を排除しながら森の奥へ!!」


 リステアの指示に従い、僕たちは今来た森の奥へと退き戻る。

 でも、人族の足よりも魔族の身体能力の方が遥かに優れている。下級魔族だったとしても。

 だから、魔族の敗走軍が僕たちに追いつくことは必然だった。


「俺が殿しんがりを務める! スラネル、お前も後方で魔族を迎え撃て!」

「おうよ!!」


 息の合ったリステアとスラットンは抜剣すると、走る速度を少し落として僕たちの後ろに回る。


「エルエルは精霊をどうにかしながら先導してくれ!」

「どうにかって、どうすれば良いのかな? でも頑張ってみるよ!」


 リード様が放置してしまった精霊たちの悪戯が、さっきの足埋もれだけとは限らない。

 精霊は、僕たちが戦闘状態だとか大変のことになっているなんてお構いなしだからね。

 特に、知らない土地の見知らぬ精霊だから、お互いに勝手がわからない。


「精霊さんたち、お願いがあるんだよ!」

『何かなー?』

『何かしら?』

『なんだろう?』


 次にどんな悪戯を仕掛けよう、と僕たちを狙っていたいろんな属性の精霊さんたちが、僕の声に反応する。

 お互いに理解し合えていない、とはいっても、僕には霊樹の精霊のアレスちゃんがいているからね。基本的にはどの精霊も僕たちに好意的だ。

 僕はその「霊樹の精霊と一緒にいる者たちへの好意」を利用して、この場を切り抜ける作戦をる。


「僕たちに悪戯するよりも、魔族たちに悪戯した方が楽しくないかな?」


 なんでさ? と寄ってきた風の精霊さんに提案する。


「だってね。君たちの悪戯に身構えている僕たちよりも、何も知らない魔族が悪戯にはまった方が面白い反応になると思うんだよね」

『おー』

『言われてみれば?』


 よし、乗ってきました!


「きっと、アレスちゃんもそうしてほしいと思っているはずなんだよ」

『おもうおもう』


 アレスちゃんは僕たちの味方です!

 アレスちゃんが同意してくれたことで、精霊たちの意識が僕たちから魔族へと移った。


 その魔族は、既に僕たちを捕捉していた!


「お前ら邪魔だ! 俺は生き残る!!」

「貴様こそ邪魔だ。俺様の足を引っ張るなら貴様から殺すぞ!」

「くそっ、指揮官の話ではこんなことには……!」

「まだだ、まだ本拠地に戻りさえすればっ」


 怒号や怒声の中から、そうした魔族たちの声を拾う。

 魔族の敗走軍は、どうやら軍規を完全に失ってしまっているらしい。隊列なんてない個々の逃走劇になってしまっていて、そこには秩序も計画性も存在していない。

 だから、逃げる魔族たちがお互いに敵意や殺意を向け合ったり、押したり押されたりしながら、こちらに迫ってきていた。

 そして、敗走軍が僕たちを目指して向かってきたのも、ほんの偶然なのだと知る。


 必死に戦場から逃げる魔族たち。

 その血走った目には、下等な人族が森を走る姿なんて映っていなかった。


「くっ、こいつら!」


 身体能力や魔法にものを言わせて、あっという間に僕たちに追いついた敗走軍の先頭集団。だけど、殿しんがりを務めていたリステアには目もくれずに、森の奥へと走り去っていく。


「おいおいおいっ、巻き込まれるのは御免だが、俺様たちを完全無視だと!?」


 自分の横を走り去っていった魔族の集団に、スラットンが悪態を吐く。


 あれ?

 これなら精霊さんたちにお願いをするまでもなく、僕たちは巻き込まれずに逃げ切れるのかな?

 そう、僕たちが楽観視しかけたのも束の間。


「なんでこんなところに人族が!」

「邪魔だ! 死ねっ!」

「死ぬのはお前だよ、糞魔族め!」


 進路上の邪魔者は力で排除する、という何とも魔族らしい思考で、四つ目の魔族がスラットンに襲いかかってきた。それを、スラットンが一刀諸共に両断する。


「っ!」


 傍を走っていた魔族が、その光景に反応した。


「人族如きがっ」

「うるせぇっ」


 走り去り際にこちらへ魔法を放とうとした異形の魔族の腕を、スラットンの青い長剣が斬り飛ばす!

 悲鳴をあげて倒れる魔族。その魔族を容赦なく踏み越えて、別の魔族たちが押し寄せてくる。


「全員、身を守りながら走れ! エルエル、精霊たちはどうなった?」


 リステアも既に、半狂乱で敗走する魔族たちに襲われていた。

 僕たちは、冬枯れた森を走り続けている。その僕たちを飲み込むように魔族の敗走軍が森に入ってきてしまい、完全に巻き込まれてしまった。そして最悪なことに、敗走軍を殲滅しようと、勝利した側の魔族の軍勢までもが森に入ってきていた。


「精霊さんたち、お願いします!」

『わかったよー』

『しかたありませんね』

『しょうち』


 僕の周りに集まっていた精霊たちの気配が、森に広がっていく。

 そして、各地で戦場の悲鳴とは違う混乱した悲鳴や叫びが起こり始めた。


「精霊さんたちが場を混乱させているうちに、早く逃げよう!」


 と提案はしたものの、敗走軍の逃走に巻き込まれてしまった僕たちがそう易々と魔族から逃げられるわけもない。

 リステアやスラットンの存在が邪魔だと襲いかかってくる魔族を、二人が必死に撃退する。マイン様やアンナ様も手に薙刀を持って、降りかかる騒乱の火の粉を払う。それだけでなく、精霊たちの対応に意識を向けている僕を護ってくれるように法術まで使ってくれていた。


「おいおいおい、エルエル! なんでお前が流れ星様に護られる立場になってんだよ!」

「スラネル、仕方がないんだよ。これには事情があるんだ!」

「無駄口はあとで幾らでもすれば良い。スラネル、お前もエルエルや流れ星様になるべく魔族の手がかからないようにもっと気合を入れろ!」

「言われずともよ!」


 ごめんね、スラットン。それに、リステア。

 後でちゃんと説明するから!

 僕はまだ、霊流剣を抜くことはできない。

 だけど、スラットンや流れ星さまたちの護りを掻い潜って、僕にも魔族の攻撃は襲いかかってくる。

 霊流剣を抜かず、体術だけで魔族の攻撃をかわす僕。


「あら、あらあらあら」


 もちろん、僕たちと一緒に走っているリード様にも魔族たちは容赦なく襲い掛かった。

 だけど、リード様は苦もなく魔族を倒していく。

 僕と一緒で腰の双剣を抜いていないのに、僕には真似できないほど鮮やかに魔族を倒していく姿は、混乱した場において異質の美しさがあった。


「竜脈の基礎を極めれば、剣を抜かなくてもあれだけ戦えるんだね」


 なんて、感心しながらリード様の動きを観察している場合ではない!


「反乱軍を殲滅せんめつしろ!」

「皆殺しだ!!」


 背後から、魔族の号令が響く。そして、ときの声にも似た野太い歓声が森全体に響き渡り、次に悲鳴が冬の空に寒々と広がった。

 追撃軍が追いついて、虐殺ぎゃくさつが始まったんだ!

 僕たちまで巻き込まれたら、大変なことになっちゃう!


「みんな、頑張って走って!」

「さっきから走ってるよ!!」


 スラットンも何時いつになく必死だ。

 人族では超一流の腕前を持つ勇者の相棒だとしても、基本が人族より遥かに優れた身体能力の魔族と比べれば、どうしてもおとる部分が出てきてしまう。

 実際に「逃げるついでに目障めざわりなこちらに手を出してくる魔族」の攻撃をなんとかしのいだり反撃するのが精一杯みたい。

 勿論もちろんそれは僕たちも必死に森を走っているからであり、魔族もこちらも、お互いに戦いに全力を出しているわけではない。


 もしもそうした場に、戦いを目的とした魔族が現れたとしたら……



 僕の嫌な予感は的中してしまう。


「ちっ、雑魚どもがよ」


 という声を、僕の耳が拾った。

 ぞわり、と殺気を肌で感じる。


「みんな、せて!」


 僕は咄嗟とっさに叫んでいた。

 そして、倒れ込むように地面に伏せる!

 みんなの反応も早かった。

 僕に言われるまでもなく、一瞬にして森に広がった濃密な殺気を躱すように、みんなは地面に伏せる。

 リード様以外は。


 直後。

 濃密な殺気を孕んだ鋭利な風の魔法が、森を横薙ぎにした。


「っ!!」


 伏せた僕たちの前で。

 死に物狂いで敗走していた魔族たちが、上半身と下半身に両断された。

 悲鳴をあげながら、もしくは断末魔さえあげることなく、敗走していた魔族たちが絶命する。


「部外者の俺たちまで巻き込むんじゃえねっ」


 と叫ぶスラットンでさえ、顔を引きらせるほどの威力。

 間違いなく、上級魔族の放った魔法だ!


「みんな、走って!」


 逃げるしかない!

 敗走軍を追いかけてきた軍勢は、逃げる魔族を本気で殲滅する気だ。

 魔族の戦争とは、勝者が敗者を蹂躙じゅうりんする慈悲のない悲惨な戦いだ。その戦場に身を置いていたら、部外者だろうと関係なく殺されてしまう。


 立ち上がり、僕たちは走り出す。

 上級魔族の魔法を躱した僕たち以外の魔族たちも、悲鳴をあげながら再び逃げ始める。

 だけど、一瞬でも足を止めてしまった僕たちでは、魔族の追撃から逃れることはできなかった。


「くそっ、追撃軍にまで追いつかれた!」

「エルエル、精霊は!?」

「うん、わかっているよ!」


 精霊さんたちにお願いをして、魔族に悪戯をしてもらう。

 敗走軍も追撃軍も区別なく、精霊たちの迷惑な悪戯が森のあちこちで再度起こり始めた。

 それでも、森の混迷は深まっていく。


 死に物狂いで逃げる敗走軍。それを殲滅しようと容赦なく凶刃と魔法を放つ追撃軍。

 そして、完全に巻き込まれてしまった僕たち。


 このままでは……!

 霊流剣を抜いて、衰弱覚悟で全力を出してでもこの場を切り抜けるしかないのかな!?

 そう覚悟を決めた時だった。


「なんで人族と巫女と耳長族が敗走軍と一緒に逃げている?」


 さっき戦場で拾った声が、また聞こえた。

 はっ、と走りながら周囲を見渡す僕。


 視線の先。

 僕たちと並走するように、森の奥を走る灰色の陰を捉えた。

 そう思った瞬間には、その灰色の影は僕の傍まで迫っていた!


「うわっ」


 咄嗟に霊流剣を抜き放つ僕。

 そして響く、鋭利な金属音。


「っ!?」


 正確に僕の首を狙ってきた剣戟けんげきを、僕はなんとか防ぐ。

 僕に必殺の剣を弾かれた灰色の陰が、目を見開いて僕を凝視ぎょうしした。


「お前、今なにをした?」


 その男は、灰色髪が印象的な美麗な魔族だった。

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