冬の森は血の海に

 灰色の髪に、深い青色の瞳。均整のとれた長身を灰色の革鎧で包み、手には黒い魔剣を持つ。

 整いすぎた容姿は中性的で、戦場で見掛けなければ誰もが見惚れてしまうような魅力がある。だけど、ここは敗走軍と追撃軍が入り乱れる戦場で、灰色の髪の魔族は容姿に似合わない恐ろしい殺気を纏っていた。


 その灰色髪の魔族が、弾かれた自分の剣と僕を交互に見て、いぶかしそうに言う。


「お前、今なにをした?」

「何をしたって、自分の身を護っただけだよ!」


 嘘でもなんでもない。

 あの時、咄嗟に霊流剣を抜いて防御していなかったら、僕の頭は今ごろ地面に転がっていたよね!

 だけど、僕の言葉に納得しないように灰色髪の魔族は目を細めて、こちらを凝視する。


 身構える僕。

 まさか、こんな形で霊流剣を抜くことになっちゃうとは。

 でも、霊流剣を全力で振るってでもこの灰色髪の魔族を撃退しないと、絶対にこの場を切り抜けることはできないよね!

 僕の本能が全力で警戒のかねを鳴らしていた。


 上級魔族だ。

 しかも、只の上級魔族ではない。

 油断や手加減なんてしていたら、一瞬で僕たちは殺されてしまう。

 それほどの気配を、この灰色髪の魔族から濃密に感じ取っていた。


 僕を凝視する灰色髪の魔族。

 そこへ、背後から敗走軍の魔族が襲い掛かってきた!


「くそがっ、傭兵風情が出張るんじゃえねぞっ」


 十本の指の其々それぞれに鋭い風魔法を纏わり付かせた巨躯の魔族が、灰色髪の魔族を死角から強襲する。


「っ!」


 だけど、次の瞬間に命を落としていたのは、不意打ちを仕掛けた巨躯の魔族だった。

 十本の指を全て切り落とされ、四肢を切断され、首をね飛ばされた巨躯の魔族は、断末魔もなく肉塊となって地面に転がる。


 強い!

 なんてものじゃない。

 桁違いの戦闘力に、僕は絶句してしまう。


 僕は見た。

 巨躯の魔族が襲い掛かってきた瞬間、灰色髪の魔族は僕から意識を移すと、黒い魔剣を華麗に操った。

 黒い魔剣は幾つもの刃に分裂すると、一瞬で巨躯の魔族を斬り刻んでしまった。


 蛇腹剣じゃばらけんとでも言うのかな?

 だけど、分裂した刃は鉄線などで結ばれてはいないし、鍔元つばもとに短く残る刃の延長線上にもない。

 全ての刃が独立して動き、巨躯の魔族を斬った。


 あれは、刃のひとつひとつに膨大な魔力を乗せていて、それを自在に操っているんだ!

 灰色髪の魔族は、それだけの技量と魔力を持っている。


 たった一度、灰色髪の魔族の魔法と剣術を見ただけで、その実力の恐ろしさを僕は実感してしまう。

 このままこの魔族と真正面から戦っていたら……!


 戦慄せんりつする僕。

 だけど、灰色髪の魔族は完全に僕から敗走軍へと意識を切り替えていた。


「見苦しい者どもめ」


 言って、黒い魔剣を振る灰色髪の魔族。

 蛇腹に分裂した刃が縦横無尽に戦場で舞い、次々と敗走軍を殺していく。

 リステアやスラットンもその壮絶な光景を目にして、灰色髪の魔族に絶句していた。


「あらあらあら、逃げないのですか?」

「はっ! みんな、今のうちに!」


 灰色髪の魔族の恐ろしい強さに絶句し、動きを止めていたのは、なにも僕たちだけではない。

 敗走軍の足と手も止まっていた。

 そして、灰色髪の魔族の意識は、僕から敗走軍に向いている。

 この好機を逃したら、もう次に逃げる隙なんて生まれないよね。


 僕たちは全力で走り出す。

 冬枯れた森の木々を障害にして、敗走軍と追撃軍、そして灰色髪の魔族から逃げる!

 だけど、やはりここは戦場であり、周囲は魔族だらけだと思い知る。

 敗走する魔族だって、すぐに我へと返ると、死に物狂いで逃げ始めた。


 灰色髪の魔族が操る黒い魔剣は、刃を分裂させるとはいってもその分裂数は限られている。

 刃に狙われなかった敗走軍の魔族たちが、悲鳴をあげて森の奥へと逃げていく。

 もう、僕たちに余計な攻撃を仕掛けている余裕さえないのか、どの魔族も自分の命だけを最優先にして逃げ出していた。


 追撃軍も、黙って見てはいない。

 灰色髪の魔族だけが追撃者ではないんだ。

 敗走する魔族たちを殲滅しようと森に入ってきた軍勢が、逃げ惑う者たちを次々と殺していく。

 凄惨な状況が森に広がっていく。


「くそっ、これが魔族同士の戦争かよ」


 さすがのスラットンでさえ、一方的に蹂躙されてしかばねの山になっていく魔族たちの姿に顔をしかめていた。

 だけど、同情している余裕なんて僕たちにはない。

 追撃軍がいよいよ僕たちに追いついてきて、襲い掛かってきた!


「敗走軍の次は、追撃軍かよっ」


 殺戮する気満々で襲い掛かってきた魔族を撃退しながら、スラットンが叫ぶ。

 リステアも真っ赤な直剣を華麗に振るって、魔族たちを倒していた。


 でも、敗走軍よりも勢いのある追撃軍は手強い!

 側面から、流れ星さまを狙った凶刃が迫る!


「うっ!」


 反応の遅れたアンナ様に有翼の魔族が!

 僕とマイン様が同時に反応する。マイン様は薙刀を振るい、僕は霊流剣を。

 だけど僕たちの刃よりも速く、分裂した黒い魔剣の刃が動いた!


「あっ!」


 アンナ様!

 叫ぶ僕たち。

 目を見開き、迫る凶刃を見つめるアンナ様。

 霊流剣よ、間に合えっ!!


 竜脈に乗った霊流剣の刃が、僕の意志を乗せて加速する。

 だけど、霊流剣は分裂した黒い刃を捉えることができなかった!


 何故なら……!


「ぎゃああぁぁっ!!」


 有翼の魔族が悲鳴をあげた。

 背中の翼を斬り落とされ、全身を細切れにされた魔族は、アンナ様を襲う前に絶命する。

 そして、有翼の魔族を斬り刻んで惨殺したのは、分裂した黒い魔剣の刃だった!


「な、なんで魔剣の刃が!?」


 灰色髪の魔族は、敗走する魔族を追ってきた追撃軍側だったはずだよね?

 だから敗走する魔族を手当たり次第に殺していた。

 でも、アンナ様を狙った有翼の魔族は、追撃軍側の魔族だった。

 つまり、灰色髪の魔族と有翼の魔族は、仲間だったはずだ!


 それなのに……


「み、味方まで!?」


 と僕たちが息を呑む間にも、分裂した黒い刃の欠片は次々と魔族を襲っていく。

 敵も味方も関係なく!


「な、何をやっているんだよ!」


 気づくと僕は、灰色髪の魔族に詰め寄っていた。

 分裂した魔剣のつかを振り回す腕を掴み、灰色髪の魔族の凶行を止める。

 灰色髪の魔族は、僕に腕を掴まれてようやく動きを止めた。魔剣の柄と連動しているのか、分裂した刃も空中で動きを止める。


 灰色髪の魔族は、自分の腕の動きを止めた僕に、ゆっくりと視線を向けた。


「何をしているのかだと? 見ての通り、皆殺しにしているんだよ。それの方が面白いだろう?」

「いやいやいや、面白いとかそういう問題じゃないよ! 追撃してきた軍勢は、貴方の味方なんでしょう!? その味方まで殺すだなんて!」


 つい、声を荒げて叫んでしまう。

 だって、そうだよね。灰色髪の魔族の行いは、あまりにも狂っている。

 敵も味方も関係なく、皆殺しにしようだなんて!


 だけど、灰色髪の魔族は僕の言葉に、不思議そうに首を傾げた。

 えっ!?

 もしかして、自分の行動の異常さに気づいていないのかな?

 そんな不安が僕の心を満たす。


「……はは。あはははははっ。そうだよな。普通はそうか。お前の言う通りだな! たしかに俺の行動は間違っていたかも知れねえ」

「いや、間違っていたかもじゃなくて、間違っていたよ?」


 でも、どうやら僕の言葉は灰色髪の魔族に通じたみたいだ。

 というか、通じるのが普通だよね!

 それなのに、灰色髪の魔族は嘘偽りなく「味方を襲ったり殺してはいけない」という認識をつい今し方まで失っていたみたいだ。

 僕の言葉でようやく常識を思い出したのか、愉快そうに笑う。

 凄惨な戦場の真っ只中で。


「あはははっ。お前面白いな」

「ええっ、僕が!?」

「そうだよ、お前だ。俺の動きを一度ならず二度までも止めただけじゃなくて、俺にそんな説教を垂れる奴がいるだなんてな」


 説教だったのかな?

 僕は咄嗟に、灰色髪の魔族の狂気染みた行動を止めただけなんだけど。

 でもその結果、灰色髪の魔族が正気に戻ったのなら良いのかもしれない。……良かったんだよね?

 いや、違うか!

 灰色髪の魔族が正気に戻って殺戮を止めたということは!?


「も、しかして今度は僕たちが襲われちゃう?」


 うっかり思考を声に出してしまう僕。

 僕のこぼした言葉を耳にした灰色髪の魔族が、にやり、とスラットンのような悪い笑みを浮かべた。


「お前たちを襲う? いいや、それは止めておこう。それよりも面白いことを思いついた」


 灰色髪の魔族は、今度は敗走軍の魔族だけを狙って分裂した魔剣の刃を振るいながら言う。


「お前ら、俺たち魔族の内乱に巻き込まれたんだろう? 巫女も二人ほど見受けられる。いいぜ、俺がお前たちを護ってやる」

「えええっ!」


 灰色髪の魔族の突然の申し出に、僕だけでなくリステアやみんなも驚く。


「なにをほうけてやがる。いいから行くぞ! 俺について来い」

「ああっ、ま、待って!」


 一瞬だけ、みんなと顔を見合わせた。そして、即断する。

 灰色髪の魔族について行こう!


 まず最初に僕が駆け出し、続いて他のみんなも灰色髪の魔族を追う。

 灰色髪の魔族は、桁違いの殺気と魔力が込められた魔剣の刃を振り回しながら、戦場を駆け抜ける。


 さっき、敵も味方も手当たり次第に殺戮したせいなのかな?

 灰色髪の魔族や、その魔族と一緒に駆け出した僕たちに、余計な手出しをしてくる魔族は現れなかった。

 僕たちは、思いのほか簡単に戦場を抜け出すことに成功した。






「はぁ、はぁ、糞ったれが!」


 どれだけ走ったのか、覚えていない。それでも、僕たちは戦場の怒号や悲鳴が聞こえなくなる場所まで走ってきた。

 スラットンは力尽きたように地面に転がって、荒い息を吐きながら口汚く悪態を吐く。

 リステアや流れ星さま、そして僕も乱れに乱れた息を荒々しく整えながら、ようやく足を止めた。


「人族は弱いな。この程度でもう限界か」

「いやいや、それはそうだよ。いったいどれだけ走ったと思っているのさ」


 平然としているのは、僕たちをここまで先導してくれた灰色髪の魔族と、リード様くらいだ。

 しかもリード様なんて、最初から空間跳躍を使って移動していたからね。

 精霊力を消費していたとしても、体力は殆ど消耗していないはずです。


 そのリード様は「夕食になりそうなものを探してきますね?」なんて軽く言って、すぐに姿を消してしまった。

 うーむ。リード様はここでも天然行動ですね。

 それはともかくとして。


「ありがとう。僕はエルエル。流れ星さまと一緒に旅をしていたら、魔族の騒動に巻き込まれちゃったんだよ」


 経緯はどうであれ、助けてもらったのならお礼を言わなきゃね。

 僕だけでなく、マイン様とアンナ様も感謝の意を示す。リステアも息を整えながらお礼を言って、スラットンでさえ頭を下げた。

 すると、これまた不思議そうに首を傾げる灰色髪の魔族。


「……ああ、そうか。お礼か。別に俺が好きで勝手にやったことだからな。感謝されるとは思っていなかった」

「いやいや、普通は感謝するよね?」

「いや、普通は魔族相手に人族はそう気安く話しかけない」

「あっ」


 灰色髪の魔族に指摘を受けて、僕は顔を引き攣らせた。


 そうだった!


 魔族は、人族にとって恐ろしい存在でしかないんだよね。

 窮地きゅうちを救ってくれたとはいっても、この人は得体の知れない魔族なんだ。

 しかも、常識を忘れて味方さえ惨殺するような。

 普通なら、人族でなくても灰色髪の魔族には気安く話しかけないよね。


 でも僕は、計り知れない者や魔王や始祖族といった存在と親しくなりすぎていて、常識を失念しちゃっていたよ!


「お前の方が常識がねえじゃねえかよっ」


 とスラットンが僕に突っ込みを入れたら、灰色髪の魔族が愉快そうに笑った。


「だよな? 俺よりもこいつの方が常識がないよな? わはははっ。気に入った。お前とは仲良くなれそうだ」

「お、おう!」


 灰色髪の魔族にいきなり肩を組まれたスラットンが、珍しく動揺しています。

 でも、灰色髪の魔族はスラットンと仲良くできると確信しているようで、笑顔を崩さない。それで仕方なく、スラットンは灰色髪の魔族と握手を交わした。


「やれやれだな」


 息の整ったリステアが、その光景に苦笑していた。


「それで。お前らはなんであそこに居た? そもそも人族と奇妙な耳長族だけで何故魔族の国を彷徨うろついてやがる?」


 はい、正しい疑問ですね!

 灰色髪の魔族の質問に、僕はみんなで考えていた設定を披露する。

 隠れ村を出て、世界を見て回る旅をしている。という設定です!

 ふんふん、と灰色髪の魔族は僕の言葉を疑うことなく聴きながら、熱心に頷いてくれた。


「お前ら、やっぱり面白いな」

「そうかな?」


 魔族に対して気安く言葉を交わすのは普通じゃない?

 もう今更だからね。

 さっきまで気後れすることなく話していたのに、指摘を受けたから恐る恐る返事をする、なんて意味がないからね。

 ということで、僕は結局、灰色髪の魔族と普通に話す。

 そして灰色髪の魔族は、そんな僕の口調に怒ることもなく、むしろ人族の話をよくそこまで素直に聞くよね、と感心するほど熱心に聞いてくれた。


「……あはははっ。本当に面白い奴らだ。お前たちのような人族が暮らす隠れ村が、まだ魔族の支配する国のなかに存在していたとはな。巨人の魔王陛下の領国内か。いつかは遊びに行ってみたいものだ」


 この魔族なら、本当に遊びに行きそうで怖いです。

 それこそ奴隷狩りとかではなく、正真正銘の遊びに。


「だが、そうか。お前らも運が悪い。今この国はいろんな内乱が勃発中で治安が悪いぞ? どうせ旅をするのなら、巨人の魔王陛下の国の方が良かったかもな」

「隠れ村に住んでいた僕たちは、魔族の国ごとの治安とかを知らなかったからね?」

「だろうな。で、引き返すつもりはないのか?」

「うーん、どうだろう?」


 僕は相談するように全員の顔を見渡してみる。

 もちろん、演技です!

 灰色髪の魔族が心配してくれているのは嬉しいけど、僕たちの目的は狂淵魔王の国を見て回ることだからね。


「ところで、さっき何か不穏なことを言わなかった? いろんな内乱?」

「ん? ああ、そうだ。この国では、面白いくらい色々な内乱が勃発している。俺は傭兵として各地の内乱を渡り歩いてきたから詳しく知っているぜ?」

「本当に!?」

「うおっ、なんでそこで食いついてくるんだ!」


 前のめりになって聞き返した僕に驚く灰色髪の魔族。


「僕たちは知りたいんだ。魔族はなんで人族を奴隷にするんだろう? 僕たちはなんで隠れ村のなかで息を潜めておびえながら暮らさなきゃいけないんだろう? 魔族はどうして同族同士で争うんだろうね?」

「知るかっ」


 僕の立て続けの疑問を笑う灰色髪の魔族。


「僕たちは色々なことを知りたいんだ。だからこの国を見て回りたい。いろんな内乱が起きているってことは、魔族のなかにもいろんな問題があるってことだよね? 人族とは違う魔族の問題を僕たちは知りたいと思う」


 僕の言葉に、灰色髪の魔族は更にお腹を抱えて笑い出した。


「良いぜ。お前は面白い奴だ。なら俺も協力しよう。俺の名はスレイン。剣闘士上がりの傭兵ようへい、スレインだ。よろしくな?」

「魔族が自分から名乗った!?」

「あはははっ。そうだったな。すっかり常識を忘れていたぜ」


 灰色髪の魔族、改めスレインは、今度は僕と握手を交わした。

 その様子を見ていたリステアが「常識はずれ同士の友情は怖いな」と零していたのは聞き逃しませんでしたよ?

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