東の魔術師と北の魔女

 魔女?

 それって、きた魔女まじょさんのこと!?


 いったい、どういうこと?

 ひがし魔術師まじゅつしは、北の魔女を知っている?

 もちろん、所在は違っても長年にわたって魔族に抵抗してきた存在を、お互いが認識していても不思議ではない。

 でも、リステアから奪った炎の宝玉と魔女さんが、どう結びつくのか。


「ねえ、北の魔女さんのことを知っているのなら、僕も知っているよ?」


 共通の知人がいるのなら、そこから接触を図れるのでは、と思って声を掛ける。

 すると、これまでリステアのうったえやスラットンのうるさい文句にもほとんど反応を示さなかった東の魔術師は、僕の言葉に鋭く反応した。

 だけど、予想外の気配で。


 ぎろり、とくまの毛皮の奥から、僕を鋭く睨む東の魔術師。


 えええっ!?

 なんで、そういう反応なのさ?


 思わぬ反応にたじろぐ僕。

 東の魔術師は、熊の毛皮の奥から僕をじっと睨み続ける。


 ええっと……


 困りました。

 友好の架け橋に、と思って出した話題で、逆に場の空気が悪くなってしまった。

 どうやって挽回ばんかいしよう、と困惑する僕。

 だけど、東の魔術師はしばらく僕を睨んだだけで、また自分の世界へと没入ぼつにゅうしてしまう。


 ずるずると大きすぎる熊の毛皮を引きずりながら、東の魔術師は動き出す。

 隅っこに置かれていた今にも壊れそうな見窄みすぼらしい机を引きずり、住処すみかにしている空間の真ん中にえる。

 そして、粗末そまつな家財や不衛生な住処には相応しくない、透き通った大きな水晶球すいしょうきゅうを皮の小袋のひとつから取り出すと、机の上に設置した。


 いったい、これから何が行われるのか。

 リステアも口をつぐみ、東の魔術師の動向を注意深く伺う。


 東の魔術師は、幻覚で創った牢屋に閉じ込めた僕たちの存在なんてもう忘れてしまったかのように、黙々と作業を進める。

 山積みになった他の皮の小袋の中から、小分けされた粉末や乾燥させた植物や、動物や昆虫を乾燥させたようなもの、さらには汚い鍋に入れられた水を準備する。


 僕は知っていた。僕だけじゃなく、リステアやスラットンだって、詳しく知っている。

 あれは、呪術を行う際に必要となる触媒しょくばいや儀式の道具だ。


 では、東の魔術師はこれから、呪術を使うのだろうか。

 僕たちの存在をよそに、東の魔術師は準備を整えると、机の上に設置した水晶球の前に立つ。

 そして、水晶球の横に、炎の宝玉を置いた。


「……ま、まさか!?」


 リステアは、何かに気づいだようだ。

 だけど、東の魔術師は気にした様子もなく、呪術の儀式に入った。


 いびつ耳障みみざわりな話し言葉とは違い、まるでうたのようななめらかな旋律せんりつを口にする東の魔術師。

 そうしながら、水を張った鍋に儀式の媒介を投入していく。


 儀式には、大き過ぎる熊の毛皮が邪魔なのか、手もとだけをめくって指先を出す東の魔術師。

 小柄な体格は事前にわかっていたけど、毛皮の先に覗く手や指先は、骨と皮しかないくらいに細く、弱々しい印象を与える。

 まるで、行き倒れた当時のライラのようだ。


「うおうっ!?」


 そんな僕の観察をよそに、東の魔術師が呪文を詠唱えいしょうし始めた直後だった。

 僕たちの足もと、というか、洞穴ほらあなの生活空間全体に、赤い方陣が浮かび上がる。

 複雑な模様や文様が発光しながら空間を埋めていく。

 しかも、方陣は東の魔術師の詠唱に合わせて、回転したり新たな術式を浮かび上がらせたりと動く。


「ありえねぇぜ……。クリーシオも方陣を使うが、地面に直接描いたり掘ったりするのが普通だろ? それを、光で再現しやがるなんて……」


 僕はよく目にしていた。

 光の立体術式。それは、スレイグスタ老が転移の術などといった強力な竜術を使う際に見せる、超高度なわざだ。

 東の魔術師は、発動させようとしている呪術の威力や効果はともかくとして、術式の精度は想像を絶する領域に達しているということだろうか。


 東の魔術師の詠唱によって、洞穴を満たす術式が複雑な動きを見せる。それと同時に、儀式用に準備された鍋や水晶球に変化が表れ始めた。


 最初に、いろんな触媒を投入した鍋から気持ち悪い色のけむりが何色か立ち昇り始めた。

 ひとつの鍋から複数の色の煙が上がるだけでも奇妙だけど、さらに不思議なことが起きる。

 煙は洞穴に充満していくと同時に、水晶球に吸い込まれ始めた。


 透明だった水晶球が、いろんな色でにごっていく。そうしているうちに、徐々に濁りが水晶球の内側で混ざり、けあい、満たされていく。

 そうして、最後には水晶球の内側は真っ白になった。


 ……ううん、ちょっと違うみたい。

 濁りが混ざりあって、白くなったんじゃない。


 あれは……!


遠隔呪術えんかくじゅじゅつ……」


 ぽつり、とリステアが声を漏らす。でも、それが精一杯。あとは、目の前で起きている奇跡に魅了みりょうされてしまい、声もなく注視していた。


 そうだ。あれは、真っ白になったんじゃない。

 水晶球に、どこか遠くの風景を投影しているんだ。

 そして、投影した場所が真っ白なだけ。

 よく見てみると、白い中にも何か横なぐりに流れるような粒が見えた。


 吹雪ふぶき


 天上山脈では、雪は降り積もっていても、吹雪いてはいない。

 では、こことは違う、吹雪く土地を投影している?


「ドコ、ダ……?」


 水晶球を見つめ、呪文を詠唱しながら、何やらつぶやく東の魔術師。

 時おり、水晶球が白から濁りに戻る。そしてまた、白い風景を映し出す。

 投影された風景は毎回のように白一辺倒だけど、どうやらいろんな場所を映し出しているらしい。


 どこを写しても、真っ白な世界。

 まだ冬になっていないのに、それでもああして吹雪き、雪に覆われた世界。


 東の魔術師の言葉の断片を拾えば、その答えは……


永久雪原えいきゅうせつげん?」


 そう。あの、北の魔女さんが住むという、どのような生物であれ生存できないと言われる、極寒ごっかんの大地。


 なぜ、東の魔術師は遠隔呪術で北の魔女さんを探しているのか。

 ただ見つめることしかできない僕たちの前で、東の魔術師が答えを示した。


「見ツ、ケタ!」


 何度も投影先を切り替えて映し出していた水晶球は、だけど毎回、真っ白だった。でも、何十度目かの試行によって、ようやく白だけじゃない何かを捉えた。

 ただし、捉えた影も、白いんだけど。


 吹雪く雪原にただひとり。

 ぽつり、とたたずむ人影。

 東の魔術師が全身を熊の毛皮で覆っているように、純白の外套がいとうを頭からすっぽりと被った人物が、水晶球の中心に映し出された。


「ヨウ、ヤク……。魔女。今度、コソ、ハ。私ヲ……!」


 あっ、と僕は思わず声を漏らす。


 水晶球の横に置かれていた炎の宝玉が、紅蓮色に輝いた。

 燃えように熱く発光し、内包されていた呪力を解放させていく。


「まさか、聖剣の宝玉を触媒に使うつもりなのか!」


 リステアも魅了から我に返り、驚愕きょうがくする。

 東の魔術師が発動させた、遠隔呪術の威力に。


 水晶球の奥で吹雪く雪が、炎に変わった。

 雪のひとつひとつが全て、火の粉に変化する。

 それだけじゃない。

 一面に降り積もった雪さえもが炎に変化し、今や水晶球に映し出される風景は炎の世界だ。


 東の魔術師は遠隔呪術に集中しているのか、唄のような旋律で呪文を詠唱しながら、水晶球の奥を凝視していた。


「あの女、水晶球に映った人物を攻撃するために、聖剣の宝玉を奪いやがったのかっ!!」


 東の魔術師の行動に怒るスラットンが、鉄格子てつごうしを激しく叩く。

 だけど、幻術なのに現実な鉄格子はびくともせず、スラットンや僕たちを拘束し続ける。


 僕はスラットンの怒りよりも、水晶球に映し出された世界に集中していた。


 今や、炎の海と化した永久雪原。

 そこにひとり佇む、北の魔女さん。


 火の粉が乱舞する。

 強風にあおられ横殴りだった雪は、炎の吹雪へと変化し、おどり狂う。

 炎の吹雪に合わせて、燃える大地も勢いを増して揺らめく。


「このままじゃ、あの人が危ない!」


 トリス君は、水晶球に映し出された北の魔女さんを心配していた。

 だけど、僕だけがみんなとは違った感想を持っているみたい。


 とても美しいと、感じた。


 確かに、東の魔術師が生み出した炎は、北の魔女さんが佇む永久雪原を炎の世界へと変貌へんぼうさせてしまった。

 でも、乱舞する火の粉や燃え上がる大地の炎の揺らめきは、どこまでいっても美しくて綺麗で、僕の心を魅了する。


「マ、ジョ……魔女……」


 もしかして、東の魔術師は……


 北の魔女さんは、突如とつじょとして変貌した炎の世界の中心で静かに立ったまま、踊り狂う炎の演舞を見つめていた。

 でも、それも長くは続かなかった。

 ふと、上空を見上げる魔女さん。


「まさかあの人、遠隔呪術の視線に気づいたというのか!?」


 絶句するリステア。

 そりゃあ、そうだよね。

 僕たちだって、天上山脈に入って、東の魔術師から散々に遠隔呪術の影響を受けた。だけど、どこから監視されていたかとか、どこから術が発動しているかなんてものは、一切において判別できなかった。

 それなのに、北の魔女さんは短い時間で看破してしまったんだ。


 しかも、それだけじゃない。


「グゥッ」


 雑然、うめいて目を押さえ込み、うずくまる東の魔術師。

 どうやら、北の魔女さんの反撃にあったらしい。

 水晶球を通して、視線が重なり合った東の魔術師と北の魔女さん。それだけで、東の魔術師が苦悶くもんする。

 それでも、水晶球は北の魔女さんを映し続けていた。だけど、北の魔女さんが右手を軽く振った直後に、映像は途切れてしまう。

 それだけで、水晶球は最初のように透明な宝玉へと戻っていた。


「グウゥゥッ。グググッ」


 笑いとも苦悶ともつかない奇妙な声を漏らす東の魔術師。

 どうやら相当な呪力を消費したのか、目もとを押さえて蹲ったまま、肩で荒く息をしていた。


「いったい、なにがなにやら……」


 ぽつり、とアレクスさんが感想を漏らす。


 建国王アームアードと、東の魔術師の関係。

 聖剣の由来と、宝玉が作られた経緯。

 東の魔術師の正体と本性。

 そして、北の魔女さんとの関係。


 そうそう。忘れてはいけない。

 僕たちだって、こうして囚われの身になってしまった。

 どうにかして東の魔術師を説得し、ここから抜け出さなきゃいけない。しかも、聖剣復活どころか、先ずは宝玉を取り戻さなきゃいけないところから始まる。


 前途多難。問題と疑問だらけの現状に、アレクスさんだけじゃなく、みんなが気を落とす。

 そして、さらに追い討ちをかけるように、事態は悪化していく。


 ぐるるるるっ、と洞穴に鳴り響く情けない音。

 見れば、さっきまで怒鳴ったり鉄格子を蹴っていたスラットンが、お腹をさすりながら気まずそうに苦笑していた。


 やれやれ。どこまで行っても空気を読まない男だね、スラットンは。


「お前なぁ……」


 さすがのリステアも、あきれ顔でスラットンを見る。


「し、仕方ねえだろ! 昨日からまともに食事もれてねえんだからよっ!」


 いやいや、アレスちゃんからおいもを貰ったり、自前の保存食を口にしていたよね?

 とはいえ、たしかに僕たちは満腹になるまでご飯を食べてはいない。

 荷物を載せていた馬車を失ってからは、忙しい合間に空腹を紛らわせる程度の食べ物を口に入れていたくらいだ。

 そこに、東の魔術師が創り出した幻覚とはいえ、魔族の軍勢との大立ち回りがあった。スラットンじゃなくても、僕たちは少なからず空腹感に支配されようとしていた。


「ググ、グググ……」


 すると、スラットンのお腹の虫の悲鳴を聞いた東の魔術師が、こちらを見て笑っていた。

 いかにも、こちらを馬鹿にしたような笑いだ。


「くそっ、捕囚ほしゅうにするなら、飯くらい出しやがれっ!」


 さっきまでの、東の魔術師が見せた恐るべき遠隔呪術の驚愕はどこへやら。

 スラットンは恥ずかしさを誤魔化すためか、いつも以上に騒ぐ。

 そんなに騒いでいると、余計にお腹が空くよ、と思うんだけどな?


 だけど、東の魔術師は僕たちに食べ物を提供する気はないようだ。

 というか、この生活空間には食べ物がない。

 食べられそうなものといえば、洞穴の片隅で逆さまに吊り上げられたオズくらいだ。

 あれって、食べるか毛皮にしようと思って、捕らえているんだよね?


 オズは呪術によって意識を奪われているのか、スラットンがどんなに騒いでも反応しない。

 死んではいないようだけど、オズも早く助け出さなくちゃね。


 それはともかくとして。

 東の魔術師は、普段の食生活をどうしているのか。

 それは、すぐにわかった。


 ばさり、と翼を羽ばたかせる音が洞穴の入り口の方から聞こえてきた。

 何事か、と見つめる僕たちの先に、大鷲おおわしが飛来する。

 大鷲は、その大きく鋭い爪で雪兎ゆきうさぎを捕らえていた。


 東の魔術師は、雪兎を捕まえてきた大鷲に歩み寄る。

 どうやら、現実のような幻覚の大鷲に獲物を仕留めさせて、住処に運ばせたらしい。と思ったんだけど。


 大鷲は、用事を済ませても消えることなく、雪兎を爪で掴んでいた。そして、おもむろにくちばしを伸ばす。

 もちろん、捕らえた雪兎へだ。


 鋭い嘴と強力な爪で雪兎の皮を引き裂き、肉に食らいつく大鷲。


「うげっ、あの大鷲は本物かよ?」


 どうやらスラットンの言う通りで、大鷲は幻覚などではなく、本物の鳥らしい。


 そして、さらに驚いたのは、東の魔術師が見せた行動だった。

 あろうことか、東の魔術師は屈み込むと、大鷲と一緒に雪兎の肉にかぶりついた。


「まじかよ……。調理とかしねえのか」


 調理どころか、肉を部位ごとに小分けしたり、毛皮を丁寧に剥いだり、という前処理さえしない。

 東の魔術師はまるで獣のように、雪兎の肉を直接噛みちぎり、ねちゃ、ねちゃ、と咀嚼そしゃくして飲み込む。

 大鷲と東の魔術師は、僕たちが驚きながら見つめる先で仲良く、雪兎を捕食していた。


 ぐるるるっ。


 そして、またもやお腹を鳴らす、スラットン。


「仕方がねえだろうが! こっちは腹が減ってんだ。下劣げれつな風景だろうと、肉を見たら余計に腹の虫が暴れちまうんだよっ」


 顔を赤く染めて言い訳を口にするスラットン。

 すると、東の魔術師が顔を上げて、こちらを見てまたもや笑った。


「ググググッ」


 まるで、笑いかたを知らない者が、本能だけで笑ったかのような、歪な笑い声。

 熊の毛皮の隙間から東の魔術師の口もとだけが見えたけど、雪兎の血に染まった笑みは、どこまでも不気味だった。

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