苦難の選択

 雪兎を食べ終えた東の魔術師は、大鷲の爪の間から残った毛皮を取る。そして、無造作に洞穴の片隅に広げた。


「ああやって、捕食した獲物の毛皮だけは再利用しようってことだろうな」

「臭せぇはずだぜ。なめしたり加工したりするどころか、血抜きなんかもしてねえ毛皮を干して乾燥させただけなんだからよ」


 東の魔術師が着ている熊の毛皮や、洞穴の隅に無造作に重ねられた何枚もの毛皮も、肉を食べたあとの残骸なんだろうね。


 雪兎を一羽いちわ、大鷲と分け合って食べただけで、東の魔術師は満腹になったようだ。

 熊の毛皮の袖口そでぐちで口を拭うと、次の行動に移る。


 本物の大鷲を撫でて、抱きしめる。

 大鷲は、東の魔術師に撫でられたり抱きつかれると、嬉しそうに瞳を細めた。


 なんだか、この風景だけを切り取って見ると、とても仲が良い家族のように映る。

 僕たちには冷淡な東の魔術師だけど、ああして優しい心も持っているんだね。


 だけど、続く行動は、とても非情なものだった。

 翼を羽ばたかせて飛び去った大鷲を見送ったことじゃない。大鷲が飛び去ったあとのことだ。


 東の魔術師は、またもや机の上に置かれた水晶と向き合う。

 もしかして、また魔女さんに干渉するつもりなのだろうか、と危惧きぐする僕。

 でも、東の魔術師は本来の目的を忘れてはいなかった。


 遠隔呪術の儀式に入る、東の魔術師。

 先ほどのように、洞穴内に赤い術式が浮かび上がる。

 そして、水晶球に映し出された風景は、雪が降り積もった山脈だった。


「今度は、天上山脈の風景か」


 水晶球の奥に見える雪山は、白く染まってはいても、雪は降っていない。

 リステアの指摘通り、あれは天上山脈のどこかを映し出したものに違いない。


 天上山脈の風景は、最初は空の高い位置から俯瞰ふかんしたような映像だった。

 だけど、徐々に高度が下がっていく。

 そして中心に見え始めた景色に、あっと僕たちは息を呑む。


 見え始めたのは、魔族の軍勢だった。

 険しい雪道を、長い列を成して行軍する魔族の軍勢。

 黒装束の部隊だけじゃなく、異形の容姿をした部隊や、空を飛ぶ部隊も見える。


「とんでもねえ数だな」


 ざっと見ただけでも、数千の規模になる。

 どうやら、魔王クシャリラと鬼将きしょうバルビアは、本格的に天上山脈を攻略するつもりだ。


 でも、東の魔術師だってこうした苦難は数百年の間に何度も体験してきたはずだ。

 では、どうやってあの大軍勢を撃退するのか。

 僕たちは空腹も忘れて様子を見守る。


 東の魔術師は、唄のような滑らかな旋律で呪文を詠唱し、色とりどりの粉で地面に模様を描いたり、植物や動物を乾燥させたものを砕いて鍋に投入したりと、儀式を進めていく。


 歪な発音と耳障りな話し言葉とは違う、美しい呪文の旋律。

 なぜ、同じ口から溢れる音なのに、こうも違うのか。


 もしかして……


 思うところはあるけど、断定はできない。

 さっきの大鷲が本物の生物であるなら、もしかしたら、あの大鷲から詳しい事情を聴き出せるかもね。

 まあ、次に舞い戻ってきたらだけど。


 僕の思考とは別に、東の魔術師の遠隔呪術は完成した。


 どどどっ、と音が聞こえてきそうなほどの大迫力で、雪山が鳴動めいどうしだす。

 そして、揺れに合わせて起きる、大雪崩おおなだれ


 水晶球を通して、魔族たちの悲鳴が聞こえてきそうだ。

 隊列を乱し、逃げ惑う魔族の軍勢が映し出される。

 だけど、雪が降り積もった山脈の山あいに、逃げられるような安全な場所は存在しない。

 魔族の軍勢は大雪崩に巻き込まれ、白い世界に飲み込まれていく。

 それでも、翼を持つ魔族は飛ぶことによって逃げおおせた。

 でも、東の魔術師は見逃さない。


 絶望の表情で、自分の翼を見返す魔族たち。

 何度となく羽ばたこうが、力強く翼を動かそうが、翼が大気をつかまない。

 そしてそのまま、なすすべもなく地上へと落ちていく魔族たち。

 大雪崩から逃れようと、目一杯の高度まで上昇していたのがあだとなった。

 高所から落下した魔族たちは、たとえ下が雪だったとしても、激しい勢いで地面に激突すると、絶命していく。


「こりゃあ、一方的な惨殺ざんさつだな」

「応戦しようにも、東の魔術師の所在は掴めないし、防戦一方のままやられちゃうだけだよね」


 どんなに大軍だろうと、どれだけ強かろうと、離れた場所からこれだけ一方的に攻撃され続けたら、勝ち目なんて微塵みじんもない。

 東の魔術師が繰り出す圧倒的な呪術の前に、生き残った魔族たちは敗走していく。


「グググッ。魔、族ドモ、メ……」


 最初の攻撃が上手くいって満足したのか、またもや歪な笑みを見せる東の魔術師。

 だけど、最初に北の魔女さんへ干渉した影響が大きいのか、逃げ惑う魔族たちへの追撃はせずに、遠隔呪術を終わらせた。


 ぜぇっ、ぜぇっ、と肩で荒く息をする東の魔術師。

 遠隔呪術の威力は絶大だけど、呪力や体力の消耗も尋常じんじょうじゃないらしい。

 それでも衰弱すいじゃくしたり昏倒こんとうしないところを見ると、やはり東の魔術師の呪力は計り知れないものなんだとうかがい知れる。


 東の魔術師は肩で荒く息をしながらも、机に置いていた水晶球を仕舞う。そして、炎の宝玉を大事そうに抱えて、何枚も積み重ねた毛皮のもとへと歩いていく。

 どうやら、あの毛皮の山は、東の魔術師の寝床らしい。

 東の魔術師は熊の毛皮を着たまま、積み重ねた毛皮の中に潜り込んだ。そしてすぐに、寝息を立て始める。


「おいおい、まじかよ。寝ている最中も、俺たちを縛る幻覚は消えねえってのか!?」


 スラットンが驚くのも無理はない。

 だって、術とは術者が集中していないと発動したり維持できないものだよね。

 なのに、東の魔術師は眠ったのに、僕たちに掛けられた術が解けない。

 つまり、東の魔術師にとって、鉄格子の幻覚を維持するなんてことは、無意識でもできる程度の呪術ってことだ。


 東の魔術師の想像を絶する呪術の前に、僕たちは驚きと同時に絶望していた。


「このままじゃ、本当に行き詰まりだな」


 これまで辛抱強く東の魔術師に声をかけ続けていたリステアも、話しかける相手が寝てしまったことでやり場をなくしたのか、疲れたように座り込んだ。


「だが、このままじゃあ、帰れねえだろ?」

「帰れるか以前に、ここから抜け出さなきゃいけないっすけどね?」

「抜け出せたとしても、はたしてあの遠隔呪術から身を守れるかどうかでございますね?」


 スラットンとトリス君とルーヴェントが、今後の不安を口にした。

 どうやら、東の魔術師が寝静まったここからは、これからについての作戦会議みたいだ。


「まあ、この牢屋から抜け出したとしてよ。遠隔呪術については……」

「スラットン、物騒なことは口にするなよ?」

「へいへい、わかってますよ。あいつを殺しちまったら、聖剣復活のためにここまで来た苦労が、全て水泡すいほうすわけだからな」


 だから、口にしちゃ駄目だってリステアが注意したのに!

 駄目だこりゃ、と苦笑する僕たち。


「とはいえ、こいつは本格的に手の打ちようがなくないかよ?」


 東の魔術師はこちらの話に耳を傾けてくれない。それどころか、炎の宝玉を利用して魔女さんに干渉しようとしている。というか、もう干渉してしまっている。

 上手いこと宝玉を奪い返してここから逃げたとしても、あの遠隔呪術から逃れるのは至難の技だ。

 それにそもそも、逃げ出してしまったら、聖剣を作り直してもらうという当初の目的がくつがえっちゃう。


 スラットンではないけど、この困った状況にみんなで頭を抱え込んだ。

 作戦会議とはいったけど、言葉数も少なく、話が煮詰まらない。

 そこに、トリス君がひとつの提案を出してきた。


「なにはともあれ、先ずはここから出た方が良くないっすかね? 食べ物をめぐんでくれる可能性なんてないから、捕まっていたって空腹で死ぬだけじゃねえ?」

「だが、そもそもどうやって逃げるってんだよ?」


 逃げた後のことは、またその時に考える。となんとも行き当たりばったりな作戦だけど、ともかくこの牢屋を抜け出さなきゃ話は進まない。


 アレスちゃんさえ戻ってくれば、空腹の件は解消できるかもしれない。

 だけど、東の魔術師を説得できなければ、囚われ続けていても進展はしない。それよりも、ここは逃げ出して態勢を整えて、もう一度挑戦してみては、というのがトリス君の提案だった。

 そこに、疑問というか、根本的な問題を突きつけたのは、スラットンだ。


 そもそも、この鉄格子を破らないと、逃げ出すこともできない。

 だけど、鉄格子はとても頑丈がんじょうで、押しても引いても蹴ってもびくともしない。


「それは、まあ。なんとかなりそうな気もするけど?」


 ただし、どうもトリス君は何か奥の手を持っているみたいだ。

 見れば、アレクスさんも鉄格子については不安視していない様子に見える。

 つまり彼らは、リステアの説得交渉を優先させるという現状じゃなければ、この鉄格子くらいはいつでもどうにかできると思っているんだね?


 そういえば、魔都で捕らわれた際にも落ち着き払っていたっけ。

 ふむふむ、アレクスさんだけじゃなく、トリス君も見た目以上に曲者くせものみたいだ。

 まあ、あのアステルさんの守護役を務めているくらいだから、きっといろんな状況にも臨機応変に対応できる能力を持っているんだろうね。


 かくいう僕も、この牢獄くらいなら抜け出せるという自信はある。

 なによりも、霊樹の木刀が奪われなかったのが心強い。

 さすがの東の魔術師でも、木刀の正体は見破れなかったようだね。


「そんじゃあよ、あの大鷲が戻ってくる前に、ちょっくら抜け出すか」


 スラットンも、トリス君が何か奥の手を持っていると確信しているようだ。

 他人任せにはなるけど、逃げられるなら逃げ出そう、と早速身構えるスラットン。


 大鷲の住処は別にあるのか、それとも、獲物を探しに出て行っただけなのか。それは、僕たちにはわからない。

 だけど、東の魔術師が目覚めれば、大鷲も戻ってくる。そうなれば、逃げ出す機会が失われるだけじゃなく、今後は僕たち自身にも身の危険が及ぶ可能性だってある。


 炎の宝玉と魔族の侵略に意識が向いている東の魔術師だけど。二つの件が落ち着いたあとに、僕たちの話に耳を傾けてくれるなんて可能性は、今のところ極めて低い。

 そして、東の魔術師は僕たちを敵視している。そうなると、捕らえているだけじゃなく、なにか危険なことをしてくるかもね。


 ま、まさか!

 僕たちも食べられちゃう!?

 そして、獣の皮と一緒に干されて、寝床に敷かれちゃう!?

 そんなのは、ごめんです!


「と、とにかく、逃げ出そう。東の魔術師も、ニーミアやドゥラネルの存在には警戒していたみたいだし。ニーミアたちを連れてくれば、交渉に応じてくれないまでも、話は聞いてくれるかもしれないからね」


 僕の決定に、不承不承ふしょうぶしょうながらリステアも同意してくれた。


「では、さくっといきましょう」


 言って、唯一奪われなかった霊樹の木刀を抜く僕。

 そして、竜気をひっそりと解放する。

 僕から流れ込む竜気を受けて、霊樹の木刀に力が宿る。


 えいっ、と横薙ぎに霊樹の木刀を振るう。

 すると、スラットンが蹴ってもびくともしなかった頑丈な鉄格子が、あっさりと両断できた。


「すげぇ」


 素直に驚いてくれるトリス君に気分を良くした僕は、さらに何度か霊樹の木刀を振るう。すると、抜け出せるくらいの隙間が出来上がった。


「よし、奴が寝ている間にさっさと逃げ出して、少しでも距離を稼ぐぞ!」


 先頭で走り出すスラットン。次いでリステアが走り出そうとしたけど、寝ている東の魔術師を見て動きが止まった。


「リステア、今は我慢して? 炎の宝玉は必ず取り戻してみせるけど、今は時期尚早だよ」

「ああ……。そうだな」


 聖剣を復活させるために旅してきたのに。聖剣は逆に奪われてしまった。しかも、盗人ぬすっとという汚名まで着せられてしまうだなんて。

 リステアの心労は、僕たちが思っている以上に重いはずだ。

 でも、それでも今はこの場を離れることしかできない。


 僕に背中を押され、リステアも走り出す。

 僕は吊るされていたオズを救出し、長い洞穴を全力で、ただし、なるべく騒ぎ立てないように走り抜けた。

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