道は険しく
「俺たち獣人族は、千年ほど前にこの土地へとやってきた。もともとは、大陸の南西部が獣人族の文明圏だと言われている」
ガウォンは、ウランガランの森を進みながら、北の地に住む獣人族の歴史を話してくれた。
遥か遠くの故郷。それは、僕たち人族の神殿宗教に置き換えるなら、
アームアード王国やヨルテニトス王国といったこの辺りの国は、人族の文化圏から見れば飛び地になる。主に人族が暮らす土地は、ここから竜峰を越えて、魔族の支配する国々の更に西の先にある。それでさえ、過去に人族が栄え神殿宗教の最も古い聖地と言われる大陸の中心部からは、東にずれているという。
獣人族たちは、その最も古い聖地よりもずっとずっと遠い場所から、何百年とかけてこの地までやって来たらしい。
「太古の土地では、
気の遠くなる時間と距離を旅してきた獣人族たち。彼らはしかし、邪悪な魔族と険しい山脈に先を阻まれることになった。
「魔族の国の西には、人族の国々が
「
「そこで旅を終えるのも、ひとつの選択肢だったそうだ。だが、その土地は不毛で人族が生きていくだけで精一杯の土地だった。北には手付かずの広大な土地が在ったというが、調べれば
獣人族は、東進を決定した。だけどそれは、厳しく辛い旅になった。
魔族は、人族であろうと獣人族であろうと、下位の種族は奴隷や家畜以下の存在としか思っていない。魔族の国に足を踏み入れた獣人族たちは、多くの命を散らせていった。
「どうして、そこまでして東への旅を続けたのですか? 故郷に
「俺たちの先祖は、大陸の南西部からずっと旅をしてきた。そのなかで、安息の地を見つけることができなかった、としか言えんだろうな」
リステアの疑問に、ガウォンは顔をしかめてそう答えることしかできなかった。
「おじいちゃんに聞いたことがあるよ。この辺り、というか大陸の東側は比較的平和だけど、西部は
若いときに世界中を旅したというスレイグスタ老が、西ではあまり良い思い出はないと言っていたことを話す。
「祈祷師ジャバラヤン様は、約千三百年生きてきたお方だ。俺たち獣人族の長い長い旅を体験した唯一の生き証人でもある。苦難に打ち砕かれそうになったとき。ジャバラヤン様は星に祈りを捧げたという。その夜、導きの魔女が現れた」
魔女、という部分に、僕とルイセイネは僅かに反応した。
少し前に、巨人の魔王が寝付けないプリシアちゃんにおとぎ話をしていた時のこと。
ある土地で、偉大な竜が聖女と共に女神様の元へと旅立つお話。魔族の王が、まさか人族の女神様に
そして、知った。
そこに登場したのが、魔女と呼ばれる不思議な女性だった。
ガウォンの話によれば、白き魔女は、満天の星空から音もなく舞い降りたという。そして、ジャバラヤンや心砕けかけていた獣人族を導いた。
「竜と巨人の狭間に、
魔女は、ジャバラヤンに道を示した。恐ろしい魔族の手を
竜族と竜人族が住まう、竜峰だ。
この峰々を越えれば、必ず安息の地が待っている。多くの困難の
「それ以来、俺たち獣人族はこの地で生きてきた。だが、ひとつの目標を失うと、多くの部族が合わさった獣人族の集団には色々と問題が生じ出す」
獣人族には、羊種や
長い旅を終え、安らげる土地を手に入れた獣人族。すると徐々に、どの種がこの地の獣人族を纏めるかという争いが起きだした。
「それに終止符を打ったのは、祈祷師ジャバラヤン様の占いだったのだ」
獣人族も、寿命は人族とあまり変わらないらしい。そのなかで何百年と生きてきたジャバラヤンは、一目置かれる存在だった。そして、苦境のときに魔女の予言を受けたのもジャバラヤンだ。
ジャバラヤンは星の占いにより、獣人族の宗主を選び出した。
「
それは獅子族の男だったり、
祈祷師ジャバラヤン様が選んだ者だ。獣人族たちはその決定に従ってきた。
「では、なぜ今回のような争いが?」
未だに意識が戻らず、ガウォンの腕に包まれている羊種の幼女メイ。彼女が次の宗主に選ばれたという。それなのに、不服に思ったボラードたち虎種の獣人族が襲いかかってきた。
ううん、虎種だけではない。ガウォンとボラードの最初の会話を思い出すなら、多くの種がメイの宗主拝命に異議を唱えているんだよね。
「お前たちの国に長い歴史があるように、俺たちにもこの土地に根付いてからの千年の歴史がある」
過去。ジャバラヤンが選出してきた宗主は、比較的肉食系の種が多かった。メイの前も、狼種の男が宗主だったらしい。
「数百年前まで。南の地、お前たちの言うところの飛竜の狩場やその以南は、邪悪な竜が支配していた」
「
「手も足も出ない、見るだけで魂を奪われるような恐ろしい存在だったとか。しかし、竜と人とが手を組んで滅ぼしたという。それは特に問題はない。だが、そこから人族と獣人族の繁栄に違いが出た。お前たちは自分たちの歴史を知っているだろうか。この土地には、人族は住み着いていなかったのだ」
「それは知っています。腐龍の王を倒した初代の王が、各地から人族を集めて国を
「人族は瞬く間に国を造り、繁栄していった。だが、俺たち獣人族には栄えある時代は訪れなかったのだ。南は、邪悪な竜がいなくなっても飛竜の脅威が新たに出てきた。そして近年。東からは、人族がこの地に足を踏み入れるようになったのだ」
西には竜峰が在り、北はいずれ海に突き当たる。獣人族はこの地に押し込まれてしまったんだね。
「武闘派の部族は、東へと活動地域を広げようと何度も提案してきた。だが、ジャバラヤン様がそれを許さなかった。そして、ここにきてメイ様が選ばれた」
「つまり、次の宗主が
「長い時を経て、ジャバラヤン様の影響力が薄れてきているのかもしれない。だが、それでも伝統やしきたりは生きている。メイ様が洗礼を受け、正式に宗主の座を引き継げば、ボラードたちも渋々ではあるが納得するだろう」
「でも逆に、洗礼の儀を受ける前にメイが死んだら……」
「奴らの狙いはそれだ」
これは、獣人族だけの問題じゃないんじゃないのかな。
もしも気性の荒い種の者が宗主に選ばれた場合は、下手をすると人族との争いに発展してしまうかもしれない。
人族の冒険者は、北の地の
逆に、獣人族が人族の生活圏に踏み入ってこないのは、これまではジャバラヤンの影響力があり、選ばれた宗主もその方針に従ってきたからだ。次代の宗主にメイが就けば、その
そのときは、人族との獣人族との争いに発展するかもしれない。
僕たちは、獣人族の驚異的な身体能力を体験したばかりだ。
竜人族や魔族といった種族ほどの特殊な能力は持っていなかったけど、彼らは人族を圧倒する動きと反応を見せた。自慢じゃないけど、虎種の猛攻を退けられたのは、僕とリステアだったからだと思っている。もしも、あれが普通の人族、基本的な兵士や一般市民だったら、なにが起きたのかもわからずに殺されるかもしれない。
獣人族が北の地にどれくらいの数で生息しているのかは不明だけど、種族間の争いになったら、人族が脅威に晒されるのは目に見えていた。
「やれやれ。ようやっと魔族の侵略から解放されたと思ったら、今度は獣人族か」
リステアも僕と同じ結論に達したのか、困ったようにため息をひとつ吐いた。
「ねえ、リステア。これは他人事の問題じゃないよね?」
「ああ、れっきとした人族との獣人族の問題だと断言しよう」
「じゃあ、メイやガウォンに協力しても良いんだよね!」
「良いんだよね、なんて無邪気に瞳を輝かせるのは禁止な!」
ぽこり、と頭に
「エルネア君。協力もなにも、もう両足を突っ込んでいると思うのですが……」
「ルイセイネ、その突っ込みは禁止ね!」
リステアの真似をしてルイセイネの頭を
「帰ったら、ミストさんにお仕置きをしてもらいますからね」
「ええぇぇっっ、ひどいよっ」
満月の花を探して帰ることはなによりも大事だ。だけど、獣人族の問題から目を逸らして未来に憂いを残すなんて、僕やリステアにはできない。
この戦力でどこまでできるかは未知数だけど、できる限りの協力を惜しまない、とガウォンに誓う。
「ありがとう、人族の若き戦士たちよ。こうしてメイ様や俺が君たちに巡り会えたのも、ウランガランの森の導きかもしれない」
「僕たち的に言うなら、女神様のお導きかな」
「ああ、そうかもしれないな。気のせいかもしれないが、三人の女性が着ている衣装はジャバラヤン様のそれと似ているような気がする。俺たちはなにかの大きな流れの上に乗っているのかもな」
それはきっと、竜脈という世界中に張り巡らされた生命の流れですよ、と僕は心のなかで呟いた。
「さあ。それでは、君たちの協力で難関を抜けようか」
僕たちは、ウランガランの森の切れ目に到着していた。
茂みに身を潜め、北に広がる草原を観察する。
「祈祷師ジャバラヤン様は、イスクハイの草原の先、
草原を春の気持ち良い風が吹き抜けていき、美しい緑の草を揺らす。
だけど、風たちが教えてくれた。
『気をつけてね』
『危険が潜んでいるわ』
『彼らは血を求めているよ』
待ち伏せだ。
メイの宗主拝命に異議を唱えているのは、虎種だけではない。おそらく、違う部族の者たちが草原に身を潜め、獲物を狩ろうと待ち構えているに違いない。
「一度襲撃されたら、逃げ隠れできるような場所は見当たらないね」
「絶対に何者かが潜んでいるんだろうが、気配が読めないな」
「それでも、俺たちはメイ様を連れてイスクハイの草原を突破しなければならない」
「メイちゃんは、わたくしたちが預かりましょうか? 戦いになれば、わたくしとイネアは結界を張るくらいしかできませんし」
「そうだねー、あの動きにはついていけないけど、結界では防げるからねー」
「ふうむ。では、そうしてもらえるだろうか」
しばし考えて、ガウォンは大事に抱えていたメイをキーリに渡す。
メイに治療を施した三人、キーリ、イネア、ルイセイネの誠実な対応を信頼してくれたんだね。
「ここからは手加減なんてしていられないかもな。俺も本気でいく。エルネアもな?」
「うん!」
「戦いにおいて、手心は無用だ。獣人族にとって、戦いのなかで死ぬことは
「なんだか、竜人族にも似たような部分があったなあ」
ガウォンの言葉に、呪われた武具で
「じゃあ、竜王として彼らに
「言うようになったな」
「うん。竜王に相応しい誇りと行いをしなきゃね」
「なら、俺は勇者として伝説に残れるように努力しよう」
言ってリステアは、呪力を高める。
甲高く美しい鳴き声とともに、いつか見た炎の
「準備は良いか? では、行くぞっ!」
ガウォンの合図とともに、僕たちは地面に当てていた手を離し、イスクハイの草原を駆け出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます