少女巫女

 少女の頭が、容赦なく鳩尾みぞおちにめり込む。


「ぐふっ」


 腹部の鈍痛どんつうに、僕は悶絶もんぜつする。

 少女の頭上に浮いていた二本の月光矢だけは、僕に命中することなく未だに宙に浮いていた。


 ぐりぐりぐり、とまるでフィオリーナのように頭部を押し付けて僕に抱きつく少女。だけど、すぐに違和感を覚えたようだ。


「お姉様! ……のわりには、少し硬いですわ? お姉様、筋肉の付け過ぎは淑女しゅくじょとして……」


 と、そこで顔を上げた少女は、僕の顔を見て目を点にさせた。


「ええっと、こんにちは?」


 にこり、と微笑んで挨拶する僕。

 すると、途端とたんに顔を真っ赤にして、少女は僕から飛び離れた。


「も、申し訳ございません。お姉様の馬車から、まさかお姉様以外のお方が出てこられるとは思いませんでっ」


 はわはわっ、と手をばたつかせてあせったように謝罪する少女に、僕は勘違いをさせてごめんね、と逆に謝る。


「実は、王宮で巫女頭のマドリーヌ様に一計を計られちゃって。あっ、僕はエルネア・イースです」

「そうですか、お姉様の罠に……。はっ、エルネア様? それでは、あの偉大な大英雄様であり、お姉様と将来を約束された!?」

「ええっと、君のお姉様って?」


 なんとなく答えがわかったけど、一応は聞いておかないとね。

 なにせ、マドリーヌ様に妹がいたなんて、初耳だから。


 少女は、僕の質問に改めて身を正す。

 今更のように確認すると、少女も立派な巫女装束を見に纏っていた。

 歳の頃は、十歳前後かな?

 綺麗な金髪や大きな青い瞳が、どことなくマドリーヌ様に似ている。

 仕草や言葉遣いが少しだけおませさんな気もするけど、この年頃の少女によく見られる、背伸びをしたいさかりなんだろうね。


 巫女装束の少女は、深々と頭を下げて挨拶する。


「遅ればせながら、ご挨拶させていただきますわ。私はメアリ・ヴァリティエでございます。マドリーヌお姉様とは、先ごろ正式に姉妹関係になりました」

「正式に?」

「はい。ヴァリティエ家に養子として迎えられました」

「ああ、そういうことですね」


 聞けば、メアリ様は元々、マドリーヌ様の従姉妹いとこにあたるという。

 少女の説明に、うんうんと頷く僕。


「いいですか、エルネア様。本来ですと、たとえ王族の方であっても、ヴァリティエ家と縁談を結ぶ場合は、必ず婿養子むこようしに入っていただくのです。ですが、今回はあの偉大な救国の大英雄様。ヴァリティエの家紋に匹敵する、いいえ、それ以上のとうときお方ということで、例外中の例外としてお姉様はおとつぎになるのです」


 マドリーヌ様は、ヴァリティエ家の分家筋に当たる。そしてヴァリティエ家といえば、聖職に身を置くものであれば誰もが知っている大名門の家系。その分家筋ではあるけど、確かにマドリーヌ様も立派な後継者なんだよね。

 だから、ヴァリティエ家の女性と結婚する場合は、本来であれば婿養子に入るらしい。そうしないと、脈々と続いてきた分家の血筋が途絶えちゃうからね。


 だけど、マドリーヌ様だけは例外として扱われたみたい。

 夫となる相手が、僕だったから。

 僕なんて、裕福とはいえない家庭で育った、由緒なんてこれっぽっちも無い、ただの男だ。

 だけど、色んな種族の色々な者たちに出会い、数多くの試練を乗り越えてきた。だから、ヴァリティエ家の正当な後継者であるマドリーヌ様であっても、名字を変えて嫁ぐだけの資質を持つ、と認められたらしい。


 だけど、それではヴァリティエ家の分家筋が本当に途絶えてしまう。

 だから、従姉妹であるメアリ様が養子に入って、後継者になるんだね。


 僕の知らないところで、大きな話が進んでいたことを知った。

 きっと、マドリーヌ様がひとりで、こうした話を進めてきたんだ。

 そして、思う。メアリ様は淡々たんたんと説明してくれるけど、これはけっして簡単な話ではなかったはずだよね。たとえマドリーヌ様であっても。たとえ僕に嫁ぐといっても。話を纏め、結論を導き出すためには、大変な苦労や根回しが必要だったはずだ。

 その全てを、マドリーヌ様はひとりで纏めあげた。しかも、そんな苦労なんて微塵も僕たちに見せないだなんて。


「やっぱり、マドリーヌ様はすごいなぁ」

「当たり前でございます! 現当主であられるお母様を置いて巫女頭という地位にお就きになられたほどのお方ですわよ?」

「言われてみると!?」


 そうだよね。マドリーヌ様のお母さんだって、ヴァリティエ家の女性で、しかも当主であるのなら、間違いなく巫女の職に就いているはずだ。だけど、当主であるという母親ではなくて、娘であるマドリーヌ様が若くして巫女頭に就いた。それだけでも、マドリーヌ様が飛び抜けて優秀なのだというあかしになっていた。


 そんな女性と、僕は結婚するんだ。

 ヴァリティエという由緒正しい名字を捨てさせてまで。


「マドリーヌ様の夫になる者として、僕は恥ずかしくない男でなきゃいけないんですね!」

「そうでございます! ですので、今から私がエルネア様を試験いたします!」

「えっ!?」


 突然の展開に、今度は僕の目が点になる。


 小さな巫女様は、胸の前で腕を組んで、真剣な表情で僕を見上げる。いかにも試験官、といった雰囲気ふんいきだ。

 だけど、幼い試験官には、大きな誤算があった。


「え、ええっと……」


 僕の顔をしっかりと見上げる。それはすなわち、僕の頭の上でのんびりと寛ぐニーミアが視界に入るということです!

 ふわふわの長い尻尾をゆらゆらと揺らしながら、僕たちの様子を見ていたニーミア。そのニーミアを認識したメアリ様の瞳が、大きく見開かれていく。そして、きらきらと輝きだした。


「きゃーっ。愛くるしいですわ! お美しいですわ! 素敵ですわ!」


 ぴょんぴょんと跳ねて、ニーミアを捕まえようとするメアリ様。


「にゃん」


 ニーミアは僕の頭から飛び降りると、地面に降りて駆け回り始めた。


「きゃー、きゃーっ、お待ちくださいませっ」


 そして、ニーミアを追いかけて走り去っていくメアリ様。


「……どうやら、僕の試練は終わったようです」


 僕の背後で、案内役の巫女様が笑っていた。






 どうやら、ここは間違いなくマドリーヌ様の実家らしい。


 マドリーヌ様の実家は、王都の街並みが広がる南の一画、緑に囲まれた静観な丘の上にあった。

 見渡す丘全体が、ヴァリティエ家の所有する土地だという。だけど、丘のいただきに建つ建物はとても小じんまりとしていて、見るからに慎ましい外観だった。

 ただし、建物の外観こそ慎ましく見えるものの、そこは由緒あるヴァリティエ家の本宅だ。質素を装いながらも、柱や壁の各所に緻密な造りが見られる。窓辺にも季節の花が飾られていて、建物を囲む花壇かだんには色とりどりの花が咲いていた。


 庭は申し分なく広い。

 緩やかな丘の斜面は芝生に覆われ、所々に枝葉を広げた広葉樹が植えられている。よく手入れされた植木によって幾つかの区画に分かれていて、石敷きの広場や池を中心とした水場なんかもある。そして、丘を囲むように広がるのが、自然豊かな樹林だ。


 メアリ様は、その広い芝生のお庭を、きゃっきゃと駆け回る。

 もちろん、ニーミアを追いかけて。

 しかも、なぜか頭上に二本の小さな月光矢を浮かべたまま。


「あの、メアリ様の頭上の月光矢は、なんでしょう?」


 案内役の巫女様に質問してみる。すると、笑顔で教えてもらった。


「あれは、修行の一環でございます。法術は、治療や結界、または呪縛といった、長時間発動し続ける性質の術が多いのです。ですので、ああして法術を維持する修行をなさっておいでなのです」

「なるほど、術の持続時間を伸ばす修行なんですね」


 術を持続させる。それは意外と難しい。

 瞬間的に力を集中させて、爆発的に術を放つ。攻撃性の強い術なんかによく見られる系統だけど、こうした瞬間的な術って、集中も瞬間的だから、意外と苦労はしないんだよね。

 だけど、呪縛や結界といった持続系の術は、見た目が地味でも術者の負担は大きかったりする。なにせ、術を発動させ続けている間は、ずっと意識を集中させておかなきゃいけない。さらに、力も消耗し続けていることになるからね。


 集中と消耗。

 これは達人たつじんといえども必ず直面する、大きな問題だ。

 僕だって、嵐の竜術を維持するためには竜脈から力を吸い上げ続けなきゃいけないし、竜剣舞を舞い続けないと集中も続かない。

 プリシアちゃんも、暇があると精霊さんを召喚して、術を持続させる特訓をしているよね。


 そしてメアリ様もまた、頭上に小さな月光矢を維持したまま、術を持続させるという修行の真っ最中らしい。


「すごいですね。ニーミアを追いかけたり、僕に抱きついて驚いたりしても、あの月光矢は放たれたり消えたりしませんでした。それだけ、メアリ様の法術は優れているってことですよね?」

「はい。メアリ様は天才肌でございますので、もうあのお歳で洗礼を受けております。あの小さな月光矢も、自ら術の最小化を図り、維持しております」

「えっ! あの小さな月光矢って、メアリ様が独自に開発したんですか!?」


 法術は、古めかしい言葉でつむがれた祝詞のりとや、指先で空中に描く複雑な模様によって、ようやく発動できるんだよね。だから、術の効果を少し変えるためだけでも、祝詞の意味合いを理解したうえで意図した部分だけを変えたり、描く模様を変化させなきゃいけない。

 つまり、基礎をしっかりと理解していなきゃ、効果を変更することさえできないんだ。

 それなのに、メアリ様はもう月光矢の基礎を理解して、自分なりに新しい術を開発しちゃったんだね。


「とはいえ、まだまだ子供ですので。ああして目の前のことに夢中になってしまいます」

「僕への試練も忘れて、ですね!」

「ふふふ、そうでございますね」


 目の前の興味があものに夢中になるだなんて、さすがはマドリーヌ様と同じ血を引く女の子だね。


「にゃーん」

「お待ちくださいませ。待ってくださいませっ。お待ちになりなさーいっ」


 ニーミアは、空を飛ぶことなく芝生の上を駆け回る。メアリ様は、二本の小さな月光矢を頭上に浮かべたまま、走り回る。

 賑やかな様子を、僕と案内役の巫女様は微笑ましく見守っていた。

 すると、丘の上に建つ邸宅の玄関が開き、二人の女性が現れた。そのうちのひとりが、芝生のお庭を駆け回るメアリ様を見つめて、静かに呟く。


「メアリ?」


 たったそれだけで。なんの威圧もなく、強制力もない言葉ひとつで。

 つい今し方まで元気よく駆け回っていたメアリ様が、びくんっ、と動きを止めて硬直してしまった。


「お、お母様……?」


 恐る恐る、という風態で振り返るメアリ様。そして、玄関前に佇む二人の女性を見た途端、乱れた巫女装束を整えると、芝生の上に正座した。


「ご、誤解でございます、お母様方。私は、ちゃんと修行をしていましたわっ。そ、それに! エルネア様に、試練を……」

「まあ、試練を? 貴女が、どなたに?」

「そ、そそ、それは……」


 言葉に詰まるメアリ様。それを玄関先から見つめる、二人の女性。


 年齢こそ離れているように見えるけど、風貌がよく似ている。

 ひとりは、四十歳前後かな?

 落ち着いた雰囲気の女性。

 もうひとりは、三十歳前後?

 こちらも、柔らかい雰囲気を纏っている。


 かもす雰囲気だけでなく、見た目もよく似ていた。

 というか、衣装は同じだ。

 二人の女性は、共に巫女装束を身に纏っていた。


 そして、メアリ様に声を掛けたのは、三十歳前後の若い方の女性だった。

 微笑みながら、メアリ様に質問を投げかける。

 けっして、他者を怖がらせるような気配は漂わせていない。むしろ、母愛に満ちた優しい笑みだ。なのに、メアリ様は蛇に睨まれたかえるのように、完全に硬直してしまっていた。


「さあ、メアリ。説明をお願いしますね? 貴女がどなたに、試練を課すのです? そして、それは貴女の修行に大切なことなのですね? 守護竜様を追いかけることも?」

「うっ。ううぅぅ……」


 どうやら、メアリ様も玄関先に現れた二人の女性も、ニーミアの正体を知っているようだ。


 ヨルテニトス王国では、亡国の危機に飛来したアシェルさんを、国の守護竜と呼ぶことがある。そして、ニーミアは母竜であるアシェルさんによく似ているし、何度も僕たちと一緒に王都を訪れているので、大きくなったり小さくなったりすることも知られている。


 さらに言えば、ニーミアを連れた僕がエルネア・イースであることは、少し考えれば思い至ることになる。

 つまり、玄関先の女性は、馬車の前に佇む僕や追いかけ回していたニーミアを含めて、メアリ様に問いかけているというわけだ。


 邪気のない、無垢むくの笑顔で!


 うむむ。あれは、実は激怒されるよりも怖いかもしれない。

 本人は、全く怒っていないのだ。相手を叱責しっせきするわけでも、とがめているわけでもない。ただ純粋に、相手のことを心から想っているだけ。でも、だからこそあの笑顔と同時に疑問の言葉を投げかけられると、深く心に突き刺さる。

 後ろめたい事があればある程に。


 メアリ様は今まさに、心が締め付けられているに違いない。

 僕に対して悪気があって「試練」なんて言ったわけじゃないし、ニーミアに夢中になったのだって、年頃の少女なら仕方がない。

 だけど、今は修行中だった。僕はマドリーヌ様の婚約者だった。ニーミアは、守護竜と讃えられるアシェルさんの娘だった。

 いろんな条件が重なって、メアリ様は言い訳できないような状況に陥ってしまった。


 涙目で正座して、一生懸命に弁明しようとするメアリ様。

 でも、十歳前後の少女に、大人を言いくるめられる程の話術はない。

 結局、無言で正座し続けることになる。


「にゃあ」


 ニーミアが、心配そうにメアリ様の膝の上に乗った。

 本来であれば、大喜びで跳ね回りたいはずだろうけど、メアリ様は膝の上のニーミアへ視線さえ向けずに、玄関先に立つ女性を真っ直ぐ見つめ続けていた。


「うん、これじゃあ、あまりにも可哀想だ」


 僕が予告もなく訪問して、メアリ様の修行の邪魔をしてしまったのがいけないんだしね。


「初めまして。僕は、エルネア・イースと申します。突然の来訪をお許しください」


 馬車の前から、丘の上に建つ邸宅の玄関先に届くように声を張る。


「メアリ様に試練を申し出たのは、僕の方からなんです。マドリーヌ様を心より敬愛けいあいするメアリ様に認めてもらうために。そして、その準備の間、ニーミアの相手をお願いしていたのです。ですから、メアリ様は何も悪くないのです」

「にゃん!」


 巫女様に対して嘘を言うのは心が引けるけど、メアリ様を助けるためだ。それに、悪いことをたくらんでいるわけじゃないから、良いよね?

 ニーミアだって、僕の言葉を裏付けするように、うんうんと頷いてくれていた。


「エルネア様。メアリをかばわなくてもよろしいのですよ?」

「いいえ、庇うだなんて」

「では、エルネア様はどのような試練を?」


 今度は、僕に笑顔を向ける女性。


 うっ。

 これは、向けられると、より一層わかるね。


 女性は、僕の言葉を何も疑っていない。

 その上で、純粋に僕へ質問しているだけだ。

 どんな試練なのかと。


「ええっとですね……。そ、そう。術の継続の試練です!」


 咄嗟とっさに思いついたことを口走ってしまった。


 メアリ様の頭上には、未だに二本の小さな月光矢が浮かんでいる。

 メアリ様は、月光矢を放つことなく維持することで、法術を維持する修行をしている真っ最中なんだよね。

 僕も、術の維持という基本は大切だと思います。


 だからかな?

 つい、言ってしまった。


「メアリ様と僕と、それぞれに術を発動させて。僕の方がメアリ様より術を継続できれば、試練達成なんです!」


 言いつくろいながら、僕は竜気を練り上げる。

 そして、竜術を発動させた。


 緑色のもやが発生する。

 これは、濃い竜気が可視化されたものだ。

 濃密な竜気は次第に収束していくと、ある形を生む。


「こけーっ!」


 と、今にも鳴き出しそうなほど現実に近い鶏竜にわとりりゅうが、僕の竜術で生み出された。


「僕は、この術で試練を乗り越えます!」

「素晴らしい術でございますね。ですが、大丈夫でしょうか。メアリは、何事もなければあと二日ほどは術を維持できますよ?」

「えっ!?」


 予想外の持続時間に、僕の顔が引きつる。


「メアリ様は、天才肌ですので」


 背後で、案内役の巫女様が苦笑していた。


 ま、まさか、メアリ様を助けるためと思って口走ったことで、僕が今度は窮地きゅうちおちいるだなんて!


 果たして、僕は鶏竜の術を二日以上も維持できるのだろうか……

 思わぬ過酷な試練に、僕は内心で絶望するのだった。

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