双剣の舞姫

 僕の名前は、エルネア・イース。西に竜峰、北に飛竜の狩り場、南は竜の森と三方を竜に所縁ゆかりのあるアームアード王国の王都で生まれ育った、極めて一般的な十四歳の少年。

 目下、十五歳になった年の立春の日に旅立つために、三十人の同級生徒たちと学校で修行の毎日である。


 僕の住むアームアード王国には古い習慣が残っていて、十五歳を迎えた少年少女は一年間、生まれ育った土地を離れて旅をしなくてはならないんだ。なので、十四歳になると僕たちは旅立つための技術と教養を学校に通って学ぶ。でないと夜営の仕方や魔物に会ったときに対処できないからね。

 とは言っても、実際は隣町なんかに移動して日雇いで仕事をしながら一年間を耐えるのが最近の実情らしい。

 まれに冒険者登録をして立派に誇れる一年間を送る人もいるらしいけど、そんなのは毎年数人しかいないらしい。将来王国騎士になりたいとか、武の道に進む人くらい。


 ただ、今年はいつもの年とは少し違っていた。


 冒険者になりたいって人が、同級生徒の半分以上もいるんだ。


 理由は実に簡単。


 同級生徒のなかに、聖剣に選ばれし勇者リステアがいるからだ。彼に触発された人が多くいて、自分も平凡な一生は送らない、と息巻く少年少女で学校は熱気に包まれていた。


 かくいう僕もリステアに憧れて冒険者になりたいんだけど、如何せん武芸の才能がないらしく、まだ夏前だというのに諦めぎみだった。

 来年の立春はきっと無難に、隣の町に向かい仕事を探しているんだろうな。


 才能のない僕なんかとは違い、勇者のリステアはきっと凄い冒険をするに違いない。


 羨ましい、そう思いながら隣で一緒に歩くリステアを見上げた。

 あ、彼は僕よりも頭ひとつ分背が高いんだ。


 今は、初めての遺跡調査訓練から十日経った休日の日。

 僕は大通りに面した大きな武器屋さんに手頃な武器がないか物色しに行く途中で、リステアと会った。

 彼は珍しく傍にお嫁さん候補の少女たちをひとりも連れていなく、ここぞとばかりに多くの女性に声をかけられていた。


 対応に困っていたリステアは僕を見つけると「彼と今日は出掛けるから」と言って逃げ出してきたのだ。流石の勇者様でも、大勢の女性に囲まれるのは苦手らしい。

 女性たちの恨めしい視線を背中に一身に浴びながら、僕はリステアとその場を去った。


「いやぁ、ごめんな。エルネアが通りかかって助かったよ」


 リステアは僕の肩に腕を回し、小声で謝罪してきた。


「羨ましい困り事だなぁ。僕なんて母親以外では同級の女の子としか世間話をしたことないよ」

「俺も勇者って肩書きに寄ってくる人以外はあんまり女性とは話しをしたことはないさ」

「いやいや、お嫁さんが三人もいる人の言葉なんて信用できないよ」


 そうなのだ。リステアには、王国の第四王女様を筆頭に、お嫁さんが三人もいるのだ。十五歳の一年間の旅を終えないと正式に結婚はできないので、正確にはお嫁さん候補なんだけどね。

 それでも、許嫁の第四王女セリース様以外は恋愛の末に未来を誓い合ったのだ。そんな彼が女性が苦手なわけがない。


「本当だって。信じろよ」


 それから必死に言い訳を始めるリステアを、僕は生暖かい目で見つめ続けた。


 信じないわけではないんだけどね。でもやっぱり、羨ましいという思いもあるので、ここはひとりの男としてリステアの寒い言い訳は聞き流すしかないんだ。


 リステアの言い訳を右から左に聞き流しながら、ふと思う。

 僕は自分のことを平凡だなんて思っているけど、やっぱり王国民の大勢の人から見れば羨ましい特別な存在なんだろうか。

 なにせ今、僕は勇者のリステアに腕を肩にかけられ、親しく話ながら大通りを歩いているのだから。


 学校に入学した当初では考えられなかったことだ。

 学校は、住んでいる地区ごとにある。十四歳になった子供は自分の地区の学校に通うけど、まさか同じ地区にリステアがいたとは知らなかったよ。


 リステアは今でこそ勇者として王国の重要人物として扱われてはいるけど、もともとは僕と同じく平民出身で、彼の両親はいたって平凡な人だった。

 もともと平民で同じ地区に住んでいたために、同じ学校になったんだね。


 リステアは、入学したときには既に勇者として活躍していたし、お嫁さんが三人もいて、違う世界の存在のように思えていた。でも、実際には凄く良い人で、自分から積極的に周りとの壁を打ち崩してすぐに同級生徒たちと仲良くなったんだ。

 そんなわけで僕もすぐにリステアとは仲良くなれたわけです。

 でもそれって、とても幸運なことなんだよね。


 リステアと同じ歳で同じ地区に住んでいて。僕は彼を別の世界の生き物なんじゃないかとさえ思って見てるだけだったのに、彼の方から心の壁を乗り越えて近づいてきてくれたんだ。

 王都に住む人たちのなかで、そんな幸運に恵まれたのはほんの一握りの少年少女だけ。その中のひとりが僕なんだから、やっぱり僕は少しだけ平凡とは違うのかもしれないと思えた。


「で、珍しくお嫁さんも連れずに何してたのさ?」


 リステアの長い言い訳が終わるのを待って、僕は話題を切り替える。

 ちゃんと言い訳を全部聞き流してあげるなんて、僕もなかなかの大人だ。


「ああ、そう。そうなんだよ」


 言ってリステアは、下げていた鞄を何やら物色し始め、二枚の縦長な羊皮紙を取り出した。


「実は今日、キーリと一緒に京劇を見に行く予定だったんだよ。ところがあいつ、急遽神殿の用事が入っちゃって行けなくなったんだ。それで、ひとりで観に行くのもどうかと思って、誰か誘おうと思ってたところなんだよ」


 なるほど、そういうことだったのか。今日はキーリとリステアが二人で出掛ける予定だったので、いつも傍にいるセリース様たちは遠慮をしてついて来なかったんだね。

 それでキーリに予定が入ったからといって他のお嫁さんを誘うような無粋なことはせず、ならば別の友達と観に行こうということか。


「それで、だ」


 リステアは僕に細長い羊皮紙を一枚向ける。


「一緒に見に行こうぜ。さっきのお礼だ」


 やはり僕は運が良いのかもしれない。まさかリステアと京劇を見に行けるなんて。


 現在、王都で公演しているのは、東の隣国ヨルテニトス王国一と言われる劇団だった。八十日分の観覧券は即日完売で、僕も手に入れることはできなかったんだ。

 まさかこんな形で見に行くことができるなんて。


「本当にいいの?」


 僕は恐る恐る羊皮紙の券を受けとる。


「良いに決まってるじゃないか。俺の方こそ相棒ができて券を無駄にすることがなくなって助かったんだ」


 僕はリステアの好意を快く受けとることにした。


 なにせ観たくて仕方がなかった京劇だ。良いと言うなら断る理由なんて欠片もないよ。


 僕の満面の笑顔に気を良くしたのか、リステアも嬉しそうだ。


「公演は昼からなんだ。今から向かえば昼食後に間に合う。昼飯代を出すから食べてから行こうぜ」


 ははぁん。本当はキーリと行く予定だった食堂へ、さりげなく僕を誘うんだね。さすが完璧勇者様。京劇だけではなくて前後の行動も計画済みだったに違いない。

 見習わなければ、と思うけど僕には意中の女性なんていなかった。


「僕、じつは京劇を観るのは初めてなんだよね」

「そうなのか、始めてであの劇団なら、エルネアは運が良いよ。あれは本当に凄いんだ」


 僕らはこれから観に行く京劇の話をしながら、大通りをリステアの先導で歩いていった。






 僕とリステアは予約制の上品な食堂で昼食をとり、京劇の講演が行われている場所へと向かった。


 食堂の店員が、リステアが女性ではなくて僕を同伴していたことに目を丸くしていたけど、気にしない。

 気にしたら負けだ。


 京劇の会場につくと、既に多くのお客さんで溢れていて、すごい熱気だった。


 僕は観る場所を心配したけど、どうやら指定席だったらしくリステアが券を係りの男性に見せると、案内の者が僕たちを舞台のすぐ前の場所までつれてきてくれた。


「正面最前席だなんて!」


 僕はとんでもない席の位置に驚く。


「ははは。実は俺も王城のお偉いさんから券をもらったんで、席までは知らなかったよ」


 リステアもあまりの席の位置の良さに、半笑いを浮かべていた。


 僕とリステアは飲み物と軽飲食を売店で購入して席に戻り、劇の開始を待った。


 これから始まる劇に興奮しながら二人で話していると、舞台の幕が上がりいよいよ劇が始まる。


 きらびやかな衣装や面を被った役者が華やかに舞う舞台は、ヨルテニトス王国随一と言われるだけのものがあった。


 僕だけじゃなくリステアさえ、購入した飲食物に手をつけるのを忘れるほど見入ってしまっていた。


 劇の内容は、この国と隣国の王国の建国王、アームアードとヨルテニトス兄弟の物語だった。


 ここよりずっとずっと西にある人族が治める国々から魔族が支配する広大な領地を横断し、竜人族が放置した荒れた大地を切り開いた双子の話しだ。アームアード王国とヨルテニトス王国の国民であれば誰もが知っている物語。

 そして、アームアードは今現在リステアが所有している聖剣の初代の持ち主でもあった。


 もしかしたら、勇者のリステアが観に来るということでこの演目が決まったのかもしれない。

 なんにせよ、僕たちは瞬きも忘れて劇に見いった。


 劇は双子の建国王が腐龍ふりゅうの王を打ち倒したところで幕を下ろした。


 観客は僕たちも含め総立ちで、鳴り止まない拍手喝采で沸き上がった。


 本当に来て良かった。リステアに誘われて良かった。

 僕は感動のあまり目尻に涙を溜めていた。


 観客の歓声が収まるのを待って、再度幕が上がる。


 舞台には、太鼓や笛を構えた楽団と、ひとりの美しい女性が立っていた。

 女性は肌の露出が多い衣装を身に纏い、二本の美しい装飾が施された剣を手にしていた。


「演舞だ」


 リステアが教えてくれる。


 この劇団の最後は、楽団と舞姫との演舞対決が恒例らしい。


「演舞対決?」

「見てればわかるよ」


 僕の疑問には答えてくれず、リステアは席に座り直す。僕も仕方なく席に座るけど、先程までの演劇の余韻がまだ引いていなくて、胸が高鳴りっぱなしだった。


 演目の締めということなんだと思うけど、先程までの劇よりも凄いものなんてもう何もないんじゃないかと思う僕の前で、演舞対決は始まった。


 楽団の音色に合わせて、舞台の中央に立った女性、この劇団の舞姫が舞い始める。


 美しかった。


 剣先まで極められた舞はぶれることなく延びきり、高く上げられた足は美しく宙に弧をかく。

 舞姫の動きに合わせて衣は舞い躍り、すべての観客の心を惹き寄せる。


 舞姫は一心不乱に舞い、最後に高らかに双剣を掲げて動きを止めた。


 終わりかと思った直後、楽団が再度演奏しだす。

 それに合わせてまた舞い始める舞姫。


 すると次第に楽団の奏でる演奏が速くなっていき、舞姫の舞いも速度を増す。


 なるほど。演舞対決だった。


 楽団はより速く演奏をしていき、負けじと舞姫も舞う速度を上げる。


 音楽と舞、どちらか詰まった方が敗けなのだ。


 乱れぬ演奏、美しさと華やかさの損なわれない舞。


 僕は先程までの劇の興奮も忘れて、舞姫に魅入ってしまっていた。

 一挙手一投足も見逃せない。僕は目に焼き付けるように舞を見続けた。


 そして最初の演奏の数倍の速度になったとき、とうとう楽団の演奏が乱れた。


 この戦いは舞姫の勝利に終わった。


 舞姫は勝ち誇ったように、それでも美しく双剣を広げ持ち、深々と観客に頭を下げた。


 劇が終わったときよりも大きな歓声と拍手が劇場内に鳴り響いた。


 観客席から多くの花束が投げ込まれる。それを舞台の裾から現れた少女たちが丁寧に拾い集めていると、劇団の役者が舞台に出てきた。


 最後に現れた恰幅の良い初老の男性が舞台のお礼を申し上げ、終劇した。


 再度大きく鳴り響く拍手喝采。

 僕も手が壊れるんじゃないかというほど拍手をしていた。






 京劇を見た後は、再度リステアの案内で夕食を食べに行き、この日は解散になった。


 僕とリステアは終始京劇の話で盛り上がった。

 なかでも、僕は演舞を絶賛した。


「そうだな。俺も過去に三回ほどあの劇団の演舞は見たけど、今回が一番すごかった。彼女はきっと歴史に名を残すような舞姫になるにちがいない」

「うん、今度王都にあの劇団が来たときには、絶対券を手にいれてまた見に行こう」

「今度じゃなくて、来年の旅立ちの時にヨルテニトス王国まで足を延ばして見てくれば良いじゃないか。あっちの王都では遠征公演以外では三日おきに公演してるらしいぞ」

「僕はリステアとは違って、ヨルテニトス王国の王都まで旅をする能力はないよ」


 なにせ向こうの王都までは徒歩の旅で六十日近くかかってしまうような距離なのだ。大きな商隊や名うての冒険者とかじゃない限り、危険な旅になってしまう。


 そんなことを話しているとすっかり日も暮れて、僕たちは帰路へ就く。

 リステアに今日のお礼を言い、僕は両親への土産話を持って家に帰る。


 あ、武器屋さんに行くのを忘れてた。どうしよう、明日の武芸授業の武器がない。

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