黒腕の剣闘士

 人族は、所詮しょせん奴隷。いいや、それ以下の虫けら、消耗品。そう見下す相手から逆に馬鹿にされ、こめかみに筋を浮かせるライゼン。


「いいぜ。それなら、お前はぼっこぼこにしてやる。生きて帰れると思うなよ?」


 ごきごき、と指の関節を鳴らしながら、ゆっくりと間合いを詰めてくるライゼン。

 黒腕の青年は、右手の魔剣と左手の神剣を油断なく構えて臨戦態勢へ。


 最初に動いたのは、黒腕の青年だった。


 神剣を振るう。

 まだライゼンとの間合いは広く、剣先は届くはずもない。

 しかし、振られた神剣からは白い斬撃の刃が衝撃波となって生まれ、ライゼンへ向けて放たれた。


「おらおらおらおらっ!」


 たて続けに神剣を振り回す青年。

 すると、白刃の衝撃波はその度に出現し、ライゼンを襲う。


 青年の荒っぽい動きは、まるで洗練さのない動き。

 エルネアのような、正しい剣の型を習得した者の剣捌きではない。だが、放たれる衝撃波の威力は絶大だった。


 白い衝撃波は、高速でライゼンに迫る。

 ライゼンはそれでも余裕な表情で回避してしまう。

 狙いを失った衝撃波はライゼンを通り過ぎると、街路樹や建物へとぶつかった。


 ずぅん、と幹を切断された樹が倒れた。

 建物の壁や柱を易々と両断し、屋内に避難していた者たちが悲鳴をあげる。


「うわっ、やっべぇ。植物は戻せないんだった! みんな、迷惑をかけてごめんなさいっ」


 若干意味のわからない事を口にする青年だが、どうやらあまり周りには迷惑をかけたくないらしい。

 それでも、魔族のライゼンと相対するために容赦なく衝撃波を発生させ続ける。


「こんなもんはよぉ、当たらなければどうということはねえんだぜ?」


 縦横無尽に繰り出される白刃の衝撃波。だが、全てを余裕たっぷりに回避するライゼンには足止めにさえならない。

 ライゼンは余裕を見せつけるように、一歩一歩と地面を踏みしめながら、黒腕の青年とセフィーナに近づいてくる。


「無理よ。あの男には勝てないわ。逃げないと!」


 いくら青年が特殊な武器を所持していようと、力の差は歴然としている。

 青年もそれはわかっているのか、左腕を振り回しながら額に汗を流していた。


「ただ割って入ったなら、さくっと殺す程度で許してやっても良かったんだがな。だが、そいつは駄目だ。温厚な俺っちも、神剣保有者を見過ごすなんてできねえぜ?」


 ゆっくりと近づいてきたライゼンの視線は、振られ続ける神剣を見据えていた。


「そういうわけで、お前は拷問決定! あー、大将に神剣を持って帰ったら喜ばれるかね?」


 言って、ライゼンが動いた。

 幾重いくえにも重なって飛来する衝撃波を魔法で吹き飛ばすと、いきなり青年の懐へと跳躍する。

 そして、目にも留まらぬ蹴りを繰り出した。


「ぬおっ!?」

「ぃよっしゃあっ! 計画通り!」


 しかし、ここでまたしても驚愕きょうがくの表情を見せたのは、ライゼンの方だった。

 神剣が握られた左腕を狙って放たれた蹴撃しゅうげき。それを真正面から受け止めたのは、巨大な盾。


 いったい、どこから出したというのか。

 青年の身長ほどもある大盾おおたては、ライゼンの攻撃を受け止めても砕けない。それどころか、中程に意匠された化け物の口が、まるで生き物のようにライゼンの足をがっちりと咥え込んでいた。


「くそがっ。なんだこれ? 外れねえじゃねえか!」

「さあ、今のうちに逃げましょう!」


 片足立ちでもがくライゼン。

 その隙に、青年はセフィーナの手を取り直すと、一目散に駆け出す。


「待てごらぁぁぁぁっっっ!」


 ライゼンの怒りの咆哮が背後から響く。

 だが、大盾に足を取られ、追ってこられない。

 セフィーナと青年は、振り返ることなく走り去った。






 逃げて、逃げて、逃げ回った。

 見知らぬ土地を、全力で疾走した。大通りから裏道へ入り、脇道をくねくねと進み、ライゼンを撒く。

 そして、気配を消して物陰に潜んだときには、二人とも肩で荒く息をするほどだった。


「はぁ、はぁ……。だ、大丈夫っすか!?」


 体力の限界と言わんばかりに息切れをする黒腕の青年。

 セフィーナは青年より幾分かの余裕があり、微笑んでお礼を言う。


「助かったわ、ありがとう。でも、巻き込んでしまったわね」


 本当に申し訳なく思う。

 自分の問題に他者を関わらせただけでなく、窮地を救ってくれた。

 逃げる際にひとりで走った方が断然速かったとか、特殊な武器を所持しているわりにはあまり強そうではない、という部分がかすんでしまうほど、この青年の参戦は大いに助かった。


 セフィーナの謝意に、青年は恥ずかしそうに微笑み返す。


「いや、良いんですよ。少しでも役に立てたなら、俺はそれだけで嬉しいんだ」


 正義感の強い青年だ。

 誰かを助けるためには躊躇いを見せないのだろう。


「本当に、ありがとう。私はセフィーナよ」

「俺は……あっ、ここで名前は言うなって言われてたんだ……。ごめんなさい」


 握手を交わす二人。だが、青年は心底申し訳なさそうな表情で詫びる。


「いいえ、色々と訳ありなのかしら? 私もそういう事情の人を多く知っているから、気にしないわ。でも……誰かにそう命令されているってことは?」

「ああ、俺は剣闘士なんです。もちろん、名乗れないのはご主人様からの命令なんですよ。まぁ……。あの気分屋の女がご主人様だなんて、これまでに一度も思ったことないんですけどね!」


 どうやら、人族を隷属する魔族に対してだけ口が悪くなるらしい。だが、どうも素の性格は真面目なようだ。

 そして、年上と認識されているのか、セフィーナに対して礼儀正しい対応を見せる青年。


 二人は、物陰に身を潜めながら息を整える。

 そうしながら、セフィーナは周囲の気配に気を配りつつ、改めて青年を見つめた。

 やはり、墨で塗りたくったような黒い両腕が真っ先に目につく。


 ここは、魔族が住む世界。

 鬼や化け物のような容姿の者たちが当たり前のように生活している。なので、最初はこの青年の腕を見て、彼も魔族か何かだろうと思ったのだが。


「貴方、人族なのよね?」

「はい、そうですよ。ああ、この腕ですね」


 セフィーナの無遠慮な視線に嫌な顔ひとつせず、青年は自分の腕をさする。


「色々あって、こうなっちゃったんですよね。でも、意外と便利なんですよ? ほら、こうして呪いの影響を受けずに魔剣を持てたりできますし」


 言って青年は、右手に持つ魔剣を示す。

 質のほどはわからないが、確かに禍々まがまがしい気配が剣からは漂っていた。


「それで、こっちは神剣なのよね?」

「そうです。珍しいでしょ!」


 セフィーナは、初めて目にする神造の武器に驚きを隠せない。

 なぜ、この青年は魔剣と神剣を同時に保有しているのか。剣闘士と名乗ったが、それと関係があるのか。

 そもそも、剣闘士とはいったいどのような職業なのだろう。


「そ、それよりも!」


 突然、青年は武器を手放してセフィーナの手を両手でがしりと握りしめた。


「すっげぇ格好良かったです!」

「はい?」


 青年の瞳は、きらきらと輝いていた。


「実は、俺もあの場にいたんですよ。あの、宿屋に。セフィーナさんの席の近くに座っていたんで、一部始終を見てました。いやあ、凄いですね。魔族だとわかっていての、あの毅然きぜんとした対応。あと、あの魔族を罠にはめたのは痛快でした! この土地にも、セフィーナさんのような凄い人族は居るんですね。俺、すっげぇ感動しました!」

「は、はぁ……」


 どうやら、ライゼンに絡まれたところを目撃されていたらしい。

 ああ、それでか。と状況を理解するセフィーナ。

 正義感の強いこの青年は、最初の騒動と自分の窮地を見て助けに入ってくれたのだ。

 憧れを抱く青年の視線は眩しいが、セフィーナは素直に感謝の気持ちで満たされる。


「でも、やっぱ人族も捨てたもんじゃないですよね?」

「と、言うと?」

「だって、ほら。一年とちょっと前には、神殿都市で巫女王みこおう様が魔王を倒したり、聖女様が活躍されたり。セフィーナさんも、ああして果敢に魔族と向き合ってましたし。俺も、いつかは世界を救うような活躍がしたいなぁ」

「巫女王様が?」


 青年が言う時期は、おそらくアームアード王国やヨルテニトス王国が魔族の侵略にあっていた頃と重なる辺りだろうか。

 だが、巫女王の話などは聞いたことがない。

 しかし、それは無理もない。なぜなら、セフィーナはここから東の竜峰を越えた先で生まれ育ったのだから。

 神殿都市といえば、この魔族が支配する世界の更に西にあるという人族の国だ。遠い地域の情報など、閉ざされた世界で暮らしてきたセフィーナには知りようもなかった。


 だが、まさか巫女王様と聖女様が……


「あっ、もしかして知りませんでした? そうなんですよ。巫女王様が、侵略してきた魔王を倒したらしいんです。ただ、相討ちになられたそうで……」

「そうなのね、知らなかったわ。教えてくれてありがとう。それで、聖女様は?」

「ああ、そっちは俺もよく知らないんですけど……。魔将軍を倒したとかなんとか? 俺もちらっと聞いただけの話なんで、詳しいことは知らないんです」


 奇妙な話だ。

 巫女王と同じく讃えられるべき存在の聖女の話が、こうもあやふやだとは。

 ただ、ここはやはり魔族の国なので、人族のそうした活躍譚はあまり伝わってこないのかもしれない。

 そして逆に、そうした秘密の情報を掴めるこの青年と女主人は、おそらく国の中枢に関わる者なのだろう。


「それにしても。あのライゼンとかいう魔族、かなり危険でしたね」

「そうね。できれば、このままやり過ごしたいのだけれど」

「俺も、ご主人様の帰りを待っているだけなんで、手持ちに不安があるんですよね。なんで、なるべく戦いたくないっす」

「それなのに手を貸してくれて、本当にありがとう」

「いいえ! 同じ人族同士です。助け合っていきましょう」


 気持ちのいい青年だ。

 自分の負う苦労なんていとわない。誰かの為に立ち上がれる人族が、この魔族の世界にもいるのだな、とセフィーナは知る。


 そして、気づく。

 そうか。なにも、エルネアが魔族の世界の問題を背負う必要はないのだ。

 この青年のように、どんなに過酷な環境からも希望を持って立ち上がる者は出てくる。

 身勝手な干渉で人々を先導するのではなく、内側から湧き上がる機運こそが大切で、エルネアはそれを願っている。

 きっと、この青年のような血気盛んな者たちが立ち上がった時は、エルネアも惜しみない協力をするのだろう。


 奴隷制度だなんだと、自分の価値観に合わないものばかりに目が行きがちだが、やはりそれは浅い部分しか見えていないのだ。

 どのような国であれ、地域であれ、そこには様々な思考、思想、価値観を持つ者たちが暮らしている。

 世界に関われるだけの力を持つからこそ、そうした者たちの営みを破壊しないような配慮が必要なのだな、と深く納得するセフィーナ。

 そして、世界を見つめるエルネアたちに、自分ももっと関わりたい、と決意する。

 だから、こんなところでもたついている場合ではない。


 セフィーナは、物陰からゆっくりと出た。


「セフィーナさん?」


 どうやら、黒腕の青年は気づいていないらしい。

 特殊な能力と武具を持つようだが、やはり基礎能力はそこまで高くはないのだろう。


「これ以上、迷惑はかけられないから」


 言って、セフィーナは竜気を解放する。


「ちっ。見つかったか。あんた、相当にやるじゃねえか。そっちの野郎は気づいていなかったみてえだがな」

「げえっ!」


 セフィーナが睨む先。

 通りの角を曲がって現れたのは、撒いたはずのライゼンだった。


「鬼ごっこは終わりかよ? 俺っち、子供の遊びは嫌いなんで、これくらいで勘弁して欲しいんだけどな?」


 にやにやと、余裕の笑みを浮かべるライゼン。

 黒腕の青年は心底嫌そうな表情を浮かべつつも、魔剣と神剣を握り直して立ち上がる。


「君はもういいわ。これ以上は迷惑をかけられないから」

「いいえ、俺もやりますよ。こういう、他種族を見下している魔族が一番嫌いなんだ!」


 セフィーナは思う。

 本来であれば、ひとりでどうにかすべきなのだろう。

 しかし、青年の好意は有難いのも本当だ。


 ここへ逃げてくるまでに、随分と街中を騒ぎ立てた。

 では、もう間も無く都市の警備兵か誰かが駆けつけてくるかもしれない。

 それまで、どうにかしてライゼンから身を守ることができれば、助かる可能性もある。

 セフィーナは低く腰を落としながら、状況を読む。


 しかし、慎重なセフィーナとは違い、黒腕の青年は短絡的だった。


「その、へらついた顔をゆがませてやるぜっ!」


 圧倒的な実力差のある魔族に、臆することなく挑む青年。

 強く地面を蹴り上げて跳躍すると、魔剣と神剣を同時に振り下ろす。


 ライゼンは、人族の挑発を受けて不愉快そうに舌打ちをしながら、逃げることなく迎え撃つ。


 二本の剣と凶暴な肉体が交差した。


雑魚ざこが、神剣を持ったくらいでいきがるんじゃねえよっ!」


 人族の繰り出せる動きの何倍もの速さで、ライゼンは動いた。

 まず、青年の右腕を掴んで魔剣の一撃を封じる。と同時に、神剣を握る腕に向かって拳を繰り出した。


 ばぁんっ、と硬いものが激しく弾けるような音が響く。

 手加減のないライゼンの掌底は、青年の左腕のひじから先を無残に吹き飛ばす。


「ぐあああああぁぁぁぁっっっっ!」


 左腕を失い、悲鳴をあげる青年。


「ああぁぁぁぁぁっっっっ……。なんちゃって!」

「なにぃっ!!」


 全く予想していなかった。

 セフィーナも、そしてライゼンも。

 左腕を失った青年。激痛に顔を歪め、悲鳴をあげて苦しんでいたはずなのに……


 吹き飛んだ肘から先。

 本来であれば、真っ赤な鮮血が吹き出しているはずの光景。

 だが、青年はその肘から先に、鋭い剣を生やしていた。


「くそがっ! お前、なんだよ、その腕は!」


 顔を押さえるライゼンの手から、血が溢れていた。


「ざまぁみろっ。俺の両腕は義手ぎしゅなんだよ! そんでもって、腕に仕込んでたこいつも神剣だっ!!」


 あろうことか、腕を吹き飛ばされた青年は、義手の内側に隠し持っていたもう一振りの神剣でライゼンの顔に傷を負わせることに成功した。


 左腕を失った青年ではなく、神剣で顔を斬られたライゼンが苦痛に顔を歪めていた。


「許さねぇぞ……。人族の分際で……!」


 膨れ上がる殺気。

 呆然ぼうぜんと成り行きを見守っていたセフィーナは、震え上がるほどのライゼンの気配に背筋を凍らせる。

 だが、青年は平然とライゼンに向き合っていた。


「ばーか。その程度の殺気なんて、日常茶飯事で慣れてるんだよっ。黒猫くろねこの放つ殺気の方がよっぽど怖いくらいだ」

「お前、めやがって!」


 ライゼンは鋭く青年を睨みつける。そうしながら、懐から何かを取り出そうとした。


 嫌な予感がする。

 ライゼンに次の行動を取らせては駄目だ。

 直感でそう感じ取ったセフィーナが動こうとした、そのとき。


 ライゼンの背後に、闇が出現した。


「……わらわ、限界」

「はああぁぁぁ?」


 ライゼンも、背後の闇を素早く察知した。そして、闇から現れた満身創痍まんしんそういの耳長族の女を見て、目を点にする。


「おいおい、イステリシアさんよぉ。昼寝に行っただけで、なんでそんなに死にかけてんのさ!?」


 懐の何かを手にすることなく、ライゼンは慌てて女を抱き寄せる。

 セフィーナと青年は意味不明な状況についていけず、呆気あっけにとられてライゼンと女を見るだけ。


「もう、帰ります。出直しです」


 不気味な大杖を支えにすることで、なんとか立っているようにしか見えない女は、ふらつきながらも術を発動させた。


 大杖にはめ込まれた幾つもの宝玉が光る。

 すると頭上に不気味な口が出現する。そして、大きく口を開くと何かを吸い込む。


「おい、待ちやがれ。俺っちはこのくそ野郎に仕返しを……!」

「わらわ、魔族は嫌いです。なので、従いません」

「ぅおいぃぃっっ!」


 力を充填じゅうてんさせたのか。女は問答無用でライゼンを捕まえると、そのまま一緒に、影へと消えた。


「た、助かったのかな?」

「おそらく?」


 そして残されたセフィーナと青年は、お互いに見つめて無事を確認しあった。

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