竜王の都の来訪者たち

「さぁてと。あんたの部屋でお楽しみだ。ああ、身体は動かなくても、口くらいは動かせると思うから、部屋くらいは教えてくれよ?」


 言ってライゼンは、倒れたセフィーナへと下劣げれつな手を伸ばす。

 しかし、ライゼンの手はしたたかに弾かれた。


いてえっ!」


 弾かれた手をとっさにさするライゼン。

 そして彼は、驚きを持ってセフィーナを見た。


「おい、お前……?」


 ライゼンの手を激しく拒絶したのは、倒れて動けなくなったはずのセフィーナだった。


「はぁ? なんで、抵抗できるんだよっ。あれには即効性の麻痺薬を入れていたんだぜ?」


 驚くライゼン。だが、セフィーナは動けないどころか、平然と立ち上がる。


「まったく。相手が魔族だからと下手に出ていれば。お生憎様あいにくさまでした。あの程度の企みなんて、最初からお見通しなのよ」


 そんな馬鹿な、と顔を引きつらせるライゼン。

 セフィーナは、布巾ふきんで濡れた頬を拭うと、服の皺を払うように何度か腕を振るう。


「残念だけれど、私は貴方のような人種が一番嫌いなの。わかったら去ってくれるかしら? しっしっ」


 これまで抑えていた不満が、とうとう爆発してしまった。

 だが、これは全てにおいてライゼンが悪い。

 軟派なんぱな声かけだけでも苛々いらいらしていたというのに、毒を盛って自分のいいように他者を扱おうなどとは。


「俺っちを騙した? まじで? 毒入りの酒を飲んだように見せかけて、鎌をかけたってぇのか!?」

「昔から、貴方みたいな軽薄な人には最大限の警戒を持って対応しているの。残念だったわね」


 冒険者かぶれではあるが、これでもセフィーナは王女だ。

 権謀術数いんぼうじゅつすうなど、日常茶飯事。荒くれ者の冒険者に紛れて活動していれば、こうした悪巧みを企てる者も少なくはない。

 そんな世界で切磋琢磨せっさたくましてきたセフィーナにとって、軽薄で相手を見下したような男の行動は手に取るようにわかっていたのだ。


「やるじゃねえか……」


 ライゼンは驚きから復活すると、値踏みをするようにセフィーナを見る。

 頭の先から爪先まで。ねっとりと見られるだけで全身に鳥肌が立つほど気持ち悪い。


「ここは十氏族が運営する宿屋よ。ここで問題を起こせば、この街には居られなくなると思うのだけれど?」


 セフィーナ自身も、いま騒ぎを起こしている以上、ただでは済まない。なにせ、魔族を相手に啖呵たんかを切ってしまったのだ。

 これ以降は部屋でおとなしく過ごし、エルネアたちの帰りを待つしかない。

 しかし、この男を拒絶できるのなら、甘んじて受け入れよう。


 セフィーナの忠告に、しかしライゼンは首を傾げる。


「はぁ? 十氏族? なにだよそれ、全然聞いたことないんだけど?」

「なんですってっ!?」


 ライゼンの反応に、セフィーナは無意識に身構える。


 この男は……


「最近さぁ。辺鄙へんぴな田舎地方に流行ってる都市があるって聞いたもんで、来てみてぇと思ってたんだよな。なにせ、そこがあの有名な死霊都市だって言うんだからよ」

「貴方……。侵入者ね!」


 セフィーナの断定に、ライゼンはにやりと笑みを浮かべた。


 出入りを厳しく管理している竜王の都。

 しかし、どの世界にも完璧というものは存在しない。

 ましてや、ここは魔族の世界だ。


 上位魔族。貴族位の強者。魔王の座を狙う、野望を持った者たち。そういった力ある者ならば、いくらでも侵入する手口を持っているものだ。


「知り合いにさぁ。転移の術が使える女がいるんだよね。そいつに送ってもらったってわけ。……っと、こいつは秘密だった」


 ライゼンはそう言うものの、秘密などまったく守りそうもない軽薄な言動だ。


「そういうわけで。こっちの秘密を教えてやったんだから、次はあんたの番だぜ? 俺っちを楽しませてくれよな」

「断ります!」


 断固拒否だ。

 こうして対峙しているだけでも嫌だというのに、なにを楽しませてやるものか。

 だが、そうそう物事は簡単に進まないだろう、とセフィーナは油断なくライゼンを睨む。


 ひらひらと身振り手振りで軽薄に話すライゼンだが、そこは魔族。

 気を抜いていると、なにが起きたのかもわからないまま、この男の言い成りになってしまうだろう。


 今度はセフィーナが、ライゼンを上から下に観察する。


 剣や槍といった、手持ちの武器はない。

 では、戦うとすれば魔法が得意な部類だろうか。

 いや、違う。とセフィーナはすぐに結論づけた。


 身のこなし。衣服の特徴。

 ライゼンは自分と同じように、肉体を使った戦いを好む男だ。


「良いね、良いねぇ。やる気じゃねえか。まじ面白れぇ。解放奴隷か剣闘士けんとうしか知らねえけどよ。人族のくせに魔族様を相手にしても、やる気満々か。なら、俺っちも期待に沿わなきゃなぁ」


 ぱちぱちと手を叩いて、心底愉快そうに笑うライゼン。と思った瞬間。


「くっ!」


 ライゼンは事前動作なしで、いきなりセフィーナの懐に飛び込んできた。

 咄嗟とっさに両腕で防御するセフィーナに、ライゼンの掌底しょうていがぶつかる。

 そして悲鳴をあげる暇もなく、セフィーナは吹き飛ばされた。


 宿屋の壁をぶち破り、庭へと転げ落ちるセフィーナ。


「すげぇよ、あんた。あれでなんで無事なわけ? 俺っち、確かに手加減はしたけどさぁ。まさか、服も無事とは驚いた」


 壁に大きな穴を空けた宿屋。奥から、愉快に笑うライゼンが出てくる。

 しかし、一方のセフィーナには余裕なんてない。


 全力の防御だった。

 竜気を最大限に引き上げ、なんとか防ぐことができただけだ。

 服のそでが無事だと驚くライゼンだが、内側の腕は痺れてずきずきと痛む。

 折れてはいないが、これを何度も受けられるとは到底思えない。


 どうすれば助かる……?


 魔族に喧嘩を売るということは、こういうことだ。

 人族の域を超えたエルネアや双子の姉たちならいざ知らず、未熟なセフィーナにとって、魔族は恐ろしい存在でしかない。

 しかし、だからといってライゼンに屈しようなどとは微塵も思っていないセフィーナ。

 では、どうやってこの窮地きゅうちを脱すればいいのか。


 ここは、竜王の都。

 メドゥリアや、十氏族といった者たちが目を光らせる都市だ。ならば、耐えていれば助けが来る?

 いや、甘い。

 このライゼンという魔族は、おそらく上位に属する者だ。


 転移の術を使う知り合いがいると言っていた。

 あのミストラルやアーダでさえ、転移の術は使えない。

 ならば、その術を使う者の知り合いだというライゼンもまた、恐ろしい存在で間違いないはずだ。

 そうすると、助けに来てくれた者の応援も頼りにはならないだろう。


 では、どうすべきか。

 答えはわかっている。


 セフィーナは低く腰を落とすと、竜気を体内で循環させ始めた。


 助けを待つなどと、甘いことは期待しない。

 自らの運命は、自ら切り拓く。


「はあっ!」


 セフィーナは果敢にもライゼンへ向けて跳躍する。


「へぇ。あんたも格闘家か。やっぱ、この街は面白れぇぜ!」


 迎え撃つライゼン。

 セフィーナの拳が放たれる。

 ライゼンは無造作に払いのけようと腕を動かす。


「ぬわっ」


 しかし、情けない声を漏らしたのはライゼンの方だった。

 セフィーナに触れた瞬間。

 ぐにゃり、と体幹がじ曲げられたような感覚に陥り、気づくと投げ飛ばされていた。


 セフィーナは間を置かず、次の動きに移る。

 練り上げた全竜気を右拳に収束させると、倒れたライゼンへ向けて振り下ろす。


 ずごぉんっ、と轟音が響き、大爆発が起きた。

 解放された竜気は地面に伝わり、黄色い閃光となって天へと昇る。


 一撃必殺。


 相手が同じ格闘家だからといって、無駄に組み合ったり手の内を探り合ったりはしない。

 最初から全身全霊をかけて挑み、短期決戦で制する。

 これが、格上の相手に対する戦い方だ、とセフィーナは自負する。


 だが、それでもセフィーナの想いは通じなかった。


「すげぇ。すげぇよ、あんた。まじで人族なの!?」


 セフィーナの必殺の一撃をひたいに受けたライゼン。しかし倒れ伏したまま、自分に覆いかぶさるようにして硬直しているセフィーナを笑う。


「なにこれ、法術ってやつじゃねえよな? なにをしたらそんなに強くなるわけ? 闘技場でもあんたほどの実力者はいねぇと思うぜ!」

「くっ。あれで無傷なの……?」


 大技からの硬直が解けると、セフィーナはすぐさまライゼンから離れる。

 ライゼンは、覆い被さっていたセフィーナが退いたあとに、ゆっくりと立ち上がった。


 どこまでも余裕で軽薄な男だ。

 反撃しようと思えば、セフィーナが動けなかった時点で幾らでもできていたはず。それを見逃し、セフィーナが距離を取って対峙したのを見計らってから、のんびりと動く。


「いいね、面白れぇぜ。俺っち、あんたみたいに反抗心の強い女は好きだぜ。そういう奴を屈服させたときの快感ときたら……」


 にたにたと恍惚こうこつの笑みを浮かべるライゼンに、セフィーナは心底不愉快になる。

 だが、こうして下卑た挑発を許してしまうほどに、ライゼンとセフィーナの間には明確な実力差があった。


「さあ、来いよ! 次はどんな技を見せてくれる? なんでも良いぜ。全力で向かってきな。俺っち、それを粉砕して、あんたが絶望の表情を浮かべるさまを見てみてぇ」

「この、変態め!」


 セフィーナはきつくライゼンを睨むと、もう一度腰を落として竜気を練り直す。

 セフィーナのやる気に、ライゼンは愉快そうに笑いながら応じる。


「同じ手だけは勘弁な。面白くねぇから。で、次はなんだよ?」


 ライゼンが挑発する。

 セフィーナは、そんな不遜な男にむけて次の一手を打った。


「ああぁぁぁぁっ!?」


 逃げた。

 全力で。


 きびすを返し、脱兎だっとのごとく逃走したセフィーナに、ライゼンはあんぐりと口を開けて呆然ぼうぜんとする。


 必殺の一撃が通じないというのなら。

 あとは逃げるだけだ。


 アーダは、禁領で特殊な戦い方を見せてくれた。

 絶対に負けない戦い。

 セフィーナだけでなくエルネアたちも、彼女の戦い方には大いに感銘を受けた。

 勝てなくても良い。だが、絶対に負けない。そういう戦い方もあるのだと知った。


 だが、高度すぎるその戦闘術は、一朝一夕で身につくような簡単なものではない。

 では、今の自分にはなにができるのか。


 ライゼンには勝てない。

 でも、負けたくない。屈したくない。

 それなら、答えは決まっている。

 逃げて、勝負を反故ほごにしてしまえば良いのだ。


「て、てめぇっ!!」


 セフィーナのまさかの行動に、さすがのライゼンも動転する。しかし、それも一瞬だけのこと。

 宿屋の敷地をまたぎ逃げ出したセフィーナに対し、眉間に皺を寄せるライゼン。


「どいてっ。みんな、ごめん。巻き込まれないように逃げて!」


 セフィーナは大通りに出ると、騒ぎに集まり始めた野次馬へ詫びと警告を発しながら、全力で走る。

 竜気を宿した脚は、人族の限界を超えた速さを生む。


「ちっ。仕方ねぇ、今度は鬼ごっこかよ?」


 ライゼンは、一度の跳躍で大通りに躍り出る。そして、逃げるセフィーナへ向けて魔法を放った。


 背後から迫る死の気配に、セフィーナは全力で横に飛ぶ。

 紙一重、などと言っている場合ではない。嫌な予感がしたら、全力で回避する。

 セフィーナの行動は正解で、ライゼンが放った魔法球は街路樹に当たると、大きな爆発を生む。


「うっ……」


 爆散した木の破片が思いもせず飛んできて、セフィーナの足に当たった。

 鈍痛どんつうに、一瞬だけ動きを鈍らせるセフィーナ。

 そこへ、ライゼンの二撃目が迫る。


 このままでは、エルネアや姉たちに二度と会えなくなってしまう。

 足の痛みを無視し、大きく跳躍をしようとしたセフィーナ。


 だがそのとき、魔法球とセフィーナの間に人影が割り込んできた。

 人影は、右手に持った剣で魔法球を薙ぎ払う。

 爆発もせず、魔法球は消滅してしまう。


「大丈夫!? さあ、こっちだ!」


 力強く引っ張られたセフィーナは、人影と共に逃げる。


 いったい、誰が助けてくれたのか。

 全力疾走しながら、セフィーナは助けてくれた相手を見た。


 細身の青年だった。

 背は高いが、痩躯そうくなせいで貧相に見える。

 しかし服装は立派で、いかにも身なりが良さそう。そうすると、この青年は魔族だろうか。右手に持つ剣も、魔剣のように思える。

 だが、そうした特徴よりもセフィーナの目を引いたのは、少年の両腕だった。


 真っ黒な、陶器とうきのような肌質の腕。だが、実際は自分たちの肌と同じように柔らかいのか、柔軟に動いている。


「くそ野郎! 俺っちのかわい子ちゃんを横取りするなんざ、まじ許さねえぞ?」


 どうやら、じっくりと青年を観察している暇も、自己紹介をする暇もないようだ。

 振り返らなくてもわかる。ライゼンが猛然もうぜんと追いかけてきていた。


「うげぇっ、しつこい奴だなっ!」


 黒腕こくわんの青年は嫌そうに顔をしかめながら振り返り、セフィーナを離す。そして、左手を振るった。


「のわっ!」


 悲鳴をあげたのはライゼン。

 背後に追いついてきたライゼンは、間一髪で黒腕の青年が放った一撃を回避していた。


 いつの間にか。

 黒腕の青年の左手には、美しい装飾の剣が握られていた。


「お前……。なぜ、神剣しんけんを!」


 ぎらり、とライゼンの気配が変化した。

 黒腕の青年が左手に持つ美しい中剣は、どうやら神族が鍛えあげた武器らしい。

 魔族にとって、神造の武具は天敵に等しい。


「貴女は走って逃げるんだ! ここは俺が食い止めるからっ」

「だけど、君は……?」

「俺は大丈夫だから、さあ!」


 先ほどまでは微塵も感じさせていなかった殺気を纏うライゼンに、黒腕の青年は二本の剣を持って対峙する。

 しかしセフィーナは、青年だけを残して逃げるような性格ではない。足を止め、覚悟を決める。


「おい、くそ野郎。お前は何者だ? なぜ人族でありながら魔剣と神剣を同時に持ってやがる?」

「誰が教えるか、ばーか!」


 軽薄なライゼン。

 だが、対峙する青年もたいがいに口が悪いらしい。

 魔族を相手に臆することなく悪態をつくと、黒腕の青年は憎たらしく舌を出して挑発した。

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