竜と精霊の楽園へ

「きゃーっ!」


 僕たちは悲鳴をあげて、瞳を極悪に輝かせた魔王から逃げる。

 そんな僕たちの頭上に、雷光がはしった!


「っ!」


 一瞬で視界を埋め尽くすまばゆい雷の輝きと、つんざくような鳴轟。

 僕とセフィーナとマドリーヌは互いに抱き合って、極悪魔王の恐ろしさを改めて思い知った!






「わらわ、心外」

「……えっ?」


 セフィーナとマドリーヌではない、それでいて聞き覚えのある声に、僕はきつく閉じていたまぶたを上げる。

 そして、雷光に焼かれた視界が徐々に回復していくなかで、僕は見た。


「イステリシア? ……ということは、ここは?」

「わらわ、エルネア君のことは嫌いです。あと少しで精霊たちの悪戯から下着を取り返せそうでしたのに」


 ふわあっ、と気怠けだるげそうに欠伸あくびをする耳長族の小柄な少女。

 ただし、実年齢は僕たちよりも遥か上。

 そして、耳長族でありながら、巫女装束を身に纏った姿がさまになっている。

 そう。彼女こそは、イステリシア!


「お久しぶり、イステリシア。相変わらずだね? はい、それじゃあこれは返しておくね?」

「わ、わらわの下着っ」


 僕は、ついさっき強制的に精霊たちから握らされた布生地を、イステリシアに返す。

 イステリシアは、顔を赤らめて僕の手から布生地を奪い去っていった。

 まさに、言葉の通り。

 走り去っていくイステリシアを見送る僕。


「ううーむ。魔王は約束通りに僕たちをヨルテニトス王国へ転移さてくれたんだね。……ただし、東の果てに!」


 そうなのですよ!

 通称、楽園。即ち、ヨルテニトス王国の東の国境である大森林の手前にある、竜族と精霊たちの楽園に、僕たちは転移してきたみたいです!


 楽園には、聖職者の人たちが修行する神殿が建立こんりゅうされて、そこでイステリシアや耳長族の有志が修行の日々を送っているんだよね。

 つまり、僕たちの前から走り去っていったイステリシアの存在が、僕たちが何処に転移させられたのかを如実に示していた。


「困ったね? これからどうやってマドリーヌのご両親が暮らす王都まで行こうかな? いや、その前に。セフィーナとマドリーヌは、僕の奪い合いをそろそろ止めましょうね?」


 困ったものですね?

 僕が状況分析をしている間、僕に抱きついているセフィーナとマドリーヌは楽しそうに僕の奪い合いをしていました。

 まあ、僕としては両脇に女性の柔らかさを強く感じて楽しかったんだけどね?


「こほん、巫女頭様」


 すると、少し遠慮がちな咳払いと共に、背後から声が掛けられた。

 振り返ると、困った様子の巫女さまが立っていた。


「ほら、マドリーヌさま。はしたない姿を巫女さまに見せちゃだめですよ?」


 僕がマドリーヌを促すと、むきいっ、と癇癪かんしゃくを起こしながらも身をただす。

 こういうところは、何だかんだといっても巫女頭さまだよね。


「仕方がりませんね。ええ、そうです。私がヨルテニトス王国大神殿の巫女頭です。では、私たちを神殿に案内していただけますか? エルネア君とセフィーナも、そちらで今後のことをお話しいたしましょう」


 マドリーヌは、声を掛けてきた巫女さまに神殿までの案内をお願いする。

 僕たちは、楽園に転移させられたことを知ってはいても、ここが楽園の何処なのかまでは把握できていなかったからね。


 改めて見渡すと、僕たちは深い森の奥にいた。

 なぜこんな場所に巫女さまが偶然にも居たんだろう? と思って、すぐに思い至る。

 そうですか。イステリシアですか。

 今朝もまた、精霊たちの悪戯を受けたイステリシアは、奪われた下着を取り返そうと楽園を走り回っていたんだね。そして巫女さまは、そんなイステリシアをお手伝いしながら、精霊たちと関わっていたんだろうね。

 そこに、僕たちが雷光とともに転移してきたわけだ。


 突然転移してきた僕たちに、さほど驚いた様子もない巫女さま。

 どうやら、これくらいの異常さは、楽園では日常茶飯事なんだろうね。

 それが良いのか悪いのかはともかくとして、聖職者の修行の場としてはとても相応しいのかもしれない。


「では、こちらへ」


 巫女さまは笑顔で応じてくれた。

 そして、イステリシアが走り去っていった方角へと、僕たちを案内してくれた。


『ふふふ、楽しかったわ』

『えええ? 遊び足りないよ?』

『それじゃあ、次は何をしてイステリシアと遊ぼうかしら?』

「みんな、程々にね?」






 樹々が鬱蒼うっそうと茂る楽園にも獣道はあって、竜族だけでなく動物や鳥たちも暮らしている。

 朝から賑やかにさえずる鳥たちの歌声を聞きながら巫女さまに案内されるがまま歩いていると、すぐに建立されたばかりの真新しい神殿にたどり着いた。


 神殿の周辺では、まだ早朝だというのに巫女さまや神官さまたちが既に修行を始めていて、それをのんびりと見つめる竜族たちがいる。

 精霊たちも、顕現しては巫女さまや竜族たちに悪戯をしたりしながら楽しんでいた。


「みんな楽しそうで良いね?」

「ある意味では、ここは竜の森や竜峰などよりももっと先を行く種族間交流の場になっているわね?」

「ここで修行を積み重ねた巫女や神官たちは、きっと素晴らしい未来を築いてくれるでしょう」


 そのひとりが、きっとイステリシアになるはずだ。

 そのイステリシアの姿は、神殿の周辺には見当たらない。

 きっと、取り返した下着を仕舞っているころなのかな?


『見てきてあげる?』

「ううん、大丈夫だよ」

『残念だなー』

『ちっ。それを口実に、またあの子に悪戯をしようと思ったのにな』

「やれやれ。イステリシアは大人気だね?」

「あら、そうかしら? エルネア君の方よっぽど人気者のような気がするのだけれど?」

「セフィーナ、気のせいだよ。僕の周りにうじゃうじゃと精霊さんたちが集まってきているのは、アレスちゃんの影響だからね?」

「ですが、エルネア君。竜族も集まってきていますよ? こちらは流石にアレスちゃんの影響ではないと思いますが?」

「そ、そんな馬鹿な!?」

『聞いたぞ聞いたぞ! 先日飛来した飛竜に、お前さんたちのことをな!』

『竜神様の御遣い様なんだって?』

『よし、めさせろ』


 さっきまで朝の微睡まどろみを楽しんでいた竜族たちが、僕たちの姿を見つけてどしどしと集まり始めた!


「注目されることは別に構わないけれど」

「むきぃっ、舐めないでくださいっ」


 そうですよね!

 朝から竜族にべろりと舌で舐められたら、困っちゃうよね!

 セフィーナとマドリーヌは、押し寄せる竜族たちを上手くかわして、木造の神殿の奥へと逃げていった。

 そして、生贄となる僕。


「僕も逃げたかったなーっ!」


 でも、逃げられませんでした。

 なぜかって?


「そしそし」


 そうです!

 僕の足に抱きついて、逃亡を阻止した悪い子がいるからですね!


 よっこしょ、と顕現してきたアレスちゃんを抱っこしたのと、竜族たちに揉みくちゃにされたのは、同時だった。


「ううっぷ、竜の鱗は硬いんだから、手加減してね? あっ、君はもふもふだね? いやんっ、そこはくすぐったいから舐めないでっ」

「わるさをしたらしょうちしない?」

『ひえっ』


 僕を弄ぶ竜族たち。

 ただし、アレスちゃんには敵いません?

 アレスちゃんの笑顔の言葉に、顔を引き攣らせる竜族たち。

 さすがの竜族たちも、霊樹の精霊を本気で怒らせたら大変だからね。


「できれば、僕にも悪さをしないでね? 僕だって、竜神さまの御遣いなんだぞー?」

『ああ、知っているぞ』

『だから遊ぶんだー』

『竜族に加われー』

「くわわるくわわる」

「きゃーっ」


 なぜ、僕の扱いはこうなんでしょうね!?


 竜族や精霊たち、そしてアレスちゃんに良いように弄ばれる僕。

 だけど、いつまでも好き勝手に弄ばれているような僕じゃないよ!


「くっくっくっ。良いことを思いついたぞ」

『竜神様の御遣い様が悪巧みしている顔だぞ!』

『気をつけろっ』

『何かな何かな?』


 賑やかしい竜族と精霊たちからなんとか逃げ出した僕は、びしりっ、と飛竜を指差した!


「ねえねえ、お願いがあるんだ。そう、これは竜神さまの御遣いとしてのお願いだよ?」

『うわっ、凄く安そうな竜神様の御遣いのお願いのような気がするぞ?』

「き、気のせいだよ……?」

『目が泳いでいるわ?』

『顔が引き攣っているねー?』


 くっ。なんて勘の良い竜族と精霊さんだろうね?

 でも、僕はめげずに依頼する。


「あのね、ヨルテニトス王国の王都まで行って、ある人たちを呼んできてくれないかな?」


 ある人たちとは勿論もちろん、王族の方々と神殿関係者。そして、マドリーヌのご家族だ。

 挨拶だけならマドリーヌのご家族だけでも良いんだけど、結婚の儀のお話がこちらで進んでいるのなら、王族の方々や他の神殿関係者にも来てもらった方が良いよね。

 そして、気づく。

 お忍び行動中の僕たちにとって、この楽園は最適かもしれない。

 余計な部外者は入ってこないし、そもそも国境の側という辺境だから、周囲にも人は少ないからね。

 まあ、ここまで来てもらう関係者の方々には、遠路になって申し訳ないと思っちゃうけど。


 僕の使命を受けた飛竜が、鼻息を荒くする。


『その依頼、確かに我が受命した』

『お前っ、ずるいぞっ』

『抜け駆けは許さん』

『我が真っ先に知らせてやるぅ』


 そして、次々と飛び立っていく飛竜や翼竜たち。


『ちっ。飛竜どもめ』


 ちょっと残念そうな地竜のおすに、僕は言う。


「ふふふ、わかってないなぁ。飛竜たちは僕のお使いで飛んでいったけど。残った君たちは、僕たちと思う存分に遊べるんだよ?」

『っ!』


 さて。竜神さまの御遣いの依頼を受けた飛竜や翼竜たちと、竜神さまの御遣いと思う存分に遊べる機会を得た地竜たちとでは、どちらが幸せなんだろうね?

 少なくとも、僕たちは大変だ!


「ということで、精霊さんたち。神殿内に逃げ込んだセフィーナとマドリーヌさまとイステリシアも巻き込むんだーっ!」

『おー!』

『やっちまえーっ』


 この日。

 楽園はこれまでになく賑やかな一日となった。

 ぼ、僕のせいじゃないからね?






 翌日。

 早いといえば早いし、ようやくといえばようやく。

 端的に言うと、僕たちが遊び疲れてへろへろになった頃合いに、西から飛竜たちが戻ってきた。


『我は十全に役目を全うした』

めよ!』

『つ、疲れたわい……』


 楽園の拓けた場所に次々と着地してくる飛竜や翼竜たち。その背中には、高位の巫女装束に身を包んだ女性たちが騎乗していた。

 そのなかには、見知った女性の姿や少女の姿も。

 それだけではない。

 遅れて飛来してきた飛竜たちは明らかに飛竜騎士団で、最後に着地した黄金色の鱗の翼竜の背中には、見慣れた人たちが乗っていた。


「フィレル、お久しぶり! 王さま、ライラは今回は来ていませんよ?」

「な、なんだとぉぉぉぉっっっ!」


 心底残念そうに肩を落とす、ヨルテニトス王国の王さま。

 そのままユグラさまの背中の上から落ちないでくださいね?

 寄り添うフィレルが、王さまを必死になぐさめていた。

 僕は、そんな王族の人たちから視線を移して、慣れない空の旅で少しお疲れ気味の人たちに向き直る。

 素早く騎竜から降りた竜騎士団の人たちが、野生の飛竜や翼竜の背中から降りてくる聖職者の人たちに手を差し伸べていた。

 そのなかに、僕がこれから挨拶をしなきゃいけない人の姿を見て、一気に緊張する。


 今度は、アームアード王国のような失敗はしないぞ!


「おねえさまーっ!!」


 女性の飛竜騎士、アーニャさんに抱えられて降りてきた少女が、地面に足をつけた途端に全力で走り出した!

 僕に向かって!?


「ごふっ」


 少女の手加減のない突撃をお腹に受けて、僕はくの字に折れる!


「お姉様、やりましたわ。私は竜神様の御遣いを倒しましたわ! これで私もお仲間になれますわ!」

「いやいやいや、メアリさま。僕を倒しても仲間にはなれませんよ?」


 どういう思考なんですかっ、と突っ込みを入れる僕に、メアリさまは不満そうに頬を膨らませていた。

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