試練ですよ、メアリ様!

「メアリ? 粗相そそうをしないという約束で同行を許されたのですよね?」


 メアリ様より遅れて翼竜から降りてきた三十代前後の上品な巫女様が、メアリ様に優しい笑みを向ける。

 メアリさまは、何故か一瞬で硬直してしまった。


 わかります。

 あの、全てを信じて疑わない無垢むくの笑顔を向けられると、後ろめたいことが有れば有るほど罪悪感に押し潰されちゃうよね!

 そうです。メアリ様に優しい笑みを向ける巫女様こそが、彼女の実母のイリア様。

 そして、その巫女様と一緒に翼竜から降りてきた四十代前後の巫女様こそが、メアリ様の今の母であり、マドリーヌのお母さんであるレオノーラ様です。


「ご足労をおかけしてしまい、申し訳ございません」


 僕が丁寧に挨拶をすると、レオノーラ様はイリア様によく似た笑みを浮かべて、巫女様らしい挨拶を返してくれた。


「どうぞ、そのようにかしこまらないでくださいね? ヨルテニトス王国にも、皆様の偉業は伝わっておりますよ」


 恐れ入ります。と僕は恥ずかしくなって頭を搔いた。

 その僕の服のすそを、メアリ様が遠慮がちに引っ張る。


「エルネア様。あのう……ニーミアちゃんは?」


 メアリ? とイリア様から向けられる優しい笑みに、びくりっ、と反応しながらも、メアリ様は僕の頭の上を何かを探すように見つめる。


「メアリさま、ごめんなさい。今回はお忍びの行動だったので、ニーミアは連れてこられなかったんです」


 なにせ、王さまの期待を裏切って、ライラさえ来ていないんだからね。

 王さまは、ユグラ様から降りたけど、少し、いや、とてもとても消沈しています。

 ちなみに、王さまが本来騎乗している闇属性の地竜グスフェルスは、王さまの影に潜んでいるね。

 王都からの移動はユグラ様に頼ったけど、それ以外の役目は譲りたくないという、グスフェルスの誇りを影の奥から感じます。


『竜神様の御遣い様に会いたいという気持ちも強い』


 左様ですか、と竜心で僕は返答した。


 さて、王族のみなさんへの対応は申し訳ないけどセフィーナにお任せで、僕が関わる用事や挨拶は後回しにさせてもらうとして。


 僕の横に、マドリーヌが並ぶ。

 そして、マドリーヌのお父さんレオノーラ様と妹のイリア様。その人たちと向き合う僕とマドリーヌを中心に、王都から来た巫女様や神官様や楽園で修行をしている聖職者の人たちが集まってきた。


 誰もが、これからのお話に強い関心を持っているんだね。


 マドリーヌは、ヨルテニトス王国の神殿宗教を代表する巫女頭様であり、名門ヴァリティエ家の長女だ。

 だけど、僕と結婚するにあたって、マドリーヌは巫女頭の地位を退しりぞき、次期当主の座をメアリ様に譲るだけでなく、世界に名高いヴァリティエの姓をも手放すことになる。

 僕は、マドリーヌにこれ程のものを手放させてしまうのだと、集まってきた人々の強い関心を浴びて、改めて思い知る。


 ここで情けない姿を見せるわけにはいかないね。

 マドリーヌと結婚する男として、恥ずかしくない対応をしなきゃいけない。


「レオノーラ様、アルセイド様」


 僕は、マドリーヌのご両親の名前を口にした。

 そして、続けて結婚の申し出の挨拶をしようとした時だった。

 アルセイド様が、僕の言葉を手で制してさえぎる。


「エルネア様、待たれよ」


 どきんっ、と胸の鼓動が激しくなる。

 ここで僕の言葉を遮るってことは……?

 父親であるアルセイド様は僕たちの結婚に反対をしていて、挨拶の台詞せりふを言わせない気なのかな!?

 固唾を呑んで、アルセイド様の次の言葉を待つ。


「エルネア様……」

「はい」


 内心の動揺を顔に出さないように、気を引き締めてアルセイド様を見つめる僕。

 アルセイド様も、僕の瞳をじっと見つめ返す。

 そして、言葉のひとつひとつを噛み締めるように、アルセイド様は言った!


「本当にマドリーヌで良いのですか?」

「えっ!?」

「むきぃっ、お父様!」

「いや、ほら、ねえ?」


 と、アルセイド様は癇癪かんしゃくを起こしたマドリーヌを困ったように見つめて、苦笑した。

 マドリーヌは、父親の暴言に対してきぃきぃと文句を言う。文句だけでは足らないようで、父親に襲いかかろうとするのを、僕がなんとか引き留めた。


 なるほど!

 さすがはマドリーヌのお父さんだね。愛娘のことをよく理解しています。

 だけど、アルセイド様の不安は的違いですよ!


「アルセイド様、何を仰るのですか。僕はこのマドリーヌさまの性格が素敵だと思っているんですよ! だから、迷いも偽りもなく言わせていただきます。僕はマドリーヌさまを愛しています。ですので、結婚を認めてください!」


 マドリーヌの自分らしさとは、この機嫌を隠さない素直な性格だよね。

 裏表のない、それでいて悪意もない無垢な心を持つ人柄だから、ヨルテニトス王国の国民や聖職者のみんなからも愛されているんだ。

 もちろん、僕も愛しています。


 僕が躊躇ためらいなくマドリーヌへの愛を叫んだら、暴れていたマドリーヌが急に大人しくなった。

 どうやら、恥ずかしくなったらしい。

 僕の腕の中で、顔を赤らめさせたマドリーヌ。

 周りに集まっていた人たちは、マドリーヌの珍しい表情を見れたと笑みを零す。


「貴方、私の可愛い娘になんてことを言うのです? 私はエルネア様とマドリーヌが婚約した時から何の心配もしていませんでしたよ?」

「だがね? その話の時は、私は同席していなかったんだよ?」


 そういえば、前にヴァリティエ家の邸宅にお邪魔した時には、アルセイド様は不在だったね。

 だからアルセイド様は、僕のマドリーヌへの愛に不安を抱いてしまったようだ。

 それでも、アルセイド様は僕の言葉を聞いて安心したのか、表情を緩めてくれていた。


 でも、やっぱり自分の娘への暴言は許されません。


「むきぃっ、お父様は神官として、人々を信じる心の強さが足りません! 罰として年内はこの楽園で修行を積むことを言い渡します!」

「マ、マドリーヌ!?」

「ヨルテニトス王国の巫女頭としての言い渡しです!」


 僕たちは不謹慎ふきんしんにも笑ってしまう。

 確かに、マドリーヌの言う通りだよね。

 しかも、マドリーヌは現役で巫女頭の地位に就いているんだ。たとえ実父でも、最高指導者の言葉には逆らえません。


「貴方、ヴァリティエ家の当主の伴侶として、しっかりと修行を積んできてくださいね?」


 レオノーラ様の、如何にも人を疑っていない無垢な笑みを向けられて、アルセイド様は膝から崩れ落ちた。

 そして、笑いの輪が更に大きくなる。

 もしかして、アルセイド様って元からこういう性格の弄られ易い人なのかな?

 まあ、名門のヴァリティエ家に婿養子で入るくらいだから、本当は優秀なんだろうけどね?


「エルネア様、夫が失礼しました。ですが、私は喜んでマドリーヌと貴方の選択を尊重させていただきます。それに、二人は既に婚約していたのですからね?」


 レオノーラ様の微笑みに、僕は心が軽くなる。

 ちゃんとした挨拶をしなきゃ、という緊張から解放されただけじゃなくて、結婚も認めてもらえて、ひとつ大きな山場を越えられたような開放感に包まれていく。

 だけど、そんな僕とは違って、話が進むにつれて元気がなくなっていく人物がひとりだけこの場にいた。


「メアリさま?」


 気になって、僕はその人物につい声をかけてしまう。

 だって、周りのみんなは、メアリ様が見るからに気落ちしていっているのに、誰も声をかけないんだもん。


 実母のイリア様に「メアリ、粗相は駄目ですよ?」という笑みを向けられているメアリ様は、今も硬直したように姿勢正しく立っている。

 でも、肩は力を失ったように落ちているし、視線も伏せがちになっていて、明らかに先ほどまでの無邪気さや明るさがなくなっていた。


 メアリ様は、僕とマドリーヌの結婚に反対なのかな?

 ううん、違うよね。

 メアリ様も、僕とマドリーヌの婚約の挨拶の時に関係を認めてくれていた。

 では、なぜ急にこんなに元気がなくなってしまったのか。


 きっと、今になって強く意識してしまったんだね。

 僕とマドリーヌが結婚をしたら、それこそ今まで以上にメアリ様はマドリーヌに会えなくなってしまうと。


 竜神さまの御遣いとなり、世間から姿をくらませた僕たち。メアリ様は、今日久々にマドリーヌに再会できた。

 マドリーヌが大好きなメアリ様は、これまで溜め込んできた想いを思いっきり出したかったんだよね。

 でも、周りの大人たちはメアリ様の想いを余所よそに、僕とマドリーヌの話を進めていく。

 それでメアリ様は、マドリーヌが手の届かない遠くに行ってしまうような焦燥感しょうそうかんに囚われたんじゃないかな?


「メアリさま」


 僕はかがんでメアリ様に目線を合わせて、笑顔を向けた。


「僕とマドリーヌさまは、結婚します。でもその前に。僕は、メアリさまから試練を受けなきゃいけませんよね? ヴァリティエ家の未来の当主さまからお許しを頂けないと、女神様に叱られるかもしれませんからね?」


 僕の隣で、マドリーヌがくすりと笑った。


「ということで、メアリさま。僕とまた試練の勝負をしましょう!」


 メアリ様は、うつむいていた視線を上げると、嬉しそうに僕と視線を交わす。


「そうですねぇ。では、こういう試練はどうでしょうか。僕がマドリーヌさまの夫として本当に相応のか。メアリさまは前に望んでいたような竜峰に入れる力量を身につけたのか、それを測る試練です」


 前にヴァリティエ家を訪問した際に、メアリ様は竜峰に興味を持っていたよね。

 それで、ある案を思いつく。

 だけど、僕の今の言葉だけでは意味がわからないと、首を大きく傾げるメアリ様。


「いいですか、メアリさま。この楽園には、精霊の他に竜族も暮らしています。そして、楽園の精霊や竜たちは人に干渉したり悪戯をするのが大好きなんです」

「精霊に会いたいですわ。竜族は怖いですわ。ですが交流を持ってみたいですわ!」

「はい。ですので、試練です! メアリさまは、イステリシアという巫女様を精霊の悪戯や竜族の干渉から今日一日護り通してください。僕は、同じようにマドリーヌさまを護り通します」

「それでしたら、私もマドリーヌお姉様をお護りしたいですわ?」

「いいえ、そこは申し訳ないですけど、未来の夫となる僕にお譲りくださいね? どんな困難からも僕がマドリーヌさまを守り通せる男とメアリさまに認めてもらう試練なんですから」


 そこに、メアリ様の好奇心や対抗心やマドリーヌを想う気持ちを乗せたのが、この試練だ。

 僕がマドリーヌを護るように、メアリ様にも誰かを護ってもらう。

 同じ条件の試練を受けることによって、お互いに対等な立場となるわけだね。

 そして、同じ条件、対等な立場、同じ試練を二人で同時に受けることによって、僕がマドリーヌを護れる男だと証明する。


「ですが、私はイステリシア様という巫女を知りませんよ?」

「それならご安心を! あそこの小柄な耳長族の女性が、イステリシアですよ! 僕は、メアリさまとイステリシアが仲良くなってほしいと思っているんです!」

「わらわ、困惑。エルネア君がわらわを巻き込む気満々なのが恐ろしいです」


 僕に名指しで巻き込まれたイステリシアが、本当に困惑したように挙動不審になっていた。

 でも、僕からイステリシアを紹介されたメアリ様は、瞳をきらきらと輝かせてイステリシアに興味の視線を向けていた。


「素敵ですわ、可愛いですわ、お友達になりたいですわーっ!」

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