そして竜峰へ

 まだ太陽の輝きが森の奥へと足を延ばす前。

 目覚めの早い小鳥たちのさえずりに耳を傾けて、ぼんやりと時を過ごしていると、ごそごそと動き出した人がいた。


「おはようございます、エルネア君」

「マドリーヌ様、おはようございます。随分と早いお目覚めですね?」

「はい。一応は巫女頭ですからね。規則正しい生活はもう身に染み付いて離れないのです」


 朝方の見張りを担当していた僕が起きているのは当たり前なんだけど。まさか、あのマドリーヌ様が旅団一行のなかで一番最初に活動を始めるとは予想外でした。


 昨日のうちに小川から汲んでおいた水をつぼからすくって顔を洗い、マドリーヌ様は早速朝のお勤めに入る。

 まだ寝ているみんなを起こさないようにお祈りを済ませると、静かに瞑想を開始した。


「おはよう、エルネア。まさか、マドリーヌに先を越されるとは思わなかったわ」

「ミストラル、おはよう」


 マドリーヌ様に続いて起きてきたのはミストラル。

 起きたら、すでに瞑想に入っていたマドリーヌ様を見て、ミストラルは感心し直したように頷いた。


「それじゃあ、朝の間はよろしくね」

「うん。行ってらっしゃい」


 ミストラルも素早く身支度を整えると、まだ白け始めて間もない竜の森の奥へと消えて行った。


 ミストラルの朝も早い。

  スレイグスタ老のお世話は、旅の間も務めるみたいだね。

 竜の森にいる間なら、歩けばすぐに苔の広場へたどり着く。たぶん、竜峰に入ったらスレイグスタ老の力を借りて転移するんだろうけど、朝はこうしてお役目を果たす。


 誰かが目覚めると、順次みんなが起き始めた。

 ルイセイネとリセーネさんが起きた。するとマドリーヌ様と同じような手順で朝の日課に入る。

 次に、僕の母さんとスフィア様とカレンさんが目覚めて、朝食の準備に取り掛かる。


 王族、それも王妃様なんかだと召使いさんにやんわりと起こされる、なんて先入観があったんだけど、どうも僕の知識は偏見へんけんだったみたい。

 誰に起こされることもなく目覚めた母親連合のみなさんは、むしろ自分の娘たちを叩き起こし始めた。


 ユフィーリアとニーナに目覚めを促すのは、実の母親であるセーラ様と、スフィア様とセレイア様とアネス様とカミラ様と、朝食の準備から離れたカレンさん。……多いな!

 レネイラ様も、ライラに優しく声をかけている。


 むむむ。

 ライラは狸寝入りだね。

 実は、ライラも朝は早い。よくルイセイネと一緒に起き出して、朝の日課を習っているからね。

 たぶん、レネイラ様に起こしてもらうという、朝の至福を満喫しているに違いない。


 大人組が全員起きると、みんなで朝の支度に取り掛かる。そして朝食の準備が終わってから、幼女組に手を延ばす。


「ほら、プリシアちゃん。朝だよ。早く起きないと、朝ごはんがなくなっちゃうからね」

「んんっと、まだ眠いの」

「昨日、遅くまで起きてるからだよ」

「あのね。ニーミアといっぱい遊びたかったの……」


 むにゃむにゃ、と眠気まなこのプリシアちゃん。


「じゃあ、今日も早く起きていっぱい遊ばなきゃね」


 僕の声かけよりも、美味しそうな朝ごはんの匂いが決め手になったのか、むうむうとうなりながらも目を覚ましたプリシアちゃんは、顔を洗う前に食事の場についた。


 プリシアちゃんに引っ付いて眠っていたニーミアも、前脚で猫のように顔を撫でると、僕の頭の上へ。


「プリシアちゃんの頭の上じゃなくて?」

「にゃあ」


 一日の最初に僕を選んでくれるなんて、なんて可愛いんだろう、と思った僕が馬鹿でした。


 もぐもぐと朝から食欲旺盛なプリシアちゃん。

 ニーミアも負けてはいません。

 僕の頭の上で、ぽろぽろと食べかすを落としながら満足そうに朝食を食べる。

 そして、僕の頭は朝から悲惨な状態になるのでした……






『うわんっ、会いたかったよっ、お姉ちゃん』

『リームもぉ』

「プリシアもー」

「にゃあ」


 抱き合い、喜びの小躍りを舞う幼少組。

 そういえば、フィオリーナとリームも、ニーミアに会うのは久々なんだよね。


「ミストラルは?」

「朝のお役目ですよ」

「そう、きちんと務めを果たしているのね」


 再会の微笑ましい光景を横に、僕へ声を掛けてきたのはコーネリアさんだった。


 今日は、昨日とは打って変わって順調な行程になった。朝のうちに竜の森を抜けることができて、コーネリアさんやお供に協力してくれる地竜たちが待つ集合場所に難なくたどり着いちゃった。


 きっと、お役目に行ったミストラルのおかげだね。

 今頃、スレイグスタ老は陥没した指先の鱗に涙していることでしょう。


 待ち合わせ場所は、竜の森と竜峰に連なる森の境目。なんていっても、境界線があるわけじゃない。

 なんとなく、この辺からは平地じゃなくなるし、たぶん竜峰の麓だから竜の森を抜けたよね、と感じるような場所だ。

 そのなんとなくの境目の、森の奥の広場。そこに、見慣れた地竜たちがコーネリアさんと一緒に待ってくれていた。


「みなさん、よろしくお願いします」

『うむ、任せよ。たまにはこういう役目も面白い』


 協力してくれる地竜たちは、ミストラルの村の側に巣を作った一族だ。

 せっかくの竜峰なのだから、地上をゆっくり旅して満喫したい、なんて母親連合のわがままを聞いてくれた、優しい竜族だね。


「どの一族が随行するか競い合っていたのを、夢見ゆめみ巫女様みこさまの夢のなかで見たにゃん」

「ニーミアよ、なんというものを覗き見したんですか……」


 見間違いですよね!?

 竜峰同盟のみなさん、こんなことで争わないでね。


 集まった地竜の背中には、数人で乗り込めるような立派な鞍が据え付けてある。

 王都で作って、竜人族のみんなが運んでくれたものだ。

 母さんたちは僕たちの手伝いを受けながら、魔獣から地竜へと乗り換える。


「それでは、俺はこれで」

『我らも帰ろうか。土産を期待しているぞ』

「カーリーさん、みんな、ありがとうね」


 案内役のカーリーさんと魔獣たちは、ここでお別れだ。

 みんなでお礼を言うと、いよいよ竜峰に足を踏み入れた。






 地竜たちは、のっしのっしと進む。

 一見、ゆっくりと歩いているように感じるけど、実は結構な速度が出ている。

 地竜の身体は大きく、一歩一歩が大股だからね。

 なので、徒歩でついて行く僕たちは自然と早足になっちゃう。


 竜峰に入ると、周りは急に険しい自然へと変化した。

 はぁはぁと息を切らせながら、それでも何ひとつ弱音を吐かずに頑張っているのはセフィーナさん。


 地竜たちがなんなく乗り越える段差も、人族の僕らには大変な障害になる。

 僕なんかは空間跳躍でぱっと飛び越えちゃうけど、他の徒歩組は迂回うかいしたり必死に登らなきゃいけない。

 移動しているだけで体力と精神、それに竜気を消耗していく。まさに、苦行の旅だね。


「エルネア君は、本当にこんな自然を自分の足で踏破とうはしたのかい?」

「ルイララ、辛いなら脱落しても良いんだよ?」

「ひどいなぁ。ひどいと言えば、朝もひどかったよね。なんで起こしてくれないのかな?」

「いや、あそこで寝坊していたら、置いていこうと思ってさ」

「危うく取り残されるところだったよ」

「嘘ばっかり。本当は起きてたんでしょ? 僕は男をゆすり起こす趣味はないからね!」


 魔族のルイララも、もちろん徒歩の旅を続行です。

 並んで歩くルイララは、切り立った崖や荒々しい自然を目にして、僕の偉業が信じられないといぶかしむ。


「まあ、僕の場合は途中からレヴァリアの背中の上だったからね。でも、それまでは本当に歩いて頑張ったんだからね」


 懐かしいなぁ。

 歩いている道こそ違うけど、僕もこうして最初は竜峰に踏み入ったんだよね。


「なぁんだ、暴君を手懐けて、途中からは空の旅だったんだね。それじゃあ、苦労はあまりしていないんだ?」

「ははーん、ルイララ。十五歳当時の僕の苦労を否定するんだね? 確かに徒歩の旅は最初だけだったけどさ。そう言うなら、君もやってみれば良いよ。レヴァリアと命懸けの勝負をさ」


 なにも、最初から今のように仲良く背中に乗せてもらっていたわけじゃない。色々とあって、命辛々レヴァリアと通じ合ったんだ。

 あれは、徒歩で旅をするより大変だったと思うよ?


 僕とルイララは呑気そうに会話を交わしているけど、旅は初っ端から大変だ。

 見上げる段差もそうだけど、気をぬくと魔物や魔獣の襲撃もある。


 竜峰の魔獣は、竜の森のみんなと違って仲良しさんばかりじゃない。

 地竜が同行してくれているおかげで、魔獣は面と向かって襲撃してこない。でも、周囲の気配を探ると、確かに身を潜めてこちらを伺っていたりする。

 地竜たちの隊列から逸れたり油断していたりすると、すぐに襲われそうだね。


 大粒の汗を流しながら、必死について来るセフィーナさん。

 地竜はわざと、修行組には気を配っていない。

 ついて来るのは許すけど、甘えは許さない、と竜峰の厳しさを伝えていた。


 弱音を吐かずに頑張るセフィーナさんとは違い、もうひとりの修行人はさっきから弱音ばかり吐いている。。


「はぁ、はぁ、はぁ。こんなに……辛いなんて……私を……なんだと……思っているのですか! むきぃーっ。エルネア君、そろそろ休憩しましょう! はぁ、はぁ、はぁ」


 本日すでに何度目になるのかわからない泣き言で僕に抱きついてきたのは、マドリーヌ様だ。


「はいはい。もう少し頑張りましょうね。そうしたら、休憩ですよ」

「マドリーヌ、脱落するなら今のうちよ」

「マドリーヌ、引き返すなら今のうちよ」

「いいえ、絶対にくじけませんよっ。お二人に出来て私に出来ないことなどないのですっ。というか、ユフィとニーナも疲れてるじゃないのっ」


 マドリーヌ様の愚痴は、まあ、僕にかまって欲しいための冗談みたいなものだよね。

 辛い苦しいと吐露とろするものの、けっして地竜に乗せてとは言わない。休憩を口にするくらい、この竜峰の自然のなかでは許される小言だよ。


 マドリーヌ様は、あと少しで休憩という僕の言葉を信じて、また隊列に戻った。そして、ルイセイネと一緒に頑張る。


 巫女様も、竜気と同じように法力を体内で循環させて、身体能力を上げることができるみたい。それで段差をよじ登ったり、地竜の歩みについて来られている。

 だけど、消費はこちらの比ではないみたいで、ルイセイネとマドリーヌ様は大変そうだ。


 二人は、地竜たちの隊列から遅れ気味になると、逸れないように短距離の星渡ほしわたりを使っている。


 法術、星渡り。

 一度上に跳ねて、宙に浮いている状態で発動させる移動法術。

 足もとの地面と水平に、任意の方角へと素早く移動できる便利な術だ。

 地面の上を滑るように移動する様子は、見ていて気持ち良さそうに感じちゃう。


「良いですか、エルネア君。巫女は洗礼を受けるとまず最初に、星渡りと月光矢げっこうやを習得するのです。この二つは初歩的な法術であり、尚且つ奥の深い法術でもあるのですよ」


 とは、マドリーヌ様のありがたいお言葉。

 いわく、高位の法術を習得するよりも、この二つの法術をどれだけ極めるかが巫女の修練の物差しになるんだって。


 巫女様なら誰でも使える、初歩的な攻撃法術の月光矢。

 ただし、新人と玄人くろうとでは別物と言って良いくらいの威力差があるらしい。

 鍛錬を積むと矢の本数が増え、威力も桁違いになるのだとか。それでいて、法力の消費は初歩法術らしくとても控えめで、発動のための祝詞のりとなんかも簡単。


 星渡りも、極めれば極めるほど移動距離が延びたり速度が増すんだって。


 ルイセイネとマドリーヌ様は、地竜たちを追い越してはいけないので短距離で星渡りを利用しているけど、本気で発動させるとどれくらいになるんだろうね?


「それにしても、竜峰にも立派な道があるのですね?」

「ああ、地竜たちが利用しているこの道のことね?」


 徒歩組、とりわけ修行組とは打って変わって、竜峰の旅を満喫する母親連合の面々。

 麓まで出迎えに来てくれたコーネリアさんも含めて、地竜の背中で和気あいあいと楽しそう。


「これは竜の道なので、立派に見えても人はおいそれと利用できないのよ」


 何気なく疑問を口にしたのは、実家の使用人さん筆頭であるカレンさんで、答えたのは竜人族のコーネリアさんだ。


「地竜はほら、身体が大きいから。利用する道も広くなるし、この体重で踏み固められたら立派な道にもなるわ。でも、竜族以外は利用できないの」

「どうしてでしょう?」

「ふふふ。だって、竜の道なのだから、利用していると竜族に遭遇するでしょう?」

「カレンさんも、なかなかに僕の汚染おせんに馴染んできたね!」


 地竜の足もとで、にやりとする僕。カレンさんは上からこちらを見下ろして、不思議そうに首を傾げた。


「普通はね。竜人族と竜族はこんなに仲良くはないのよ? エルネア君やプリシアちゃんは特別なだけ。だから、不用意に竜の道を利用して竜族と遭遇なんてしはてしまうと、命の危険に関わるわ」

「うん。コーネリアさんの言う通りだね。だから竜峰を旅するときは、普通は人の造った道か獣道を利用するんだよ。人の道は大変だよ。崖沿いなんて一歩踏み外すと谷底へと真っ逆さまだし、すぐ脇の草むらにはなにが潜んでいるかわからないしさ。だから、こうして広くてしっかりした道を行けるこの旅は、まだ楽な方じゃないかな」

「あとで、観光地巡りというわけではないけれど、普段わたしたちが利用するような場所にも案内するから、そのときは少し皆さんにも歩いてもらいます」


 なんてコーネリアさんが言ったら、前方でマドリーヌ様が悲鳴をあげた。


「……どうやら、本当に少し休憩した方が良いみたい。このままじゃあ、マドリーヌ様が発狂しそうだ」


 ということで、予定よりも早く休憩に入ることにする。

 だけど、こういうときに限って、新たな問題が舞い込んでくるんだよね。


「んんっとね。あっちが気になるって、ユンユンとリンリンが言ってるよ?」

「無視しましょう!」


 フィオリーナとニーナ、それとアレスちゃんや地竜の子供たちと遊んでいたプリシアちゃんが、なにやら不穏なことを口にしています。

 けっして、関わってはいけません。僕の勘がびんびんに反応しています!


「いこういこう」


 だけど、僕を裏切って手を引っ張るアレスちゃん。


『うわんっ。行こうよっ』

『気になるよぉ』


 更にフィオリーナとリームが甘えてきて、僕は揉みくちゃにされる。それで仕方なく、プリシアちゃんが示す茂みへと行くために重い腰を上げた。

 すると、僕だけが行けば良いかな、と思っていたけど、みんなついて来ちゃった。

 少しでも休憩しておいた方がいいはずのセフィーナさんとマドリーヌ様までね。


 僕は、プリシアちゃんとアレスちゃんに手を引かれて、ユンさんとリンさんが気になるという場所へ向かう。


「あっ!」


 そして竜の道を逸れ、茂みを掻き分けた先。


きつねさんだ!」

「待って、プリシアちゃん!!」


 黄金色こがねいろの美しい狐が寝そべっていた。

 だけど……。普通の狐でないことは確かだ。

 鋭い眼光には、叡智の片鱗が宿っている。

 そしてなによりも、尻尾しっぽだ。

 ふとましい狐の尻尾。それが二股で生えている。

 二尾の狐が、普通であるわけがない。


 僕は慌てて、走って行こうとしたプリシアちゃんを引き止める。

 黄金色の狐は僕たちを確認すると、鋭い瞳で睨む。そして、人の言葉を発した。


「何事か騒々しいと思えば、不遜ふそんなる小童こわっぱどもか。が高い。わしこそは、古くは九尾廟きゅうびびょうに支え、近代では大魔王レイクード・アズン様の側近として名をとどろかせた偉大なる魔族であるぞ」

「な、なんですとーっ!」


 狐の予想外の名乗りに、僕は大きく仰け反って驚いた。

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