ザンの包帯を巻いたのはアネモネです

 ミストラルたちと別れた僕らは、竜峰西側の浅い場所に沿って南下した。

 奥深くに入ると、暴君レヴァリアや黒竜のリリィといえども、死期間近の竜族に襲われる可能性がある。かといって、魔族の国の空を飛べば、今度は魔族に襲われるかもしれない。

 魔族が襲ってきても、レヴァリアとリリィの敵ではない。でも、辿った空路を割り出されて、無意味にミストラルたちの足取りを教えるわけにもいかないからね。


 ひとつ峰を越えたくらいの場所を、慎重に南下する。すると、冬景色だった殺風景な山脈の景色に、次第と色合いが増えだす。


 冬は北からゆっくりと竜峰に迫ってきているみたい。

 アームアード王国の王都に住んでいた頃は、冬は西に連なる竜峰の険しい峰々から降ってくるものだと思っていた。

 だけど、こうして広大な世界を知ると、僕が知っていた知識はとても狭い範囲でしか通用しないものなのだと痛感させられる。


 山をひとつ越え、渓谷けいこくをひとつ過ぎ去るごとに、秋らしい景色が増えていく。

 だけど、この景色も今年は足早に過ぎ去っていき、厳しい冬が駆け足で迫ってくるんだろうね。

 竜峰の北部に住む竜人族にとって、今年は大変な冬になるに違いない。

 なら、せめて。

 争いなんてさっさと終わらせて、少しでも苦労を取り除いておきたい。

 そのためには僕たちが先んじて、囚われている人たちを救い出したことを知らせ、竜人族同士の争いを終わらせる。そして邪魔な魔族を追い払い、オルタを倒さなきゃいけない。


 意気込む僕に呼応するように、レヴァリアもやる気を見せてくれているみたい。

 リリィに負けない速度で空を飛び続け、一気に竜の墓所と呼ばれる竜峰の北部を過ぎ去る。

 竜の墓所を抜ければ、そこはもう暴君と呼ばれたレヴァリアの庭のようなもの。

 溜まった鬱憤うっぷんを吐き出すように激しい咆哮をあげたレヴァリアは、一路、以南の竜人族たちが拠点にしている村へと向かい、翼を荒々しく羽ばたかせた。


 そして、ミストラルたちと別れて一日と掛からずに、僕たちはザンたちが居る村に戻ってきた。


「エルネア君!」

「ただいま」


 村の広場に着地した僕たちに真っ先に駆け寄ってきたのは、ラニセームさんだった。

 他の人たちは、レヴァリアと一緒に着地した黒竜のリリィに驚いて、駆け寄ってくるのが遅れたみたい。


 だけど、集まりだした村の人たちのなかにザンの姿が見えず、つい辺りを見回してしまった。


「ザンさんかい? あの人はアネモネを助けてくれたときに負傷してしまってね。奥の建物で休んでいるよ」

「アネモネさんが襲われたんですか!?」

「いや、大丈夫だ。妹は傷ひとつない。あいつのせいでザンさんが負傷してしまったのは申し訳ないよ」

「良かった。アネモネさんは無事なんですね」

「ああ、昔の病弱さはどこへやら、だよ。元気が良すぎて、最近は困っているんだ。ところで、ザンさんの心配はしないのかい?」


 ラニセームさんに苦笑されたので、僕は笑い返す。


「ザンがすごく強いことを知っていますからね。あの人なら、死なない限りはいつでも戦える一流の戦士だと尊敬しています。だから、負傷していても、元気だと確信してますよ。違いますか?」

「ははは。まさにその通りだよ」


 と、会話を交わしたものの、見舞わないほど薄情じゃないよ。僕はラニセームさんに案内されて、休んでいるという建物へと向かう。

 向かいながら、他の人たちに代表の人を集めてもらうようにお願いした。


 ルイセイネには、リリィの説明とミストラルたちのことを村のみんなに説明してもらう役目をお願いした。


 ラニセームさんの後を追い、村の奥にある建物へと入る。


「エルネア君!」

「うわっ。アネモネさん、ただいま」


 建物のなかにはアネモネさんが居て、目が合った瞬間に抱きつかれた。


「いやあ、ここでもエルネア君は大人気だね。嫉妬しちゃうよ」


 しまった。こいつの存在を忘れていた。

 僕はルイララにしっしと手を振り、抱きついてきたアネモネさんをやんわりと離す。


「アネモネ、いい加減にしろ。エルネア君は長旅で疲れているんだぞ」

「ううん、いまの抱擁ほうようで元気が出ましたよ」

「そう言ってくれると、嬉しい。兄さん、小言ばかり言っていると老けるよ?」

「うるさい、黙れ。それよりも、エルネア君をザンさんの部屋へ案内してあげなさい」


 やれやれ、とため息を吐くラニセームさん。

 僕はアネモネさんに案内されて、居間から寝室へと移動する。


 当たり前のようにルイララがついて来る。

 負傷者が休んでいる部屋に仇敵きゅうてきの魔族を連れて行くのは気が引けちゃう。

 だから、案内された寝室の前でルイララを止めようとしたら、先に中から声がかかった。


「その声はエルネアか。ルイララも居るのだな。気にするな、入ってこい」


 扉越しにザンの声がして、仕方なくルイララをともなって部屋へと入る。


「ただいま」

「無事に帰ってきたんだな」


 寝室に入ると、ザンが寝台の上に上半身を起こして、こちらを見ていた。

 ザンの傍には、隻腕せきわんの中年男性が座っている。

 見たことのない人だ。

 僕と視線が合うと、隻腕の中年男性が立ち上がった。


「八大竜王エルネアか。噂はかねがね。俺はガーシャーク。竜王だ」

「初めまして。僕は竜王エルネア・イースです」


 予想外の人物に、慌てて挨拶をする。


 僕が今でも面識を持たない竜王は四人。ひとりは、勇者のリステアに同行しているイド。

 ガーシャークさんは、残りの三人のうちのひとりなんだね。


「魔族の子爵ルイララを従える少年竜王か、なるほどなるほど」


 なにかを勘違いしています。ルイララを従えているわけではありません。声を大にして否定したいよ。

 どうやってルイララとの関係を説明しようかと思い、ガーシャークさんを見る。すると、ガーシャークさんは左側の肩から下を失った腕をさすりながら、こちらを興味深そうに見て、にやけていた。


「ん? 左腕のことがきになるか?」


 僕の視線を勘違いしたガーシャークさんが、自分の左腕の方へと視線を向けた。


「これはつい最近、ザンの野郎に吹き飛ばされてな」

「えっ?」

「俺は胴を真っ二つにされかけたがな」

「ええっ!」


 今更だけど。上半身を起こしたザンは、上着を羽織はおっていない。そして腹部には、何重にも不器用な感じで包帯が巻かれてあった。


「なにがあったの?」


 僕が居ない間に起きた騒動を教えてもらう。

 ルイララも興味深そうに、ザンとガーシャークさんが話す騒動の顛末てんまつに聴き入る。


 ザンに敗北したガーシャークさんは、素直に以南の竜人族に捕まった。

 もともと竜峰北部の出身ということで、同じ地域の人たちを見捨てられずに裏切ってしまったガーシャークさん。だけど、捕虜ほりょになってからは大人しくこの村で過ごしているらしい。


 だけど、ガーシャークさんは今、迷っていた。

 捕虜になり、竜王のスレーニーとヤクシオンの説得を受けた。

 でもだからといって、またほいほいと以南の竜人族に加担することは、軽薄な行動ではないのか。

 竜王という立場でありながら、個人の意思に流されて竜峰を裏切り、騒動を起こす北部の人たちに協力した。今度は負けたから、また以南の方へと組する。それが果たして、竜王という立場の者が取るべき行動なのか、と悩みをなぜか僕に打ち明けるガーシャークさん。


 不在の間に起きた騒動を聞いていたはずが、なぜか気づけば、ガーシャークさんの人生相談になっていた。

 でもね、中年の男性が子供に人生相談をするってどういうことさ?


 ガーシャークさんの話を表面上は真面目に聞いているけど、内心は困惑です。


「エルネアよ、お前ならどうする?」


 ガーシャークさんに問われて、僕は首を傾げて考える。そして、自分なりの考えを口にしてみた。


「深く考えなくて良いんじゃないですか?」

「ほう」

「だって、ガーシャークさんは竜王でしょう」

「若造の戦士に負けた情けない竜王だが、一応な」

「ええっと。ならやっぱり、悩む必要はないと思うんです」

「なぜだ?」

「だって……。以南の者も、北部の人たちもみんな、竜峰に住む竜人族じゃないですか。竜王は、竜峰と竜人族のために働かなきゃいけないんですよね? それなら、以南とか北部とか考えずに、竜峰や竜人族、ついでに竜族のためになるように動けば、それで良いと思うんです。北部の人たちも、悪さをしようと暴れているわけじゃないですし。彼らも根底はやっぱり、竜峰の未来を思い、自分たちの暮らしを良くしようとして動いたんですよね。ただ、そこを魔族に付け込まれたり、以南の人たちと意見が対立しただけじゃないですか。そこに善も悪もないと、僕は思っていますよ。だから、ガーシャークさんも裏切りとか寝返りとか難しいことは考えずに、みんなが幸せになれるように動けば良いと思うんです」


 自分で言ってなんだけど、そう考えるとやっぱり、元凶は魔族だよね。なら、今は竜人族同士で争うんじゃなくて、魔族を竜峰から追い出すことに専念すべきなんじゃないのかな。


 北部の人たちが懸念していた、囚われの人々は僕たちが救出して、うれいは無くなったはずなんだし。


 話を真剣な眼差しで聴いていたガーシャークさんは、僕の口が閉じると豪快に笑い出した。

 なんで僕は笑われているの?

 頓珍漢とんちんかんなことを言っちゃったのかな。

 馬鹿な発言だったのかもと思い、急に恥ずかしくなってうつむいてしまう。


「いやあ、すまんすまん」


 謝りながらも、やっぱり笑い続けるガーシャークさん。

 ちらりと見れば、ザンも苦笑していた。

 背後でなぜか、やっぱりエルネア君は面白いね、とルイララも笑っていた。


「僕、なにか変なこと言っちゃいました?」

「いや、お前はなにも変なことは言っていない」


 ザンはそう言うけど、ガーシャークさんは笑っている。


「ふはははは。ザンの言う通りだな。本当に面白い竜王だ。そうか、言われてみると単純だな。俺は竜王らしく、竜峰のために動けば良いだけか。私情や心情は必要なかったのだな」

「ええっと、はい。北部で囚われていた人たちも無事に全員、救出しましたし。あとは一致団結して、魔族を竜峰から追い出すだけですよ」

「なんと! あの恐ろしい巨人の魔王に招喚され、魔族の国へと行ったと聞いていたが。まさか囚われていた奴らを、本当に助け出したのか!」

「はい。そのことで、僕たちだけ一足先に帰ってきたんです」


 僕は懐から、代表のお爺さんに貰った手紙を取り出して、ガーシャークさんに手渡した。

 ガーシャークさんは片手で器用に手紙を紐解き、中を確認する。


「間違いない。北部を代表する部族のアゼル爺さんの署名が入っている。そうか……あいつらは無事に助け出されたのか」


 ガーシャークさんの目頭に、薄っすらと涙が浮かんでいた。


「ふむ。その話、詳しく聞かせてもらおう」

「軽くはルイセイネに聞いたが、詳しく頼む」


 寝室で僕たちが話していると、そこへ数人の大人たちがやって来た。

 先頭は、頭髪とうはつうすいスレーニー。その後ろに、筋骨隆々のヤクシオン。そして他にも何人か、凄腕そうな戦士が背後から来ていた。


「みんな、ただいま」


 挨拶を交わし合い、ザンが休んでいる寝室でそのまま報告会が始まった。

 僕は、巨人の魔王と会ってからの顛末を、詳しく話す。ルイセイネがどこまで話しているかわからなかったから、二度聞きかもと思いつつも、必要だと判断してしっかりと話した。

 ただし、禁領のことだけは黙っていたけど。

 あれは竜人族の人たちにも秘密にしなきゃいけないみたいだし。


 途中で、アネモネさんが気を利かせて、飲み物を運んでくれた。喉をうるおしながら、話を終える。

 そして、間髪入れずに僕たちの考えを説明した。


 竜人族の人たちは、北部の人たちの説得と騒動の収束に取り組んでもらう。そして、竜峰に入り込んだ魔族の相手をしてほしい。

 僕たちは、全力でオルタと相対する。


 対オルタ戦の説明まで進めると、部屋で真剣に話を聞いていたみんなの表情が曇っていった。


「エルネア……」


 ザンが悲痛な表情でこちらを見る。


「エルネアよ。お前たちはそれで良いのか? 下手をすれば、お前たちのなかに犠牲者が出るぞ」

「確かに、あのオルタを倒す方法は、それしかないかもしれん。しかし……」

「ひとつ聞かせてくれ。君は竜王といっても、人族だろう。なぜそこまで竜峰のことに肩入れできる。命の危険が伴うのだぞ?」


 全員の視線が僕に集まる。

 いつの間にか部屋に入って話を聞いていたアネモネさんが、顔面蒼白になっていた。


 僕は、部屋のみんなを見渡す。

 そして笑顔で返した。


「なぜって僕、竜峰が大好きですもん! 険しいけど、自然豊かな土地が好きです。家族のように接してくれる、竜人族の皆さんが好きです。種族の壁を越えて楽しく接してくれる竜族のみんなが好きです。好きなみんなのために全力を出すのはおかしいですか?」


 僕は笑顔のまま続ける。


「それに。僕たちは悲観なんてしてませんよ。この作戦は、僕たちになら絶対にやり遂げられると確信を持っています。無謀なつもりはありません。なによりも、全員無事に作戦を完了させてみせます!!」


 たしかに、僕の口から作戦を聞いただけじゃあ、不安だらけだろうね。

 だけど僕たちは、自分たちのことを全員が深く理解し合っている。

 そして、この作戦は僕たちになら絶対に成功できると判断して、決めたんだ。

 誰かが犠牲になるような選択肢は、絶対に取らない。

 大きな成果のために、不幸な結末を選択するなんて、まっぴら御免です。やるからには、全員が笑って終えられるような幸福な結末しか望んでいないよ。


 僕の自信に満ちた笑みに、ふっとザンが笑った。


「お前たちらしい。なら、俺はお前やミストラルたちを信じよう」

「ぐははは。ザンから聞いていた以上の大物だ。実に面白い!」


 ザンの言葉に、ガーシャークさんが破顔した。

 すると、残り二人の竜王も、さすがはジルド様の後継者だ、と頷いてくれた。

 他の戦士たちには若干、戸惑いの表情が残っていた。だけど、この場の竜王全員が了承したことで、これからの動きが正式に決まった。


 良かった。無謀すぎる。力不足だ、危険だ、と却下されるんじゃないかと、冷や冷やしていたよ。

 合意が得られて、僕はほっと胸を撫で下ろした。

 でも、そんな僕に鋭い言葉をかけたのは、ザンだった。


「だがな、エルネア」

「な、なに?」


 ザンの真剣で鋭い視線に、ぴんっと背筋が伸びる。


「お前の作戦には、ひとつ条件を付ける」

「えっ!」

「お前たちだけに負担をかけるわけにはいかない。その作戦には、俺も参加する」

「ええっ!」


 予想外のザンの申し出に、仰け反って驚く僕。


「いや、待て」


 ザンの言葉に待ったをかけたのは、スレーニーだった。


「エルネアの作戦には、我ら竜王全員も参加しよう」

「えええっっ! でも、それじゃあ、魔族の軍勢はどうするんですか?」


 僕たちの作戦は、たしかに人手が多い方がひとりひとりの負担が軽くなる。でも、同時進行の問題である魔族を放置して大丈夫なんですか?


 僕の疑問には、部屋に居合わせた凄腕風の戦士たちが答えた。


「俺たちでも、魔族くらいどうという事はない」

「何万と居ようが、蹴散らしてやる」

「竜王たちはオルタを。俺たちは魔族を相手にさせてもらう」

「竜峰で、魔族の勝手にはさせんさ」


 困惑から一転、獰猛どうもうな笑みを見せた戦士たちは、魔族の国で見た魔族たちよりもずっと凶暴に見えた。

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