消える二人

 まばたきをすると次の瞬間には、僕とプリシアちゃんとアレスさんはもとの世界に戻ってきていた。

 ただし、どうも時間の流れがみんなとは違っていたみたい。


「突然、移動しただと!?」

「なにが……起きた?」


 どうやら、夢のような世界での出来事は、現実の世界に換算すれば刹那せつなの時間だったらしい。

 一瞬にして移動した僕たちを目撃した巨人族の兵士たちが動揺している。僕が空間跳躍を使えると知らない耳長族の戦士たちも、困惑していた。

 そして、僕と手を繋いでいたはずのライラは、手の温もりが消えたことにようやく気づく。プリシアちゃんと手を繋いでいたミストラルも、空になった手のひらを持て余していた。


「エルネア?」


 ミストラルは周囲を威圧しながら、一瞬でユンさんとリンさんの傍に移動した僕たちを見た。

 上手くいったのかしら?

 声には出さないけど、みんながそう問いかける。

 僕は、すぐ側に居るはずのユンさんとリンさんを見た。


 すでに身体の殆どを透明化させ、二人は間も無く消えてしまいそう。

 触れられるほど近くに居るはずなのに気配はほんの僅かで、一瞬でも目を離した隙に、この世界から消えてしまいそうなくらい存在が薄れていた。


「禁忌を犯した者の代償だ……」


 耳長族の誰かが口にした。

 彼らは、本当の意味では精霊のことを深く知らない。

 意図的に情報を隠匿いんとくされているのだから、仕方がないんだけどね。

 僕たちは、彼らの誤解をどうにかしていて、二人の謝罪を受け入れてもらわないといけない。

 だけどその前に、ユンさんとリンさんが今にもこの世界から消えてしまいそうだった。


 人が透過して世界から消えていく不思議な現象に、誰もが知らず知らずのうちに争いの手を止めていた。そして、消えゆくユンさんとリンさんを見た。

 二人は、みんなの視線の先で、ゆっくりと消えていく。


 手足はもう見えない。胴や頭もほとんどが透明化し、目の周りだけが僅かに白い肌を残す。しかし、それも間も無く色を失って、僕たちが見つめる先で、二人はとうとう世界から消えてしまった。


 ほっ、と胸をなでおろす耳長族の戦士たちの気配が伝わってきた。

 禁忌を犯した者がこの世界から消えたのならひと安心、と思っているんだ。


 なにが起きたのかを理解した巨人族のなかに、舌打ちする者がいた。

 内通者がいなくなったことは、これからの戦局に影響する。大事なこまを失ったとでも思っているのかも。

 いいや、違うかな?

 自分たちの手で内通者を消すことができなかったことに落胆らくたんしたのかも。


 二つの勢力の二つの思惑が、ユンさんとリンさんが消えたことによってひとつの結末を生む。

 でも、その後に起きた予想外の出来事に、誰もが度肝を抜かれた。


「んんっとね。ユンユンとリンリンは戻ってくるんだよ!」


 言ってプリシアちゃんが元気いっぱいに両手を広げた直後。

 僕たちの周りに、極彩色ごくさいしょくの光の粒が出現した。

 色とりどりの光は乱舞し、二箇所に収束していく。

 そして輝きは人の輪郭を築き、二人の人物を顕現させた。


「賢者ユン!」

「賢者リン!?」


 つい先ほど、世界から消えたはずの二人。その二人が今、プリシアちゃんの声に応えて世界に顕れた。

 しかも、二人は共に色を取り戻し、完全な姿をしていた。


「ど、どういうことだ!?」


 耳長族でさえも理解できない事象に、困惑が深まる。

 僕は、誰もが度肝を抜かれているこの機会を掌握しょうあくすべく、森の先にまで届くような大きな声で叫ぶ。


「みんな、聞いてっ!」


 夜の森に、僕の声が響く。


「賢者ユンとリンは一度この世界から消えました。だけど、彼女たちは精霊たちに許された!!」

「お、お前はなにを言っている!?」


 耳長族と巨人族の両方から上がった戸惑いの声を黙殺する。


「いいですか、みなさん。よく聞いてください! 精霊たちはもうこれ以上、この森での人の騒動を望んではいません。その意思を示すべく、精霊たちは賢者ユンと賢者リンを世界へと喚び戻しました!」


 なにを馬鹿なことを、と驚きの声を漏らす耳長族の戦士たち。巨人族の兵士たちも、知ったことではない、と鼻を鳴らす。

 だけど、そんなことは織り込み済み。言葉を交わさずとも僕の意図を汲んだユンさんとリンさんが、力を解き放つ。


 ユンさんを包むように、ごうっ、と低いとどろきと共に炎の竜巻が生まれる。

 天に届きそうな炎の竜巻は夜闇を払い除けるかのように発光する。そして、竜巻は次第に人の姿へと変貌していく。

 息を呑む耳長族の視線の先で、ユンさんは光り輝く炎の巨人へと姿を変えた。


 リンさんは漆黒の闇に全身を溶かす。

 リンさんだけでなく、周囲の空間を呑み込み始めた闇は、引力を持っているかのように全てを吸い寄せる。

 枯葉が舞い、樹々が闇の吸引力によって発生した風でしなる。耳長族だけでなく、巨人族さえも立っていられないような引き寄せる力に、誰もが腰を落とし、ひざをつく。

 闇は、すぐ側で荒れ狂い輝きを放つ炎さえも呑み込みそうな勢い。

 だけど、炎と闇はお互いを浸食しあわずに隣り合う。そして、空間を浸食していった闇もまた、人の姿を形取り始めた。


「闇の……巨人……!」


 生まれたのは、炎の巨人と並び立つ漆黒の闇の巨人だった。


 ただし、巨人は巨人でも、巨人族とは比べようもないほどに大きく、ひと際巨躯の赤褐色の肌をした巨人でさえ、大きく上を仰ぎ見ていた。


『耳長族と巨人族、双方ともほこを収めよ』

『これ以上の森での争いは、双方の種族に天災てんさいまねくと知れ』


 炎の巨人と化したユンさん。闇の巨人となったリンさん。二人の声が、この場に集まった人々の頭に直接響く。


「巨人族の支配者、剛王ごうおうとは貴方ですよね?」


 ゴリガルさんから聞いていた。

 赤褐色の肌をした、覇気を纏った巨躯の毛むくじゃらな巨人が、剛王その人であると。

 僕は、先陣を切ってこの場に乗り込んできたその人に向かい、言う。


「この炎と闇の巨人を相手に戦争をしますか。それとも、潔く退きますか。もしくは、背後の竜に挑みます?」


 僕の言葉に、剛王はぎょっと目を見開くと、巨人の軍勢の背後を振り返った。

 森の闇のなかに、恐ろしい双眸そうぼうが光っていた。


 リリィだ。

 僕の影に潜んでいたリリィは、森の影を伝って移動し、密かに巨人族の兵士たちの背後に出現していた。


 ぐるる、と凶悪な喉なりを響かせるリリィ。

 いつのまにか漆黒の巨大な竜族が自分たちの背後に出現し、鋭く睨み下ろしている状況を知って、巨人族の兵士たちは混乱に陥る。

 古代種の黒竜であるリリィにとって、巨人族は強敵ではない。巨人族もそれはわかっていて、明らかに浮き足立ちはじめた。


「……ちっ。竜人族と竜族をも味方につけたと言うのか、耳長族は!」


 どう勘違いしてくれたのか、剛王は憎々しげにミストラルとリリィを交互に見る。そして、全軍に撤退の命令を下した。


 巨人族をこの場で倒さないのか、とカーリーさんが視線で問いかけていたけど、退くなら今はそれで良い。

 それよりも、今は耳長族の人たちの方が大切だ。


 世界から消えたはずの、禁忌を犯したユンさんとリンさん。その二人が精霊の意志によって戻ってきた。それだけでなく、巨人族さえも仰ぎ見るような炎と闇の巨人に変幻へんげした。

 耳長族ならわかるはずだ。

 二体の巨人が複数種類の、桁違いの精霊力を有していることを。


 ユンさんとリンさんが復活したことが精霊の意志だとか、精霊たちが森での騒動を嫌がっている、なんていうのは僕がついた嘘だ。

 ただ耳長族と巨人族の、この場での争いを強制的に鎮めるためには、そうでも言わないとお互いに手を引かないんじゃないかと思ったんだよね。


 案の定、僕の言葉とユンさんとリンさんの姿に、耳長族は恐れをなして戦意を失っていた。

 更に、森の奥から睨むリリィにも心底怯えている様子だ。


「リリィ、巨人族が問題を起こさずに森から出るか、監視してきてね」


 僕の言葉に、リリィが空へと羽ばたく。

 冬の空に散りばめられた星々を、リリィの漆黒の巨体が切り取る。

 空に舞い上がり、その巨体を目にした耳長族と巨人族から、悲鳴が上がった。


 剛王は、僕たちと空のリリィを憎々しげに睨みながらも、渋々と帰っていく。巨人族の兵士たちも、剛王の後を追って森の先へと消えていった。

 上空のリリィは、地上の巨人族を追うようにゆっくりと遠ざかる。


 僕たちは、巨人族の気配が消えたことを確認するまでじっと様子を伺う。そして、リリィの姿が星空の彼方に見えなくなったことを確かめてから、ようやく次の動きに移った。


 巨人化していたユンさんとリンさんが人の姿へと戻る。

 二人は平気そうな気配だけど、緊張し続けていたプリシアちゃんとアレスちゃんは、疲れた様子で地面に腰を下ろした。

 ユフィーリアとニーナが駆け寄り、幼女たちを抱きかかえる。

 ミストラルとライラは念のために警戒し続けているけど、耳長族の戦士たちは完全に戦意を失っていた。


「改めて、挨拶をさせてください。僕はエルネア・イース。竜人族の称号である八大竜王を継承している者であり、今回、ユンさんと暁の樹海の人々に依頼されてやってきました」


 なぜ、人族が竜王を名乗るのか。暁の樹海の耳長族がどうやって僕たちに助けを求めてきたのか。色々と疑問があると思うけど、とりあえず僕たちは名乗る。

 これからいろんな話をするためにも、まずは挨拶をしなきゃね。

 僕たちの挨拶に、だけど耳長族の戦士たちは困惑するばかりで、こちらの詳しい話に耳を傾けようとする人はいない。

 誰もが僕たちを不思議な一行と見る。そして、ユンさんとリンさんを複雑な感情で見ていた。


「先ずは、お詫びをさせてください。争いを鎮めるためとはいえ、僕は嘘をついてしまいました。ユンさんとリンさんが許された、というのは嘘です」

「なっ!?」


 僕の言葉に絶句する耳長族の戦士たち。


 全てが嘘、というわけではないんだけど、真実ではない。

 精霊は、自分たちが耳長族に食べられることに嫌悪感や憎悪といった負の感情は持ち合わせていない。むしろ、いとしい者とひとつの存在になれて、精霊の世界で永遠を送れる、と嬉しがる精霊もいるくらい。ただし、精霊の世界で王になった場合に、賢王か暴君になるかは危惧きぐするみたいだけど。

 だけど、こんなことは絶対に言えない。

 だから、真実は耳長族に伝えられない。とはいえ、精霊たちがユンさんとリンさんを許した、という部分はきちんと修正しておかなければいけない。

 なぜなら、耳長族の禁忌を犯しても精霊たちに許される、と耳長族に誤解を与えるわけにはいかないから。


「聞いてください。ユンさんとリンさんが戻った本当の理由を。二人は、贖罪のために罪を背負って戻ってきたんです」


 罪とは、耳長族の禁忌。それと、裏切りだ。


「最初に罪を犯したのは、リンさんです。復讐のために禁忌を犯し、みなさんを裏切りました」

「……どういうことだ?」


 やっとの思いで声を絞り出したひとりの耳長族。きっと頭はまだ混乱しているのだろうけど、僕たちの声にようやく耳を傾けてくれた。

 聞くふりをして態勢を整える時間稼ぎをしているのかもしれないけど、相手にされないよりかはましだ。


「リンさんはユンさんに化けて、巨人族と内通していました。ユンさんは罪を犯したリンさんを止めるために、自らも罪を背負ってリンさんを追っていたんです」

「賢者リンが……」


 耳長族の戦士たちの視線が、一斉にリンさんへと向けられた。

 リンさんはその視線に真っ向から相対する。

 リンさんは僕たちの願いを受け入れて戻ってきてくれたけど、耳長族への復讐心を捨てたわけじゃない。


 罪人め、と向けられた耳長族の戦士たちの視線。だけど、リンさんも負けじと憎しみの瞳を向ける。


「ねえ、みなさん。みなさんも、リンさんの憎悪を感じたでしょう? 苦悶の感情を受け取ったでしょう?」


 ユンさんとリンさんが争っていたとき。二人の声は、周囲の人々の頭に直接届いていた。

 ユンさんとリンさんが争っていると知ってすぐに駆けつけられるような距離にいた耳長族と巨人族には、二人の声が届いていたはずだ。


「リンさんの憎しみの根底にある出来事。耳長族の貴方たちなら、三百五十年前の争いに関係している人もこのなかにいますよね? 僕はリンさんに同情しているわけじゃありません。ただ、彼女が今回、森のみなさんを裏切った背景はそこにあるんですよ?」

「ま、待ってくれ。あの事件は……」


 中年の容姿をした耳長族が一歩、前に出てきた。

 容姿からして、数百歳。三百五十年前の争いの当時を知る人だ。


「貴方たちには、貴方たちなりの理由や事情があったんですよね?」

「あ、ああ、そうだ……」

「わかりました。でも、それを言うならリンさんにはリンさんの事情や心があり、ユンさんにはユンさんの理由があります。そして、僕たちにも」

「……そ、そうだな」

「ということで、しっかり話し合いましょうよ? お互いの事情を述べあう。そして、それを踏まえたあとで、ユンさんやリンさんの犯した禁忌、そして二人の贖罪について話したい、と僕は思っています」


 僕の意見に、耳長族の戦士たちはお互いの顔を見やる。

 どう判断すればいいのか、考えあぐねている様子だね。


「じゃあ、こうしましょう。どなたか、耳長族の代表者を呼び集めに行ってきてください。この森の耳長族たちの意見を取りまとめられる人と話をさせてください。僕たちは代表者が現れるまでの間に、森で焼かれて亡くなった人たちの埋葬を済ませておきます」


 こちらの提案には、すぐに明確な反応があった。

 数人の耳長族が頷きあうと、森の奥へと消える。残った耳長族の戦士たちも、仲間をとむらうためなら、と協力を申し出てくれた。


 とはいえ、どうしても禁忌を犯したユンさんとリンさんの存在が気になっている様子だ。でも、それはお互い様だ。リンさんも憎しみの矛先である耳長族の戦士たちが残ることに不快感を持ってる。これは仕方がないよね。


 なにはともあれ、巨人族の軍勢が退却し、耳長族がこちらの話を少しでも聞いてくれる雰囲気になってくれたのは重畳ちょうじょうです。


「腹が減ったな。明日からも忙しくなりそうだし、いい加減そろそろ飯にするか」


 カーリーさんは騒動がいち段落したと判断したのか、張り巡らせていた結界を解く。そして、採集してきた香草と残っていた猪の肉で料理を作り出す。


「お手伝いいたします」


 そこへルイセイネが加わると、お鍋からお腹を刺激する良い香りが立ち込め始めた。


「俺たちは、離れて休ませてもらう。また朝にこちらへと来る」


 耳長族の戦士たちはそう言い残すと、一斉に空間跳躍で消え去った。

 このまま朝まで居座られても、ユンさんと耳長族の両方に精神衛生上よろしくはなかったので、引きとめない。


「それで、ユンとリンのことを詳しく聞かせてもらえるのかしら?」


 耳長族の戦士たちの気配が消えたことを確認すると、周囲を威圧し続けていたミストラルがようやく気を緩めた。

 僕はミストラルに頷くと、ユンさんとリンさんになにが起きたのかを説明すべく、焚き火の前に座ってみんなを呼び寄せた。

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