開演の時

 飛竜の狩場に、僕たちがべる総力を結集させる。それは、ほぼ望む形で実現できた。

 だけど、完璧ではなかった。

 なぜなら、物理的な距離で招集を断念してしまった者や、時間や都合で来られなかった者もいる。それに、邪族への備えとして、ミシェイラちゃんや剣聖様、それに竜神様は姿を見せなかった。

 魔女さんや愛弟子まなでしのアーダさんへは、連絡手段さえなかったしね。


 そして、もうひとつ。

 伝説級の力を持っていながら、飛竜の狩場に招べなかった者がいた。


 でも、もう躊躇ちゅうちょなんて、していられない。僕たちは、どんな手を使ってでも、妖魔の王を倒さなきゃいけない。

 女の子を、絶対に妖魔の王や邪族に渡してはいけないんだ!

 だから、僕は召喚した。


 伝説の魔獣、千手せんじゅ蜘蛛くものテルルちゃんを!


 ミストラルが晴らした空が、ばっくりと割れた。

 切り裂かれた青空の奥に、漆黒の闇が広がる。その、漆黒の闇の中に、複数の光が灯る。と、同時に、引き裂かれた空をさらに押し広げるようにして、数えきれないほどの蜘蛛の手が伸びてきた。


「とうとう、ばれたでーす」


 言ってテルルちゃんは、蜘蛛の千手を無慈悲に地上へ落としていく。

 超巨大な妖魔の王が、雄牛の頭蓋骨をもたり上げて、空に出現した伝説の魔獣を驚いたように仰ぎ見る。

 見上げた瞳に、蜘蛛の手が突き刺さった。

 他にも、首や腕、背骨など、妖魔の王の身体のあらゆる場所に、千手を突き刺すテルルちゃん。

 妖魔の王は、千手の蜘蛛の千本の手脚によって、地上にい付けられた。


 ぬるり、と空の切れ目から本体を抜くテルルちゃん。

 目一杯に千手を広げたテルルちゃんが、地上に広がる瘴気の霧越しに、僕を見下ろす。


「いつ喚ばれるかと、待ってたでーす」

「本当は、テルルちゃんを喚ばないで勝利することが最善だったんだけどね。こっちに来て、大丈夫だった?」

「問題ないでーす。御子を護ることは、大切でーす」


 僕がテルルちゃんを出し惜しみしていた理由。

 そもそも、僕が勝手にテルルちゃんを利用しても良いのか、という問題があった。だって、テルルちゃんは魔女さんに命じられて、禁領を守護しているんだ。その禁領の守護をおろそかにして、飛竜の狩場に招び寄せることは許されるのか。また、テルルちゃんが不在の間を狙って、禁領が襲撃されないのか、という問題があった。


 それと、最大の懸念がもうひとつ。

 僕たちが最も危惧きぐしたことがある。

 それは、竜峰に巣食ったもう一体の伝説の魔獣、猩猩しょうじょうの動向だ。


 監視を続けていた地竜たちから、猩猩の巣である地獄の炎が徐々に弱まり始めたと報告を受けていた。

 猩猩は、縄張りの全てを喰らい尽くすと、どこかへ移動していく習性があるらしい。

 ということは、竜峰の猩猩は全てを食べ終えて、次の場所へと移動する直前ということを意味していた。

 そんな折に、同格である千手の蜘蛛が身辺をうろうろと動いていたら、余計な刺激を与えてしまうかもしれない。下手をすると、一触即発になって、飛竜の狩場に喚んだテルルちゃんに干渉してくるかもしれない。

 だから、僕は地竜に報告を受けて以降、激戦が続いているなかでも、テルルちゃんの召喚を躊躇ためらっていた。


 だけど、もう出し惜しみなんてしていられない。

 妖魔の王が底力を見せるのなら、こちらだって出し惜しみなく全ての手を出し尽くして、応戦する!


 テルルちゃんに縫い止められて、浮上を停止させる超巨大な妖魔の王。

 超巨大な妖魔の王と比較してしまうと、山のように巨大なテルルちゃんだって小さく見える。だけど、テルルちゃんは目一杯に千手を広げて、超巨大な妖魔の王を貫いていた。


「がアァ、ァあァ……ッ」


 妖魔の王の核から上半身を生やした真っ赤な個体が、憎々しげに声を漏らす。


「絶対に、逃がさない! 全ての力で、お前を倒してみせる!!」


 立ち上がった僕は、燃え滾る妖魔の王の個体を睨む。


「グアァぁアア……。ム、ダ……ダ。ム、ダ……ムダ……ム、ダム……ダ、ム、ダッ!」


 妖魔の王の個体の背後で、邪悪な太陽がこれまで以上に脈動する。

 火をくように真っ黒な瘴気を放出しながら、邪悪に輝き始める。

 そして、あろうことか再浮上を始めた!


「なななっ!?」


 未だに、テルルちゃんが妖魔の王の超巨大な身体を地上に縫いとめている。だというのに、妖魔の王の核が再浮上を始めた!?


「そ、そうか! 妖魔王の本体は、お前なのか!!」


 僕は、ようやく本当のことを知った。


 これまで、僕たちが必死になって応戦していた超巨大な妖魔の王。でも、それは外殻がいかくでしかなかったんだ!

 あまりにも禍々しい瘴気が、妖魔の王の核から無限に溢れ出す。その瘴気が雲や霧や衣になったように、妖魔の王の本体を模した、超巨大な外殻を形成していたわけだ。

 僕たちは、妖魔の王の本体から漏れ出す瘴気が生み出した外殻を、必死になって倒そうとしていたということになる。


「そりゃあ、どんなに浄化の力を込めて攻撃しても、簡単に再生されちゃうわけだよね。瘴気の衣と同じように、超巨大な姿を維持するための瘴気は、周囲に無限にあるんだからさ」


 ルイセイネとマドリーヌ様の大法術でさえ、妖魔の王の外殻の活動を鈍らせて、地上に落とすことで精一杯だった。

 つまり、妖魔の王は外殻の自由を奪われただけで、本当の力を発揮する前だったということだ。

 そして今、いよいよ妖魔の王は本気になった。

 重ねられた大法術を破り、浮上しようとしている。


「……いいや、違う!」


 本気になった妖魔の王。

 超巨大な身体は偽物で、本体は邪悪な太陽のように燃える核と、そこから生えた真っ赤な個体。

 その、妖魔の王の本体が、また空に浮上する意味はない。

 外殻を捨て、本当の力を発揮したのなら、余計な動きは見せずに、目的へと真っ直ぐ突き進むはずだ!


「ということは……。女の子を狙う気だね!」


 わかりきった結論だった。

 妖魔の王は、女の子を狙って降臨した。ならば、目指す先は、城塞の中央に建つ塔、そこで眠る女の子だ!


「ァアアあっッ……」


 妖魔の王の外殻が、雄叫びをあげる。

 連動するように、核である邪悪な太陽が脈打つと、大法術の呪縛を振り切って浮上していく。

 だけど、空へ向かって延々と浮上はしない。

 僕の剣が届かない位置まで浮き上がると、今度は横に移動し始めた。


「オ、マ……エハ、ム……リョ……ク。ヨワ、キ、ソ……ンザ、イ……ハホ、ロ、ビ、サ……レ」


 言って、燃え滾る妖魔の王の個体、すなわち本体が、大鎌を振るう。

 放出された瘴気が刃となって、僕に襲いかかる。

 他にも、妖魔の王の小群体が四方から押し迫った。

 僕は白剣と霊樹の木刀を構え、手の届かない位置に浮上した妖魔の王の核を睨む。


「言ったはずだよ。僕は、全ての力を出して、お前を倒すと!」


 いつ、僕が全ての力を出し切ったと言ったかな?

 僕たちが妖魔の王の本体を見誤っていたように、妖魔の王もまた、僕を見誤っている。

 なら、知ると良い。

 僕たちの、全ての力を!


 迫る瘴気の刃。襲い掛かる、妖魔の王の小群体。

 だけど、僕は妖魔の王を睨みつけたまま、動かない。


 迫る脅威に、動く必要はなかった。


「アァ……。あ? アァあアァアアあっ」


 雨が降ってきた。

 濃密な瘴気の霧を突き破り、空から雨粒が落ちてくる。

 真っ赤な雨粒が。


 風が吹いた。

 邪悪な太陽が脈打つたびに発生する真っ黒な瘴気を消し飛ばすように、飛竜の狩場に風が吹く。

 真っ黒な瘴気を、真っ赤に燃え上がらせて。


 赤い雨が降る。

 赤い風が吹く。


 雨に打たれた妖魔の王の小群体が、悲鳴をあげて悶絶もんぜつしだす。

 赤い風に煽られた瘴気の刃が、霧散した。


 憎々しそうに、瞳を真っ赤に光らせる妖魔の王。

 僕は、妖魔の王に言い放つ。


「モモちゃんの大魔術だいまじゅつを、思う存分に味わえ!」


 赤い雨が、赤い風が、姿を変化させる。大鷲おおわしたかはやぶさの姿に変化し、僕の周囲で羽ばたく。

 大魔術によって生み出された幻の猛禽類もうきんるいたちは、翼の羽ばたきで瘴気を祓い、鋭い爪やくちばしで妖魔の王の小群体に襲い掛かる。

 妖魔の王の小群体は、赤い雨に打たれ、赤い炎に煽られ、そして猛禽類に襲われて、僕への攻撃どころではなくなる。


 小群体の攻勢が弱まった。

 隙を見逃さずに、僕は竜剣舞を舞う。


 たとえ白剣の刃が妖魔の王の核に届かなくても、僕がやるべきことは最初から最後まで変わらない。


 ひらり、と軽やかに身体を流す。白剣を水平に薙ぎ、霊樹の木刀で軌道を追う。

 上半身の動きに合わせて、足を滑らせる。

 時に短調たんちょうに。時に長調ちょうちょうに。緩急をつけて、美しく舞う。

 右足を軸にして、半円を描くように、くるりと回る。


 白剣が煌めく。柄の先から伸びた帯が、優雅になびく。

 霊樹の木刀を振るうたびに、葉っぱが舞い踊る。


 真っ赤に燃え滾る妖魔の王が、頭上から大鎌を振り下ろす。

 僕は、翼竜の長い首を表すように曲線を描きながら、霊樹の木刀を上段に振り上げる。

 大鎌は、竜の強固な鱗がなまくらな攻撃を滑り弾くように、霊樹の木刀に受け流された。

 大振りによって、妖魔の王が上半身を泳がせる。そこへ、白剣を突き出す。

 緩から急へ。

 苛烈な刺突しとつが、雄牛の頭蓋骨の額に突き刺さる。

 竜気に満ちた白剣の一撃で、妖魔の王は胸部より上を爆散させた。


「がカカァっ……。ナ、ン、ド……コウ、ゲ……キ、ヲ……ウ、ケ、ヨウト……モ……ワ、レハ……フメツ」

「ああ、そうだろうね!」


 僕個人の力だけでは、無限とも思える妖魔の王の瘴気を祓い去ることはできない。どれだけ攻撃を繰り出し、竜気と霊樹の力をありったけ叩き込んでも、妖魔の王を消滅させるだけの威力はない。

 でも、そんなことは百も承知の事実だ。そして、全てわかったうえで、戦っている。


「僕では、お前を倒せない。白剣の刃は、核に届かない。……でもね?」


 竜剣舞を舞い続ける。


 今でも、邪悪な太陽のように燃えて脈動する妖魔の王の核からは、瘴気と共に、無限に小群体が湧き出していた。

 妖魔の王の分身である小群体は、僕の周りで飛翔する猛禽類たちの攻撃を掻い潜り、こちらに襲いかかってくる。手にした禍々しい武器を振り乱し、瘴気の術を放つ。

 僕は霊樹の木刀で瘴気の術を祓い、白剣で小群体を両断する。

 そうしながら、燃え滾る妖魔の王の本体に言う。


「お前は、本能で知っているんじゃないかな? 僕個人の力は恐るるに足らないけど、僕という存在は脅威なんだと。だからこうして、僕の手が届かない場所まで浮上しておきながら、僕へ執拗しつように攻撃を仕掛けているんじゃないの?」

「ギィイいぃぃィィ……。メ、ザワ……リ……ナヤ、ツ、メッ!」


 妖魔の王の本体が、再生させた雄牛の頭蓋骨の口を大きく開いた。口の中で、瘴気の塊を収束させていく。

 同じように、妖魔の王の小群体たちが瘴気の術を放とうと、一斉に口を開いた。


 僕は、全ての動きを把握しながら、白剣と霊樹の木刀を振る。


 もう、準備は整っていた。


 これまで、ただ闇雲に竜剣舞を舞い続けてきたわけじゃない。


 僕の竜剣舞は、嵐を呼び、浄化を司る。

 ある時は、精霊や霊樹を喜ばせるために舞う。

 ある時は、鎮魂ちんこんを込めて舞う。

 またある時は、満月や創造の女神様へ捧げるために、舞う。


 僕の竜剣舞とは、そういうものだ。

 誰かのため、何かのために舞う神楽かぐら


 その竜剣舞を、僕は舞い続けよう。

 女の子のために。

 世界のために。

 そして、みんなのために。


 竜剣舞によって拡散され続けていた竜気と霊樹の力に、僕は意思を乗せていく。


 さあ、もう手加減なんて無用だ。

 自重なんてしなくていい。


「大舞台の、始まりだ!」


 僕は、想いを乗せて、力一杯に叫んだ。

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