賢者の身元引き受け人
「……儂らが至らなかったばかりに、ユン様を巻き込み、暁の樹海は巨人族の手に落ちてしまったのだ」
ユンさんとゴリガルさんの、長い話が終わった。
大森林の東の果てで起きた、和平への歩みと裏切り。ゴリガルさんたち暁の樹海に住む耳長族の望みは
違う地域の違う種族の争いごとには干渉しない、と最初のうちは他人事のように聞いていたグレイヴ様は、途中から真剣な表情になっていた。
ユンさんの犯した
そして僕たちは、どこかに問題の解決の糸口がないかと耳を傾けているうちに、いつしか自分たちに起きた出来事かのように想いを
僕はこれまでにも多くの戦いを経験し、大切な人や世界を護ろうと、必死になって前に進んできた。たくさんの困難と妥協、越えられない壁、理不尽なことに直面もしてきた。そんなとき、師匠のひとりであるジルドさんの言葉をいつも思い出す。
「本当に大切なものを失いたくないのであれば、時として汚い手を使うことも
本当であれば、汚い手、
でも、世の中はそんなに甘くない。
どんなに努力しても、相手の方が何枚も
だから僕は必要であれば、そう、家族のみんなを護るためなら、なんでもするだろうね。
そして、僕の考えと同じように進み、仲間を護るため、実際に禁忌へ手を出した人がいる。
ユンさんだ。
ユンさんは、
聞けば、精霊の全員がユンさんにその身を
もちろん、全てはユンさんの口から語られたことで、真相はわからない。
でも、確信できることもあった。
ユンさんは、みんなから好かれる存在なんだね。
長い話の途中、部屋の奥に集められた耳長族の人たちは、誰もがユンさんの体調を心配していた。
それに、カーリーさんが困惑していたんだよね。
周囲からの干渉、または内部からの不穏な動きを封じるために、カーリーさんは部屋の周りを精霊術の結界で覆っていた。
すると不思議なことに、使役下に置かれていない自然のなかに存在する精霊たちが、話し合いの最中に集まりだしたんだ。
集まった精霊たちはなにかを心配するように、カーリーさんの張り巡らせた結界の周りを右往左往していた。
「んんっと、ユンユンが気になるんだって」
そして、プリシアちゃんの言葉で理解した。
禁忌を犯したはずのユンさんを、精霊たちが気にかけている。これは、よほど好意を持たれていないと起きないことだよね。
……というか、結界の術者であるカーリーさんではなく、なぜプリシアちゃんが外の精霊たちと会話ができたのか、突っ込んではいけません。
ともかく、大森林で起きた事件と、ゴリガルさんたちの状況がこれでようやくわかった。
裏切られ、罠に
それでも、
でも、仲間と森を失った暁の樹海の耳長族は、更なる苦境に立たされることになる。
もともと巨人族との和平に反対を示していた部族はゴリガルさんたちの失態に激怒し、更にはユンさんが犯した禁忌に対して事情を聞こうともせずに、追っ手を放った。
カーリーさんたちが見せたように、禁忌に手を出すいうことはそれだけ罪深いことなんだ。
ユンさんは、みんなを護るために禁忌を犯した。だけどその代償は計り知れず、こうして森を追い出されるだけではなく、命を狙われる羽目になったんだね。
本当に大切なもののためには、手を汚すことも
僕は、ユンさんの置かれた立場が他人事のような気になれない。どうにかして手助けしてあげたいな。
「それで、どうしてこうなったのかしら?」
「違うんだ。誤解だよ、ミストラル」
「エルネア君の気持ちはわかりますが、大丈夫でしょうか」
「ルイセイネを頼っちゃう結果になったけど、これが良いと思ったんだよ」
「
「じゃあ、代わりにライラが別室だわ」
「じやあ、代わりにライラを向こうに差し出すわ」
「はわわっ」
「んんっと、この子はアレスちゃんだよ」
「ねむいねむい」
「……よ、宜しく願う」
強力な精霊術を行使しただけでなく、取り込んだ精霊に絶えず蝕まれ続けるユンさんは、どうしようもないくらいに衰弱しきっていた。
僕なら、誰かのお胸様で
それでも、自分たちの置かれた状況を説明している間は気丈に振る舞っていたユンさんだけど、どうも限界らしい、と見た。
それで、話し合いを中断させて、休憩に入ったわけです。
グレイヴ様たちとしても、ユンさんたちの話を聞いて色々と思うところがあるらしい。僕たちも、長距離の移動からの騒動で疲れていた。
それで、部屋を借りて休んでいるところなんだけど……
客間とはいっても、ここは国境を護る要所のひとつ。簡素な部屋には、最小限の家具と大きめの寝具がひとつあるだけ。
その寝具に横たわるのは、ユンさんだった。
「だってね、牢屋とかよりかは良いでしょ?」
休憩に入るときに問題になったのは、ユンさんの扱いだった。
事情は理解したとはいえ、砦に損害を与えたのは確かなんだ。グレイヴ様たちから見れば、まだ危険な人物である。そんなユンさんを同族の人たちと一緒に休ませると、なにか良からぬことを企むかもしれない、と抵抗感を見せるのは仕方がないよね。とはいえ、ユンさんだけ地下に連行して休ませる、なんてそれもどうかと思っちゃう。
外は冬の嵐が吹き
というわけで、身元引き受け人になりました!
「アレスちゃんに干渉しないでくださいね?」
「問題ない。禁忌を犯した我は、既に精霊への干渉力を失っている。それに、それ程の精霊に干渉できる者は森にも居まい」
ユンさんと一緒に寝具に横になる、プリシアちゃんとアレスちゃん。
プリシアちゃんは、どうもユンさんがお気に入りらしい。ユンさんは既に精霊に近い存在らしいから、精霊と同列に見てお友達になろうとしているのかな?
アレスちゃんも、精霊を食べたというユンさんに対して警戒心はあるものの、嫌悪感や罪を問うような気配はない。
耳長族の禁忌について、精霊はどう思っているんだろう?
ユンさんの話によれば、精霊の方からその身を差し出した感じに思えるんだけど。
「まあ……いいわ。確かにわたしたちの側に居てもらう方が、誰もが一番安心するでしょうしね」
ミストラルの言葉に頷くみんな。
自慢じゃないけど、この砦のなかで竜族を除けば、僕の家族が最も頼もしい。
もしもユンさんがまた暴れ出したとしても、僕たちなら対処できると思うんだ。
ユンさんの身元引き受け人になった理由のひとつは、そこにある。
ユンさんは幼女たちと横になると、すぐに瞳を閉じた。
苦しそうだった呼吸は次第に規則正しいものになり、辛そうに眉間にしわを寄せていた表情は、睡眠中の穏やかなものに変化する。
こうして眠っている姿だけを見ると、
でも、ゴリガルさんの話によれば、大森林の
むむう、人は見た目では判断できませんね。特に、耳長族は。
「エルネア、見過ぎよ」
「ごめんなさい」
ユンさんの寝顔を見ていたら、ミストラルに耳を引っ張られて、顔ごと強引に視線を戻された。
寝具の傍らで巫女らしくユンさんの体調を見ていたルイセイネからも、上目遣いに睨まれちゃった。
べつに邪な心で見ていたわけじゃないんだけどなぁ。とはいえ、妻たちが不満に思うことを進んで行う気はありません。
素直に反省をしていると、こんこんっ、と部屋の扉を誰かが叩く。
「少し、良いだろうか」
ライラが扉を開けると、入ってきたのはカーリーさん。
カーリーさんは、眠るユンさんをちらりと見たあとに、僕たちに相談を持ちかけてきた。
「まさか、東の大森林でこれほど大きな問題が起きているとは思わなかった。それで、エルネアたちは今後、どうするつもりなのだ?」
カーリーさんや竜の森の耳長族へ最初に相談を持ち込んだのは僕だ。
それで、カーリーさんはこれからの僕たちの方針を確認したいらしい。
カーリーさんたちは、きっとどうすれば良いのか迷っているに違いない。
同じ耳長族として、大森林の問題は無視できない。できることなら手を差し伸べたい、と思っているはず。そして、それと同じくらい、森を追われてきた罪のない人たちも見捨てられない。だけど、ユンさんの問題がある。
事情はわかったけど、それでも禁忌に触れたユンさんには抵抗感がある。
それで、自分たちはこれからどうすべきなのか、ここへと連れてきた僕たちと相談したい、ということだね。
「ええっとね、僕は……」
『大変ですよー。森が大混乱ですよー』
「な、なんだってーっ!」
今後について、自分なりの考えを口にしようとしたとき。突然、僕の影からリリィの声が届いた。
いったい、なにが起きたと言うんです!?
唐突に慌て出した僕を見て、カーリーさんが困惑する。
しまった、影に潜んでいる間のリリィの声は、僕にしか聞こえないんだった。
見れば、ミストラルたちも挙動不審な僕を心配そうに見ていた。
「ち、違うんだ。誤解だよ。リリィが戻ってきたんだ。それで、森の方で問題が起きているみたい」
リリィには、ユンさんを追ってきた耳長族を追跡してもらっていた。随分と帰ってこないな、と思っていたら、大森林の方まで行っていたんだね。
「それで、なにが問題なのかな?」
カーリーさんとの相談はとりあえず置いておいて、僕は影に手を当てるとリリィに問いかける。
『魔物が溢れかえってますよー。もしかすると、こっちにも大量に押し寄せてくるかもしれませんよぉー』
「魔物が!?」
僕の叫びに、みんなの表情が引き締まる。
「みんな、緊急事態だよ。もしかすると、魔物が大森林から押し寄せてくるかもしれないんだって!」
忘れてはいけない。
ヨルテニトス王国の東の国境。そこに点在する幾つもの砦は、大森林からの魔物の脅威に対抗するための拠点だ。
でもまさか、こんなときに魔物の騒ぎが重なるだなんて!
新年早々に舞い込んできた
「僕はグレイヴ様にこのことを伝えに行くよ。みんなはそれまで、少しでも休んでおいてね」
「エルネア君も休むべきだわ。急いでも外は嵐で出られないわ」
「エルネア君も休憩すべきだわ。慌てても外は嵐でなにもできないわ」
「そうですわ。魔物が襲撃してきても、私たちであれば撃退できますわ」
「うん、そうなんだけどね……。でも、リリィは耳長族を追っていたんだよね? そこで魔物の騒ぎに気づいたってことは……」
そう。もしかすると、大森林の耳長族は今にも魔物に襲われそうになっているのかもしれない。
僕は少なからず、ユンさんへ肩入れしようと思っている。でも、それで大森林の耳長族の全てが敵だとは思わない。
今回の問題はあくまでも、森へと侵攻する巨人族と、ゴリガルさんたちを裏切った耳長族だ。
僕は急ぎ、休憩用の部屋を飛び出した。
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