嵐のなかを進みましょう

「……厳しいな。この嵐だ。しかも飛竜騎士団は、前の襲撃を伝えるために出払ってしまっている」

「すぐに襲撃される、という状況ではないみたいです。ただ、大森林に魔物が溢れかえってるみたいで」

「大森林の西側は、魔物の巣窟そうくつになっています。もしかすると、そこを行き来した耳長族に刺激されたのかもしれませんね」


 フィレルも、この嵐で砦のなかへと戻ってきていた。

 聞けば、嵐でも外で過ごすと言い張るレヴァリアを説得して竜厩舎りゅうきゅうしゃに入れてくれたのは、ユグラ様らしい。


 くっくっくっ。

 厩舎のなかにレヴァリアが居るんですね。今度の話題にしよう、なんて思っていませんからね!


 とまあ、冗談はともかくとして。

 僕は、リリィから聞いた情報をグレイヴ様に伝えた。

 だけどグレイヴ様が言った通り、この砦にはもう飛竜騎士団は残っていないので、急ぎの伝令は飛ばせない。

 そもそも、この嵐なので、飛竜といえど空を飛ぶのは厳しいよね。


「ともかく、迎撃の準備はしておこう。おい、すぐに兵士たちへこのことを伝えろ!」


 グレイヴ様の命令に、控えていた兵士の人たちが機敏に動き始めた。


「それで、お前はどうするのだ?」

「僕だけでも、急いで現地に向かってみようかと思ってます。リリィは雲の上を飛べますし、森の様子が気になるんです」

『リリィの扱いがひどいですよねー』


 影からのリリィの声は黙殺しよう。

 気のせいだ、空耳です。


「そうか……。エルネア、お前は耳長族の話をどう思った?」

「どう、と言いますと?」


 グレイヴ様に必要なことは伝えた。それで自分のことに戻ろうとしたら、そうグレイヴ様に声をかけられた。


「あの女や老人が話したことが嘘か本当か、俺にはわからん。だが、もしもあの話が真実なのだとすると、これは将来、ヨルテニトス王国の問題になるかもしれん、と俺は思っている」

「……巨人族ですね?」

「そうだ」


 領土拡大を目論もくろむ巨人族。

 大森林はとても広大で、数十年足らずで巨人族が西の果てにたどり着く可能性は低い。だけど、その先。何百年か後に、人族と巨人族が邂逅かいこうしたらどうなるんだろう?


 グレイヴ様は当初、自分たちと同じように大森林を開拓する巨人族とは話し合いで妥協点を探れるのではないか、と考えていたみたい。でも、耳長族を罠に嵌めてまで侵略するような種族なら、人族も悠長に構えてはいられない。

 もちろん、これはずっと未来の話であり、実際に人族と巨人族が出会ったときに、人族のグレイヴ様だけじゃなくて、巨人族を支配する剛王ごうおうも存命ではないだろうね。

 とはいえ、遠い未来のことだから知りません、とは施政者しせいしゃとして絶対に言えない。

 竜族との関係改善も一朝一夕いっちょういっせきの話ではないんだし、何十年、下手をすると百年以上先を見据えて今から行動をとる、これが国を治める人たちの仕事だ。


「未だにこの騒動の全体像が俺には見えん。だが、事と次第によっては、俺は決断を迫られるだろう」

「それは、国の方針として、ですよね?」

「ああ。それで、お前に言っておく。俺は無闇に動くわけにはいかん。その代わり、お前が見て、聞いてこい。俺はお前の目と耳と口ならば信じよう」

「ありがとうございます」

「多少の勝手な動きなら認める。しっかりと確認してこい」

「そ、それって、ヨルテニトス王国の方針に関わることの一部を僕に任せるってことですか!?」


 いやいや、それはいくらなんでも僕を信頼しすぎじゃありませんか。

 僕はつい最近まで、魔王の勧誘を受けていたような人ですよ?


「エルネア君、兄様にこれだけ信頼されるなんて凄いことですよ! 僕もユグラ伯と動こうと思います。お互いに頑張りましょうね」

「う、うん」

『頑張ってくださいねー』


 くっ、リリィめ。

 他人事だと思って、僕の心労も知らずに笑っているね?

 僕は言われなくてもやる気満々だったけど、こうして直接的に次期国王様から期待されちゃうと、急に肩が重くなったようでいけません。


 グレイヴ様は僕に任せた、と意気揚々いきようようと去って行く。

 フィレルも気合を入れると、足早にどこかへと行ってしまう。

 僕は、途端に重くなった足取りで、ミストラルたちが待つ部屋へと戻った。






「……というわけで、僕はリリィと先行して森に向かうよ!」

「というわけで、じゃないわよ、エルネア」

「ぐぬぬ」


 部屋に戻り、グレイヴ様とのやりとりを話す僕。そうしたら、ミストラルたちに心配されちゃった。


「エルネア君、嵐が随分と激しさを増しています。危険ですよ」

「エルネア様、嵐が過ぎ去ってから向かった方が良いですわ」

「いま行くと、ユンを置いて行くことになるわ」

「いま行くと、プリシアちゃんを置いて行くことになるわ」


 ユンさんは、未だに眠ったままだ。衰弱から来る深い睡眠なら、たぶん二、三日は目覚めないかもしれない。

 嵐も、すぐには収まりそうな気配がない。

 がたがた、と小刻みに揺れる分厚い蔀戸しとみどが外の嵐の強さを物語っていた。


「それでも、行こうと思うんだ。これから、もしも魔物が大量に押し寄せて来るのなら、僕たちも場合によっては加勢に回らなくちゃいけなくなるかもしれない。そうすると、余計に身動きが取れなくなって、ユンさんたちに協力できなくなっちゃう」

「エルネアは、この耳長族たちに協力するつもりなんだな?」

「カーリーさん、僕はどうしてもユンさんが悪い人には見えないんです」

「禁忌を犯した女……。確かに、話を聞けば私利私欲で誤ちを犯したわけではないが……」

「人族も、国の定める法律を破れば大小問わずに犯罪者になっちゃいます。それに人族の禁忌といえば、神職の人を手にかける、なんてものもあるんだけど。でも、犯罪や禁忌を犯した人の贖罪しょくざいする機会を全否定するなんて権限は誰にもないし、一族郎党諸共処罰いちぞくろうとうもろともしょばつする、というのも間違いだと思うんです」

「この女には、まだ罪をあがなう機会が存在する、と?」

「ユンさんは暴れて砦に損害を与えちゃいました。たしかに精霊を食べたかもしれません。でも、全ては誰かのためで、利己的な欲望ではありませんでした。もちろん、ユンさんの話が本当だったら、ですけどね」

「エルネアはこの女の話を信じるというのだな?」

「少なくとも今は、信じてみようと思っています。そして、ユンさんの話が嘘か本当かを確かめるためにも、僕は森に向かいます」


 ユンさんとゴリガルさんから聞いた話は、一方的な視点からに過ぎない。それなら、裏付けをするためには、違う視点からの話を聞かなきゃいけない気がする。

 リリィが追跡してくれていた耳長族は、まだ大森林の西側にいて、嵐のなかで魔物たちに苦戦しているらしい。だとしたら、見失わないうちに接触してみたい。

 これは、話を一気に進める良い機会かもしれないんだ。


 カーリーさんは難しい顔で僕の言葉を聞くと、眠るユンさんへと視線を向ける。


「……ならば、俺も行こう」

「えっ!?」

「人族のエルネアが行くというのに、耳長族の俺が動かないわけにはいかない。そしてエルネアが言うように、ことの真相を知ろうと努力してみよう。色々と決断するのは、それからだ」


 カーリーさんの思わぬ申し出に驚いたけど、僕は頷いた。

 ユンさんの問題は、耳長族の問題でもあるからね。

 リリィに確認を取ると、ひとりでも二人でも変わらない、とのことだったので、カーリーさんを連れての出発になった。






「行ってきます!」


 重い鉄の扉を僅かに開ける。人ひとりがようやく通れるくらいの隙間から砦の外に出ると、横殴りの雨が容赦なく僕たちを襲ってきた。身に刺さる冷たい強風が、厚く着込んだ防寒具と雨着を通り越して肌に届く。


 さ、寒い!


「こちらも、状況を見て動くわ。けっして無理はしないで」

「うん、気をつけて行ってくるね」


 外は真っ暗なうえに、暴風雨で目もまともに開けていられない。それでも見送ってくれるミストラルたちと挨拶を交わすと、僕たちは影から現れたリリィの背中に空間跳躍で移動した。


「行きますよー。しっかりと掴まっていてくださいねー」


 リリィは吹き荒れる風と雨のなか、力強く羽ばたいた。

 ふわり、と横風からくる浮遊感とは違う、身体の浮き上がりを感じる。真っ暗闇のなか、リリィは空を覆う雲へと向かい上昇していく。それと同時に、リリィの背中に移動した僕たちを強力な結界が覆う。


 リリィの加護だね。

 ついさっきまで僕たちを吹き飛ばそうと襲い掛かっていた強風が、随分とやわらぐ。大粒の雨は相変わらず落ちてくるけど、暴風が緩和されただけでも有難い。


「これが、古代種の竜族の能力か」

「来る時も体感したけど、これほどとはね」

「カーリーさん、ケイトさん、それでも油断しないでくださいね」


 結局、カーリーさんだけではなくケイトさんまでついて来ちゃった。

 もしもの時のために、砦にも精霊使いの手練てだれを残しておきたかったんだけど、ケイトさんもカーリーさんと同じ想いで、自分の目で色々と確かめたいみたいだ。

 僕の横で、リリィにしっかりとしがみつくカーリーさんとケイトさん。この二人と僕が、嵐のなかを先行して森へと向かうことになった。


 リリィは上昇速度を加速し、黒い雲に突入する。ぶわり、と粘度を感じるような嵐の雲を突っ切り、瞬く間に雲の上へ。

 すると、不思議な光景が僕たちの目に飛び込んで来た。


 見上げれば、満天の星空。

 でも下をのぞくと、うねうねと不気味にうごめく雲がずっと先まで続いていた。


「星が近いな」

「こんな時じゃなきゃ、絶景に酔いしれるところだわね」

「寛いでいる暇はないですからねー」


 眼下の嵐雲らんうんはともかくとして、深夜にもかかわらず光に満ちた星空に感動するカーリーさんとケイトさん。

 だけど、リリィが東へと向かい飛び始めると、また真剣な顔に戻る。


 二人は、戦士だね。

 戦地へと赴く手練れの者らしく、妙にはしゃいだり不安そうな気配は、まったく見せない。いつ戦いが始まっても良いように、臨戦態勢を維持する。かといって、肩に力が入るような緊張をしているわけでもない。


 リリィは古代種の竜族らしい高速の飛行で、東へと向かう。

 でも、嵐雲の海が広がっていて、自分たちが現在どこを飛んでいるのかはまったくわらない。

 そんな僕とは違い、リリィはきちんと位置を把握しているようで、迷うことなく進む。そして、また嵐雲へと向かって降下しだした。


「気をつけてくださいねー。下は嵐だけじゃなくて、魔物も暴れてますからねー」

「リリィ、できるだけ耳長族たちがいる場所の近くに向かって」

「お任せあれー」


 上昇したときと同じように、分厚い雲を一気に突破するリリィ。瞬く間に星空から嵐の風景へと変わり、またも雨と風が吹き荒れだす。


 リリィの加護が絶えず僕たちを覆っているので凍えるような寒さはないけど、今は冬の真っ最中。きっと、リリィから降りたら寒いんだろうね、なんて思う暇もなく、夜闇のなかで激しく揺れる森の木々が見えてきた。


 ぎいぃぃぃっ、と暴風じゃない怪奇かいきな音に、はっとする。

 見れば、この嵐のなかを奇妙な生物が無数に飛び回っていた。

 細い管状くだじょうの、虫のような魔物だ!


 半透明の身体は長く、一体一体が人の数倍くらいの長さをしている。手も足も顔もないくせに、不気味に並んだ牙を持つ口だけが先端に付いていた。

 半透明の身体をしているせいか、核となる魔晶石ましょうせきが丸見えだ。でも、個体ごとに存在する位置が違うみたいで、口の近くにあったり、長い胴の真ん中にあったりと様々だ。

 そして翼もないのに、蛇のようにくねくねと身体を揺らしながら空を飛ぶ管状の魔物。その魔物が、暴風雨のなかで数え切れないくらい飛び回っていた。


 気持ち悪い!


 急降下してくるリリィに気づいたのか、管状の魔物は周囲から集まりだすと、こちらに襲い掛かってきた。


「本当に、気持ち悪いですよねー」


 リリィは僕の心を読んで陽気に答える。でも、動きはその真逆だ。

 大きく口を開くと、桁違いの竜気を集約する。そして、雷鳴らいめいのような咆哮と共に解き放つ。

 夜闇よりも暗い黒球が雨霰あめあられとなって、襲い掛かってきた魔物に降り注いだ。


 ぎいぃぃぃっ、とまた不気味な音が響く。悲鳴なのか、歯ぎしりなのか、もしくは断末魔なのか。

 横殴りに降る雨とは違い、暴風に影響されることなく降った黒球は、魔物に触れると対消滅ついしょうめつを起こして消し飛ばす。

 爆発も閃光もない地味な光景だけど、威力は絶大だ。

 逃げる隙間もない黒球の雨に、数限りなく飛び回っていた管状の魔物が激減した。

 リリィは、黒球の雨の範囲から漏れた管状の魔物の隙間を高速で通過する。

 見る間に近づいてくる森の様子に、目を凝らす。すると、真っ暗ななかにも僅かな光が点滅する気配が見えた。


「光の精霊か!」

「このまま竜の巨体では降りられないわね。よし、飛び降りるわよ!」

「はい!?」


 ケイトさん、ここはまだ森のずっと上ですよ、と言う暇もなく、僕はカーリーさんとケイトさんに引っ張られてリリィの背中から落ちる。


「いってらっしゃいー」

「ああぁぁっっ」


 僕は飛べませぇーんっ!

 こんな高度から落ちたら、死んじゃいます!


 だけど、僕と一緒にリリィから飛び降りたカーリーさんとケイトさんは、余裕な表情だ。


「風の精霊を使役する!」

「飛べずとも、衝撃くらいは緩和できるわよ」

「それを先に言ってほしかった!」


 この嵐だ。風の精霊たちは周囲に多く存在していたみたい。

 カーリーさんが風の精霊を使役すると、僕たちの周りに風の緩衝材が出来上がる。

 たしかに飛んだり浮いたりはできないみたいだけど、降下速度が急速に和らいだ。


「ぎいいぃぃっっ!」


 ゆっくりと森に降下する僕たち。

 すると、生き残った管状の魔物がまた集まり出して、今度はこちらを目掛けて襲い掛かってくきた。

 ケイトさんが精霊を使役する。横殴りの雨粒が硬質で鋭いつぶてに変化し、魔物を貫く。

 カーリーさんは弓矢を構えると、瞬く間に数体の魔物の核を射抜く。

 リリィも空から援護を入れてくれる。

 魔物のむれに突っ込み、竜族の鋭い爪と牙で蹂躙じゅうりんしていく。

 古代種の竜族にとって、この程度の魔物はどれだけいても脅威ではないみたい。

 魔物は悲鳴のような鳴き声を上げながら逃げ惑うけど、リリィは容赦なく蹴散らしていく。高速で飛び回るリリィにぶつかっただけで消滅する魔物までいるくらいだ。


 僕は、リリィとカーリーさんとケイトさんのおかげで、力を温存したまま森へと入る。


「なんだ!?」

「今度は空からかっ!」

「人だと?」


 強い衝撃もなく、無事に着地する僕たち三人。そこへ待ち構えていたのは、数人の耳長族だった。

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