欲張りな決断

 轟々ごうごうと激しくざわめいた暗闇の森に降り立つ。

 樹々の間を強風が激しく走り抜け、油断すると吹き飛ばされそうになる身体をなんとか地面に繋ぎ止めながら、周囲の気配を探る。


 人の気配が十数人。上手く森の存在に溶け込んでいる。ただし、姿は見えない。

 遮蔽物しゃへいぶつのない上空ほどではないけど、大粒の雨が暴風とともに横殴りに襲いかかり、まともに目も開けていられない。

 薄く開いた瞳を凝らして周囲を見渡すけど、見えるのは冬の嵐に波打つ暗闇ばかり。

 冷たいしずくが容赦なく頬をうち、れて衣服に染み込んでいく。凍える身体から更に体温を奪っていく冷気への危機感に、急いで決着をつけなきゃ、と力を解放した。


 新たな獲物を見つけたとばかりに、魔物がこちらに集まってくる。

 ずしり、ずしり、とぬかるんだ森の大地を踏みしめて重々しく近づいてくるもの。樹の枝から枝へ、猿のように飛び移りながら高速で移動してくるもの。樹々の間を泳ぐように飛来するもの。

 暴風雨と夜闇で見えなくても、張り巡らせた竜気によって、周辺からこちらを目指して集合してきた魔なる気配を捉えていた。


「エルネア!」

「うん。みんな、動かないでねっ!」


 傍らで弓矢を構えるカーリーさんと、精霊を使役するために集中しているケイトさんだけに注意を発したわけじゃない。

 森に潜む、まだ見ぬ耳長族へ、精一杯の声で警告を発した。


 僕の声は届いただろうか。

 嵐の喧騒けんそうで伝わらなかったかもしれない。

 でも、僕の気配には気づいたはずだ。

 僕の放った力を感じ取ることができたはずだ。


 空を支配する暗黒の雲が、まぶしく輝く。

 一瞬、真夜中の森が昼間のように照らしだされた。


 蛞蝓なめくじのような巨大な軟体の魔物が、音もなくい寄ってきていた。植物の根のような手足を持つ木の巨人が迫っていた。球体の魔物や、形容しがたい容姿の魔物が数え切れないほど見えた。


 だけど、見えたのは本当に一瞬で。


 森が照らし出された直後、無限の雷の雨に撃たれた魔物たちは一瞬で消し飛ぶ。

 鋭い雷光の刃が魔物を貫く。魔物の断末魔は雷轟によって掻き消され、存在していたという証明さえ残せぬまま消滅していく。


 周囲の魔物が全滅し、濡れた地面に大小の魔晶石が転がり落ちる。地面に落ちた魔晶石は強風に飛ばされ、回収できないまま森のどこかへ。


 だけど、勿体無もったいない、なんて思っている場合じゃない。

 僕は更に意識を広げていき、森を探る。

 どこまでも続く大森林。そのなかで、魔物が際限なく溢れ出てくる気配を読み取っていく。


「ええい、魔物の巣はどこだっ」


 感知した魔物の気配に向けて、手当たり次第に雷撃を落としていく。雷の雨は容赦なく魔物を捉え、焼き払う。

 右手にたずさえた白剣。そのつばに埋め込まれた宝玉が、青々と輝いていた。


 魔物自体は、それほど脅威ではない。

 僕は広範囲の竜術が使えるし、雷電らいでんの一撃は中級魔族だって倒しちゃうくらいの威力なんだ。

 でも、こうも次々と魔物が溢れ出てくると、僕の竜気が枯渇こかつしちゃう。


 雷の雨を降らせながら、注意深く森を探る。

 どこかに、魔物の巣があるはずだ!

 魔物を生み出す特異点。そこを潰せば、魔物の無限湧きも収まるはず。


『あっちこっち』


 同化するアレスちゃんの意識が頭に直接届く。

 あっちってどっち?

 こっちってそっち?

 なんてやりとりは必要ない。

 アレスちゃんの意識と僕の意識は共有されている。アレスちゃんが意思を示した場所を、僕は自然と理解していた。


「……精霊?」


 気のせいかな。精霊たちが集っている場所がある。そしてその位置こそが、魔物の巣だった。

 もしかして、精霊たちが教えてくれたのかな?

 周囲で見つけた魔物の巣は、全部で五箇所。

 僕は、何条かの雷を荒れる嵐のなかでまとめると、魔物の巣へと叩き落とす。

 これまでにない雷鳴が深夜の大森林に響き渡った。


 そういえば、魔物の巣に攻撃して効果はあるのかな、なんて今更ながらの疑問を浮かべたのは内緒です。

 だけど、効果はあったみたい。

 雷の柱に打たれた魔物の巣は、邪な存在を消滅させていた。

 こうなれば、あとは残った魔物を全て排除するだけです!

 逃げ惑う魔物の残党に、容赦なく雷撃を浴びせる。

 上空の魔物はリリィが討滅したのか、雷の雨の後には普通の嵐だけが残された。


「ううう、到着早々に疲れちゃった」


 大森林の西側には魔物がいっぱい徘徊しているとは聞いていたけど、多すぎです!

 疲れて腰から力が抜けそうになる。すると、途端に強風に飛ばされそうになって慌てる。


『けいかいけいかい』


 だけど、気の抜けそうになった僕とは違い、アレスちゃんはまだなにかを気にしているみたい。

 もしかして、まだ魔物が潜んでいるのかな、と周囲をもう一度念入りに探る。


 なんだろう?

 魔物の気配はしないんだけど、ねっとりと身体にまとわりつくような嫌な感じがする。

 なにかに見られているような、そんな気配。

 もしかして、周囲で未だに警戒から身を潜めている耳長族の人たちの視線だろうか。それとも、未知の存在がまだ残っているのか……


「ケイトさん、精霊を使って周囲の耳長族を集めてください」

「そうね、周りの魔物は蹴散らしたけど、また湧いてきたらたまったものじゃないわ」


 ケイトさんは素早く精霊を使役し、隠れている耳長族のもとへと飛ばす。

 さすがは手練れの精霊使いなだけあって、伝言程度の使役ならまとめて十数体の精霊を使役できるみたい。

 嵐のなかを飛び回っていた風の精霊や水の精霊が飛び回ると、森の陰からわらわらと耳長族の人たちが現れ出した。


「お前たちは、何者だ?」


 どうやら、僕たちを警戒してるみたい。

 風が荒れ狂い、雨が横殴りに吹き付ける森に突如として参戦してきた僕たちに、耳長族の人たちは油断のない視線を向けていた。


「俺たちは、竜の森に暮らす部族の者だ!」

「ほら、あんたたち。いつまでも無駄に構えてないで、さっさと移動するわよ!」

「周囲の魔物は掃討そうとうしましたが、急いでここを離れた方が良いと思います!」

「竜の森の……?」

「しかし、人族の子供が……?」

「助けられて、愚痴愚痴言ってるんじゃないの! 重傷者はいないわね? なら、移動するわよ!」


 おお、姉御肌あねごはだ

 ケイトさんが有無を言わさない気迫で叫ぶ。そして、耳長族の人たちの返事も待たずに空間跳躍で飛んでいった。


「と、ともかく、後に続け!」


 耳長族の人たちは、困惑しつつもケイトさんに続いて飛んでいく。僕とカーリーさんは、取り残された人がいないか確認したあとに、殿しんがりで後を追った。






「ここまで来れば、ひと安心だ」


 真夜中の嵐のなかを、東へと突き進んだ僕たち。

 森で魔物に襲われていた耳長族の人たちは疲弊していたけど、それでも必死に空間跳躍で移動した。そのおかげか、魔物の気配のない領域まで進むことができ、僕たちはとある洞穴ほらあなで休憩することになった。


 雨具なんて役に立たなかったね。

 全身がずぶ濡れになっているのは僕だけじゃない。みんなで冷たく濡れた服を脱ぎ、炎の精霊を使役できる人が洞穴を温める。


 あっ。もちろん、全裸じゃありません!

 最低限の衣服だけを身につけている程度だけど、暖かな空気で満たされた洞穴は寒くない。

 とはいえ、ひと息つきたいところだけど、そうもいかない。

 なぜか、アレスちゃんが警戒したままなんだよね。

 最初は、耳長族の人たちの気配に警戒していると思ったんだけど……

 ううん、今も若干は警戒している。なにせ、昼間には人族の砦を襲撃していたような人たちだ。しかも、耳長族に混じって空間跳躍を駆使し、ここまで遅れることなくついてきた僕に視線が集まっている。

 だけど、アレスちゃんが警戒しているのは、どうも耳長族の人たちにではないみたい。そして僕も、原因には薄々ながら気づいていた。

 あの、見られているような、まとわりつくような気配が消えていない。

 何者の気配なのか、探っても突き止められない。だけど、魔物が溢れていた森からここまで、確実にこちらを監視するような気配はついてきていた。


「……先ずは、礼を言う。助けていただき、感謝する。しかし、なぜ竜の森の其方そなたらが今ここに?」


 大多数の人たちの視線は僕に注がれていたけど、隊長らしき人はカーリーさんとケイトさんに向き合うと、深い感謝を伝えた。


「俺たちは、この少年、エルネアの手助けをするために来た」

「人族の少年の手助け?」

「挨拶をさせてください。僕はエルネア・イース。人族ですが、竜王です。竜の森の守護竜の弟子、と言ったほうがわかるかな?」

「……まさか、人族が竜の森の守護者様の!?」

「疑念は無用ね。エルネアが空間跳躍でここまで私たちについて来たのを、貴方たちも見たでしょう?」

「エルネアは人族ではあるが、俺たちの頼れる仲間であり、信頼すべき強者だ」


 カーリーさんとケイトさんのおかげか、僕に向けられる疑念の視線は薄らいだ。その代わり、興味を示す視線が増えたような……

 なにはともあれ、僕の立場を色々と説明する手間がはぶけたのは良かったね。

 僕の名乗りのあとは、カーリーさんや大森林の耳長族の人たちが名乗り合う。

 隊長格らしき人の名前は、エヴァンスさん。肥沃ひよくなる若木わかぎたにの耳長族らしい。


「それで、いかなる要件でこちらに?」


 溢れる魔物に苦戦を強いられていたものの、そこは人族の領域にまで攻め込むくらいの戦士たちだ。命に関わるような重傷者はいないようで、お互いに薬草を塗ったり骨折した手や足を治療しながら、僕たちの目的を聞いてきた。

 カーリーさんとケイトさんは治療を手伝いながら、僕を見る。

 なにせ、二人は飛び出してきた僕を気にかけて追従してきてくれただけで、目的を知らない。

 洞穴で休むみんなの視線を受けながら、僕は改めて身を正すと、口を開いた。


「僕は、暁の樹海の人たちに助けを求められて来ました」

「なにっ!?」


 少しずつ穏やかさが見え始めていた洞穴に、緊張が走る。


「この森でなにが起きているのか、大まかな部分は知っています。その手助けができればと思っています」

「……」

「僕たちは現在、賢者のユンさんを保護しています。それで……」

「なんだと! 今すぐ、あの裏切り者をこちらに差し出せっ!!」


 すると、僕の話を遮って、エヴァンスさんが語気も荒く詰め寄ってきた。

 カーリーさんが僕とエヴァンスさんの間に割って入り、落ち着かせるように抱き止める。だけど険しい気配を見せるのはエヴァンスさんだけではなく、洞穴のなかは更なる緊張に包まれた。


「待ってください。僕たちはユンさんの禁忌のことについては聞いています。でも、彼女なりの理由があるんです」

「禁忌を犯したこと、その理由、それもだが、俺たちはそれ以上に裏切りを許さない!」

「裏切り?」

「あの裏切り者からなにを吹き込まれたかは知らんが、知らないなら教えてやろう。耳長族を売ったのはあの女だ!」


 どうやら、エヴァンスさんたちはユンさんに対し、禁忌を犯したことよりも、裏切り行為について強い怒りを持っているみたい。


 巨人族との和平交渉に積極的だったのは、暁の樹海と風鈴の里の耳長族たち。エヴァンスさんたちの肥沃なる若木の谷や他の部族は、難色を示していた。だけど、長老会で決まった方針に異議を唱えたり、力尽くで妨害しようとする部族はなかった。

 全部族が積極参加ではなかったものの、少なくとも和平交渉を見守る、というのが大森林に住む耳長族たちの方針だった。

 だけど、裏切り者が出た。

 侵略を目論む巨人族と内通し、大森林を包む迷いの術を破壊し、暴力と殺戮さつりくを招き入れた。

 その張本人こそがユンさんなのだと、エヴァンスさんは言う。


 僕たちは、ユンさんと暁の樹海のゴリガルさん側からの視点で見た話しか知らなかった。

 エヴァンスさんの話に、カーリーさんとケイトさんは眉根を寄せて耳を傾けていた。


 でも、僕は……


「森の問題に協力してくれると言うのなら、先ずは裏切り者を差し出してもらおう。先ほどは其方らに命を救われた。だから其方らを疑ったり敵意を向けるようなことはしない。だが、あの裏切り者は別だ!」


 命を救ってもらったことへの恩や、こちらの協力への意志には深い感謝を示す耳長族の人たち。

 きっと、これが本来のこの人たち、大森林に住む耳長族の文化なんだろうね。

 だからこそ、禁忌を犯し裏切り者の烙印らくいんを押されたユンさんへは、容赦のない敵意を見せる。


 でも、やっぱりユンさんは渡せない。

 だって……


「ユンさんは衰弱しきっています。それに、頼もしい僕の家族が傍に控えてくれていますので、これ以上は暴れる心配はないと思います。ユンさんのことも大切ですが、巨人族のことも気がかりなんです。もう、森に侵攻してきているんですよね?」

「あの裏切り者はどうしても渡せないと?」

「もし引き渡すとしても、今はできません。大森林の危機が解決して、そのあとにそれでも、と言うならまた話し合いには応じますけど」

「君はいったい、誰の味方だ?」

「僕はみんなの味方であって、誰の敵でもないですよ」

「みんな、とは俺たちだけでなく、あの裏切り者の味方でもある、と捉えてもいいのだな?」

「はい。それだけじゃなく、カーリーさんたち竜の森の耳長族の味方でもあるし、精霊たちや大森林の味方でもあります。そして、巨人族の敵ではありません」

「どういうことだ?」


 保護しているユンさんの味方、という部分に少し眉尻を跳ね上げるエヴァンスさんたちだけど、協力しにきたと言いつつ巨人族の敵ではない、と明言する僕に、カーリーさんやケイトさんまで疑問の視線を向けてくる。

 僕は、そんな視線にまっすぐな視線で向かい合う。


「僕は、耳長族と巨人族だけでなく、人族を含めた大森林に関わりのある者たち全ての問題を解決したいと思ってます」


 ユンさんの禁忌の問題。大森林から逃れてきた暁の樹海の耳長族の人たちの問題。エヴァンスさんたち、大森林に残った耳長族の人たちの問題。

 それだけじゃない。

 大森林の西側に接するヨルテニトス王国や、森に住む精霊たち。更には、巨人族の問題も解決したい。


 鼻息荒く宣言した僕に、カーリーさんはため息を吐いた。


「強欲だこと」


 ケイトさんが苦笑している。


 でも、これが僕の導き出した考えなんだ。

 僕がばれた理由。

 僕が関わるのなら、僕が望む結末を導き出したいよね。


 エヴァンスさんたちは、あきれた視線を僕に向けていた。

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