朝陽が昇るときのこと

 冬でも豊かな緑を失わない樹々の海がどこまでも続く。丘や山、窪地くぼちや渓谷にまで広がる深い緑は、空を飛ぶ鳥たちの目から見れば波打つ海原に見えるかもしれない。

 鳥たちはこの深く広い樹海の先を見ようと、高く空へと昇るだろう。

 高く、高く。限界まで空に上がったとき、鳥たちの視界には果たして、大森林の終わりが見えるだろうか。

 もちろん、西へと飛び続ければ、いずれは大森林の切れ目へとたどり着くだろう。南へと羽ばたけば山脈へと至り、違う世界が広がるだろう。北へと翼を向ければ、海を臨むことができるだろう。

 だが、どうだ。三方の果てから振り返ったとき、鳥たちは大森林の反対側を視界に入れることはできるだろうか。


 数千年という長き歳月がはぐくんだ広大な樹々の海は、大洋たいようのごとく雄大に広がりを見せる。

 局所的な時代の嵐も、徐々に輪郭を変化させていく樹海の果ても、大森林の奥深くには影響を与えない。

 そんな大森林の東の果てで、森に住まう人々に新たな太陽の日差しが昇ろうとしていた。


「我らの声に賛同いただき、嬉しく思う。歓迎しよう、巨人族の者よ」

「まさか、儂らの願いが叶うとは。このたびまねき、感謝致す、耳長族の者らよ」


 あかつきおか。耳長族が精霊と共に朝陽あさひを迎える丘で、耳長族と巨人族が顔を合わせる。

 耳長族は、その多くが老齢な者たち。大森林に残る五つの部族の内の二部族から、意思決定を下せる長老や有力者が集っていた。


 ひとつは、風鈴樹ふうりんじゅさとの者たち。長老であるヤグリスと、五人の有力者が顔を揃えていた。

 もうひとつは、紅葉こうようの川のせせらぎからおとずれた者たち。こちらも、四人の代表者が暁の丘へとやって来ていた。


「いや、しかし。今回の立役者である暁の樹海の者たちが遅れているとは。いやはや、申し訳ない」

「いやいや、儂らはこの会談の機会を百年も待ち続けてきたのだ。に及んで二日や三日程度、待つことに苦痛はない」


 暁の丘は、大森林の内でも「あかつき樹海じゅかい」と呼ばれる一帯のなかにある。本来であれば、暁の樹海に住む者たちが一番にこの場へと来ていなければいけないのだが。

 場をつくろうように笑みを見せるヤグリス。その笑顔は、遥か頭上に向けられていた。


「なあに、これから素晴らしい未来が待っているのだ。儂らはこれからのことを思うと、胸がおどって仕方がない」


 ヤグリスに笑みを向けられて、巨人は濃いひげのなかに豪快ごうかいな笑顔を見せた。赤銅色しゃくどういろに焼けた肌。耳長族の有に五倍はある身長と、屈強な肉体。

 巨人族からは、五人の代表者が参加していた。


「この会談のために、一時的ではあるが森の結界を解いてくれたことを心より感謝するぞ」

「我ら耳長族は、巨人族とも共存を望んでいる。血で血を洗う争いは終わりにしたい」

「儂らは巨人族も、一枚岩ではない。森を焼き払ってでも領土の拡大を目指すという剛王ごうおうの方針をこころよく思わぬ者もいるのだ」

「どうか、この話し合いが両種族にとって良きものにならんことを」

「この日がきっかけとなり、儂らの関係は大きく進むだろう」

「しかし、まさか話し合いを重ねてきたヨグルドア殿が急病で倒れられるとは……」

「仕方あるまいよ。叔父貴おじきよわい八十歳。千年を生きる耳長族のような寿命は、儂ら巨人族にはない。生きて百年。叔父貴もいい歳だ」

「快復を願います。あの方の尽力で、今があるのです」

「それを言うのであれば、暁の樹海の長老、ジグザル殿もであろう。儂らのヨグルドア叔父貴とそちらのジグザル殿、二人はこれから長く、巨人族と耳長族に名を残すであろうさ」


 がははっ、と豪快な巨人族の笑い声が、朝陽を待つ丘に響き渡った。






「ええい、よもやこんな時に精霊たちの悪戯いたずらはまるとはっ!」

「いかんのぅ。このままでは、ようやく実現した和平に向けての話し合いに遅れてしまうのぅ」

「ジルザル長老、ここは少し強引にでも精霊たちを……?」

「そうじゃな、ゴリガルの言う通り……」

「つっ!? ぬはっ、なんてことだ。そうこう言っているうちに森の外に出てしまった!」

「こ、これは……」

「な、なんだっ!?」


 夜明け前の暁の樹海を疾走していた耳長族が十人。しかし彼らは、目的地にたどり着くことなく、大森林の外へと放り出されてしまう。

 そして彼らが見たものは、これから話し合われるはずの和平とは程遠い光景だった。


「な、なぜ巨人族の軍勢が集結している?」

「いや、待て。あのよそおいは剛王の手勢だ!」

「ヨグルドア殿の氏族しぞくとは別か。しかし暁の丘に急がねば。そしてこの状況を伝えるのだ!」


 精霊の気まぐれにより迷わされ、大森林の外に出てしまった耳長族たちは、慌てて来た道を戻る。


 精霊は時として自由気ままに振る舞い、耳長族をも困らせる。だかしかし、なぜこの時期に悪戯をするのか。誰もが思ってしまうことだが、これも仕方のないこと。

 精霊の行動を制限したければ、使役下において従ってもらうしかない。そうでなければ、耳長族であっても精霊たちに振り回される。

 だが、今は一刻を争う。

 暁の丘では、百年かけた話し合いの集大成が結ばれようとしている。

 一部の勢力であるとはいえ、巨人族と手を結ぶことができれば、激化する種族間の争いにも違う未来が見えてくるかもしれない。

 そのために、局所的ではあるが暁の樹海を護る迷いの術を賢者けんじゃたちに解いてもらったのだ。


 まだ、話し合いを纏めることができれば、大森林の外に集結する剛王の軍勢を思いとどまらせることができるかもしれない。

 暁の樹海に住む耳長族の長老ジルザルと村の有力者であるゴリガルたち十名の耳長族は、精霊に道を開かせると、大森林を進む。


 しかし、またしても迷わされるゴリガルたち。


「ええい、なぜ精霊たちは今日に限ってこうも邪魔をするのだ!」

「いかんのぅ。もうまもなく、約束の時間である朝陽の刻だ」


 空間跳躍で疾駆する耳長族たち。だが、一向に目的地である暁の丘にたどり着く気配がない。

 誰もが焦り、さすがの耳長族も精霊たちの悪戯にいらつきを覚え始めた頃、それは、唐突に目の前に現れた。


「なっ……!」

「ど、どういうことだ!?」

「これは……ヨグルドア殿……」


 空間跳躍を駆使する。だが、精霊たちの悪戯によって、毎回違う風景の場所へと飛んでしまう。

 ゴリガルたちは、精霊が邪魔をしていると思っていた。

 しかし、違った。

 精霊たちは、ゴリガルたちを正しく導いていたのだ。


 なぜか、森の外に集結する巨人族の軍勢。

 そして、森の奥に遺棄いきされた、巨人族ヨグルドアの遺骸いがい


「なぜ、ヨグルドア殿がこのような場所で死んでいる!?」

「傷口を見ろ。この斬り傷は……!」

「巨人族の使う曲刀きょくとうで背中からか」

「争った形跡がない。つまり、不意を突かれて?」

「では、ヨグルドア殿の不意を突き襲った他の巨人族どもはどうした?」

「ま、まさか……!?」


 森の奥に隠されるように捨てられていた遺骸は、紛れもなく話し合いを持つはずだったヨグルドア本人だった。

 ゴリガルたちは、顔面蒼白になってお互いの顔を見合う。


「こ、こうしてはおれん。急いで暁の丘へ向かうのだっ!」


 精霊は、警告をうながしていた。

 巨人族たちが不穏な動きを見せている。

 取り返しのつかないことになる。

 だが、ゴリガルたちは気づけなかった。

 百年をかけて下積みしてきた話し合いがようやく成果を見せる。そのことで視界が狭まり、精霊たちの声に耳を傾けることを忘れていた。


 慌て急ぎ、ゴリガルたちは移動しようとした。

 そこへ、新たな者たちが現れる。


「おおう、まさか見つかるとはな」

「ちっ、空間跳躍ってやつか。突然姿を現されちゃあ、こちらも後手に回っちまう」

「しかし、後手後手は耳長族の方だがな」

「き、貴様らはっ!」


 森の死角から現れたのは、巨人族の兵士だった。

 周囲の樹々と肩を並べるほどの巨体。見上げる巨人族は、下卑げびた笑みを浮かべていた。


 ゴリガルたちは、またしても気づけなかった。ヨグルドアの遺骸に目を奪われ、周りに潜む巨人族たちの気配を読み取れなかった。


「これを見られたのなら、生かしておくわけにはいかん」

「まあ、どの道を辿ったって貴様らの未来は決まってるんだがなっ!」


 言って巨人族は、手にした幅広の曲刀を振り下ろす。

 呆然ぼうぜんと佇んでいた長老のジグザルは、何が起きたのかわからないまま上下に両断されて絶命した。


「ひいいっ」


 目の前で長老が殺され、ようやく事態を飲み込む耳長族。しかし、気付いた時には既に遅かった。周囲を巨人族の兵士に囲まれ、瞬く間に、更に五人が斬り伏せられる。


「い、いかん。全員、逃げるんだ! 生き延びた者は、暁の丘に集っている者たちにこのことを。精霊を飛ばせっ。それと、賢者たちにも!」


 間一髪。ゴリガルめがけて横薙ぎに振られた一撃を空間跳躍で回避しつつ、必死の指示を飛ばす。

 しかし、ゴリガルの指示を耳に入れることのできた耳長族は、誰ひとりとしていなかった。

 数瞬のうちに、ゴリガル以外の九人は巨人族の手にかかってしまっていた。


 駄目だ、このままでは大惨事になってしまう。ゴリガルは、無我夢中で空間跳躍を駆使する。

 だが、巨人族もゴリガルをむざむざと逃すはずはない。大股で追いかけてくる巨人族。


 耳長族は、空間跳躍で森を自由自在に進む。

 巨人族は、その屈強な肉体で樹々を薙ぎ払い、問答無用で突進してくる。


「な、なぜだ。なぜ森と精霊たちは巨人族を迷いの術に取り込まない!?」


 背後に迫る巨人族。

 本来であれば、森にとって害悪である巨人族は、迷いの術により森のどこかへと飛ばされるはず。それなのに、巨人族は迷うことなくゴリガルを追ってくる。


 今回の会談のために、賢者たちに無理を言って暁の樹海の結界を一時的に解いてもらった。しかし、それは一時的なものであって、現在は既に結界が再起動しているはずだ。それなのに……


 追い追われの軍配は、巨人族に上がった。


「死ねっ!」


 追いつかれ、振り下ろされる曲刀。

 精霊を使役し、結界を張ろうとするゴリガル。

 だが、間に合わない。

 眼前に迫る曲刀の刃は、やけにゆっくりと見えた。


 死んでしまう。だが、ここで自分が死んでしまっては、巨人族の謀略を他の者たちに伝えることができない。ゴリガルは迫り来る死に歯ぎしりしつつも、何もできずに見つめることしかできない。


 しかし、巨人族が振り下ろした凶刃は、ゴリガルに届くことはなかった。


「これは、いったいどういうことだ?」

「……ユン様!」


 巨人族たちの動きを止めたのは、賢者けんじゃ外套がいとうを頭からすっぽりと被ったユンだった。

 ユンは躊躇うことなく風の精霊を使役して、動きを封じた巨人族を斬り刻む。

 追ってきていた巨人族は五人。全てが肉塊に変わり、森の奥に真っ赤な肉の山を作る。


「ユン様、大変なのです!」

「どうも精霊たちが騒がしいと思っていたが……」


 切羽詰まったゴリガルの様子と巨人族の成れの果てを交互に見つめ、ユンは頭巾ずきんの奥で険しい表情を作る。


「迷いの術が機能していないのです。それで、巨人族どもが」

「そんな馬鹿な。お前たちの要望で結界を解いたのはほんの僅かな時間だけだ」

「しかし、この巨人族どもは森の奥に潜伏し、儂を追跡してきて……。そ、それと、話し合いをするはずだった巨人族のヨグルドア殿が森の奥で死んでおりました。あと、森の外に剛王の軍勢が……!」

「まさか……。お前たちは剛王にめられたのではないか!?」


 ユンに指摘されるまでもなく、この事態は最悪の可能性を示していた。


「森の結界が機能していないということが気になる。我は暁の宝玉を見てくる。お前は暁の丘へと向かえ」


 言ってユンは、ゴリガルの返事も待たずに空間跳躍を発動させる。

 目指す場所は、森の大結界を維持するために設置された、暁の宝玉。

 暁の樹海の最奥地。


 今朝方。まだ太陽が東の先に存在を伺わせる前。ユンは、暁の樹海の耳長族からかねてより依頼されていた通りに、大結界を僅かに緩めた。

 これまでの百年間。暁の樹海の耳長族たちは森の外で、巨人族のある氏族と和平に向けた話し合いを積み重ねてきた。その成果がいよいよ結ばれるとあって、長老であるジルザルに願われていたのだ。

 巨人族の代表を森へと招き、未来への約束を交わす。

 もちろん、大森林に住む耳長族の部族のなかには、一部とはいえ大結界を解いて巨人族を招き入れるということに反対する者たちもいた。だが、部族長の多数決によって、可決された。


 賢者のひとりであるユンも、本来であれば反対の立場であった。

 過去の出来事が、ユンの頭を過ぎる。

 けっして色褪いろあせない、憎しみの過去。だが賢者とて、五部族の長老たちが決めたことならば承諾するしかない。それで、まだ太陽が昇らないうちに、暁の宝玉を使って結界を緩めた。

 そのときには、なんの異変もなかったはずなのだが……


 胸騒ぎがする。

 ユンは急ぎ森を進む。そして、暁の樹海の最奥である目覚めざめの大花たいかへとやって来た。


「そんな……馬鹿な……」


 絶句するユン。


 目覚めの大花は、巨大な花だ。黄色い花弁はなびらは人の倍の大きさがあり、しべとしべに隠された奥に、朝陽色に輝く宝玉が納まっている。

 そのはずだった。


 だが、ユンが目覚めの大花にたどり着いたとき。彼女の視界に入ってきた光景は、無残なものだった。

 花弁は千切られ、雌しべと雄しべは折られ。そして、朝陽色に輝いていたはずの宝玉は粉々に砕け、黒く変色してしまっていた。


「リン、ラン、ユイン、どこだ?」


 ユンは叫ぶ。

 誰か、この状況を説明してほしい。いったい、何者がこのような酷いことをしたのだ。


 ユンの叫びに、無残に散った花弁のひと欠片かけらが揺れた。


「ああ……ユン……」

「ユイン!」


 弱々しく顕現けんげんしてきたのは、目覚めの大花と大結界の宝玉を守護しているはずの光の精霊、ユインだった。だが、そのあまりの姿に、ユンは息を呑む。


 光の精霊、ユインは右半身を失っていた。

 人であれば、その時点でまず間違いなく死んでいる。右半身を失いつつもこうして生きて言葉を発せられるのは、精霊だからだ。

 ユンは動揺しつつも、必死に顕現してきたユインに駆け寄る。そして、そっと腕を回すと、消えそうな残りの左半身を支えた。


「ユン。……時間がない。どうか、私を食べなさい」

「な、何を言っている!?」


 精霊に手をかける、それだけでも忌避きひする行為だというのに、食べろだなどと。突然、禁忌に触れることを口にしたユインに、ユンは険しい表情で応えた。


「わたしは……このままでは消えてしまうでしょう。ですが、森を護るため……。巨人族から耳長族と精霊たちを護るために……どうか……」

「いったい、なにがあったというのだ?」

「貴女には、いつも辛い役目を押し付けてきてしまいましたね。でもどうか、これが最後のわたしのわがままだと思って」

「禁忌を犯してまで……。今更、我に前へ進めというのか」

「ごめんなさい。でも、もう貴女しかいないの。貴女でなければ、止められない……」

「目覚めの大花と宝玉、それとユインをそのような姿にしたのは、やはり……」


 答えを聞く必要はない。

 本来であれば迷いの術が掛けられていたはずの森を、迷わずに進める種族。

 宝玉を砕き、大結界を消し、守護する精霊をこうも容易たやすく傷つけることのできる存在。

 耳長族のなかに、裏切り者がいたことは明白だ。


 ユンは、いつの間にか涙を流していた。

 だが、頬を伝う透明なしずくは、気づけば赤くにごっていた。


「どうか、森を護って。耳長族と精霊たちをお願いね……」

「ユイン、誓おう。我は必ず止めてみせる。そして、護ってみせる」

「ごめんなさい……」

「謝る必要はない。我はとうの昔に自分の人生を捨てた身だ。それを支えてきてくれたユインの最後の願いであれば、断る理由はない。最後くらいは誰かのために生きよう」


 涙の血を流しながら、ユンは優しくユインに微笑ほほえみかけた。

 ユインは半分になった顔で、ユンに笑みを返す。


 耳長族にとっての禁忌。

 ユンはこの日、ユインを取り込み、精霊の力を手に入れた。






「そんな、ばかな……」


 暁の樹海の奥での出来事を知らないゴリガルは、必死の思いで朝陽の丘へとたどり着いた。

 しかし、日の出により照らされた丘は、美しい輝きには満ちておらず、生々しい血の色に染まっていた。

 累々るいるいと横たわる、耳長族の死体。誰もが大きな斬り傷を身体に深く刻み、絶望と苦悶、驚愕の表情で息絶えていた。

 そして、狼煙のろしのように炊かれた煙が、暁の丘の上空へと高く昇っていた。





「合図が見えた、森へ火を放て! 今ならば、あの忌々いまいましい迷いの術は切れているぞ!」

『おおおうっ!!』


 剛王の大号令に、集結した千の軍勢は雄叫びをあげる。そして放たれる火矢により、森は瞬く間に炎の海へと変わっていく。


 待ちに待った、進撃の機会。

 赤褐色の肌をした巨人の剛王は、濃い髭の奥で満足気な笑みを浮かべながら、燃えゆく大森林を見る。

 その剛王の背後で、闇が揺れた。


「なにやつ!」


 剛王を守護する戦士が素早く身構える。それを剛王が制し、森の奥からの来客を歓迎する。

 揺れた闇から現れたのは、深く外套を被った小柄な人物だった。

 巨人族から見れば、ひとひねりにしてしまえそうなほど華奢きゃしゃな体型。深く被った頭巾で顔は伺えないが、黒い髪が僅かに見えた。


「……気をつけろ。我が確認したのは暁の樹海と呼ばれる森の一部だけだ。他の地域に張られている結界の宝玉も失われているが、今頃は耳長族たちが慌てて結界を維持しているはずだ」

「ぐはははっ。よもや、貴様のような賢者が同族を裏切ろうとはな」

「裏切る? 先に裏切ったのは向こうの方だ。我は恨む。我の家族、一族を見捨てた奴らを。死ねばいい。滅べばいい。全てをほうむるためなら、我は魔族にでも魂を売るだろう」

「ぐははははっ。小さな身体に見合わぬ、剛毅ごうきな心意気だ。よほど同族に恨みがあると見える」

「深い怨念おんねんがあればこそ。我は禁忌を犯してでも復讐を果たす。お前らに加勢するのも、そのためだ」

「お前の復讐心に応えるとしよう。先ずは暁の樹海とやらを潰す。全軍、突撃だっ!」

『おおっ!!』


 剛王の命令と士気の高い巨人の軍勢に満足したのか、外套を被った小柄な人物はまた闇を揺らして消えていった。


「剛王よ、あの者を信用しても良いのですか? 俺はあまりいけ好かないのですが」

「ボーエンよ、ああいう単純であり深い動機を持っている者は利用できる。己の欲望のためには真っ直ぐ進むからな。なあに、用が無くなれば切り捨てるまでよ」

「奴が我らを裏切ったりは?」

「同族を裏切るような奴だからか。がははっ。むしろ同族を裏切ってまで復讐の道に進んだのだ。少なくとも復讐が果たされるまではこちらを裏切らん」


 燃える森。そこを回避しつつ進撃を始めた軍勢。剛王は腹心の戦士に向かい、この上なく満足そうな笑みを見せた。

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