再会の夜

 突然走り去り、部屋から出て行ったライラを、僕たちは呆然と見送った。中でもフィレル王子は愕然とした表情で、ライラが出て行った部屋の扉の先を見つめていた。


「エルネア、追いなさい。この子のことは、わたしたちに任せて」

「うん、お願いするね!」


 ミストラルの言葉に甘え、僕はライラを追って長屋から抜け出す。

 外ではすでに、早い人たちは夕食を摂り始めていた。食事を始めていた人にライラの行き先を聞いて、そちらに急いで向かう。


 ライラは、村の北の小さな森の中に居た。彼女の気配はいまだに殆どないので、森の中だと探すのは大変かと思ったけど、見える場所にいてくれて助かったよ。


「ライラ」


 僕が声をかけると、びくり、とライラの影が揺れる。日は暮れはじめ、森の中はすでに薄暗くなっている。


「どうしたの?」


 ライラを刺激しないように、ゆっくりと近づく。その甲斐があったのかライラは僕からは逃げようとはせずに、近づくことに抵抗は見せない。


「あの……その……」


 薄暗い森の中。ライラの表情をはっきりとは見て取れなかったけど、苦悩している気配が強く伝わってくる。


「みんなが驚いていたよ?」

「そう、ですか……」


 ライラは確かにフィレル王子の姉なんだろうね。だけど、彼女はなぜ「自分は違う」と言って部屋から飛び出したんだろう。


「王子様のことが嫌い?」

「そ、そんなっ。王子様を嫌うだなんて、私にそんな資格はありませんわっ」


 僕の肩を掴み、慌てて否定するライラ。

 好き嫌いに資格なんてないと思うんだけど。今の彼女の言葉で、ライラはフィレル王子に後ろめたい感情を持っているんだな、ということがなんとなくわかる。


 しいたげられていた自分。優しくしていた弟。失踪同然に城から抜け出した過去。そして、苦悩しながらも頑張る王子を知り、いたたまれなくなったのかな。


「私は、あの方の姉などではありませんわ。ただ……ただ、エルネア様のお側に居るだけで良いのです。それ以外は望みませんわ」


 ライラは、おとぎ話という形で、僕たちに心の闇を語ってくれた。その時、言葉にすることによって彼女は暗い過去を切り捨て、乗り越えた。そして同時に、立場も身分も想いも全てを捨ててしまったのではないだろうか。


 フィレル王子の姉であった立場も、王族という身分も、竜を倒し、いびつな国の形を変えるという想いも、全てを捨てた。なのに今、捨てたはずのものに直面してしまった。


 それで咄嗟とっさに、ライラは逃げ出してしまったのかな。


 でも、と思う。もしも切り捨てたのだとしても、それは決してなくなったりはしない。見て見ぬ振りをしているだけ。無関心であろうとしているだけ。だから、根本的な部分では何も解決していない。解決していないから、目の前にその問題が意図せず姿を現した時に、何もできなくなってしまう。


 ライラの問題は、殆ど解決したようなものだと思っていた。竜族が怯え暴れる原因もわかり、制御する修行も順調に進んでいる。彼女が昔のように過去の出来事で暗くなることはなくなり、最近では笑顔が絶えなかった。


 だけど、何も解決していなかった。全員で見て見ぬ振り、無関心を通していたんだ。


「ライラ……」


 僕はそっと、ライラを抱き寄せる。


 彼女には、幸せになってほしいと心から願っている。今までの悲しみ以上の幸福を手に入れてほしいと思っている。でもその前に、やっぱり解決しないといけない問題があった。


 そして今こそが、本当の問題解決に繋がる第一歩の機会なのかもしれない。


 僕はライラに、フィレル王子ときちんと話し合いをしてほしかった。

 フィレル王子、ううん、ヨルテニトス王国の王族に、ライラの苦悩を知ってもらいたい。そしてライラには、フィレル王子の想いを知ってもらいたい。


 フィレル王子は、会いたかった、と言っていた。彼は少なくとも、ライラには悪感情は持っていない。

 おとぎ話に出てきた、優しい弟王子のままなのだと思う。だから、彼の口からライラへの想いを言ってもらいたい。

 それはきっと、ライラにとって前へと一歩、本当に踏み出すための起点になると思うんだ。


「少しだけ、僕のわがままを言わせてね。フィレル王子が弟かどうかは置いておいて。彼と一度、ちゃんと会って話をしてほしいんだ」


 二人が邂逅かいこうしなければ、何も始まらない。


「ですが……」


 僕の腕の中で、ライラはか細く震える。


「一度きちんと話をして、それでも勘違いなら、フィレル王子にそう言ってあげれば良いんだよ。でも、話さなきゃ、先には進めないよ。色々とね」


 ライラは黙って、僕を見つめていた。

 迷っているのかな。


 どうにかして、二人を引き会わせられないかな、と思案していると、背後に気配を感じた。


「ライラ……さん……?」


 振り向かなくても、声でフィレル王子だとすぐにわかった。ライラが腕の中で、びくり、と跳ねる。


「少し。少しだけ、お話しをさせてください」


 どうやら、フィレル王子の方から来てくれたみたいだね。ミストラルたちはどう彼に説明したんだろうか。

 周囲の気配を探るけど、ミストラルたちは近くにはいない。

 彼がひとりで勝手に出てくることはないだろうから、ミストラルたちにも考えがあって、フィレル王子をここに来させたのは間違いない。


「僕は少し席を外そうか」


 二人だけにした方が良いのかな、と思ったけど、ライラとフィレル王子の二人に「居てください」と言われてしまい、仕方なく留まる。


「先ほどは、失礼いたしました」


 僕の背後なので、対面して抱き寄せているライラには、フィレル王子の姿は見えているはず。


「まずは自己紹介をさせてください。僕はヨルテニトス王国第四王子の、フィレルと言います」


 ライラの不安そうな気配が、肌を通して伝わってくる。


「僕にはひとり、姉がいます。いいえ、姉がいました」


 過去形にされて、ライラが微かに震える。


「お姉ちゃんはとても美人で優しくて、僕は弟としてとても誇りに思っています。だけどある日、お母様やお兄様から言われたんです。お姉ちゃんはもう、死んでいるんだって」


 そしてフィレル王子は、語りだした。






 ずっとずっと昔。今よりもまだ、ずっと幼かった頃。

 フィレル王子はお城の中で、ひとりの少女と出会った。お城の中には大人ばかり。三人の兄は年が離れ、相手にしてくれない。そんな中で出会った年齢の近い少女に、王子は好意を抱いた。少女は最初、躊躇ためらいがちに王子と接していたが、何度か会ううちに優しく接してくれるようになる。

 しかし、周りの大人や兄たちがそのことを知ると、王子と少女を引き離そうとしだした。

 幼い王子には理由がわからず、また優しくしてくれている少女が恋しく、二人は密かに会い続けた。

 しかし、いよいよ母が怒り、王子は監視の目を絶えず付けられることになる。

 そして王子はその頃にようやく、少女が普通ではないことに気付き始めていた。

 煌びやかな衣装を身にまとった大人や兄や自分。召使いでさえ清潔で整った服装をしているのに、少女はいつもみすぼらしい姿。そして今にも折れてしまいそうなほどにやせ細り、汚れた身体。

 大人たちは少女を目にしても関心を向けず、相手にしないどころか居ない者として扱う。

 そしてある日、母に言われた。貴方には姉などいない。姉は貴方が生まれる前に、死んだのだと。

 母の言葉は余計だった。王子は少女のことを、姉だとは気づいていなかった。しかし度々密会をする二人を疑い過ぎた大人たちは、勘違いをした。王子は少女が姉だと知っていて、会っているのだと。

 母の余計な言葉で、王子は少女こそが自分の姉であり、お城の中が異常な世界であることに気づいた。

 王子はどうにかして、世界を変えようとした。しかし幼児の頑張りなど、たかが知れている。何も変わらない世界。歪で不気味な世界。王子は次第に、お城の中が魔窟まくつにしか思えなくなっていった。

 原因はなんなのか。なぜ姉は亡き者扱いされるようになったのか。成長していった王子は、自力で問題の根源を探り当てた。

 姉の特性。父王の事故。自分が生まれる前の出来事を知る。

 そして自分には何が出来るのかを考えた。

 王子もまた、姉ほどではなかったが竜と上手く接することができない。ならば、そんな自分が立派に竜を従えられるようになれば、姉への評価も変わるのではないか。努力すれば報われることを示せば、姉にも期待がまた湧くかもしない。

 監視が付き、会えなくなった姉。彼女のために、いま自分ができることは、それしかない。

 その日から、王子の過酷な特訓は始まった。だけど成果は現れず、優秀な兄たちには馬鹿にされ。

 そして二年前のある日。姉が城から姿を消した。母も兄たちも、大いに喜んだ。その姿を見て、王子は悔しくてたまらなかった。

 だから、今回の飛竜狩りで必ず成果を出し、兄たちを見返して、居なくなった姉を探しに行きたいと思っていた。






 僕とライラは、フィレル王子の話を黙って聞き続けていた。

 それは、フィレル王子側から見たおとぎ話の裏側で、いくつか知らなかった事実も含まれていた。


「僕は、お姉ちゃんに何もしてあげることができませんでした。なんだかんだと言いつつも、結局は監視の大人たちの目を恐れて、お姉ちゃんを見かけても言葉をかけることさえもできませんでした。だから、今更お姉ちゃんに会っても、きっと何も弁明する言葉がありません。僕は今でも情けないですし……」


 ですが、と語気を強めるフィレル王子。


「もしも。もしもお姉ちゃんに会うことが出来たら!」


 一歩前へ踏み出したのか、下草をしっかりと踏みしめる足音が僕の耳に響く。そしてライラは腕の中で身を硬くし、緊張していた。


「大切なことを伝えたいんです」


 何を? と僕は背中で聞き返す。


「お姉ちゃんは、愛されていました。けっして全ての人から嫌われていたわけじゃないんです!」

「嘘ですわっ!」


 ライラは叫んだ。そんなのは出鱈目で、嘘に決まっている。絶対に信じられない、と叫び僕の腕の中で暴れる。


「落ち着いて、ライラ」


 僕は取り乱すライラを強く抱きしめる。


「ごめんなさい。信じられませんよね。だって、それほどまでに酷い仕打ちを、お姉ちゃんは受けてきたのだから」


 でも、とフィレルは続けた。


「信じてほしいことが、本当にひとつだけあるんです。お父様は、父王は、お姉ちゃんをずっと想っていました。僕のことも家族のことも、ヨルテニトス王国のことも信じてくれなくてもいい。だけど、お父様の愛だけは信じてほしい、と姉に会ったら、伝えたいんです」


 フィレルはライラのことを、今は姉として扱わずに、ひとりの女性として扱っていた。きっと、姉として接しようとすれば、またライラが逃げると思ったんじゃないかな。


「お姉ちゃんに会えたら、伝えたいんです。帰ってきて欲しい。お父様がとても心配しています、と」

「そんなの……そんなの、今更ですわ……信じられませんわ……」


 ライラは暴れた後、小さくなり泣き崩れていた。


「ライラ、僕は思ったことがあるんだ」


 腕の長で震え泣くライラに、そっと話しかける。


「ライラからおとぎ話を聞いたときに、少しだけ違和感を覚えたんだ」


 死んだことにされた。でも殺されず、お城の中に軟禁され続けた。み嫌われていた。なのに、夜中の厨房にはときたまおやつがあったり、衣服を盗んでも何もとがめられなかったり。


 おとぎ話には、幾つかの疑問点があった。

 でも聞いた当時は、ライラの主観も入っていて、きっとねじ曲がった表現もあったのかな、と思っていた。だけど今、フィレル王子の話を聞いて。ヨルテニトス王国の国王が今でも娘を愛し、心配し続けているということを知ったときに、おとぎ話の裏側がわかったような気がした。


 何者かがライラを排除しようとしていたのは間違いない。だけど、それをさせなかったのは、きっと父である国王なんだ。だけど王様も大怪我を負い、ままならない状況で、王女を完全に守りきることはできなかった。

 その結果が、死者扱い、ということかな。その部分はまだ詳しくわからないけど。

 でも、お城の人たちが全員その指示に従ったということは、何か大きな力か権力が動いたことは確かだよね。


 そして次の疑問。死者扱い、存在を認めない、と行動しつつも、たまに深夜の厨房におやつがあった。普通、食べ残しや取り置きだったとしても、厨房の調理台に置きっ放しにはしないよね。作り置きなら保管庫に仕舞うだろうし、食べ残しなら廃棄すると思うんだ。

 それに、衣類。いくら居ない者として無視しろと命令されていたとしても、洗濯物を盗んだら、怒られるまではなくても取り返されると思う。そして、お城には大人ばかりだったというのなら、小さな子供用の衣類がそもそも干されているはずがない。

 これらは全て、命令に従いつつも王女に好意を寄せていた人たちの、最大限の王女への支援だったんじゃないだろうか。


 大っぴらに助ければ、自分の身も危ない。だけど、愛する王女に何かしてあげたい。その瀬戸際の支援が、衣類だったりおやつだったりだったんだと思う。


 そして、お城から居なくなってから。


 兄や母は喜んでいた、とフィレル王子は言っていた。なのに、アームアード王国内だけでなく竜峰にまで王女捜索の手を伸ばそうと必死になっていた人たちがいる。

 居なくなって嬉しいなら、普通は探さない。

 なのに、必死になって探し続けていた。しかもそれは、結構手練れな王国騎士の人たちだったと思う。

 去年、王都近郊の遺跡に魔剣使いが現れた。ヨルテニトス王国の王国騎士が呪われていたんだけど、彼らは密かに王女を捜索していた人たちだった。そして彼らは呪われて遺跡に現れ、勇者のリステアたちと接戦をやってのけたんだ。魔剣使いの技量は、呪われる前の本人の技量だという。

 下っ端の騎士がリステアたちと互角に戦えるはずはない。つまり、優秀な人たちが必死になって行方不明になった王女様を探していたことになる。


 たぶん、心配した国王の命令だったのかも。そうじゃなかったとしても、少なくとも王女をしたう人たちは、実は多くいて、彼らは今でも王女を愛し、心配し続けているんじゃないかな。


 僕の推測だけど、きっと間違ってはいないと思う。僕がライラに話しかけている間、フィレル王子は口出ししてくることはなかった。


「ねぇ、ライラ。もしもヨルテニトス王国の王女様が今、このことを知ったらどう反応するのかな?」

「それは……」

「それでも虐げられた過去は変わらないし、もしかして恨むのかな?」

「そ、そんなことはないですわっ。……ないと思いますわ」

「うん、そうだね。僕も、王女様は優しくて思いやりのある人だと思うし、真実を知ったら、感謝すると思うんだ」

「はい。私もそう思いますわ」

「ライラの身分なんて、僕たちは気にしていないんだけど。心配している人たちに迷惑はかけ続けられないと思う」

「……はい」

「もしもライラがその王女様だったら、王子様や心配している人たちに何かしてあげられるのかな?」

「……とても難しい質問ですわ」

「うん。すぐに答えは見つけ出せなくても良いと思う。でも、何か恩返しができると良いね」

「はい、私もそう思いますわ」

「それと。フィレル王子様はライラが王女様に似ていたから、部屋であんなことをしたんじゃないかな。それは許してあげられる?」

「……はい」


 こくり、と小さく頷くライラ。


「フィレル様も、見間違えですよね?」

「……はい、そうですね。意識を取り戻したばかりで、錯乱さくらんしていたみたいです」


 今ここで、ライラの身分を確定する必要は全くないんだ。フィレル王子のお話も、僕の推測話も、どこかの王女様のことで、ライラには関係がない。それでも良いんじゃないかな。


 僕の妥協案に、フィレル王子とライラは頷く。


 うん、今はこれで良い。これから少しずつ、わだかまりと誤解の溝を埋めていけば良いんだよ。急ぐ必要はないよね。


 僕はライラとフィレル王子の手を取って、広場へと足を向けた。

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