西の少女

 翌朝。

 大きく伸びをして、身嗜みだしなみを整えてから寝所を出る。


 昨夜は、ちょっと話し辛いと思っていた魔女さんと思いのほか話せて大満足でした。


 建物の敷地を抜けてみんなが集まる焚き火の場所へ行くと、魔女さんとアレスちゃんがいた。

 アレスちゃんはあろうことか、魔女さんの膝の上。いつの間に、そんな仲になったんですか!


 アレスちゃんは精霊さんなので、睡眠は必要ない。でも、僕と一緒に寝床に入ったはずなのに。

 昨日とは違う意味で裏切られちゃった。


 そして驚くべきは。

 アレスちゃんはすでに紫色のお芋を手にし、はふはふと頬張っている……ことじゃない。

 魔女さんとアレスちゃんの傍。そこに、黒髪の女性が座っていた。


 少し肌寒く感じているのか、寝ているときにも羽織っていた赤黒い毛皮を膝にかけている。そして、お芋を美味しそうに食べるアレスちゃんを優しい笑みで見守っていた。


 髪と同じ、黒く長い睫毛まつげ。切れ長の瞳。白い肌。

 魔女さんは超絶の美しさだけど、この黒髪の女性も絶世の美女さんだ。


「おはようございます」


 僕に気づいたのか、黒髪の女性は立ち上がって丁寧な挨拶をしてきた。

 僕も慌てて挨拶を返す。

 なんだか、ルイセイネを前にしたような感じ。強要されていないはずなのに、こちらも丁寧な対応をしなきゃいけないような気になっちゃう。


 僕のかしこまった挨拶に、黒髪の女性は瞳を細めて優しく微笑む。

 なんだろう。それだけでいやされます。

 慈愛じあいに満ちた微笑み、というのかな。アームアード王国の巫女頭のヤシュラ様の微笑みに似ていた。


「えっと。僕はエルネア・イースと言います」

「わたしは……」


 僕が名乗ると、黒髪の女性は一瞬だけ魔女さんを見た。そして、少し申し訳なさそうに名乗り返してくれた。


「……アーダ、です」


 偽名、かな?

 僕が禁領に居るように、この人たちにも色々な事情があるんだと思う。それで、本名を名乗れないのかもね。そうした事情を興味本位で探ろうとは思わない。

 アーダさんの名前が偽名だとしても、彼女の申し訳なさそうな雰囲気で許せます。アーダさんは優しい人で、嘘は苦手なのかもね。


「よろしくお願いします」


 何気なく手を伸ばしたら、気前よく握手をしてくれた。

 細っそりとした指。見れば、衣服から覗く手首や首、服の上からでもわかる細い腰が華奢きゃしゃな印象を与える。でも、それは大間違い。

 なにせ、身長は僕よりも高い!

 もしかすると、ミストラルくらいあるのかな。

 そして、握り返された手は細くても力強かった。


「さあ、今日は朝食があるよ。エルネア、悪いけどあるじさまを起こしてきて」

「夜更かしするから……」


 昨夜は結局、ミシェイラちゃんは僕と同じ頃まで起きていた。

 起きられるかな、と思ったけど。今日も朝ご飯で釣ると、あっさりかかりました。


 みんなで賑やかな朝食をとる。

 満腹になると、ナザリアさんは昨日の続きでお肉を処理したり、野草や果物を保存用に仕込み始めた。今日はアユラさんも加勢するみたいで、忙しく動き始める。


「それで、エルネアはどうするんだ?」


 セジムさんが悪巧みをしている悪い顔で聞いてきた。


「僕は、ナザリアさんに頼まれている分をもう少し狩るのと……」


 あとは、昨夜に魔女さんから言われた素材集めがしたいかな。


「アーダ」


 魔女さんも、ナザリアさんの手伝いをするのかな。準備をしつつ、アーダさんを呼ぶ。


「おぬしはエルネアと共に狩りに行け」

「……わたしは一刻も早く帰りたいのだけれど?」

「気晴らしじゃ。お主もたまには気を抜くことを憶えよ」


 どうやら、僕と一緒に狩りに行くことが気晴らしになるらしいです。


「それじゃあ、一緒に行きますか」


 僕が微笑んで誘うと、アーダさんは少しだけ魔女さんをねめつけて、肩を落とした。


 今日はアーダさんが居るから、空間跳躍は禁止かな。でもそうすると、千手の蜘蛛の糸と邪竜の涙はどうやって探そう……

 そもそも、その二つってどこで手に入るんですか!

 お礼のはずなのに、難題の収集物。そして、手がかりさえ貰えない。

 これって、本当にお礼なのかな?


 疑問を残しつつも、準備はおこたらない。とはいっても、弓矢や罠を使用しない僕は、ナザリアさんから三人分の昼食を受け取っただけだけど。

 そして、満腹幼女のアレスちゃんと手を繋ぎ、アーダさんと並んで廃墟の村を出た。


 セジルさんとアゼイランさんがにこやかに僕たちを見送っていた。

 あの人たち、絶対に今日も横取りを企んでいます。

 悪い人たちだ。


「アーダさん、気をつけて。あの二人は獲物を横取りするよ」

「わかりました、気をつけておきます」


 頷いたアーダさんは、僕と同じく手ぶらだった。

 いや、僕よりも身軽ですよ!

 僕は、白剣と霊樹の木刀を所持している。アレスちゃんもいる。だけど、アーダさんは護身用の武器さえ持っていない。


 赤黒い毛皮を腰に巻いている。どうやら、黒い獣の地皮に赤い毛が生えているから、赤黒く見えていたんだね。獣から剥ぎ取った皮をそのまま利用した羽織物はおりものみたいだ。

 アーダさんが意識を失って寝ていたときは、この毛皮を毛布代わりに羽織っていたから、どんな服装なのかわからなかったけど。

 隣を歩くアーダさんの装束は、とても上等なものだ。すそえりなどは青い生地。金糸きんし銀色ぎんしわれていたり、模様が刺繍ししゅうされていたり。ぱっと見で、一般人じゃないことが見て取れる。

 でも、金糸銀糸が使われていたりするのに、全然下品じゃない。

 どちらかというと、おごそかというか……

 これって、ルイセイネやマドリーヌ様が着ているようなものに似ていないかな?

 ううん、巫女頭みこがしらのマドリーヌ様が着ているものより上等かも。


「なにか?」

「あ、ごめんなさいっ」


 じっと見つめすぎていました。

 疑問そうに僕を見るアーダさんに謝る。

 アーダさんは気にしていない、とまた慈愛に満ちた笑みを浮かべた。


 でもさ。弓矢や武器さえなく、アーダさんはどうやって獲物を狩るんだろう?


 ああ、そうか。

 動物は僕が狩って、アーダさんには野草や果物を採ってもらえば良いんだね。

 魔女さんも、そのつもりで同行させたんだと思う。

 確かに、きのこや木の実を採るのは気休めになるよね。


「それじゃあ、動物を探しながら、果物とかを探そう」


 気配を探ると、草原の先に小動物の気配が。

 残念ながらセジムさんとアゼイランさんの気配は読み取れなかったけど、取り敢えず狙ってみよう。

 ということで、気配を消して慎重に進む。


 当たり前というか。

 当然のように、アーダさんも気配を消していた。

 さすがは魔女さんが同行させるだけはあるね。


 腰をかがめて草原を行く。

 空間跳躍なら一気に詰められる距離だけど、もう少し進んだ方が良いかな。と思った瞬間。

 予想通り、獲物の気配がする近くにアゼイランさんが空間跳躍で現れた。


「うおうっ」


 だけど、悲鳴をあげたのはアゼイランさんだった!

 いつの間に間合いを詰めたのか。アーダさんがアゼイランさんのふところに入り、投げ飛ばしていた。


 流れる動き。

 目にも留まらぬ速さ。

 それはまるで、ジルドさんの動きに似ていた。


 投げ飛ばされたアゼイランさんは、驚きの悲鳴をあげながらも空中で身軽に回転し、綺麗に着地する。


「むむむ。やるな、お嬢ちゃんよ」

「こちらこそ。あの距離を一度で跳躍するとは、さすがです」


 アーダさんは微笑んでいたけど、アゼイランさんは顔を引きつらせていた。


「……もしかしてだけど」


 状況に取り残された僕は、恐る恐るアーダさんに聞く。


「もしかしてだけど、アーダさんはアゼイランさんとセジムさんの気配を感知している?」

「もうひとりは、下の森でこちらの様子をうかがっている」


 おおお、女神様よ。

 なんということでしょう。

 僕は全くわからないというのに、アーダさんは的確に把握しています。

 つまりさ。

 アーダさんは、僕よりも凄いということです。


「なかなかにやるな。では、こちらももう少し本気でやらせてもらおう」


 言ってアゼイランさんは、僕たちの前から消えた。


 ……いやいやいや。勝負とか腕試しじゃないんですからね!

 本気ってなにさ……


 アーダさんとアゼイランさんの攻防で、近くに感じていた獲物の気配は逃げてしまっていた。

 僕たちは困ったね、とお互いに肩を落とし、次の獲物を探して霊山を下っていく。


「ねえねえ、アーダさん」

「なにかしら?」

「どうやって、アゼイランさんたちの気配を探っているの?」


 とても気になります!


 アーダさんは特に気負った様子も見せていないし、万物の声を聞いている素振りもない。それなのに、あの極悪耳長族の気配を正確に把握しているすべが不思議でならない。


「どうやって、か……」


 草原を進みながら、アーダさんは細く美しい指をあごに当てて、少しだけ考え込んだ。


「僕の家族のなかにも、完璧に気配を消す人がいるんだけど。どう頑張っても、全然感知できないんだよね。今も、セジムさんやアゼイランさんたちの気配を全く感じ取れていないし」

「あの人たちは耳長族だから。気配を察知できなくても恥じるものではないと思うけど?」

「かもしれない。でも、僕は感じ取れるようになりたい。じゃないと、これから困るから。だから、方法があるのなら知っておきたいんだ」


 きっと、簡単には身につかない技術だろうね。でも、聞いただけでは覚えられないからといって、答えを求めないのは間違いだと思う。

 まあ、他人任せの知識を得ようとすることには後ろめたさを感じているけど。

 それでも、今の僕は少しでも上の技術や知識が必要なんだ。


 アーダさんは僕の真剣な瞳を見つめ返し、それなら、と口を開いた。


「小さい頃に、耳長族に教えられたことがある」

「アーダさんも、耳長族と接触したことがあるんだね」

「ええ、短期間だったけれど。それで。わたしも彼女に会うまでは、エルネアのようにどう足掻あがいても気配の読めない存在が近くにいた」


 今の僕は、アーダさんの幼少期と同じらしいです。

 この人、いったい何者なんだろう。


「エルネアは、気配を察知する、と言ったわね」

「うん。セジムさんたちの気配は読み取れないけど」

「わたしも、そうしていた。だけど、それは違うらしい」

「違う?」

「そう。相手の気配を読む、ということ自体が間違えなの」

「ううーん、意味がわかりません」


 頭を傾けて、アーダさんの言葉の意味を読み取ろうとする僕。アレスちゃんが真似をしている。アーダさんはそれを見て、優しい笑みを浮かべた。


「エルネアも言ったように。人によっては完全に気配を消すことができる。隣にいても、気配を感じ取れない」

「そう。そうなんです。ライラと出会った当初は、隣にいるのに気配を感じないことがあって……」

「気配を完全に消し去る、そういう技術を持つ者の気配は、なにがあっても察知できない。察知できないから、完全に気配がない、とも言う」

「うむむぅ。でも、アーダさんはアゼイランさんたちの気配を察知しているんだよね。それって、完全に気配を消した者の上を行く、気配を読む能力ってことじゃないの?」


 疑問を口にしたら、違う、とあっさり否定された。


「もう一度言うけど、気配を完全に消す者がいる。そういう者の気配は、絶対に探れない」

「それじゃあ、アーダさんはどうやってセジムさんやアゼイランさんの気配を読み取っているの?」


 霊山の緩やかな斜面を下り、森へと入る。

 アレスちゃんを抱きかかえて、道なき森を枝葉をかき分けて進む。後ろから付いてくるアーダさんが歩きやすいようにね。


「わたしが教わったことは。気配のない者を察知しよう、探ろうとするのではなく。世界を感じ取る、ということ」


 アーダさんの言葉に、僕は思わず足を止めて振り返った。


「世界を感じ取る……。それって、竜脈を感じ取ったり、風を感じたり、土の暖かさを感じる、というこかな?」

「竜脈? ……ああ、エルネアはこの地域の者か。わたしは霊脈と習ったけど」


 スレイグスタ老が最初に言っていたっけ。

 竜人族や竜族は「竜脈」と呼ぶけど、なかには「霊脈」と呼ぶ人もいるって。


「エルネアの言う通り。世界には多様な気配であふれている」


 深呼吸をすれば森の気配を感じるし、レヴァリアやニーミアの背中に乗ると、空の気配や風の気配を感じる。

 アーダさんは、そうした世界の息吹いぶきを感じ取れ、と言っていた。


「気配のない者は探れない。だが、その気配のない者の周りには、多様な気配が満ち溢れている。すると、どうだろう。風が吹く。風は自然な流れを作ろうとするけど、気配を殺した者に当たるといびつな流れが生まれる」

「なにもないはずの場所で風がよどんだりってことだね?」

「そう。では、木の枝に気配のない者がいるとどうなる?」

「ううーん。ないはずの重みで、枝がたわむかな。……そうか。地面に足をつけていれば虫たちが避けて通ったり、草が押しつぶされていたり。水のなかにいたら、水の流れや魚の泳ぎの妨害になったり」


 僕の全身に、雷に打たれたような衝撃が走った。


 いつ以来だろう。

 竜脈を感じ取った時以来かな?

 身近に、当たり前にあるもの。竜脈だけじゃない。風の流れや土の暖かさ、木々の息吹、鳥や昆虫の営み。近くにあって、遠いもの。自然の気配はいつでも僕たちに多くの情報をもたらしてくれていた。だけど、それらは自然に満ち溢れていると当たり前に思いすぎて、意識することがない。


 僕や家族のみんなは、万物の声を聞く能力を持っている。でも、その先。声だけじゃなく、世界に満ちる気配を感じ取る能力が大切なんだね。


「なるほど。気配のない者を探すんじゃなくて、世界に満ち溢れている気配のなかの違和感を探し出すのか」


 目から鱗とは、このことです!

 けっして、気配を察知するというこれまでの技術が間違えというわけじゃない。だけど、いま以上の高みを目指すなら、会得えとくしておかなければいけない技術であり、心構えだと思った。


「ありがとうございます!」


 僕はアーダさんの両手を取って、深くお礼を言う。

 アーダさんは僕に突然手を握られて驚いていたけど、どういたしまして、と微笑んだ。


「今の助言だけでよかったのかしら?」

「うん。十分すぎるほどだよ。あとは、僕の努力だと思うから」

「そう。頑張って」

「ちなみに、アーダさんはその教えを受けて、どれくらいで会得したの?」

「わたしの場合は環境や時期が特殊だったから……。半日ほど?」

「むりむり、それはむりー!」


 恐るべし、アーダさん。

 僕も確かな手がかりを掴むことができたけど、半日じゃとても会得できませんよ!

 だけど、半日は無理でも、禁領に滞在している間に会得できるように頑張ろう。

 僕は遠い空を見上げ、固く誓った。


「がんばれがんばれ」


 アレスちゃんが胸元で応援してくれていた。

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