世界の息吹

「意識を世界へ……」

「がんばれがんばれ」


 鳥が枝から飛び立つ。

 枝が揺れ、葉が音を立てる。

 動物が走る。

 土が爆ぜ、草がかき分けられる。


「おおっと!」


 足もとがおろそかになっていて、木の根につまずく僕。アーダさんが慌てて手を差し伸べてくれて、転ばずに済みました。

 抱きついているアレスちゃんが「あぶないよ」と僕を見上げていた。


 ううむ。難しいです。

 目で見れば、世界の変化を確認できる。でも、それを感覚で捉えようとすると、全然上手くいかない。

 今のも、感じていたんじゃない。森の先を見ながら歩いていただけです。


 アーダさんの助言で、新しい世界が開けたような気がした。

 だけと、言われてすぐに会得えとくできるほど簡単なものじゃありませんでした。

 動物の気配を感じることはできる。万物の声を聞き、生き物たちの生命を意識することはできる。でも、土の温かさや草木が踊る気配、風の流れや空に浮かぶ雲の存在を感覚で捉えるのは至難の技だ。

 アーダさんは本当にこれを半日で会得できたの? と疑いたくなるくらいに。


「くだものがたべたい」

「そうだった。そっちの方が最初からの目的だよね」


 いけない、いけない。

 自分のことばかりにかまけていては、アレスちゃんやアーダさんに申し訳ないね。

 まずは、今後の食料を確保するために、食材の追加を優先しなきゃいけません。


 世界を感じる。という意識を持ちつつも、今までのように気配を探って獲物を探す。野草や果物は、アレスちゃんや森羅万象の声が頼りです。


 森を進むと、黄色い木の実がたわわに実った樹木の群生を見つけた。

 辺りに甘い香りが漂っている。


「美味しそう」


 と近づこうとして。

 アーダさんが動いた。

 するり、と滑らかな動きを見せ、黄色い木の実がなる樹木に近づく。そして、一瞬だけ遅れて僕たちの前に突然現れたセジムさんに、襲いかかった。


「ぬおうっ!?」


 不意を突いた空間跳躍を読まれたセジムさんは、それでも反撃しようとアーダさんから距離をとろうとする。


「セジムさん、確保ーっ!」


 残念!

 確かに、僕はまだセジムさんやアゼイランさんの気配を読み取ることはできない。でも、目の前に現れて存在を確認すれば、すぐに動くことくらいはできる。さらに、アーダさんが気を引いてくれているなら、尚のこと。

 僕はセジムさんの背後へと空間跳躍し、関節を極めて押し倒す。


 やられたか、とうなるセジムさん。

 アーダさんは、僕の空間跳躍に少し驚いた様子を見せていた。


「アレスちゃん、例のものをお願いします」

「おまかせおまかせ」


 アレスちゃんは、謎の空間から丈夫な縄を取り出した。

 本来は、狩った獲物を木に吊るして血抜きをする際に使う縄だ。それを、セジムさんに巻きつける。


「な、なにをする!?」

「ふふふ。僕たちに捕まったら、罰としてお縄の刑です。アゼイランさんに解いてもらってくださいね」


 言って僕は、手加減なくセジムさんを縛り上げて、地面に転がした。

 どうせアゼイランさんも一緒に尾行しているはずだから、息子さんに解いてもらってね。

 息子に助けられるお父さん。

 ああ、情けないです。

 にやり、と悪そうに笑みを浮かべる僕とアレスちゃん。アーダさんは苦笑していた。


「さあ、木の実を集めて、次に移ろう」


 セジムさんを転がせたまま、僕たちは甘い香りの黄色い木の実をたくさん集めた。

 そして、無慈悲に次へと移動する。

 黄色い木の実を実らせる樹々の群生を離れてしばらく。気配を探っていると、セジムさんの傍に誰かが現れたのを感じ取った。あの気配はアゼイランさんだね。気配を現して、救出している様子を感じ取る。

 でも、あの二人の周りの世界、流れているはずの空気や、重さが伝わっているはずの土のゆがみは感じ取れない。

 もしかして、先の長い修行になるのかな……


 セジムさんとアゼイランさんの気配を残し、森を移動する。

 この辺は、密林ではないので歩きやすいね。

 柔らかな腐葉土ふようどに足跡を微かに残しながら、木の根に足を取られないように進む。春の日差しは薄い緑の天井に遮られて、少しだけ薄暗い。春先の木陰はまだ空気が冷たいけど、動いている分には木陰の方が気持ちいいね。


 次は、この先の鹿を狙おう。

 狙いを定め、歩みを進める。

 鹿の親子は僕たちに気づくことなく、木の根付近に腰を下ろして寛いでいた。


 セジムさんとアゼイランさんの気配は消えていた。やはり、今の僕には読み取れない。

 でも、違う気配を捉えて、咄嗟に白剣を抜き放った。


 ぞわり、と地中から危険な気配が浮かび上がる。

 竜脈に潜んでいた凶悪な獣が、一瞬にして鹿の親子を飲み込んだ。


「アーダさん、気をつけて。魔獣だよっ!」


 鹿の親子を飲み込むときに一瞬だけ姿が見えた。

 菱形ひしがたの頭部が特徴的な、大蛇の魔獣。下顎が左右に割れ、ひと飲みで鹿の親子を食らった大蛇は、気味の悪い瞳で僕たちを見据えながら、素早く竜脈へと潜っていく。


 アレスちゃんは、邪魔にならないように姿を消す。

 アーダさんは腰を落とし、慎重に周囲を警戒していた。


「さて、どうやって釣ろう」


 白剣を構えたまま、地面に視線を落とす。


 瞑想しなくても、竜脈を感じ取ることはできる。そして、大河の流れに似た竜脈の濁流だくりゅうのなかの違和感を見つけるくらい、今の僕には簡単な作業だ。

 竜脈に潜り、こちらの様子を伺っている大蛇の気配を、僕はしっかりと捉えていた。


「アーダさん、真下から現れます! 避けて!」


 僕の声に、アーダさんは後方へと跳躍した。

 直後。大蛇の魔獣が二つに割れた下顎を大きく開けて地面から飛び出す。


 アーダさんの跳躍が弱い!


 跳躍して回避したアーダさんを空中で捕食しようと、大きく顔を振る大蛇の魔獣。

 アーダさんは空中で身をひねり、なんとか鋭い牙を回避した。しかし、完璧ではなく、大蛇の頭部に跳ね飛ばされる。


「アーダさん!」


 僕は空間跳躍を発動させ、大蛇の魔獣に肉薄する。そして、大蛇の魔獣の頭部と胴を分断するように白剣をきらめかせた。

 薄い紙でも斬り裂く程度の抵抗感だけで、大蛇の魔獣の頭部が明後日あさっての方向へと飛んでいった。

 断末魔もなく絶命した大蛇の魔獣を横目でちらりと確認し、吹き飛ばされたアーダさんに駆け寄る。


「大丈夫ですか!?」


 慌てて駆け寄ったけど、アーダさんは綺麗に受け身をとって無事だった。


「ごめんなさい。思うように身体が動かなくて」

「ううん、僕の方こそ、ごめんね。病み上がりだもんね。配慮してなかった僕が悪いよ」


 見たところ、アーダさんに怪我はない。アーダさんも身体に違和感を覚えてないのか、普通に立ち上がった。


「でも、本当に大丈夫? 魔獣の頭に跳ね飛ばされたように見えたんだけど」

「それなりのものを着込んでいるから。あれくらいなら平気よ」


 立ち上がったアーダさんは、軽く服のほこりを払って苦笑した。


 アーダさんの服は、極上の逸品なのは間違いない。魔獣の一撃を受けてもほころびがない。

 僕は、着るものや防具に関心を向けてこなかったけど。どうやら、アーダさんはそうした方面にも気を使っているようだね。


「防具かぁ。これからは考えないといけないんだよね」


 と口にすると、アーダさんは不思議そうに僕を見た。


「ええっとね。実は……」


 大蛇の魔獣の分断された胴からは青い血がどくどくと溢れ出ていた。

 ううむ、あれは見るからに食べられそうにないね。

 この場に長居をしては、血の匂いで次の魔獣を呼び寄せる可能性がある。なので、移動しながら昨日の出来事や魔女さんに言われたことを話す。

 アーダさんは、顕現し直したアレスちゃんを興味深そうに見ながら聞いていた。


「アーダさんの装束しょうぞくは、かなり上等なものだよね? 腰に巻いている毛皮も、それはきっと普通の獣の皮じゃないと見ましたよ!」


 つくろわれ方が全然違う。

 僕の服は、王都に帰ってきてからというもの、お屋敷に合わせてそれなりのものへと変わっていた。だけど、僕が着用している服とは全然違う。ルイセイネは巫女様なので、僕たちとはまた違う生地や裁縫さいほうの装束だけど、やはりそうしたものとも一線をかくす。

 アーダさんの衣装は、生地糸の一本一本にまで注意が向けられた最上のものに感じた。

 でも、だからといって下品ではない。むしろ、着用者の雰囲気と相まって、厳かな感じがする。


「そうね。自分の実力で手に入れた、という品物ではないけど。家柄で……」


 アーダさんは返答に困ったように苦笑した。

 あまり他言できない物のようだね。詮索するのは止めておこう。


千手せんじゅ蜘蛛くもの糸、ね……」


 僕が気を使って突っ込まないことを感じ取ったのか。アーダさんは話題を変えてきた。


「霊樹の葉っぱは手に入れることができるんだけど。あとの二つが絶望的だよね。魔女さんはお礼と言っていたけど、全然お礼になってません。千手の蜘蛛の生息地どころか、どんな虫なのかってことさえ知らないのに」


 頬を膨らませて不満を口にしたら、抱きかかえているアレスちゃんが真似をして頬を膨らませた。


 ……いいや、違う。

 さっき採った黄色い果実を頬張っていました!

 僕の服の襟元えりもとが果汁で汚れています……


「でも、あれは人をもてあそぶような性格じゃない。この地にいる間に、と言ったのなら、その間に集められる物を指定していると思うけど」

「でも、断言できるよ。禁領に邪竜は生息してない」


 禁領どころか、竜峰にも邪竜はいない。


邪竜じゃりゅうは……。貴方の方が専門のようだから、わたしは口出ししないでおこう。でも、千手の蜘蛛のことなら知っている。確か、深い渓谷の奥に巣を作る魔獣、だったかしら」

「魔獣なのか!」

猩猩しょうじょうなどと同じかくの魔獣だったかしら」

「……は?」


 猩猩と同格の魔獣?

 あの、猩猩さんですか?


 禁領の渓谷を探せば見つかるかも、と目の前が輝いた瞬間。

 奈落の底へと叩き落とされた。


「む、むりだよ……」


 僕はがっくりと肩を落とす。アレスちゃんも、残念そうに黄色い果実を頬張っている。

 アーダさんは落ち込む僕を見て、慌てて言いつくろう。


「確か、恐ろしさは猩猩と同じような魔獣だけど、温厚だと記述されていたわ」

「えっ……!」

「でも、古い文献ぶんけんの知識だから……」

「ううう……」


 アーダさんがどういった文献を目にしたのかはわからない。だけど、あの猩猩と同じような魔獣だという事実だけが頭を支配して、思考が回らない。


 世界の気配を感じるという修行や、次の獲物を探すという目的を忘れて落ち込んでいると。

 ぐいっ、とアーダさんに腕を引っ張られた。


「その子のことが大切なのだろう。なら、少しでも可能性があるのなら、全力で挑むべきだ」


 これまでの慈悲深く優しい雰囲気から一転して。アーダさんは強い眼差しと口調で僕を叱咤しっせきする。

 切れ長の瞳が、強い意志を示していた。

 やる前からあきらめるな。そう僕をしかっている。


「そうか。そうだよね。猩猩と同格ということで無条件に怖気おじけ付いてしまっていたみたい。ごめんなさい、アーダさん。それと、アレスちゃん。絶対に手に入れてみせるよ!」


 アーダさんいわく、千手の蜘蛛は温厚らしい。文献では確かにそう書かれてあった。なら、それを信じて、まずは千手の蜘蛛を探そう。無理かどうかは見つけてから考えることだ。


 気合いを入れ直した僕を見て、アーダさんはまた慈愛に満ちた笑みに戻った。


「それじゃあ、早速探そう!」

「狩りの続きは良いのかしら?」

「うっ……。狩りをしながら、探そう!」

「さがそうさがそう」


 もう一度気合いを入れ直し、ずんずんと森を進む。

 アーダさんは僕を見守るように、後ろから付いてきてくれた。


 牛を狩り、羊を狩り、熊を狩り。野草や果物を採集し。何度となく悪い耳長族に妨害されながら。

 本日の僕に与えられた役目を全うする。

 そうして昼には、湖に面した草原へとたどり着いた。


 衰弱から回復したばかりのアーダさんを歩かせすぎたかも、と思ったけど。アーダさんは疲れを見せることなく、しっかりと僕についてきていた。

 とはいえ、休憩も必要です。

 ナザリアさんから渡されていたお弁当と果汁たっぷりの果実をアーダさんに手渡し、木陰で休憩してもらうことにする。


「エルネアは休憩しないの?」

「狩りはもう十分だと思うから。僕はこれから、千手の蜘蛛を探してみようかと」


 どうやって、と首を傾げるアーダさんを木陰に残し、僕とアレスちゃんは草原へと移動する。

 そして竜宝玉の力を解放させて、アレスちゃんと融合した。


 広い禁領。

 ニーミアやレヴァリアがいれば、空から捜索できるんだけど。地上を走り回ると、起伏に富み、自然豊かな禁領全体を捜索するのには莫大な日数と労力が必要になる。

 でも、僕には広範囲の気配を感知する術があった。


 白剣と霊樹の木刀を抜き放ち。

 ゆっくりと丁寧に、竜剣舞を舞う。

 舞に合わせ、地面から竜脈が湧き上がってくる。手足を伸びやかに広げる動作や身体を回転させる動きに合わせて、練成された竜気を無限に拡散していく。

 攻撃性は必要ない。

 優しい春の嵐が、禁領の広範囲に広がっていく。

 風が舞い踊り、雲が流れる。竜気を受けた草花が活気付き、色鮮やかな花を咲かせる。

 獣が楽しそうに跳ねている。鳥たちが気持ちよく歌っている。


 ……あれ?

 僕は、自然を感じていた。

 世界を感じ取っていた。


 澄んだ意識は、螺旋らせんえがき広がりを見せる竜気の嵐に乗り、禁領の空と大地と水と風、植物や動物たちの営みを僕へと伝えていた。


 そうか。

 アーダさんの助言の前から、僕は身につけていたんだ。

 ただ、正しく認識できていなかっただけ。


 思わぬところに課題の答えがあって、嬉しくなる。つい浮かれて、気分良く竜剣舞を舞ってしまう。

 気づくと、草原はお花畑へと変わり、樹々が季節外れの美味しそうな果実を実らせていた。

 まさか、近くの湖の水が聖水になったりしていないよね……


「素敵な舞だった。厳かな神楽かぐらのようにも見えたし、美しい演舞のようにも感じたわ」


 木陰で、アーダさんが拍手をしてくれていた。


「お粗末様でした」


 僕はアーダさんに深くお辞儀をする。


「それで、成果はどうだったかしら?」

「ううーん。よく考えたら、竜剣舞を舞っている間しか世界を感じ取れないんだと、まだまだ駄目だね」

「ふふふ。そっちじゃなくて」

「あっ。千手の蜘蛛か! ええっとね。霊山の麓の、あっちの方に亀裂があって、その奥になにやら只ならぬ気配を感じたんだけど」


 そうだよね。僕は、千手の蜘蛛を探すために竜剣舞を舞ったんだし。舞っている最中の僕の心なんて、アーダさんにはわからないよね。

 慌てる僕を見て、アーダさんは微笑んでいた。

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