日常復帰はお風呂から

「ぷはー。やっぱり温泉は気持ちいいねぇ」

「呑気な小僧だ。貴様には危機感というものはないのかっ」

「そんなこと言ったってさぁ……」


 顎下あごしたまでお湯に浸かった僕の側を、犬かきで楽しそうに泳ぐオズを見る。

 どう見ても、僕よりも呑気なのはオズだよね。


 ここは男湯。もちろん、妻たちの姿も気配もありません!

 ほぼ貸切状態の露天風呂に浸かり、僕は夕刻に起きた事件を振り返る。


 バルトノワールという男は、嵐の種を撒き散らすだけ撒き散らして、去って行った。

 ヨルテニトス王国では魔剣使いを使って騒ぎを起こし、別の場所では九尾廟の鏡を割ってオズをおびき寄せた。更に、今後はなにやら魔族の国で騒ぎを起こしそうな予感もする。


 ぷかぷかと温泉にうつ伏せで浮く魔族のルイララ。彼はバルトノワールの暗躍をどう思っているのかな?

 ルイララは巨人の魔王の配下であり、領地持ちの貴族だ。

 もしもバルトノワールが魔族の国で騒動を起こした場合、下手をすると自分の領地が巻き込まれたり、直接の被害が及ばなくても魔王の命令が下れば動かなきゃいけなくなる。


「ねえ、ルイララ。急いで帰らなくていいの?」

「ぶくぶく……」

「いやいや、なにを言ってるかわからないからね。ちゃんと顔をお湯から出してしゃべってよ」


 口と鼻をお湯に沈めていても苦しくならないなんてうらやましいけど、うつ伏せで浮いていると溺死体できしたいにしか見えないから、僕以外の人がいるときには気をつけてね!

 ルイララは仰向けにひっくり返ると、熱めのお湯で赤く茹で上がった顔を僕に向けて言い直す。


「なんでかな?」

「だってさ。バルトノワールは魔族の国で騒動を起こしそうなんだよ? 魔王に報告とかしなくていいの?」

「そうだねぇ……」


 僕から、満天の星空へと視線を移しながら考え込むルイララ。


「僕の予想としては、最初に騒動が起きるなら北の魔王が支配していた国でだと思うんだよね」

「どうして?」

「元々が混乱の渦中かちゅうにある地域だからね。あの男の将来的な目論見がどの位置に設定されているかは知らないけど、騒ぎを起こして勢力を広げるなら、魔王の支配が徹底している国よりも、最初から混乱している場所の方が簡単じゃないか」

「なるほど」


 バルトノワールの企み。

 いったい、彼は最終的に何がしたいのか。何を成したいのか。

 夕刻のやり取りを思い返すと、少しだけ手がかりが掴めそうな気がする。


 バルトノワールは、僕と話している間中、微塵も敵意や戦意を見せることはなかった。僕と仲良くしたい、なんてうそぶくくらいには、気安く接していたね。

 それと目上の人、ユーリィおばあちゃんやジャバラヤン様にはきちんと敬意を払っていたように感じる。

 ちょっと過激だけど、村の竜人族の人たちにも手心を加えていた。


 あの後、広場に倒れ伏していた人々を往診したルイセイネとマドリーヌ様は、全員に外傷や後遺症になるような症状がないことを確認している。

 現在、意識を取り戻した村の人たちはいつもの生活に戻っていた。


 今回のことだけを考えると、バルトノワールは根っからの悪ではないように感じる。

 だけど、そこで違和感を覚えるのは、魔族に対しての態度だ。

 いや、正確には魔族の支配者層に対してかな。


 バルトノワールは、魔族の支配者に言及したときにだけ語気が荒かったような気がする。

 そうすると、彼は魔族の支配者に対抗しようとしているのかな?


 太古の武具を装備した魔剣使いに知識を与えたり、九尾廟の鏡を割ったりしたことがバルトノワールの思惑とどう関係するのかは疑問だけど、彼の意識はおそらく魔族の支配者層に向けられている。


 ならば、やはりルイララが言ったように、騒ぎの起こしやすい場所に起点を置き、そこから騒乱を拡大していくのが一番の手なのかもね。


「でもそうすると、僕としては心穏やかじゃいられなくなっちゃうな」

死霊都市しりょうとしのことだね?」

「もう死霊はいないけどね!」


 とはいえ、ルイララの指摘は合っている。


「メドゥリアさんに統治は任せちゃっているけどさ。クシャリラの支配していた国で大きな騒乱が巻き起こって、また難民なんかが増えちゃうと僕も困るよ」


 昨年の秋。結婚の儀のときに再会したメドゥリアさんの話だと、最近では難民の流入も落ち着き始めているらしい。

 最初は、クシャリラの支配していた国中で混乱が続き、行き場を失った人たちが噂を頼りに死霊都市へと流れていた。

 だけど、時間が経てば色々と周囲の情勢も耳に入ってくるし、余裕のあるうちに逃げ出した人は周辺国へと移り、辺境にある死霊都市へとあえて向かう流れは収まりを見せているのだとか。


 だけど、ここで更なる混乱が襲ったら……


「ルイララ、早く帰って魔王に報告するんだ!」

「ええー。少しはくつろがせてほしいな。僕だって慣れない旅路で疲れているんだよ?」

「それは、魔族なのに竜峰に入った君が悪いよ!」


 当たり前のように僕たちに紛れて竜峰旅行を満喫しているルイララだけど、実は色々と面倒を起こしている。

 道中では、竜峰内に入り込んだ魔族の気配に反応した竜族が何度も突撃してきたし、村に着いてからも竜人族の人たちに胡乱うろんな瞳で見られた。

 どれも僕の知り合いということで騒ぎには発展しなかったけど、いい迷惑です。


 そういえば、バルトノワールは魔族のルイララに反応しなかったね。と振り返ったところで、隣接する女湯の方がなにやら騒がしくなる。


「こらっ、暴れないのっ!」


 ミストラルのお叱りの声と、きゃっきゃとはしゃぐ幼い声が重なる。

 そして次の瞬間には、どぶんっとなにかが男湯に転移してきた。


「んにゃっ」

「おわおっ」

「こらっ、プリシアちゃん。お風呂で騒いだら駄目だよ」


 確認するまでもないよね。

 空間跳躍で男湯へと飛んできたのは、つるぺたの幼女です。


「あのね、鬼ごっこをしてたの」

「いやいや、お風呂場で鬼ごっこなんてしてたら危ないからね」

「鬼が来たにゃ」

「んんっと、はやく逃げなきゃっ」

「駄目です!」


 露天風呂から抜け出して走り回ろうとするプリシアちゃんを捕まえる。

 ここは「鬼さん」に幼女を引き渡して叱ってもらいましょう。


 さぁて、女湯から来る鬼さんは誰かなぁ。

 ミストラルかな?

 ルイセイネかな?

 まさか、マドリーヌ様とか!?

 ああ、でもルイララがいるし、妻の裸は他の野郎に見せたくないなぁ。


『わおっ、こっちも広いっ』

『リームが鬼だよぉ』


 子竜たちでした!


 期待を込めて男湯の入り口を見ていたんだけど、男湯と女湯を隔てる垣根を越えて飛んできたのは、フィオリーナとリームでした。


 残念です。


 二体の子竜は、プリシアちゃんを抱きしめる僕に躊躇いなく突撃してくる。


「ぎゃーっ!」


 ざっぱぁーんっ、と大飛沫おおしぶきをあげて、フィオリーナとリームは僕に抱きつく。……抱きつくというか、襲われた!


 子竜とはいえ、僕たちと大差ない体高だ。体重で見れば、圧倒的に竜族の方が重い。そんなフィオリーナとリームに押し潰されて、僕は温泉に沈む。


 竜族って、水中でも長い間息を止めていられるんだね。……じゃなくて!

 沈んだ僕にぐりぐりと頭を擦り付けて甘えてくるフィオリーナとリームの攻勢に、僕は意識が遠のいていく。


 空気!

 空気をください……


「ぶはぁっ!」


 なんとか二体の子竜を押しのけて、湯船から顔を出して息継ぎをする僕。


「こらっ、いい加減にしないと、お仕置きだからねっ」


 ちょっと羽目を外しすぎです。

 たぶん、道中は色々と危険があるからという理由で大人しくしてもらっていたので、安全な村に入って一気に開放しちゃったんだろうけどさ。もう少し手加減してください。


 鬼ごっこはまた明日ね、と約束をして、幼少組をなだめる。すると、プリシアちゃんが率先して大人しくなったので、フィオリーナとリームも僕にぐりぐりと頭を押し付けるのを止めてくれた。


「騒がしい小娘どもだ。親の顔が見て見たいものだなっ」

「オズ……。今度、その親を紹介してあげるね。命の保証はしないけど」


 レヴァリアとユグラ様を前に、オズは同じことが言えるのだろうか。

 どうなっても知らないんだからねっ!


 それにしても……


 僕は男用の露天風呂を見渡して、顔を引きつらせた。


 またうつ伏せに戻って湯船に浮いている、魔族のルイララ。

 楽しそうに犬かきをする、狐魔獣のオズ。

 空を飛ぶ竜種のはずなのに、温泉に気持ちよさそうに浸かる、フィオリーナとリーム。

 僕の膝の上で満足そうに鼻唄を歌っているプリシアちゃんと、長湯が苦手で頭の上に避難したニーミア。

 それと、プリシアちゃんが来たことで顕現したアレスちゃんも、ちゃっかり僕の膝の上に座ってます。


 まるで、動物園だね!


「珍獣の湯にゃ」

「自分で言っちゃうと、どうしようもないね」

「んにゃ」


 ここに竜人族の男性が入って来たら、どんな反応をするのかな!?

 きっと逃げていくだろうね……


「女湯には、竜人族の女の人も入ってたにゃ」

「……つまり、竜人族の男性陣は事前にこの状況を予想していて入ってこないわけですね」

「間違いないにゃ」

「貸切でいいじゃないか」

「たぶん、魔族のルイララが入ってるのが一番の原因じゃないかな!」

「ひどいなぁ。僕としては、陛下の意向もあるし竜人族や竜族とは仲良くしたいんだよ」

「へええ」


 そういえば、ルイララと初めて会ったときは、敵対していたんだよね。ルイララは、竜人族を皆殺しにしそうな気配だったっけ。まあ、あの時は、領民が訳ありの竜人族に襲われて、領主として気が昂っていたからだったわけだけど。

 それが紆余曲折うよきょくせつを経て、今や真っ裸で温泉に浮くような間柄になるなんてね。


「大親友にゃん」

「いいえ、違います!」


 しまった。ニーミアが帰って来たことによって、不用意に思考できなくなっちゃった。


「あっ、そうだ。ねえねえ、ニーミア」

「にゃ?」

「バルトノワールの思考は読めなかった? あとさ、ガフって竜族のことについて教えてほしいな」


 ニーミアは「質問が多いにゃ」なんて言いつつ、濡れた長い尻尾を振ってお湯をかき回しながら答えてくれる。


「男の人は、思考が読めなかったにゃ。ミストお姉ちゃんみたいに守りが固いにゃ」

「というかさ、バルトノワールって種族はなんだったのかな?」


 さっきもちょっと思ったんだよね。


「種族は人族だと思うにゃ?」

「疑問形?」

「認識阻害が入ってたにゃ」

「なにそれ!?」

「身につけている衣服に色々な力が込められていたね。ほら、君たちも持っているだろう? 千手せんじゅ蜘蛛くもの糸でられた生地とか、そういうやつさ」

「ルイララも気づいていたのか。やっぱり、あの人の服は普通の衣類じゃなかったんだね」

「ガフの加護も加わってたにゃん」

「双頭の竜は、やっぱり古代種?」

虹竜にじりゅうにゃん。隠れているのに全然気づかなかったにゃん」

「ユンユンとリンリンも気づかなかったって」

「はっ、そういえば!」


 慌てて前を隠す僕。

 いや、すでに幼女二人組に挟まれて隠れていました。


「誰が男湯なんて覗くかーっ!」


 女湯の方から、リンリンの叫びとおけが飛んで来た。

 どうやら、実体化して温泉を楽しんでいるらしい。……待て待て、それよりもだ。なぜこちらの会話が女湯の方に届いているのかなぁ?


『すまん』

「きゃーっ」


 ユンユンも向こうで温泉を楽しんできてっ!


「エルネアお兄ちゃんがプリシアに変なことをしないか監視してたにゃん」

「僕は変態さんじゃありません!」

「んんっと、へんなことってなに?」

「へんたいへんたい」

「プリシアちゃん、世の中には知らなくてもいいことがあるんだよ。それとアレスちゃん、なんてことを言うんだい!」


 慌てる僕を、プリシアちゃんは首を傾げて見つめていた。


「そ、それよりもです。虹竜は古代種の竜族って認識でいいんだよね?」

「そうにゃん。隠れるのが得意にゃん」

「それで、誰も気づかなかったのか。でもまさか、古代種の竜族まで向こうの勢力に加わっているとなると、困ったね……」


 ガフという双頭の竜は、どう見ても成竜だった。

 僕には、竜峰同盟りゅうほうどうめいを中心に大勢の竜族の仲間がいる。ニーミアとリリィなんて、古代種の竜族だ。

 だけど、古代種の成竜が相手となると、どれだけ力の差があるのか……


「アシェルさんはこっちに来ない?」

「お母さんは、しばらくは真面目にお仕事にゃ」

「ふぅむ……。ガフのことは、おじいちゃんに相談した方が良さそうだね」


 そろそろお風呂から上がろうか、とみんなを促す。


 バルトノワールの登場で、色々と考えたり先んじて手を講じておいた方が良いような様相ようそうていしてきたけど、まだ情報が少なすぎる。

 もう少し、様子見が必要な段階かな?

 ともかく、今は母親連合の旅に注力しよう。

 せっかくの旅行だしね。滅多にない経験だから、良い思い出にしてあげたい。


 さて、長旅の疲れを癒したら、あとは宴会だー、と僕たちは元気よくお風呂を上がった。

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