宣戦布告

 歳の頃は四十前後だろうか。どう見たって、僕の兄と言えるような年齢ではない。それどころか、父さんや母さんよりも年上なんじゃないのかな。

 だけど髭面の男は確かに、僕を見て「兄弟」と言った。


 漆黒の髪は乱雑で、もみあげから繋がった濃い髭は口元を覆っている。でも不潔ふけつとか身だしなみが悪いという印象を与えないのは、その立ち振る舞いからくる全体的な雰囲気のせいかな。


 僕たちの背後で身を潜めて警戒している母親連合の大半は、れっきとした王妃様。雑談したり呑気に観光しているときにも気品を失わないような、根っからの王族だ。

 髭面の男も、こうした高貴な雰囲気を醸し出している。だけど、生まれながらの王侯貴族とかそういったたぐいの気品ではない。

 どちらかというと、自分をみがき上げ、動作の無駄をなくしていった結果の立ち振る舞い。

 そう。まるで、いつでも格好良いセフィーナさんが目指す極地に立つ、そんな感じ。


 髭面の男は、偉丈夫いじょうぶ、とまではいかないけれど、立派な体格をしている。よれよれの服を盛り上げている筋肉は、しっかりと鍛錬をしてきた人のそれだ。

 わざと着崩しているのか、それとも身だしなみに頓着とんちゃくがないのか、それはわからない。でも、着ている衣服はよれよれに見えて、実は上等なものだとひと目見ただけでわかる。


「まずは、名乗っておこうか。俺はバルトノワール。見ての通り、しがない中年男だ」

「……しがない中年のおじさんが、大勢の竜人族を相手にして全員を打ち負かすとは思えないんですけど?」


 バルトノワールと名乗った髭面の男は、にこやかに握手でもしようかという雰囲気だけど、僕たちはだまされないよ。

 彼の瞳の奥に光る意志は、油断なくこちらを伺っている。


 村の広場に累々と横たわる竜人族の人たち。

 他の種族よりも戦闘力に優れた人たちを大勢相手にして、こうも一方的に打ち負かしたバルトノワールと、気安く触れ合おうとは思わない。


 僕の拒絶に、バルトノワールはわざとらしく肩をすくめてみせた。


「残念だ。君とは仲良くしたいと思っていたんだがね、エルネア君」

「僕の名前を知っているんですね」


 僕は「バルトノワール」なんて男性をこの場で初めて知った。でも、この人は前から僕のことを知っていたらしい。

 いったい、何者なんだろう?

 気さくな態度を取ろうとするバルトノワールとは逆に、僕たちは警戒心全開で身構える。


「やれやれ、そう邪険にされると俺の肩身は狭くなってしまう。なぁに、君はとある界隈かいわいでは話題の少年だからね。俺の耳にもこうして届いてきたわけだ」

「とある界隈?」

「ああ、それはおいおい君自身で探ってほしい。それよりも、だ」


 バルトノワールは、横たわる人々を見下ろす。


「君と穏便に接触したかったのでね、彼らが邪魔だっただけさ。俺としても、竜人族とことを構える気はないんだ。ということで、誰も殺しちゃいない。気を失っているだけさ」


 ははは、と呑気に笑うバルトノワール。

 だけど僕は逆に、背筋を凍らせた。


 殺してはいない。気絶させただけ。それってつまり、手加減をしたってことだよね?

 多数の竜人族を相手に……


「……エルネア君、確かに彼らは気を失っているだけです」


 身近に倒れていた女性を往診していたマドリーヌ様が、バルトノワールの言葉を裏付ける。それで、余計に僕たちは戦慄せんりつした。


「俺は嘘は言わない主義なんだがなぁ。まあ、巫女様の発言のお陰で信じてもらえたようでなによりだ。というわけで、ここからは仲良く行きたいところなんだがね?」


 バルトノワールは、あくまでも敵意はないんだと示すように両手を広げて主張するけど、そんなの信用できません。

 僕はいつでも腰の武器を抜き放てるように気を張る。ミストラルたちも、なにかが起きればすぐに母親連合の面々をかばえるような立ち位置を取っている。


「……やれやれ。温泉に浸かりながらゆっくりと、というわけにはいかないようだ。まいったね。だがまぁ、目的の半分は達成したから良しとするべきか」


 言ってバルトノワールは、僕から狐魔獣のオズへと視線を移した。

 オズはまだ傷が完治していないのか、それとも甘えているだけなのか、今はセーラ様に抱きかかえられている。そこへバルトノワールに見つめられ、びくりと震えた。


「もしや、オズに何かしらの変化が起きると予想していたんだがねぇ。どうやら見当違いだったか」

「……オズを知っている?」


 僕のことだけじゃなく、オズのことまで知っているなんて。つい聞き返してしまった僕に、バルトノワールはにやりと笑みを浮かべる。


「九尾廟については、色々と噂があってね。まぁ、どれも魔族がらみのろくでもない噂なんだがね。それで、独自の検証をしてみたんだが……。宝鏡ほうきょうを割れば、オズになんらかの異変が起きるんじゃないかとね。ほら、よくある話だろう? 重要な場所を守護していた者こそがまつられた本体で、なにかしらの出来事がきっかけで封印が解けるってやつさ」

「まさか、九尾廟の鏡を割ったのは貴方なんだね!」


 僕の指摘に、バルトノワールは髭に隠れた口の端を上げただけで、否定はしなかった。


「とまあ、そういうわけで。俺はエルネア君と一度話してみたかったのと、オズを確認したかっただけさ。ほら、竜人族と争う必要性はないだろう? それなのに、彼らときたら……」


 はぁと、またもや肩を落とすバルトノール。

 いかにも竜人族の方から襲ってきたと言わんばかりだけど、こんな得体の知れない人が村に現れたら、誰だっていぶかしむと思う。


「でもまさか、オズがエルネア君の庇護下に入るとは予想していなかった。君と会ったあとに、オズを追いかけようと思っていたところなんだがね。それと、もうひとつ」


 今度は、ミストラルたちを見るバルトノワール。


「どうやら、手に入れた情報が部分的に間違っていたようだ。いや、情報を拾い損なった、と言うべきか。最初の言葉を訂正させてもらおう。初めまして、同輩どうはいたち、と」

「同輩……っ!?」


 得体の知れなかったバルトノワールの正体が思い浮かび、息が止まる。


 最初に、僕のことを兄弟と言った。そして、ミストラルや家族のみんなを見て、同輩と言い直した。

 つまり……!


「剣聖ファルナ様に見初みそめられた、というのは結構稀な話でね。俺はウォレンという男だったわけだが……。まあ、それは置いておいて。つまり、そういうことさ」

「どうして……」


 呼吸の仕方って、どうやるんだっけ?

 痙攣けいれんしそうな胸。激しい運動なんてしていないのに、激しく脈打ち出す鼓動。

 喉の奥につっかえた何かを吐き出すように漏らした僕の言葉に、バルトノワールは言う。


「まさか、その身になって今更『どうしてこんなことをするのか』なんて言わないだろうね? 君も、いや、君たちも言われたはずだ。自由に生きろ、とね」


 夢見の巫女様はたしかに言った。思うままに生きて良い、自由に世界へ干渉しなさい、と。

 でも、だからといって……


「許されないこともある? いいや、違う。彼らは全てを許すんだよ。なにもかもを。そもそも、彼らの選定基準からしてそうだ。選ばれた君たちなら理解しているはずだ。俺たちは何かを成したから選ばれたのではない。何かを成す可能性があるから選ばれたのさ。よもや、種族間抗争の中心で活躍した程度で選ばれたなんて勘違いはしてはいないだろう? あれはきっかけであり、そこで可能性を示すことができたから選ばれたんだよ、君たちは」


 どうやら、バルトノワールという男は、僕たちの過去を調べつくしているらしい。


「彼らは無責任だと思わないかい? 可能性だけで選んでおいて、あとは放置さ。俺たちがなにをしようが気にしちゃいない。善行を積もうが、悪徳に走ろうがね」

「……それで、貴方は悪徳に走ったわけですね?」


 なんとか声を絞り出して言う僕に、バルトノワールは首を横に振る。


「悪徳であるかどうかは、後世の判断に任せるよ。ただ、俺は俺の正義と信念を貫くだけだ」

「貴方の正義とは? 無意味に竜人族を倒したり、魔が封印されている九尾廟の鏡を割ることが信念に通じるの?」

「はははっ、これは痛いことを言われてしまった。だが、信じてほしい。俺はなにも君と事を荒立てようと思っているわけじゃないんだ」

「竜人族のみんなを手にかけておいて、それを言うんですか!」


 僕と接触するためだけに、村で平和に暮らしていた人たちを気絶させた?

 殺していないだけまし、とでも言いそうなバルトノワールに、ようやく胸の奥に詰まっていたものが出た。


「まだ若い君には、こうして守りたいものがあるんだな。それは失礼した」


 僕の怒気を真正面から受けて、バルトノワールは改めて倒れ伏した人々を見る。だけど、後悔なんてしていない目だ。

 目的のためなら、どんな犠牲や凄惨せいさんな結果にも気を止めない。


「貴方は、いったいなにをしようとしているんだ!? 僕と接触しようとしたり、九尾廟の鏡を割ったり!」

「……オズを追ったり、魔剣使いに余計な知識を授けたり、かな?」

「なっ!」


 ま、まさか……!


「ヨルテニトス王国での魔剣使いの騒ぎは、貴方の暗躍か!」

「はははっ、これはしまった。口はわざわいの元だなぁ」


 ぼさぼさの頭を掻いて苦笑するバルトノワール。だけど、あれはわざと口を滑らしたんだ。

 いったいぜんたい、彼はなにを目論んでいるんだろう。


「まぁ、君と接触したのはあれだ。ほら、この辺は君の縄張りだろう? この辺、というか魔族の国の方は、かな。君たちはまだ知らないようだから、先輩が教えておいてやろう。この辺一帯は長年、君たちのような者は立たなかったんだ。なぜだかわかるかい? 魔族の支配者どもが強力すぎるからさ」

「ユーリィおばあちゃんやジャバラヤン様がいるけど?」

「あのお二方は違う。正確にはよその地域で選ばれて、今はこの辺に住んでいるというだけだ」


 どうやらバルトノワールは、僕のことだけじゃなて、く耳長族の大長老ユーリィおばあちゃんや獣人族の祈祷師きとうしジャバラヤン様のことも知っているみたい。それと、あの二人を目上扱いしているってことは、おばあちゃんたちよりも近年になって選ばれた人なのかもしれないね。


「ご老体のお二方はともかくとしてだね。この辺で用事があるのに、縄張りのあるじにひと言も挨拶しないのは失礼だろう? とまあ、そういうわけで、君とは面識を持っておきたかったわけだ」


 面識を持つだけなら、無関係な竜人族の人たちを打ち倒す必要はなかったはずだ。

 それなのに、バルトノワールは荒事に手を染めた。

 つまり、これは僕に対する脅しを含んでいる。


 自身の力を先ずは示し、彼の言う「用事」に干渉してくるようなら容赦はしない、と。そして更に深く考えるなら、縄張りの主と認識している僕にこういう言動をとるってことは、つまりこの周辺地域で騒ぎを起こすことを事前に知らせているとも取れる。

 周辺地域というか、これまでのことを総合すると、魔族の国かな?


 伝えたい思惑を僕が正確に読み取ったと判断したのか、バルトノワールは満足そうに笑みを浮かべた。


「俺がやろうとしていることに、君たちは関わらないでほしいね。だが……」

「守りたい者のためなら、僕たちは躊躇いなく立ちはだかります!」


 バルトノワールの言葉を遮って、宣言する。


 魔族を救いたいだとか、世界平和のために、なんておごったことは言わない。だけど、手を差し伸べられるのに見て見ぬ振りなんて絶対にしない。


 宣戦布告とも取れる僕の言葉に、しかしバルトノワールはこれまた満足そうな表情を見せた。


「そうか……」


 そして、ここでの用事は済んだとばかりに僕たちから背を向けて立ち去ろうとする。

 無防備で、隙だらけの背中。

 襲撃しようと思えば、いくらでも手が出せそうな状況だけど、僕たちは無言で見送る。


 正直、竜人族の人たちに手を出された時点で罪人として取り押さえたほうが良かったのかもしれない。だけど、衝撃の事実や予想外の展開に、僕だけじゃなく誰もが手を出す機会を逸してしまっていた。


 だけど、それは正解だった。


「ガフ、待たせたな。それじゃあ、移動しようか」


 こちらに背を向けて立ち去ろうとするバルトノワールは、何もない空間に向かって声をかけた。すると、ゆらりと空間が歪み、突然巨大な竜が姿を現わす。


「んにゃっ!」


 プリシアちゃんに抱きかかえられていたニーミアが、驚きで跳ねた。


「長話がすぎるぞ、バルト」

「長居をしていれば、竜の森の老竜に目をつけられかねん」


 バルトノワールの呼び声に、転移してきた!?

 いや、違う!

 最初から、バルトノワールの背後に隠れていたんだ!

 僕どころか、古代種のニーミアにまで気配を気付かせないなんて。


 出現した巨竜は、異様な容姿をしていた。

 レヴァリアよりも巨大な体躯たいくには、てらてらと虹色に変色する鱗が並ぶ。翼の骨格は太いけど、飛膜は透明で背後が透けて見える。

 そしてなによりも驚かされるのが、巨大な胴体から生えた二本の尻尾と、二本の首だった。


 多頭竜。

 咄嗟に、邪悪な竜種が頭を過る。

 でも、きっと違う。

 竜族でも、人の言葉を介する種類は高等な者たちだけだ。

 例えば、古代種とか……


 もしも考えなしにバルトノワールに襲いかかっていたら、僕たちは逆に、背後の竜に打ちのめされていたかもしれない。


 絶句する僕たちをよそに、バルトノワールは無造作に双頭の巨竜へと跨る。


「そう言ってくれるな。俺としても、後輩に挨拶をしておきたかったのさ」

「くだらぬな」

「邪魔者はさっさと潰してしまっていた方が良いのでは?」

「エルネア君は邪魔者じゃない、大切な同輩さ」

「その同輩者と無用な関係を持って、後々邪魔をされては目も当てられんがな」

「……いや、お前は……」


 ガフと呼ばれた巨竜は翼を羽ばたかせながら、興味深そうにこちらを見下ろす。


 二つの頭で。


雪竜ゆきりゅうの子供か、珍しい」

「それに、四つ目の子竜と翼竜の子竜。やれやれ、子供ばかりだな」


 まるでユフィーリアとニーナのように言葉を補い合うガフは、僕たちに視線を向けたままゆっくりと上昇していく。


「ああ、最後にひとつ」


 飛び去る前。上空からバルトノワールが声を降らせてきた。


「オズ、君は九尾廟の主の正体を知っているのかい?」

「主様は、偉大な魔族である!」

「……どうやら、あの魔獣はなにも知らぬらしい」

なんじ目論見もくろみは完全に外れたな」

「やれやれ、まいったねぇ」


 どうやら、ガフがオズの思考を読んだらしい。

 バルトノワールは確認を終えると、ガフと共に夕暮れの空へと飛び去っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る