温泉の村

 竜峰の旅は、途中でオズを拾ったこと以外は順調に進んだ。

 結局、まだ満足に歩くことのできないオズが完全回復するまで、面倒をみることになっちゃった。

 だってさ。母さんたちが気に入ったみたいで、離そうとしないんだもん。


 可愛いといえばニーミアが最高だとは思うんだけど、こっちはプリシアちゃんが独占しているからね。


「にゃあ」


 旅の基本は、地竜たちに乗せてもらって安心安全な道のり。途中、コーネリアさんの案内で観光も満喫する。

 コーネリアさんの娘であるミストラルは、僕と一緒に西へ東へと飛び回っているけど。どうやら母親も独身時代は竜峰中を旅して回っていたみたいだ。


「わあっ。水が綺麗だね」

「エルネア様、水がまるで宝石のように綺麗ですわ」

「そうだね。翡翠色ひすいいろで水底まで綺麗に見えるよ」


 賑やかな都から人の寄り付かないような秘境まで各地を見て回っている僕たちでも、竜峰の自然に関していえば、コーネリアさんの足もとにさえ及ばない。

 ちょっと歩きましょう、と案内された谷間には、急流ながら美しい流れを湛えた小川があった。

 耳を支配する水の流れはどこまでも清涼せいりょうで、見える景色全てが美しい。

 春らしい輝く緑を反射した水面は自然の宝石だ。急流に逆らうように泳ぐ魚は、春の訪れを喜んでいるよう。


「冷たいわ」

「美味しいわ」


 手酌てしゃくで喉をうるおすユフィーリアとニーナが満足そうにはしゃいでいる。それを見たプリシアちゃんが小川に突撃しそうになって、ルイセイネが慌てて抱きとめていた。


「プリシアちゃん、水遊びにはまだ寒いからね」

「エルネア君の言う通りですよ。流れも速いですし、危ないですからね」

「あのね。プリシアはお魚さんを獲りたいの」

「夕食は川魚というのも良いですわね」


 すると、レネイラ様がお肉中心の食事からの転換を提案する。


「エルネア?」

「えっ、ミストラルさん。その、なにかを期待する瞳はなんだい?」


 ほら、プリシアちゃんに注意したばかりじゃないか。

 小川は雪解け水で冷たく、流れも速い。

 そして僕たちは、釣り道具なんて持参してきていない。


「そういえば、ルイララは水生の魔族だよね!」

「海が専門なんだけどねぇ」


 なんて愚痴をこぼしつつ、ルイララもお魚が食べたいのか、躊躇ためらいなく小川へと足を延ばす。

 そして、濡れた岩場でつるりっと滑り、下流へ流されていった。


「さようなら、ルイララ。君のことは三日くらいは忘れないよ……」


 急流に流されていったルイララに手を合わせる僕。


「こらっ、エルネア。お友達は大切にしなきゃいけないよっ」

「痛いっ」


 魔族の犠牲をとむらう無慈悲な僕の頭に、母さんの手加減のない拳骨げんこつが飛んできた。

 僕は仕方なく、流れていったルイララを探しに下流へと追っていった。






「コーネリアさん、あの頭上に空いた横穴はなにかしら?」


 ちょい歩き観光は続く。

 夕方前。竜の道ばかりではなく、人が利用する道をちょっと体験してもらいましょうか、というコーネリアさんの提案でやってきた山道。

 竜の道とは違う細く荒々しい道に、母親連合のみなさんは少し歩いただけで一気に疲弊する。

 僕なんて、体力のない母さんを背負う羽目になっちゃった。


 そしてたどり着いた、山間部の崖沿がけぞいの道。

 岩肌がむき出しになった断崖だんがいの、見上げる高さに空いた横穴を目ざとく見つけたのはセレイア様。

 思いっきり跳ねても届きそうにない高さに存在する人口の横穴に、母親連合のみなさんは首を傾げていた。


「エルネア君、あれがなにかわかる?」


 すると、コーネリアさんは自分で答えずに僕へ振ってきた。

 ごほんっ、と僕は咳払せきばらいをして、母親連合の疑問に答える。


「ええっとね、あれは竜人族の旅人が寝泊まりする穴なんだよ」

「まあっ、あんなに高い位置にありますよ?」

「そうだわ。飛び跳ねても届きそうにないくらい高い位置ですし、どうやって穴に入るのかしら?」


 すると、十五歳当時の僕と同じような疑問に至ったアネス様とカミラ様が首を傾げる。


「僕たち人族には絶対届かないような高さだけど、竜人族の人たちなら届くんだよ」

「本当に?」


 息子の言葉を信用しない母さんは、胡乱うろんな瞳で僕を見たあとに、なにかを期待するようにミストラルを見た。


「では、実践してみましょう」


 ミストラルは笑って、僕の答えが正しいと証明してくれる。

 ぐっと腰を落として下半身に力を込めると、高く跳躍する。

 人族の何倍もの跳躍力で、ミストラルは楽々と横穴に飛び移った。


「まあ、凄い」

「あの高さなら、魔物なんかも襲ってこないわね」

「浮遊するような魔物もいるから、絶対安全ではないですけどね」


 魔獣も、跳躍力のある個体だとあの高さでも意味をなさない。なので、あくまでも気休めだ、と竜峰の自然の厳しさを熟知し、魔物や魔獣の恐ろしさを十分に理解した今の僕なら言える。

 そして、たとえ気休め程度だとしても、その「気休め」さえできない地べたで休むよりかは何倍も安心なのが、竜峰なんだ。


「でもさ、エルネア。竜人族のなかにも、ミストさんのような人ばかりじゃないだろう? 跳ねてもあそこに届かない人は、やっぱり苦労するのかねぇ?」

「母さん、それは根本的に間違った理解だよ」


 人族にだって、能力の上下はある。

 僕に背負われてここまでやってきた母さんは、普通の人族の一般的なおばちゃんであり、平均的な身体能力しかない。逆に、若い頃は王様と一緒に冒険していたというアームアード王国の王妃様たちは、苦労しながらもなんとか自分の足でここにたどり着いたくらいの身体能力はある。

 母さんは、竜人族にもこうした能力の差があるだろうから、全員が全員、ミストラルのように簡単に横穴へは入れないよね、と言っているんだ。

 でも、それは根本な部分からの大間違い。


「母さん。平地だと、ちょっと頼りなさそうな人やお年寄りや子供でも、お金を積めば旅ができるよね。でも、竜峰は違うんだよ。自分自身の面倒を見られないような人は、そもそも村から出るのでさえ難しいんだ。だから、あの横穴にさえ入れないような人なんて、竜人族であっても旅はできないんだよ」

「はぁ、大変なんだねぇ」


 竜人族の若者は力と知識を付け始めると、少しずつ村から出る訓練をする。だけど、適性のない人なんかは隣り村に行くことさえ困難なんだ。

 竜峰の自然は、それだけ厳しく危険なんだよね。


 コーネリアさんは、本当の竜峰の片鱗をみんなに見てもらいたかったのかもしれない。

 だけどそれは、気楽に旅をする母さんたちへの忠告ではなく、お互いにもっと理解しあって、もっともっと深く仲良くなりましょう、という親睦の表れだった。


「さあ、今日の観光はここまでね。帰ったら、ルイララ君が捕まえたお魚を頂きましょう」


 雲よりも高い峰々に四方を囲まれた竜峰の日暮れは早い。

 暗くなっちゃうと、恐ろしい魔物や魔獣たちが本格的に跋扈ばっこしだす。その前に、地竜が待つ本日の野営地まで帰らなきゃね。


 コーネリアさんの案内で、僕たちは来た道を戻る。

 すぐ近くなんだけど、帰りもみんなひぃひぃと悲鳴をあげていた。


 くっくっくっ。

 母親連合のみなさんは、明日は全身痛ですね。






 翌日からも順調な行程が続いた。

 強風により、たきの流れが途中から霧のように舞い消える瀑布ばくふを観光したり、見晴らしの良い山に登ったり。

 本当に、コーネリアさんはいろんな場所を知っている。

 護衛役のはずの僕たちも、竜峰観光を楽しんだ。


 そして、何日か野宿を繰り返しながら竜峰の奥へと進んだのち。


「今日は村に宿泊です」


 というコーネリアさんの提案に、マドリーヌ様とセフィーナさんが喜びのあまり抱き合っていた。


 ううむ、どうやら本当に辛かったみたいだね。

 普段は地竜に乗って移動し、コーネリアさんの観光案内のときだけ歩く母親連合の面々とは違い、二人は自力でついて来ていた。

 このへんで、ちょっと休息を入れるくらいは許されるんじゃないかな。


「この先なら、アブドラン部族長の村ね? なら温泉が有名だし、二、三日くらいは滞在していくのかしら、母さん?」


 僕と同じように、頑張っている人には優しいミストラルが気を利かせて数日の滞在を提案する。


「そうね。そうしましょうか」


 コーネリアさんも、マドリーヌ様とセフィーナさんを見て微笑んだあとに了承する。


「良かったわ……。もう限界だったもの」

「良かったわ……。もう無理だったもの」

「あっ、実はユフィとニーナもいっぱいいっぱいだったんだね?」

「エルネア君、わたくしも実は……」

「ええっ、ルイセイネもなのか!?」


 そういえば、僕の身内のなかにも竜峰をしっかり歩いたことのない人がいました!

 いつも僕と一緒に冒険をしているみんなだけど、よく考えると、移動はニーミアやレヴァリアに頼りっきりだったもんね。


 ルイセイネたちも、この旅では徒歩の移動だったので、みんなくたくたに疲れていたみたいだ。


「エルネア様、わたくしも疲れましたわ!」

「ライラ、貴女は自力でわたしの村の近くまで来られるくらいの能力があるでしょう」

「はわわっ、それは昔の話ですわ」

「昔で大丈夫なら、今はもっと大丈夫でしょうっ」

「ああっ、エルネア様、お助けくださいませっ」


 ……ライラさん。君だけは自力で竜峰を踏破とうはしていたよね。しかも、痩せ細った体でさ。さらに言うなら、レネイラ様に甘えたい彼女は、時折地竜に乗って歓談していましたよね!

 甘えは許さない、とミストラルに引っ立てられていくライラは、悲しそうに僕へと手を伸ばしていた。


「よし、今日を頑張れば休めるね。みんな、がんばろー!」


 僕はこぶしを突き上げて、気合いを入れ直す。


 竜の道は、竜人族の村まで通じてはいない。なので、集落の近くまで地竜のお世話になると、僕たちは人の使う道に入ってアブドラン部族長の村を目指すことになる。

 地竜たちとは、また数日後に竜の道の先で再会です。


 村落が間近にあるせいか、幾分舗装された人の道。それでも急勾配きゅうこうばいの坂や断崖に沿った危険な道で、僕たちは慎重に進む。

 すると、ごつごつとした大きな岩が並ぶ先に、住居の輪郭が見え始めた。


「温泉、温泉!」

「おんせんおんせん」


 自然と弾む僕の足取り。アレスちゃんも浮き浮きです。

 みんなは……ちょっと歩いただけで疲れの色を見せていた母親連合の面々も、本日の終着点がようやく見えて、元気を取り戻したみたいだね。

 ぜぇぜぇ、はぁはぁ、と荒い息を吐きながらだけど、笑顔を取り戻して足を動かす。


 一歩一歩進むたびに、村の輪郭が近くになっていく。……まあ、それは当たり前なんだけど、疲れ果てているみんなには希望の光に思えるのかもね。


 踏み固められただけの道が、石畳で舗装された立派なものへと変わる。

 大きな岩を迂回しながら坂道を登ると、村を囲む石造りの外壁にたどり着いた。

 外壁の奥には、湯けむりに包まれた家々が。


「さあ、あとひと息だよっ」


 僕はみんなをふるい立たせ、村の入り口をくぐる。


 さあ、温泉です。

 楽しみだなーっ!


 僕だけじゃなくみんなも、温泉の蒸気がかもし出す独特な匂いに顔色を明るくする。

 どこに泊まるのかな?

 コーネリアさん、案内をお願いします!


 意気揚々いきようようと村を歩く僕たち。

 規模としては、ミストラルの村くらいなのかな?

 温泉が有名みたいだし、旅人が多く訪れるのかもね。なんて陽気に話しながら民家を過ぎて村の奥へ。

 だけど、このときに気付くべきだった。


 煙突えんとつから蒸気を出す家屋。道端みちばた側溝そっこうの流れもお湯みたいで、ここからも湯気が。

 村全体が温泉一色と言っていいような雰囲気。


 だけど、肝心なものが抜けていた。

 道を行き交う人々。村に住む人たちの気配。


 久々に屋根のある場所でゆっくりできるという喜びに思考を支配されていたせいで、危険を察知するのが遅れてしまった僕たちは、村の広場で愕然がくぜんとしてしまう。


 お湯の泉だろうか。

 湯気を立ちのぼらせる円形の泉が中央に造られた村の広場。そこに累々るいるいと横たわる人々。


「やあ、そろそろ来る頃だろうと思っていたんだ」


 周囲の異様な光景とは真逆で、平和そうに泉に足を浸す男だけが、泉のふちに座っていた。

 男は僕たちを確認すると、髭面ひげずらの顔に笑みを浮かべて立ち上がる。


「待っていたよ、兄弟」


 そして、男は僕を見てそう言った。

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