砕かれた鏡

「はい、オズちゃん、あーん」

「うむ、苦しゅうない、苦しゅうないぞ。あーん」

「エルネア、また変なものを拾ったのね?」

「はわっ。ミストラル、これは僕じゃないよ。ユンユンとリンリンだよ」

『面目無い』

『見つけただけだもん』


 地竜の背中に据えられた鞍の上でスフィア様に抱きかかえられて、レネイラ様から食べ物を与えられているのは、さっき拾った狐魔獣のオズ。

 今しがた空を飛んで帰ってきたミストラルは怪訝けげんな瞳でオズを見て、僕にため息を吐いたのだった。


「なんでもね、お告げがあったんだって。何者かに砕かれた鏡を作り直せって」

「鏡?」

「うん。九尾廟っていうやしろ奉納ほうのうされていた鏡が割られちゃったらしいんだ。ねえ、ミストラル。九尾廟って知ってる?」

「さあ、知らないわね? びょうってことはお墓なのでしょうけど、少なくとも聞いたことのないものよ。それで、あの狐は鏡を作るために放浪しているわけね?」

「うん、そうみたい」


 ミストラルの村には竜宝玉が安置されている竜廟りゅうびょうがあるし、九尾廟も竜峰のどこかにあると思ったんだけど、違うみたいだね。


「それで、お告げとは?」

「ええっとね、むかし奉仕していた九尾廟の鏡が割られちゃったから、新しいものを作れって夢で言われたんだって」

「ふぅん? その鏡って、どんなものなのかしら?」

「魔を封じるありがたい鏡って言ってたよ?」

「ということは、鏡が割れて魔が解き放たれたとか、そういう物騒な話なのかしら?」

「どうなんだろうね?」

「えっ?」

「いや、だってさ。オズだって鏡の詳細は知らないらしいんだ。たしかに奉納されてて、毎日磨いていたらしいんだけどね」


 なんとも変な話です。


「そもそもさ、オズが九尾廟で奉仕していたのは随分と昔らしいんだ。……魔獣がお墓で奉仕していたということ自体が変だ、という突っ込みは無しだよ、ミストラル」


 ルイララいわく、オズの言う大魔王レイクード・アズンが在位していたのが四百年以上前らしいし、九尾廟で奉仕していたのは、それよりももっと昔ってことになるよね。

 それで、なぜ今頃になって、またオズにお告げが降りてきたのか。それはオズ自身でさえもわからないみたい。


「ねえ、オズ。根本的な疑問なんだけどね。九尾廟ってどこにあるの? それと、なにがまつってあるのかな?」


 僕は、地竜に乗って母さんたちに甘やかされているオズを見上げた。


「……九尾廟か。場所は貴様らのような邪悪な者たちには教えられん。それで、なにが祀られているかであるが……」


 徐々に歯切れが悪くなるオズ。気まずそうに、僕たちから視線を逸らす。


「……ははぁん、知らないんだね!」


 怪しい仕草に直感の働いた僕の突っ込みに、オズば目を泳がせて動揺する。


あきれたわね。奉仕していた廟になにが祀られているかを知らないだなんて」


 ミストラルは肩をすくませて、ため息を吐いた。


「ま、待てっ。その評価は早計だ。知っている。知っているのだっ。そう、九尾廟の主様は儂のような金色こんじききみで……」

「……で?」

「そう、夢にあらわれたあのお方は、とても美しく……」

「美しく?」


 なぁんか、怪しいなぁ?

 オズば相変わらず目を泳がせているし、いまいち言葉に歯切れがない。

 嘘を言っている様子ではないけど、この調子なら、やっぱり正確なことをオズ自身も知らないんじゃないのかな。


「ちょっと良いかしら。そもそも、なぜ貴方はその九尾廟に仕えていたのかしら? 祀られているものが何かも知らない場所で奉仕するなんて、ちょっと考えられないのだけど?」


 胡乱うろんな瞳でオズを見上げるミストラル。


「ふむ。良い質問だ。ならば、答えてやろう」


 オズは話題が変わると、急に不遜な態度へと戻った。やっぱり、さっきの質問には困り果てていたんだね。

 オズは、口もとを肉汁で汚した状態のまま、胸を張って話し出す。


「そう、あれはその昔。儂は今のように旅をしていたのだ。しかしある日、儂は空腹で何日も彷徨さまようことになった。……いいか、そこっ! 狩りが下手だったからではないぞっ。あそこは特殊な土地で、周囲に獲物が少なかったのだっ!」

「僕たちはなにも突っ込んでないよ?」

「……ごほんっ。そ、それでだな、空腹のうちに彷徨っていると、儂はいよいよ不思議な社へとたどり着いたのだ。そここそが、九尾廟である」


 オズば昔を懐かしむように瞳を細めて、遠くの空を見る。


「それで、九尾廟にたどり着いてどうなったの?」

「うむ。九尾廟にはな、それはもう素晴らしいそなえ物があってだな」

「……食べちゃったんだね?」


 僕の突っ込みに、ふいっと視線を空から明後日の方角へ逸らすオズ。


「良いではないかっ。儂は空腹で死にそうだったのだ! ……まあ、そんなことはどうでも良い。満腹になった儂は、疲れを癒すために九尾廟で休んでいたのだ。すると、夢のなかに顕れたのだよ、九尾廟の主様あるじさまがな」

「で、その主様は何者なの?」

「ええいっ、話を戻すな、この邪悪な小童めっ」


 オズの素直な反応に、ちょっと笑っちゃう。

 ともあれ、僕たちはオズに話の続きを促す。


「主様は、夢のなかで儂にお告げをお与えくださった。九尾廟に仕え、とくめとな」

「……それって、お告げというよりもばちが当たったって言うんじゃないの? お供え物を勝手に食べちゃったから」

「だまれ、小僧っ!」


 ああ、これは面白いかもしれない。

 いちいち反応するオズが面白く、僕たちだけじゃなく母さんたちも笑っていた。


「それで、どれくらい奉仕していたの?」

「百年ほどか。ある日、またお告げが降りてきたのだ。儂は十分に徳を積んだ。これよりは世界を周り、見識を広めよとな。今回のお告げは、そのとき以来になるか」

「ふぅん。いつもお告げは夢のなかでなんだね?」

「そうだ。九尾廟の主様は夢のなかにのみ顕れるとうといお方なのだ」

「美しい金色の君かぁ。社が九尾廟って言うくらいだし、尻尾が九本ある魔獣かな?」

「馬鹿者っ。九尾廟の主様は魔獣などではない、高貴な魔族だっ」

「えっ、そうなの!?」


 オズの言葉に、耳を傾けていたみんなが驚いていた。


「もしかして、自分を魔族と言い張るのは、主様が魔族だから? というか、なんでまともに見たことのない主様が魔族ってわかるの?」

「ぼんやりとだが、夢にてその御姿を拝謁はいえつしたことがある。あれは間違いなく、見目麗しい高位の魔族であった。というか、何度言えばわかるのだっ。儂は魔族だっ」


 長年仕えていた相手が魔族らしいので、いつからか自分のことも魔族と思い込み始めちゃったのかな。まあ、それがなにかの問題に繋がるわけでもないし、好きなように言わせておきましょう。


「それで、久々にお告げを貰って、なんでこの辺を彷徨っていたのかな?」


 オズの大体の経歴はわかった。

 お腹を空かせていたとはいえ、お供え物を食べた罰が当たって百年間奉仕していた。その後、大魔王レイクード・アズンに飼われていたんだよね。

 そして最近になり、新しいお告げを受けて鏡を作り直す旅に出たようだ。


 だけど、ここで疑問が浮かんできちゃう。


 九尾廟に祀られている主が本当に魔族だったとしたら、そもそもオズがこの辺を彷徨っているというのは変な話だよね。

 魔族の国は、竜峰の西に広がっている。

 魔族が祀られている、もしくは封印されている社なら、たぶん魔族の国のどこかにあるんだよね?

 そうすると、オズが危険な竜峰をわざわざ越えて東側に現れるのには、違和感が出てくる。


 だってさ。

 鏡を作り直すのに、竜峰を跨ぐ必要はないと思うんだ。

 魔を封じていた、もしくは魔族を封じていたらしい鏡ということは、神聖な物なんだよね。その神聖な鏡を作るのに、東へと足を向ける意味はない。


 普通、僕たちが神聖なものとして思い浮かべるなら、女神様に所縁ゆかりのあるものや神殿宗教絡みになる。


 竜峰の東には、アームアード王国とヨルテニトス王国という創造の女神様を捧心する人族の国があるわけだけど、オズがこの二カ国を目指していたとは思えない。

 なぜなら、神殿宗教は魔族の国でも信仰が認められているから。

 聖職者の祝福やお清めが必要なら、魔族の国にある神殿へ赴けば事足りる。もしも、それでは清らかさが足りないというのであれば、東ではなく西に足を向けると思うんだよね。


 人族の生活圏は、魔族の支配する領域の西側にも広がっているんだ。

 むしろ、あっちの方が人族の生活圏の主力だ。なにせ、巫女王様みこおうさまがおわす神殿都市しんでんとしなんかもあるんだからね。


 ということで、オズの行動原理がいまいち理解できない。

 僕の疑問に、オズは小馬鹿にしたように黒い鼻で笑った。


「あの鏡は、人族程度が作れるような代物しろものではない。だからこそ儂は旅をし、相応しい場所、相応しい者を探しているのだ」

「つまり、どういう条件が必要なのさ?」


 ついつい好奇心で聞いてみたら、思いのほかオズの口は滑らかだった。


「普通の鏡では駄目なのだ。何百年、何千年とけがれを受け付けなかった清き泉に沈む石を磨き上げ、心を映すほどの反射を備えた物でなければならん」

「なるほど。巫女様のお清めが必要とかそういう話じゃなくて、素材や製法、品質が大切なんだね?」

「いや、もちろん巫女の清めも必要だ」


 オズは、地竜と並んで移動するルイセイネとマドリーヌ様を見た。


「だが、やはり最も大切な条件は先に示したものだな」


 オズが旅をする理由。それは、条件に見合った場所と鏡の大元おおもとになる石を探すためなんだね。

 たしかに、穢れのない、という条件だと魔族の国にはないかもしれないね。

 でも、何百年も穢れを受け付けなかった石と泉かぁ……


「頑張ってね!」


 僕が軽く健闘を祈ると、オズは慌てたように目をぱちぱちさせ始めた。


「いや、そのだな……」

「竜峰は危険だからね。他の魔獣や竜族には気をつけて! あっ、竜人族にもね」


 にっこりと微笑む僕。

 するとオズは、スフィア様に抱きかかえられた状態で、おがむように前足を組む。そして、言う。


「よし、貴様らを儂の……」

「却下! お断りします!


 僕の即断即決に、オズはきゅーんと鼻を鳴らして項垂うなだれてしまった。尖った耳まで垂れちゃっています。

 それと、狐なら「こーん」だと思ったんだけど、なんだか犬っぽい鳴き声だね。


「あらまあ、オズちゃん。エルネア君に拒絶されちゃったわね?」


 しゅんとするオズを、よしよしと撫でる母親連合の面々。

 あれはもう、飼いならされた狐にしか見えないよね。


「九尾廟、九尾廟……。どこかで……?」


 オズの旅は大変だね、なんてミストラルと話していると、ちょっかいも出さずに僕たちの話を聞いていたルイララがなにやら呟いていた。


「ルイララ、もしかして九尾廟を知ってるの?」

「いや、知らないね。だけど、昔どこかで耳にしたような……?」

「ほうほう? たぶん魔族の国のどこかにあるんだろうし、意識しないところで耳にしたのかもね」

「そうかもね。なにせ長生きをしていると、無駄に見聞きすることが増えるからね」

「それは仕方ないね」


 平時なら、僕だってオズに協力したいところなんだけどさ。

 でも、今は手一杯なんです。

 母親連合の付き添いをしなきゃいけないし、暇ができれば禁領の家に行って色々とやりたいこともある。


 禁領……。

 そうか、禁領かぁ……


 僕は、しょげていると思ったらまた母さんたちに食べ物をもらって満足そうにしているオズを、なんとなく見上げた。

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