それぞれの試み

 久しぶりに、気を張ることなくぐっすり寝ることができた。

 朝の匂いに、もぞもぞと布団から抜け出す。ひとつ大あくびをすると、新鮮な空気が胸いっぱいに満たされて、覚醒かくせいうながす。


「おはよう……」


 挨拶をしてみたものの、起きている者はいない。

 僕は部屋を見渡してから、まだ寝息を立てる同室者を起こさないように着替えを済ませる。


 それにしてもさぁ。

 僕が寝ていた寝台と並ぶもうひとつの寝床には、ルイララが警戒心もなく寝ている。その布団の上では、オズが身を丸めて寝息をたてていた。


「なんでこの面子めんつで泊まらなきゃいけないのさ!」


 小声で叫ぶなんて器用なことをして、鬱憤うっぷんを吐き出す。

 これが魔族と魔獣の野郎なんかじゃなくて、妻の誰かだったらどんなに幸せな夜だっただろうね。

 僕は恨めしそうに同室者をめつけて、宿泊した部屋をあとにした。


 廊下を渡り、階段を下る。宿屋の宿泊客が集える広間に入ると、暖炉だんろにはすでに火が入っていた。

 平地では春うらら真っ盛りだというのに、竜峰の山間だと朝晩はこうして暖炉を使わなきゃいけないくらいに冷え込む。

 陽気が続く旅路の初期に「厚着は必要ないんじゃないかねえ」なんて言っていた母さんも、最近ではふかふかの毛皮を手放さないでいたっけ。


 暖炉の火を横目に、宿屋から出る。

 見える峰々の隙間がようやく白じみ始めたというくらいの早朝。

 珍しく早起きした僕は、気の向くままにお庭を散策する。


「おはようございます」

「あら、おはようさん」


 宿屋の女将おかみさんは、朝からお庭のお手入れにいそしんでいる。

 軽く挨拶を交わして裏手に回ると、いつでもどこでも規則正しい生活の三人が、朝のお祈りを捧げているところだった。


 マドリーヌ様。ルイセイネと、母親のリセーネさん。

 両膝をつき、胸の前で手を結び、静かに黙想している。

 朝の澄んだ空気以上に、三人の周りからは清らかな気配が漂っていた。

 なんとなく見つめていると、ルイセイネが目を開けて僕の方へと振り返る。


「エルネア君、おはようございます」

「おはよう。ごめんね、邪魔をしちゃったかな?」

「いいえ、そんなことはありませんよ」

「ちょうど、朝のお勤めが終わったところです」


 マドリーヌ様とリセーネさんもお祈りを終えたようで、朝の挨拶を交わす。


「でもさ。誰かを癒したり、こうして真面目な姿を見ると、やっぱりマドリーヌ様も巫女様なんだなぁって思っちゃうよね」

「エルネア君、不敬ですよっ」

「はっ! ごめんなさい」


 頬を膨らませて抗議するマドリーヌ様に、苦笑しながら謝る。

 とはいえ、本当にそう思っちゃうんだから仕方がないよね。


 マドリーヌ様の普段の言動からは、どうつくろっても双子王女の相棒にしか見えない。

 だけど、いざとなるとやはり国の聖職者を取り仕切る人なだけはあるんだよね。


 ルイセイネは、良くも悪くも普通の巫女様。正確には、戦巫女いくさみこだね。

 もちろん、竜眼りゅうがんという特別中の特別な能力を持ってはいるけど、巫女としての務めには影響を与えない。

 なので、竜気を扱う相手でもない限り、ルイセイネの優位性は消されてしまう。


 まあ、普段から僕たちと一緒に鍛錬をしているから、並大抵の相手ならルイセイネの方が圧倒的に強いんだけどね。

 とはいえ、この間もルイセイネ自身が悩んでいたけど、こうした「普通の巫女」という部分に本人は少なからず悩みを抱えているようだね。

 僕としては、普通が一番だと思うんだけどなぁ。


 そして普通といえば、法力も特別強いというわけでもなく、普通みたい。

 ルイセイネいわく、戦巫女なので回復系の法術は苦手なのだとか。

 家族のなかで唯一の癒し手であるルイセイネの能力を、僕たちは疑ったことなんて一度もない。

 だけど、マドリーヌ様が旅の一行に加わってから最近というもの。物騒な事件が相次ぎ、負傷者が続出したことでわかったことがある。


 ルイセイネの法力のことじゃないよ?

 何度も言うけど、ルイセイネの能力を疑うなんてことはしない。

 そうじゃなくて、マドリーヌ様の巫女頭みこがしらとしての実力です。


 巫女は、洗礼を受けたばかりの見習い、一般神事に関わる巫女、特別な儀式や重要な職務に就く上級巫女と、幾つかの階位がある。

 そして階位が上がっていくにつれて、能力に見合った法学を身につけ、より高度な法術を覚えるのだとか。


 戦巫女のルイセイネと、国の聖職者をまとめあげる巫女頭のマドリーヌ様。二人の間には、明確に知識の差と法力の差が存在していた。


 癒しにおいて、怪我を負った人にさらなる負担を強いてしまう初歩の回復法術しか使えないルイセイネに対し、より負担を軽減し、回復深度も深いマドリーヌ様の法術。

 攻撃だと、出せる月光矢の本数で如実にょじつに実力差が出てしまう。


 そして、三人でこうやってお祈りをしている様子を見ると、やはりマドリーヌ様が中心になっているように感じちゃうんだよね。


 ルイセイネは、マドリーヌ様が一行に加わってからというもの、熱心に勉強している。マドリーヌ様も、自身の知識を惜しみなくルイセイネに与えているのを知っている。

 そしてそういうときに、ふと思ってしまうんだ。

 ルイセイネにも、しっかりとしたお師匠様が必要なんじゃないかってね。


 ルイセイネは幼馴染のキーリと一緒に、祖母から基本を叩き込まれたんだよね。愛用の薙刀なぎなたも、先祖代々受け継いできた大切な物なのだとか。

 だけど、僕と一緒になってからというもの。竜峰を旅したり、西へ東へと振り回されたり。


 僕なんかは、どこでなにをしても、竜の森へと帰ればスレイグスタ老がいて、的確な助言や新たな試練を言い渡されて、いつでも修行の身でいられる。

 だけど、ルイセイネはどうなんだろう。


 本来なら、神職に身を置く者は神殿勤めで修行をしながら日々のお勤めを果たすんだよね。

 神殿で日々お勤めに励んでいれば、誰かしら先輩や目上の人たちから色々と学べるはずなんだけど。

 ルイセイネも、本当なら僕とスレイグスタ老の師弟関係のように、誰かに師事してしっかりと修行を積んだ方が良いのかもしれない。


「エルネア君、どうしました?」

「ううん、なんでもないよ。朝のお勤めが終わったのなら、一緒にお散歩しない?」

「はい、よろこんでおともしますね!」

「いいえ、マドリーヌ様を誘ったんじゃありません!」

「むきぃーっ」


 ルイセイネよりも早く返事をしたマドリーヌ様に、僕たちは笑う。


「あらあらまあまあ、朝から誘われるなんて嬉しいです。それでは、お散歩いたしましょうか。マドリーヌ様、ご一緒にいかがでしょう?」

「ルイセイネ、良いの!?」

「エルネア君、ひどいわ」

「エルネア君、仲間はずれはいけませんよ」

「ルイセイネが良いなら、僕は良いんだけどさ」

「それじゃあ、母さんもご一緒しちゃおうかしら」

「リセーネさんまで!?」

「母様!?」


 こうして、僕は早朝から女性三人を引き連れて村をお散歩することとなった。





「エルネア君、これをミストラルに届けてくれるかしら?」

「忘れ物? 珍しいですね」


 朝のお散歩を終えて、みんなで朝食を食べたあと。風呂敷に包まれたお弁当箱を僕に手渡してきたのは、コーネリアさんだった。


「忘れ物というか、ちょっとね?」

「どういうことです?」


 普段だと、スレイグスタ老のお世話をしているミストラルは、帰ってきてから遅めの朝食をとる。

 お役目といっても午前中いっぱいかかる用事じゃないし、朝と言える時間には終わっちゃうからね。

 でも、苔の広場にお弁当を届けるなんて、本当に珍しいな。


 僕はひひろよくお弁当箱を受け取ると、早速フィオリーナのもとへ。


 プリシアちゃんとアレスちゃんを筆頭に、フィオリーナとリームとオズ、そして村の若者たちが朝から騒いでいた。


「ひぃぃぃっっ」

「逃げろーっ」

「おら、もう無理だ……」

「馬鹿者めっ。そんなことだから、不審者に打ちのめされるのだっ」


 昨日、お風呂に入っているときに約束したからね。

 今日は思いっきり、鬼ごっこを楽しんでください!


 楽しんでいるみんなを邪魔しないように、僕はフィオリーナを呼び寄せる。


『うわんっ、なになに?』

「フィオ、おじいちゃんを呼んでほしいんだ」

『おまかせだよっ』


 この村に、竜廟りゅうびょうはない。さらに、竜峰に踏み入ってから結構なところまで来ているので、自力では苔の広場に行けません。

 そういうときに便利なのが、フィオリーナのりゅう盟主めいしゅとしての能力です!


『大おじいちゃーんっ。エルネア君が呼んでるよーっ』


 フィオリーナの意思は空に昇ると、波紋のように波打って広がっていく。

 程なくすると、僕は金色の輝きに取り込まれ始めた。


『いってらっしゃいっ』

「んんっと、お土産ね?」

「いやいや、苔の広場に行くだけなんだから、お土産なんてないからねっ」


 どうやら、幼少組は僕についてくるよりも鬼ごっこを選んだらしい。

 頑張れ、村の若者たちよ!


「ああっ、ずるいわっ」

「ああっ、待ちなさいっ」


 僕の異変に気付いたユフィーリアとニーナが慌てて駆け寄ってくる。しかし残念なことに、二人が僕を掴む直前、僕は完全に黄金色の光に飲み込まれてしまった。


 眩しい光に、目を閉じる。まぶた越しに輝きが収まるのを確認してから目を開けると、そこはすでに苔の広場だった。


「はっ! はあっ!」


 気合の入った掛け声が耳に届き、スレイグスタ老の巨大な前脚を迂回して覗き込む。

 すると、ミストラルが汗を流していた。


 鋭く振られた漆黒の片手棍。ミストラルの長い髪が、朝日を受けてきらきらと小川のように輝く。

 腰を低く落とし、一心不乱に片手棍を振るうミストラルは、素早い足捌きで振り返ったり、なにかを想定したような受けの型をとる。


「よう来た。何用だ?」

「わっ、おじいちゃん。おはようございます……」


 なんとなく、ミストラルの邪魔をしてはいけないと思ってスレイグスタ老の陰から見つめていたんだけど、上から降って来た声によって僕の来訪が知られちゃった。


「エルネア?」

「ミストラル……。おはよう!」


 なんだろう、ちょっと気まずい。

 はにかんで挨拶をする僕に、ミストラルは手を止めて恥ずかしそうに微笑み返した。


「見られちゃったわね」

「うん、見ちゃった。こっそり修行?」


 そうなんだよね。ミストラルはひとりで修行をしていたんだ。


「これ、コーネリアさんが届けてって」


 僕はスレイグスタ老から離れて、ミストラルのもとへと駆け寄る。そして、お弁当箱を示した。


「もう、母さんたら」


 お弁当箱を見て肩をすくめるミストラル。


 きっと、コーネリアさんは知っていたんだ。ミストラルがこうして、僕たちに隠れてひっそりと修行していることを。だから僕に適当な用事を与えて、苔の広場に向かわせたんだね。


「ごめんね、気付いてあげられなくて」

「なんのことかしら? これは、お役目を終えたあとのちょっとした運動よ」

「本当に?」


 ちょっとした運動の割には、随分と気合が入っていたよね。ミストラルの首もとに薄っすらと浮かぶ汗は、彼女の真剣さを物語っているように感じる。


「……少しね。自分を鍛え直そうかと思って」

「言ってくれれば、僕たちも付き合うのに」

「ごめんなさい、先ずは自分を律してからと勝手に判断していたわ」


 真面目なミストラルだ。

 急に真剣な修行を始めちゃうと、みんなに不安がられると思ったのかな?


「原因は、ここ最近の騒動だね?」


 せっかくお弁当を持って来てもらったのだし頂きましょうか、とミストラルに誘われて、苔の上に風呂敷を広げる。

 入っていたのは、朝ごはんではなく果物の盛り合わせだった。

 運動をしたあとに甘いものを、というどこまでも気を利かせたコーネリアさんの配慮だね。


「どうも、貴方はまた妙な問題に首を突っ込みそうだったから。そう思ったときに、少し自分の力不足を感じてしまってね」

「ええっ! ミストラルは十分に強いと思うよ!?」


 僕は、未だにミストラルから一本を取ったことがない。人竜化じんりゅうかしていないミストラルにね!

 僕が勝てるようになるまで待ってて、と悲痛な苦情を述べると、ミストラルは果物を楊枝ようじに刺しながら笑う。


「ふふふ、頑張って」

「ぐぬぬ……。それで、ミストラルはまだ強くなろうとしているんだね?」

「強くなろうというか、どうなのかしら?」


 楊枝に指した果物を僕に差し出しながら、ミストラルは首を傾げる。

 僕も釣られて首を傾げた。


「ヨルテニトス王国の魔剣使いには、結局とどめを刺せなかったわ。村に現れたバルトノワールも、只者じゃなかった。ガフなんて古代種の竜族まで現れるしね。わたしたちは、そういう相手にこれからどう戦っていくべきなのかと思ってしまって」

「ううーん、難しい問題だよね……」


 僕たちは、多くの経験を積んで実力も増している。だけど、僕たちよりももっと多くの経験を積んだ相手、より手強い敵と対峙するとき。いったい、どうやって勝てばいいんだろう。


 ミストラルの悩みは、どうやら僕たちの悩みでもあるようだ。

 いずれ、しっかりとした答えを見つけ出さなきゃいけない。


「……とまあ、悩みはおいおいみんなで考えましょうか。どう、エルネア、久々に手合わせしてみる?」

「くっくっくっ。今日こそはぎゃふんと言わせちゃうよ?」


 ミストラルの申し出に、僕は家長として応じましょう!


「そして我は無視されるのであるな。呼んでいるというから、呼び寄せたのに……」


 武器を構える僕とミストラルの背後で、スレイグスタ老はひっそりと涙するのであった。


「涙してないわい!」

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