空の旅行者

「はぁはぁ……。朝から運動するのは気持ちいいね」


 一年を通してふかふかの、苔の絨毯じゅうたんの上に大の字で寝そべる。

 乱れた息を整えながら空を見上げると、霊樹の巨木がさわさわと楽しそうに揺れていた。

 小鳥たちも霊樹に合わせてさえずり、古木の森の奥では動物たちが元気に駆け回っている。


「ふむ、時には現実逃避も必要であるな」

「おじいちゃん、僕は現実逃避なんてしてないやいっ」


 長い首を伸ばして僕を覗き込むスレイグスタ老は、くつくつと喉を鳴らして笑った。


「エルネアは本気を出せないのだから、仕方ないわよ」

「むう。そう言うミストラルだって、本気じゃないよね」


 手合わせといっても、なんでも有りというわけにはいかない。

 僕が持つ白剣は、竜殺し属性が付与されている。そしてミストラルは竜人族なので、白剣で傷を負えば大事に至っちゃう。

 だから、僕とミストラルが手合わせする場合は初心に戻って木刀を使うわけだけど、そうすると手に馴染んだ白剣とその場で用立てた木刀とで影響が出ちゃうんだよね。

 特に、ミストラルのような上級者が相手だと、わずかな違和感や熟練度が致命的な差になっちゃう。


 そんなわけで手もとが心許こころもとない僕。さらに、アレスちゃんも今日はついて来てない。

 村で鬼ごっこに夢中だったし、お弁当箱を届けるだけと思ってたからね。


 とはいえ、ミストラルだって加減している。

 剣術は、相手の武器を払い、薙ぎ、受け、斬る。

 だけど、ミストラルの武器は片手棍。

 片手棍の戦い方は、相手の武器を破壊し、防具を打ち砕き、対峙者を撲殺ぼくさつする技だ。

 ミストラルが本気を出せば、急造の木刀なんて簡単に粉砕されちゃう。

 でもそれじゃあ、手合わせにはならないよね。だからミストラルは、手合わせの場合はいつも相手の武器を破壊しないように気を使っているわけだ。


「ふふふ。エルネアが本気を出せば、わたしじゃ勝てないわよ。貴方には嵐の竜術だってあるし、雷撃なんかもあるじゃない」

「そうか、雷撃で……」

「これこれ。我の住処すみかを黒焦げにするでない」


 僕の思い描いた戦術を読み取って、スレイグスタ老が慌てる。

 僕とミストラルはしてやったり、と笑いながら、一緒に休憩する。

 僕は相変わらず、苔の広場に大の字に寝て。ミストラルは傍に腰を下ろし、吹き抜ける風を気持ちよさそうに受けていた。


 このままのんびりと過ごせたら良いのにね。

 いろんな場所で冒険するのは楽しいし、母さんたちの護衛なんかも頼られている気がして嬉しい。

 とはいえ、やっぱりこうして大切な家族とまったり寛ぐのが幸せだよね。


「エルネア、せっかくこちらに来たのだし、霊樹の精霊へ挨拶に行ったら?」

「うう……。ミストラルは僕とまったりしたくないの?」

「もちろん、まったりしたいわよ? でもほら、旅行から帰って来たら、王都が森に沈んでいたなんて嫌でしょう?」

「精霊たちは、僕が苔の広場に来たことくらい感知してるよね。それなのに顔を見せないってなったら、嫌がらせで……!」

「そういうことよ」


 母親連合の旅のお供をしている最中は遊びに行けません。そう事前に伝えてはいるけど、近くに来たなら寄って行け、というのが精霊たちの思考だろうね。

 やはり、顔を出すべきか。

 でもその前に。


「ねえねえ、おじいちゃん」

「ミストラルから聞いておるぞ」

「おお、それは話が早いです」

「しかし、汝からも子細話してみよ」


 相談するなら、自ら説明する労力を惜しむなということですね。

 僕は、昨日の夕方に竜人族の村で起きた騒動を話す。ついでに、途中で拾ったオズのことも。


「ふぅむ、九尾廟きゅうびびょうであるか。我も若い頃に世界中を飛び回っていた折に、耳にしたことがある」

「ということは、二千年前にはもう九尾廟があったんですね」


 オズが九尾廟で奉仕していたのは数百年前らしいけど、やしろ自体はずっと昔から存在していたようだ。


「しかし、我も建立されておる場所などは知らぬ。どうやら所在は厳重に秘匿ひとくされているようであるな」

「ですけど、バルトノワールという男は位置を特定して鏡を割っちゃったみたいですよ?」

「その者は、汝らの先達者と名乗ったのであろう? ならば、どこぞで知識を得たのやもしれぬ。世界に関わろうとする者は、おのずと世界の知識を多く取り込んでいくものだ」


 僕たちも、いろんなことに関わろうとしてきたから大勢の人たちと出逢い、多くの知恵や知識を手に入れてきたんだもんね。

 バルトノワールも、僕たちとは目指す先が違うとはいえ、選ばれた人だ。きっと多くの事に触れ、深いことわりを手に入れているんだろうね。


「それで、おじいちゃんは九尾廟になにがまつられていたのかは知らないの?」

「確かあれは、ローザが口にしたか。金色こんじきに輝く九つの尾が七日七晚、世界を照らしたと」

「いやいやんっ、もう聞きたくないっ」


 僕はとっさに自分の耳を両手で塞ぐ。

 魔獣なんかには、古代種の竜族でさえ手に負えないような大物が存在する。

 未だに竜峰の一画に居座る猩猩しょうじょうや、禁領を護る千手せんじゅ蜘蛛くものテルルちゃんとか。

 なんだか、それらと同じような臭いがしますよ!


 でも、ちょっと待てよ。

 オズは、九尾廟のあるじを魔族と言っていなかったっけ?

 むむむ、どういうことだろうね。


「九尾廟については我などよりも、ローザの方が詳しかろう。あれは伊達に長生きしておらぬ」

「そうですね。機会があったら聞いてみようと思います」


 やはり、魔族のことは最古の魔王に聞くのが一番みたいだ。

 本当ならルイララに聞いてきてもらいたいところだけど、きっと嫌がられるに違いない。


「それじゃあ……」


 もうひとつ。ガフという古代種の竜族について聞こうと思い、口を開きかけたとき。

 霊樹が広げる枝の傘の下。遠くから飛来する赤い影が見えた。


 なんだろう、元気がないような……


『ちっ、まだ竜姫りゅうきがいたか。しかも、邪魔者まで』

「えええっ、僕は邪魔者扱いなの!?」


 苔の広場に飛来する赤い影といえば、レヴァリアしかいない。

 なので、お久しぶり、と手を振って迎えようとしたら、この言われようです。


 レヴァリアは僕とミストラルを上空から睨みながら、降下してくる。

 やれやれ。いつにも増して不機嫌なようだ。

 踏み潰されないように、着地地点から逃げる僕とミストラル。

 というか、わざと僕たちが寛いでいる場所に降りて来ようとしているよね!


 ばさばさと、いつも以上に荒々しい羽ばたきで突風が巻き起こり、僕とミストラルは舞い上がる埃が目に入らないように両手で防御する。

 あれ?

 遠目で見たときには元気がないような感じだったのに?


 元気がなさそうだったり、不機嫌だったり、こうして割り増しに荒々しかったり。

 まったく、今日のレヴァリアはなんか変だよ。

 暴風でまともに目を開けていられない僕とミストラルの先で、レヴァリアは墜落でもしたんじゃないかというくらい手荒に着地した。


 ずしんっ、と地面が揺れる。


「ぶえええっっっっくしょぉぉぉぉんっ!!」

「えええっ、このじょうきょうでえぇぇっっ!」


 しまった、油断した!

 スレイグスタ老の悪戯に慣れた僕たちに、鼻水攻撃は成功の確率を落としている。だけど、いま僕たちは両手で眼前を覆っていて、しかもレヴァリアに意識が向いていたからね。

 ここぞとばかりに、悪戯を……!


 あらら?

 どろどろの洪水を覚悟していた僕とミストラル。だけど、なにも起きない。


 ま、まさか……

 恐る恐る、視界を確保する。


「なんということでしょう……」


 そして、犠牲者を確認した。


 鼻水まみれになっていたのは、僕でもミストラルでもなく、不機嫌なレヴァリアちゃん。

 あぁぁ、こりゃあ、暴れるぞ。

 これから起きるであろう騒動に身構える僕たち。


 だけど、レヴァリアは鋭い牙を剥き出しにするばかりで、怒りの咆哮も復讐の炎も吐くことはなかった。


「レヴァリア、本当に大丈夫?」


 こんなことをされて怒らないレヴァリアは気味が悪いよ。

 なんとなくレヴァリアの様子が気になって近づく。

 するとレヴァリアは、ぶるぶるっと身体を震わせて全身に付着した鼻水を弾き飛ばした。

 もちろん、近づこうとした僕への嫌がらせだよね!


「くっくっくっ。この程度の攻撃なんて避けるのは簡単なんですよ」


 空間跳躍で素早く回避し、レヴァリアの側へ。

 そして、気づいた。


「ねえ、レヴァリア。もしかして怪我してる?」


 正確には、怪我してた?

 左脚の付け根、それと首に大量の血糊ちのりが付着していた。

 スレイグスタ老の鼻水の効果で綺麗に再生しているけど、凝結した血糊は落ちなかったみたいだ。


『余計なお世話だ』

「いやいや、お世話させて。大丈夫? いったい、なにがあったのさ?」


 レヴァリアが負傷するなんて、只事ではない。

 暴君と恐れられた空の支配者が、居眠り飛行で山肌に墜落なんてしないだろうしね。


『油断しただけだ。あの双頭の古代竜め、次に出会ったら焼き殺してくれる』

「ガフか!」


 どうやら、竜峰の西へと飛んで行ったガフとレヴァリアはやりあったみたいだ。


『透過して襲ってくるなど、卑怯極まりない奴だ』


 憎々しそうに牙を食いしばるレヴァリア。

 だけど、苛々を僕に向けるようなことはしなかった。


 そうか。

 来るときに元気がなかったのは、大怪我をしていたからなんだね。それでスレイグスタ老にこっそり癒してもらおうと思ったら、僕とミストラルが居て嫌がったんだ。

 いつにも増して荒々しい羽ばたきは、傷を見られたくなかったからかな?

 合点がいった僕は、レヴァリアの鱗にこびり付いた血糊を拭ってあげる。


 血が凝結していたし、不意打ちを受けたのは昨日だろうね。

 きっと、夜には苔の広場を訪れることはできず、かといって早朝だとミストラルがお役目で滞在しているだろうから、と怪我をしているのに今まで我慢していたに違いない。

 まったくもう、強がりなんだから。


 ミストラルも加わって、レヴァリアを綺麗にしてあげる。

 ここに来るまでに体力を消耗したのか、レヴァリアは傷が癒えると丸まって寝入ってしまった。


「おじいちゃん、レヴァリアも襲われたみたいなんだけど。虹竜にじりゅうっていう古代種の竜族のガフを知ってる?」

「ガフか。聞かぬ名だ。恐らくは役目を持たぬ若造であろう」

「古代種の竜族って、なにかしらのお役目を担ってるのが普通なの?」

「普通、というわけではないが、一端いっぱしの者であれば役目を負っておる。ただし、我がそうであったように、若いうちは世界を巡り、見識を広める者もいるであろうな」

「その途中で、気の知れる者が現れたら手を貸してあげたり?」

「アシェルの娘やリリィがそうであるようにな」

「なるほど」


 僕の身内にニーミアやリリィがいるように、バルトノワールにはガフが味方している。


「して、虹竜であったか。ガフは知らぬが、虹竜についてなら語ろう」


 待ってました!

 レヴァリアの汚れを落としながら、スレイグスタ老の話に耳を傾ける。


「我ら古代種と呼ばれる竜種は、普通の竜族よりも長命であるが、個体数が少ない。そのなかでも虹竜とは、珍しい者に出会ったな」

「希少種ってこと?」

「いいや、そういうわけではない。奴らは、知っての通り透明になる。姿を消せば、気配も消える。奴らはそうして世界中を飛び回るのだが」

「消えているから見えないし、見つからない?」

「左様である。者によっては、親離れしたのち死ぬ間際まで姿を見せぬ者もいるという」

「うわっ、それは絶対に遭遇できないですね」


 もしかしたら、旅する虹竜が僕たちの頭上を飛び越えたこともあるのかもしれない。だけど気配さえ消せちゃうなら、絶対に見つからないよね。


「逃げ隠れは得意であろうな」


 スレイグスタ老は、丸まって寝息を立てるレヴァリアを見下ろす。


「そうなると、レヴァリアの復讐は難しいですね」

「あまり勧めはせぬ。虹竜も古代種である。並みの竜族では歯が立たぬであろうよ」


 スレイグスタ老はそう言うけど、もしも僕たちがバルトノワールと対峙したら、ガフも立ち塞がるだろうね。

 いよいよもって、難しい話になってきた。


「バルトノワールなる男の企みを見極めよ。無駄に介入する必要のない案件ならば、不干渉も時には必要であろうな」

「はい。慎重に動こうと思います」


 とはいえ、バルトノワールにどう向き合うか判断するためにも、もっと情報は必要だね。

 そうなると、やはり巨人の魔王にも助言を求めた方が良いのかなぁ……

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