秘境へ行こう

 カルネラ様や蜂蜜色はちみついろの髪をした竜人族たちが暮らす村は「竜峰の奥地」と竜人族の誰もが口を揃えて言う。

 それと同じように「竜峰の秘境」と呼ばれる場所があるのだとか。


 人族とは違い、三百年前後の寿命を持つ竜人族。そんな人々が伝説の話、と言うほど昔の昔。

 竜峰に舞い降りた竜神様は旅の疲れを癒すために、とある泉を訪れた。

 竜神様が水浴びをしたとわれるその場所は、竜族たちの聖地になったという。


「そんな竜族の聖地に、僕たちが気軽に行っても良いの?」

「竜神の伝説は、あくまでも竜人族の言い伝えよ」


 竜神の泉へと向かう前に。

 カルネラ様の村で楽しい宴を終えたあと、僕たちはみんなで宿泊する部屋に戻った。そして布団に潜り込んで、ミストラルを質問責めにしていた。


「それじゃあ、竜族はあまり気にしてないとか?」

「むしろ、竜族は竜神の泉には近づかないわね」

「えええっ。そんな場所に行って、本当に大丈夫なの!?」

「そもそも、竜神とはなにかしら?」

「そもそも、竜神は存在するのかしら?」

「そういえば、ずっと前におじいちゃんが口にしていたような……?」


 なんて言ってたっけ?


「人には、魔族や神族という種族がありますわ。それと一緒でしょうか?」

「もしくは、人族の宗教のように創造の女神様のような存在が竜族にもあるのでしょうか?」


 フィオリーナとリームは、翼竜の巣でお泊まり中。

 竜人族の宴か、翼竜たちのもてなしか、悩んだ挙句あげくに向こうを選んだみたい。やっぱり、久々の帰郷で同族と過ごしたかったんだね。フィオリーナに付き添ってリームも向こうに残ったおかげで、レヴァリアはのんびりと旅の疲れを癒していた。


 ちなみに、プリシアちゃんとニーミアは僕と一緒に戻って来た。それで夜の宴でも思う存分に遊んだり食べたりしたせいか、ぐっすりと寝入ってしまっている。

 どうやらプリシアちゃんとニーミアは、友情よりも食欲を優先させたらしい。

 まあ、翼竜の巣に残っちゃうと、プリシアちゃんの夕ご飯がなかったからね。仕方がない。


 僕たちは、ぐっすりと寝入る幼女たちを起こさないようにしながら、さらにミストラルへと詰め寄る。

 みんなで宿泊しているこの建物は、僕の家族が全員で泊まれるようにと、村の人たちがわざわざ新しく建ててくれたらしい。

 しかも寝具まで特注で、全員が並んで寝られるような横に長いものになっていた。


 ただし。

 誰がどの順番で並んで寝るかという部分までは配慮されていなく、泊まりに来るたびに乙女たちの戦いが繰り広げられていた。


 僕は毎回、布団の真ん中で。右隣は必ずプリシアちゃんとニーミアで。今回の勝者、左隣を勝ち取ったミストラルに、僕たちはぐいぐいと身を寄せる。

 ミストラルは窮屈きゅうくつさに苦笑しながら、竜神のことについて教えてくれた。


「竜神とは、まさに伝説の存在ね。竜族の始祖しそとも、導き手とも言われているわ。そうね。ルイセイネの言うように、あがたてまつられる存在という者もいるかしら。むしろ、実在する本当の竜と考えている者は少ないわ。わたしたち竜人族がそう思っているように、竜族もきっと架空の存在と考えているのじゃないかしら。ひとたび舞い上がれば空を覆い尽くすほどの巨体だと言い伝わっているけど、さすがにね……」

「空の端っこから端っこまでが竜神様の身体だとしたら、水浴びをした場所は泉じゃなくて海になっちゃいそう」

「そうね。だから、竜神はあくまでも伝説の存在よ。まあ、竜族が竜神をどう思っているのかは、ニーミアやレヴァリアに聞くのが一番じゃないかしらね」

「じゃあ、竜神の泉についてもう少し教えて」

「それは、行ってからのお楽しみ。ただし、これは教えておいても良いかしら。竜峰を旅する竜人族は、それぞれなにかしらの目的を持っていたりするわ。例えば自分を鍛えるためとか、まだ見ぬ風景を探してとか」

「ミストラルの村の竜廟もそのひとつだね」

「ええ。竜王を目指す人が竜宝玉を求めて、竜峰中から訪れてくるわね。そうやってなにかを目指して旅をする竜人族の目的地のひとつが、竜神の泉ね。とても険しい旅の先にたどり着ける場所と聞いたことがあるわ」

「ミストラルは行ったことがない?」

「ないわよ、今回が初めて。竜神の泉は、これまでの苦難を忘れられるほどの極楽境地だと伝わっているわ」

「あらあらまあまあ、それは楽しみですね」

「でも、そんな秘境に僕たちはちゃんとたどり着けるのかな? 時間もあまりないし」

「レヴァリア様にお願いすれば、きっとすぐに辿り着けますわ」

「……ライラ、夢がないわ」

「……ライラ、旅人が泣くわ」

「というか、竜族は近づかないんだよね。大丈夫かな?」






「ということで、大丈夫?」

『なにが、ということで、だっ!』


 翌日。

 可愛く胸の前で手を組んで上目遣いにレヴァリアにお願いをしたら、牙をむき出しにして睨まれた。


「やっぱり、竜族は竜神の泉には近づきたくない?」

『あそこのことだろう……。我は行きたくない』

「むむむ、どうして?」

『竜神の話は、竜族のなかにも存在する。竜族はいつか竜神のもとへといたる、というのが竜族の目指す道だとやからもいる。だからこそ、我らは竜神の泉に近づきたくはないのだ。竜神の足跡を辿り、楽をして極みに至っても誇ることはできん。自らの翼と足で探し至るからこそ誇れるのだ』

「竜族の矜持きょうじに関わるんだね」

『そういうことだ』

「うぅん、そうなると……」

「にゃんが連れて行くにゃん?」

「ニーミアは、竜神の泉に行くことには抵抗ないの?」

「にゃんはここの竜じゃないから、この辺の竜神様の話に触れても平気にゃん」

「なるほど、世界中に竜神様の話はあるんだね」

「にゃんの故郷にもあるにゃん」


 というわけで、僕たちはニーミアに連れて行ってもらうことになった。

 最初は、秘境と呼ばれる場所にどうやって行けばいいんだろう、と困惑したけど。カルネラ様は最初から、ニーミアのことを含めて提案してくれていたんだね。


 レヴァリアとフィオリーナとリームは、カルネラ様の村にお留守番をすることになった。

 フィオリーナにとっては、久々の里帰りだからね。この機会に思う存分、故郷を満喫まんきつしてもらいたい。

 同族の翼竜たちも、可愛い盟主といっぱい触れ合いたいだろうしね。


 というか、フィオリーナはいつまでも僕たちのそばで生活していて良いのかな。ユグラ様が帰ってきたときに、怒られちゃうんじゃないだろうか。

 フィオリーナもだけど、僕自身が……


 ううむ、フィレルよ。大冒険を末長く続けてください。


 なんて邪心に囚われつつ、出発の準備を手際よく済ませる。

 そして、竜神の泉に行ったことがあるという村の人やレヴァリアから詳しい場所を聞くと、僕たちは空の旅に移る。

 どれほどの秘境だろうと、古代種の竜族であるニーミアにお願いすれば、あっという間だ。


 ごめんなさい、竜人族の旅人さんたち。

 僕たちは苦労もせずに、竜神の泉へと向かいます。

 己の知恵と力だけで険しい竜峰を旅する人に、ちょっぴり後ろめたさを感じちゃう。

 だけど、やっぱり空の旅は最高です。


 僕たちは竜峰の秘境に胸を踊らせながら、流れる景色を楽しむ。


 どうやら、竜神の泉は竜峰の南部側にあるらしい。

 そういえば、竜峰の南にはあまり行ったことがないね。


 竜峰に自らの足で初めて踏み入ったのは、去年の春。最初に訪れた最東端の村で僕にかし芋をくれたおばちゃんは、南部の人だった。プリシアちゃんとお芋を求めておばちゃんの村を訪問したことは何度かあるけど、南部で冒険はあまりしたことがないね。

 南の端まで行くと、神族の国に接する場所まで行けるんだっけ。


 厳しい冬が特徴の竜峰北部。だけど、南部は幾分か暖かい。ただし、険しさや厳しさは相変わらずで、場所によっては夏でも山の頂に雪を残す山脈が連なる。


 ニーミアは、一見すると僕たちがよく活動をする北部側と似たような地形を眼下に、気持ちよく南下して行く。


 本来であれば、草木も生えないような高山を越えたり、一歩間違えれば遥か断崖の下へと滑落かつらくする危険な山脈があったり、さらには魔獣や魔物、ときには竜族から身を守りながら、命懸けで旅人が辿り着く場所。それが、竜峰の秘境である竜神の泉。

 そんな、普通には行けない場所に、僕たちはのんびりと風景を楽しみながら到着した。


「ここが……竜神の泉?」

「間違いないわ。言い伝え通りの場所だから」

「幻想的ですわ」

「こんな場所が存在するなんて、竜峰はすごいですね」

「水晶かしら?」

「宝石かしら?」

「温泉にゃん」

「んんっと、温泉?」

「暖かいお湯が沸く場所だよ。ほら、アイリーさんのところにもあったでしょ?」


 ニーミアが降り立った場所。

 無数の火山が真っ赤な溶岩をたぎらせる、山地の奥の奥。厚い蒸気雲と深い密林の奥深くに、竜神の泉は存在していた。


 もしかすると、地上を歩いていては見つけられなかったかもしれない。

 これじゃあ竜人族の旅人は、大まかな場所を知っていても見つけられないかもしれない。それくらい入り組んだ自然の奥地だ。


 周囲の山脈よりかは低い、岩山に囲まれた場所が突如として、景色を一変させていた。


 ユフィーリアとニーナが感嘆かんたんのため息を漏らすのも頷ける。

 湯気をあげる泉の周りだけが、美しい紫色の岩になっていた。

 濃い紫色に見えるけど、それは大きな岩が複雑に何重にも積み重なっているからだね。足もとの小さな欠片かけらを手に取ると、透明度の高い水晶のような鉱石が、薄っすら紫色に染まっているのだとわかる。


 そして、プリシアちゃんが温泉なのかと疑問がるのもよくわかる。

 背丈の何倍か程度の岩肌の上から、ちろちろとお湯のたきが流れて、滝壺たきつぼのような泉に潤沢じゅんたくな湯船を張っている。泉は、ニーミアが大きくなっても浸かれるほどの広さがあった。

 大きすぎて、お風呂とか温泉という感じじゃない。

 まさに、泉だね。

 しかも、冷水ではなく温水の泉。


 その潤沢なお湯をたたえる泉の周辺と滝の周辺が、美しい紫色の宝石のような岩場になっていた。


 だけど、それだけじゃなかった。


 夏も終わろうかというこの時季。

 それなのに、竜神の泉の周りでは桃色の小さな花が満開に咲き乱れていた。

 桜、かな?

 でも、桜は春に咲くから、違うかもしれない。

 桜に似た樹々の根もとでは、紫水晶のような岩場の隙間から黄色や白色の花が咲いていた。


「これって、水浴びじゃなくて湯浴みだよね」

「ふふふ、そうね」

「ミストさんは竜神の泉がじつは温泉だと知っていたのですね」

「疲れを癒すのには、暖かい湯船に浸かるのが一番でしょ?」

「ここに辿り着けた旅人も、温泉に浸かって険しく長い旅の疲れを癒したのかな」


 なるほど。

 秘境といえば温泉ですよね。


 温泉といえば、アイリーさんが暮らす竜の祭壇さいだんの露天風呂だよね。あそこから見渡せる景色は絶景だったけど、ここは神秘的な場所だ。

 しかも、滝湯まであるなんて。


 準備のいいミストラルは、みんなの着替えやゆっくり寛ぐための飲食物を持ってきていた。

 みんなで荷解きをしていると、さっそく幼女がむずむずとしだす。


「んんっと、泳いでもいい?」

「そうだね。みんなで入ろうか。ゆったりできるくらいの広さだし」

「えっ!」

「えっ?」


 ルイセイネが僕を見ていた。

 ミストラルが苦笑していた。

 ライラは恥ずかしそうに顔を赤らめていた。

 ユフィーリアとニーナは、嬉々として脱ぎ始めていた。

 プリシアちゃん、君はなぜ、もうすっぽんぽんなんでしょうか。


「エルネア君はなにを言っているのでしょうか」

「ええっ!」

「エルネア。泉は大きいけれど、ひとつしかないわ」

「……そ、そうだね」

「エルネア様だけが男性ですわ」

「いいところに気づいたね!」

「気にしたら面白くないわ」

「気にしたら駄目だわ」

「お二人はお姫様なのですから、少しは気にしてください!」

「エルネア……。残念ね」

「ええええええぇぇぇぇぇっっっっ!!」


 僕の悲痛な叫びが秘境に木霊こだました。

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