アレムガルの聖女

「メジーナさん、大丈夫ですか? 少し顔色が悪いですよ?」


 空の旅に酔ったのかな?

 ううん、そんなことはない。

 ニーミアの背中は快適だし、先行していた僕とレヴァリアに追いつくまでにもニーミアに乗せてもらっていたのだから、今更に空酔そらよいなんてしないはずだ。

 では、やはりメジーナさんの顔色が悪い原因は……


「違うの。心配をかけてしまってごめんなさい。ただ、公爵様が話してくださった事に色々と思うところがあって……」


 やっぱり、そうだ。

 メジーナさんや他の流れ星の人たちは、きっと人族の文化圏に住んでいたんだよね。だから、歴史や現在の情勢を知識として話すアステルなんかよりももっと深く、それこそ自分たちの身近な問題として、アレムガル王国などのことも知っているんじゃないかな?


「メジーナさん、できれば少しだけ教えてくれませんか? 僕も神族の国の動きは気になっているんです」


 巨人の魔王からは、これ以上の深入りはしないように注意を受けている。そうしないと、魔族と神族の戦争に巻き込まれてしまうから。

 でも、深入りすることと情勢を知っておくことは別の話だと思うんだよね?

 じゃないと、もしも今後に何か重大な問題が発生したときに、情報不足で後手に回ってしまうかもしれない。

 情報を得て、関わりを持つのか。それとも、情報を確認して今後に備えておくのか。それは別々の課題なんだと思う。


 僕のお願いに、メジーナさんは快く頷いてくれた。


「良いですよ。エルネア様や家族の方々には色々とお世話になっているし、私たちのことも話した方が良いと思うとは、ディアナ様も前に仰っていたんです」


 ディアナさんは、流れ星さまご一行の代表者だ。

 きっと、僕たちが不在の間や、一願千日の修行の合間に、自分たちのことについて色々と話し合ったんだろうね。


「それじゃあ、話題に上がったアレムガル王国のことにつして、公爵様よりももう少し詳しく話しましょう!」


 緊張からの強張りを解き、メジーナさんは溌剌はつらつに話し出す。


「アレムガル王国は、確かに人族の最後のとりでとして広く認知されています」


 アステルが語ったように、天上山脈の南端、その東側に唯一存在する人族の国として、神族の脅威から人族の文化圏を護っているのがアレムガル王国だという。

 神族の侵攻を長年に渡って阻止してきたアレムガル王国は、天上山脈の麓に要塞ようさいを幾つも造り、都市は何処どこも城塞化しているという。


「それでも十年くらい前に、カルマール神国の大攻勢を受けたんです」


 カルマール神国は、天族のミラ・ジュエルさんが守護していた神族の国だ。

 そのカルマール神国の東には、あのベリサリア帝国が存在している。そして、ジュエルさんの守護でカルマール神国の東側の国境は護られていたけど、絶えず大帝国の圧力を受けていた。

 だから、カルマール神国は西へと版図を広げて自国の国力を増強させて、ベリサリア帝国にあらがおうとしていたんだね。


 僕がそう補足を入れると、メジーナさんは「なるほど」と頷いてくれた。


「エルネア様は、私たちの知らない神族の動きまで知っているんですね。では、アレムガル王国の聖女については何か知っていますか?」

「聖女? それってアーダさん?」


 首を傾げて僕が聞き返すと、メジーナさんは笑ってくれた。


「違いますよ。アーダは聖女だけど、本当の聖女ではないんです」

「はい! 意味がわかりません!」


 聖女なのに聖女じゃないって、どういう意味かな?

 というか、偽者にせものの聖女様と本物の聖女様が存在するの?

 そして、アーダさんは偽者の……いや、メジーナさんはアーダさんのことを「偽者の聖女」とは言わなかった。

 きっと、その辺には複雑な事情があるんだろうね。現に、メジーナさんは少し困った表情で微笑んだだけで、アーダさんのことは口にしなかった。

 代わりに、アレムガル王国の聖女様について話してくれる。


「エルネア様は敬虔けいけんな信徒だから、知っていますよね。聖女とは、女神の力の欠片かけらを身に宿して奇跡を起こした巫女のことです」


 法力こそが女神様の力の欠片だとルイセイネやマドリーヌから聞いたことがある。でも、聖女として「女神の奇跡」を起こせるほどの法力は身に余る力であり、そんな計り知れない法力を普通の巫女様は宿せない。

 だけど、極稀ごくまれに現れるんだよね。

 強い願い。直向ひたむきな祈り。女神様への深い信仰と奉仕の心を持つ巫女様が、ある日、女神様の力の大きな欠片を宿して奇跡を起こす。


 僕の説明に、満足そうに頷くメジーナさん。

 アステルは僕とメジーナさんの話には興味がないようで、ニーミアの体毛を引っ張って身を乗り出し、地上の景色を楽しんでいる。


「それは、十年前のことです。カルマール神国が大軍を率いてアレムガル王国に攻め入ったのです」


 空を覆い尽くすほどの天軍。地上には、精鋭の神軍が揃う。

 人族の国々もアレムガル王国を支援しようと、最大の支援を行ったという。

 だけど、圧倒的な数と種族の持つ能力の差によって、人族は追い詰められていった。


「もう、絶体絶命でした。アレムガル王国の王都目前まで迫ったカルマール神国の大軍。迎え撃つのは、最後まで抵抗を諦めない人族の軍勢と神職の者たちで編成された部隊だけ」


 本来、神殿宗教に身を置く聖職者は、戦争などには加担しない。

 巫女や神官は、政治問題には関わらずに、あくまでも中立の立場を守る。

 神族だってそれを理解しているから、相手国を滅ぼそうと戦争を仕掛けても、聖職者にだけは手を出さない。

 聖職者を無闇に殺したりしいたげたら、国内の人族が暴動を起こすからね。

 だから、カルマール神国とアレムガル王国が存亡を賭けて戦争をしていたとしても、本来であれば神殿宗教は戦争そのものには関わらない立場をとっていたはずだ。

 でも、アレムガル王国や人族の国々の神官様や巫女様たちは、立ち上がった。


「このままアレムガル王国が滅ぼされてしまうと、人族の文化圏は遅かれ早かれ滅亡してしまうと判断したのです。人族の民は奴隷として狩られ、人族の文化は消滅してしまう。多くの者たちが悲惨な運命を辿ることが目に見えているなかで、神職の私たちだけが中立なんて都合の良いことを言って傍観ぼうかんしていても良いのかと、当時の巫女王様が仰いました。それで、私たちは立ち上がったのです」


 かくいうメジーナさんも、ひとりの戦巫女いくさみことして、アレムガル王国防衛戦に関わったという。


「多くの者たちが天上山脈を越えて、戦いに身を投じました。ですが、それでも相手は神族と天族です。私たちがどれ程に抵抗しても、力の差は歴然としていました」


 どれだけの戦力を投入しても、相次ぐ敗戦。それでも、人族は諦めなかった。

 そして、最後の抵抗として、アレムガル王国王都近郊の草原に集結した人族の軍勢。

 アレムガル王国の国軍。人族の国々から集まった義勇兵たち。冒険者だけでなく、多くの国民も手に武器を持って並ぶ。もちろん、そこには聖職者で編成された部隊も参戦していた。


「ですが、カルマール神族の軍勢は圧倒的でした。空を埋め尽くすほどの天軍と、圧倒的な力を示す神軍を前にして、私たちはあまりにも無力でした。だけど、それで人生を、人々の安寧あんねいを放棄しても良いだなんて、私たちは誰も思いませんでした」


 だから、祈った。

 戦争によって失われる命。これから先、悲惨な運命を辿ることになるかもしれない多くの人族を、どうか救ってください。

 巫女様たちは、創造の女神様に必死に願ったという。


「間も無く開戦の時。私たちは戦う準備に追われていました。ですが、最後の最後まで女神様に祈りを捧げていた巫女がいたのです。あの子の名前は、カリナ……」


 当時、十代半ばだったメジーナさん。

 カリナさんは、そのメジーナさんよりも五歳くらい若い、幼い巫女様だったという。

 カリナさんは、アレムガル王国で生まれ育った。そして、その才能から若くして巫女職に就き、防衛戦にも参加していたという。


「赤い髪が宝石のように綺麗でね。素直で愛らしい子だったんですよ?」


 メジーナさんは、カリナさんと面識があったらしい。

 聞けば、防衛戦よりも更に数年前に、カリナさんはメジーナさんたちの故郷を家族と共に訪れたことがあり、そこで知り合っていたのだとか。


「カリナちゃんはね。すごく良い子で、最後まで望みを捨てずに女神様へ祈り続けたんですよ?」


 誰もが、戦いは避けられないと覚悟していた。

 そして戦いになれば、間違いなくアレムガル王国は滅ぼされるだろう。

 カルマール神国は勢いをそのままに北の有翼族を滅ぼし、東の魔術師が守護する天上山脈を越えて人族の文化圏をも侵略するかもしれない。

 メジーナさんだけでなく、神職に身を置く人々だけでなく、関わる全ての者がそう確信を持っていた。

 そのなかで、カリナさんだけが祈り続けた。


 どうか、人々をお救いください。

 争いがなくなり、人々が平和に暮らせますように。


「女神様が人族にお与えくださった真理しんりは、希望と奇跡。そして、カリナちゃんは最後まで希望と奇跡を信じて願ったんです。だから、女神様は奇跡を授けてくださった」


 開戦直前。

 カルマール神国の最後通告がもたらされた直後だった。


 世界に、奇跡が満ちる。


 空を覆い尽くしていた天族の軍勢。それが一斉に、高度を下げ始めた。


「カリナちゃん。……ううん、聖女カリナの祈りによって、カルマール神国の天軍はその飛翔ひしょうの能力を奪われたんです。しかも、それだけではなかったんですよ」


 どれだけ翼を羽ばたかせても、飛べなくなった天族。だけど、急激に落下することなく、ゆっくりと地上へ向かって高度を下げていったらしい。

 こういうところが、まさに女神様の奇跡なんだと思ってしまう僕。

 何かしらの力で、天族の飛翔能力を一方的に奪ったとしたら。空を飛んでいた天族たちは真っ逆さまに地上に落ちて死んでいたはずだよね。だけど、天族だって女神様の「子ども」だ。だから、種族としての固有の能力を奪ったとしても、死を招くようなことはしないんだね。


「天軍が飛翔能力を奪われて地上に降りたことによって、カルマール神国の軍勢は混乱に陥りました。それでも、進軍してきたんです。地上戦力、神軍だけでもこちらの防衛力を遥かに上回っていたので」


 でも、女神様の奇跡は神軍にも降り注いだ。

 神族の強みは、その圧倒的な神術と身体能力だ。

 だけど、天族が飛翔能力を奪われたように、神族もまた、神術を「女神の奇跡」によって奪われたのだと話すメジーナさん。


「まさに、聖女の祈りの体現ですよね? 天族は飛翔能力が奪われれば、その大きな翼で地上ではまともに戦えない。神族も神術を奪われてしまった状態では、数で勝る防衛軍の全てを身体能力だけで圧倒することはできません。カルマール神国の軍勢は、力を奪われて戦えなくなったんです」


 女神の奇跡によって種族特有の能力を奪われて、突然劣勢に立たされたカルマール神国の軍勢は、大混乱に陥ったという。


「そ、それでどうなったんですか?」


 ごくり、と固唾を飲んでメジーナさんのお話に聞き入っていた僕は、結末を問う。

 メジーナさんは、なぜか複雑な表情で続きを話してくれた。


「結末は、ほら。さっき公爵様やエルネア様が言ったように、アレムガル王国は今でも健在ですよ?」


 トリス君とシェリアーは、有翼族が暮らす山岳地帯の南部に在るアレムガル王国やカルマール神国の現在の情勢を探るために動いているんだよね。

 ということは、アレムガル王国は亡国の危機から脱したんだね?

 では、なぜメジーナさんは複雑な表情を浮かべたんだろう? そう考えて、あっ、と気づく。


「カルマール神国は敗退した。その結果は喜ばしいことだけど……聖女様は、奇跡を起こした後は……」


 そうだ。

 聖女はちる。

 ルイセイネが前に話してくれた。


 身に余る法力を宿した聖女様は、のちにその膨大な法力によって心を壊して、堕ちてしまうんだよね。


 力におぼれて堕ちた者。

 愛に堕ちた者。

 権力に落ちた者。


 歴史を振り返れば、聖女様は必ず堕ちた最期を迎える。

 そして、堕ちた聖女様は周囲に甚大じんだいな被害を齎すという。


「それじゃあ、カリナ様は……?」


 約十年前で十代前半だったということは、現在は二十代前半の年齢なはずだ。

 だけど、僕はアレムガル王国の聖女様の話を、今日初めて聞いた。

 もちろん、アレムガル王国という遠い土地の情報が僕たちの身近に届いていなかったからなんだけど、それでも聖女様のお話を巨人の魔王などの情報通過ら聞かされなかったということは……?


「聖女は……カリナちゃんは、女神の奇跡を起こした翌年に、堕ちる前に自ら命を絶ったのです」


 とても悲しそうな表情でうつむくメジーナさん。

 僕は、胸が締め付けられて言葉も出ない。


 なんて覚悟の女性だろうか。

 聖女は必ず堕ちる。神職に身を置く者であれば絶対に知っている言い伝え。

 だから、堕ちる前に、周りに迷惑をかける前に、自ら女神様のお膝もとに旅立っただなんて……


「悲しいですよね。誰よりも信奉深く女神様に祈りを捧げて奇跡を起こした者が、必ず不幸に見舞われるだなんて……。そして、命を捧げてカリナちゃんが齎した平和が、今また奪われようとしているんですね」


 メジーナさんは辛い現実を振り払うように、ニーミアの背中の上から見える遠い地上の景色へ視線を送っていた。

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