帰りたいのに帰れない
「ど、どうして霊樹を没収するんですか!?」
僕は
アレスちゃんも
巨大な霊樹の根の側に立つ霊樹の精霊さんは、そんな僕たちに動じる様子もなく、右手を伸ばす。
さあ、早く霊樹の木刀を渡せ。という意思表示に、僕は
すると、精霊さんは一歩前に進んで、こちらとの距離を戻す。
退がる僕。進む精霊さん。
どうやら、霊樹の精霊さんは強引に距離を縮めたりはしないみたい。だけど、霊樹を渡せ、という意思は揺るぎないようで、僕をしっかりと目で捉えて逃さない。
「もう一度聞きます。なぜ、この子を渡さなきゃいけないんですか。理由も告げられずに没収されるなんて、絶対に認められませんよっ!」
『そうだそうだー』
僕の強い語気に
僕たちは、出会ってからこれまで、ずっと一緒に過ごしてきたんだ。
起きているときだけじゃなく、寝るときだって寝台の傍に置いて、いつも一緒だった。
まあ、たまにアレスちゃんへ預けて右腰が寂しかったときもあるけどさ。
だけど、妻のミストラルや両親以上に僕のそばに居てくれたのは、この腰の霊樹なんだ。
出会った当初は、僕の腕よりも細い幼木だった。
風が吹けば折れてしまいそうな枝と、四枚の葉っぱだけで、とても可愛かった霊樹の幼木。
だけど、僕が毎日竜気を惜しみなく送っていたからなのか、ぐんぐんと成長してくれた。
結婚の儀の際に、久しぶりに樹木の姿を見たら、もう立派な巨木になっていたよね。
僕はこのとき思ったんだ。
もう、幼木って言えないねって。
僕は、この三年間ですごく成長できた。それと同じ、ううん、僕以上にぐんぐんと成長したのは霊樹だ。
その霊樹を、今さら没収しますなんて言われて、はいそうですかと簡単には手放せない。
なにより霊樹が嫌がってくれているし、アレスちゃんも反対してくれている。
僕とアレスちゃんと霊樹の木刀の反抗の意志に、霊樹の精霊さんはようやく困った表情になる。
そして足を止めて、こちらへと向けていた右手を収めてくれた。
でも、霊樹を没収するという考えは揺らいでいないみたい。
精霊さんは、僕たちから巨大な霊樹へと視線を移しながら、ようやく口を開く。
「これが、心配しているのだ。子であるその霊樹の生い先を」
「これからの成長をってこと?」
霊樹の生い先。つまり、人に言い直すと成長とか人生ってことかな?
僕の聞き直しに、精霊さんは頷く。
「其方が思考した通り、その子はもう十分に成長した。守護竜の秘術で木刀に姿を変えてはいるが、本来であれば立派な姿なのだ」
「もしかして、もう木刀の姿で持ち歩いては駄目ってことなのかな?」
不安が過ぎる。
一心同体と言っていいくらい身近な相棒を失うかもしれない、という恐怖。僕は知らず識らずのうちに、霊樹の木刀に負担をかけていたのかな?
大きく育った霊樹には、木刀という小さな姿はもう窮屈なのかもしれない。
だけど、僕の不安を感じ取った霊樹は、ふるふると震えて勇気づけてくれる。
『そんなことないよ。ずっと一緒だよ』
本当の姿は見上げる巨木かもしれないけど、霊樹はまだまだ子供なのかもね。
甘えるように僕へとすがる霊樹の木刀の存在を強く感じる。
「だが、其方は忘れていないだろう。守護竜は言ったはずだ。いずれ、其方が腰を下ろす場所の近くにその子を植えてやれと言われたことを」
「……はい。覚えています」
スレイグスタ老は、僕へ霊樹の木刀を渡す際に、最初に言ったよね。
もちろん、忘れるはずなんてない。
僕だって、霊樹とは離れ離れになりたくないけど、将来のことはちゃんと考えているんだ。
「霊樹は
霊樹の精霊さんは、傍の大きな根を優しく撫でながら言う。
「大きく育った子であるが、育ての親である其方が一向に大地へと根付かせないと」
「……ああ、それでなんだ!」
僕はようやく、竜の森の異変の原因を知る。
「僕がずっとこの子を連れ回しているから、霊樹は心配なんだね? いつになったら約束を果たすのかって。それで、僕が手放さないなら強引にでも回収して、竜の森に根付かせようとしたのか。森を急速に広げてしまったのは、この子が根をはる場所を作るためだったんだね!」
ついこの間。研ぎ石を探して王都に立ち寄った際。竜の森の奥から僕たちを見守っていた巨木の霊樹は、子供の霊樹の成長を見て不安になっちゃったんだ。
今回の騒動に合点がいって、僕は大きく手を鳴らす。そして、安堵しながら大きく何度も深呼吸をした。
「ごめんなさい、親に心配をかけちゃったんだね」
僕はもう霊樹の精霊さんと対峙なんてしていない。
全身の力を抜くと、精霊さんと霊樹へと近づいていく。
ただし、霊樹の木刀を渡すためじゃない。
「ええっとね。素敵な場所を見つけたんだよ?」
そして、世界を遮る壁かと
霊樹の巨木は、竜の森の最深部で何千年と生きてきた。
だけど、植物である霊樹は自分では移動できないので、広い世界のことや僕たちが繰り広げてきた冒険なんて知らない。
もちろん、世界を流れる風からいろんな噂を聞くだろうし、精霊たちから情報を得ているかもしれない。
でもさ。僕たちの本当の冒険を知っているのは、僕たち自身なんだ。だから、自分の口でこれまでのことを話す。
そういえばさ。霊樹の精霊さんと修行をしたり精霊たちと遊んだりはするけど、こうして霊樹の巨木と向かい合ってみっちり意思を通わせたことなんてなかったよね。
今回の騒動は、僕が悪いのかもしれない。
こうして霊樹の巨木と意思疎通する機会をもっと持っていれば、不安にさせたり森の植物や精霊たちを暴走させたりすることはなかったはずだよね。
僕がいろんな冒険のお話をすると、アレスちゃんが面白おかしく相槌を打つ。腰の霊樹も楽しそうに共鳴していた。
気づくと、霊樹の巨木だけじゃなく、霊樹の精霊さんや他の精霊たちも僕の話す物語に耳を傾けていた。
「……大切に預かっているこの子は、ちゃんと根付かせます。だから、心配しないで?」
日がどっぷりと暮れるまで話していたら、喉が枯れちゃった。
すると、霊樹の巨木がゆっさりと揺れた。そして、頭上から降ってくる霊樹の果実。
『ひろえひろえ』
『たいりょうじゃーっ』
『いっぱい隠し持っていた!』
『守護竜には内緒よ?』
落ちてきた果実を拾い集め出す精霊たち。そのうちのひとつをアレスちゃんが持ってきてくれたので、遠慮なくかぶりつく。
甘い果汁が口いっぱいに広がって、干からびていた喉を優しく潤した。
「ええっと、今のお話で不安は取り除かれたかな?」
暗がりのなか、霊樹の巨木を撫でながら聞いてみる。
『貴方にお任せします。どうか、この子をこれからもよろしくお願いしますね?』
「はい、お任せください!」
『任せられたよー』
どうやら、僕たちのことをこれまで以上に知った霊樹の巨木は、認めてくれたみたい。
霊樹の精霊さんも、霊樹が安心したのを感じ取ったのか、満足そうに微笑んで根を撫でていた。
「ほら、言ったではないか。エルネアと話せばわかる、と。それなのに貴女は……。昔からだ。貴女は心配性なのよ」
『あら、貴女だって不安がっていたでしょう? 他の精霊王たちにエルネアを横取りされたらどうしようって。だから、精霊の子たちが騒いだ際にここを離れて行ったのじゃない』
「それは言わない約束だろう?」
はははは。霊樹の巨木と精霊さんの他愛もない会話が、どこか既視感のあるおばちゃん同士の会話に見えて、つい笑っちゃう。
そうしたら、霊樹の精霊さんに睨まれちゃった!
「其方の考えや方針は理解した。しかし、どうするのだ? 其方はまた妙な問題に巻き込まれているようではないか」
「しまった、バルトノワールの話は削ればよかった!」
「愚か者め。そのようなていたらくで、どのように霊樹の子を守り、約束の地に根を張らせるつもりだ?」
「そ、それは……」
「よし、其方は修行のし直しだ。これから
「ひええぇぇっっ。もう夜中ですよ? ご勘弁をぉぉぉぉっ!」
だけど、僕のお願いは聞き届けられなかった。
霊樹の精霊さんは緑色の剣を召喚すると、ぴしっと僕へ剣先を突き付ける。
「負けない戦いだったか。よろしい。ならば妾に負けぬよう、しっかりと戦え。負けているうちは帰れぬと思うのだな」
「そ、そんなぁ……」
一難去ってまた一難とはこのことだよ。
こりゃあ敵わん、と逃げ出そうとしたけど、僕たちの周りを取り囲む精霊たちに気づき、顔を引きつらせる。
『帰さないよー』
『帰っちゃいやよー』
『見逃さないわよー』
「にがさないにがさない」
「アレスちゃんが裏切った!?」
精霊たちの包囲網のなかに、さっきまで僕の膝上で寛いでいたはずの幼女の姿を見つけて、悲しみに暮れる。
「さあ、覚悟せよ」
言って、霊樹の精霊さんとその他大勢の精霊たちは、一斉に僕へと襲いかかった。
ええっとですね……
正体が霊樹の精霊王であるこの方に勝てないのは当たり前としてですね……
負けないってのも、無理じゃないですかね!?
僕は、首から下が土に埋まった状態で、悲鳴をあげていた。
ひどいよね。
数え切れないほどの精霊たちから一斉に襲われたので、僕は必死に逃げました。
セフィーナさんが言っていたんだ。逃げ続けることも、負けない戦い方のひとつだってね。
だけど、延々と逃げ続けられるはずもなく、僕の竜気は
最後の空間跳躍。迫るアレスちゃんから逃げようと飛んだ先に待ち構えていたのは、大きな落とし穴。
すぽーん、と落とし穴に落ちた僕は、もう立ち上がる体力もなかったんだ。
そして、それを見た精霊さんたちは、実に楽しそうに、僕をこうして埋めました。
「なんと、情けない」
余裕の歩みでやってきた霊樹の精霊さんが、埋まった僕を見て残念そうにため息を吐く。
頭上では、霊樹の巨木が枝をさわさわと揺らして笑っていた。
「其方は、本当に大冒険とやらをしてきたのか?」
「そうは言いますけどねぇ。負けない戦いをしよう、なんて思った直後に
僕の抗議に、精霊さんはまたため息を吐く。
「其方はこれまで、守護竜から何を学んできたのだ? 妾を相手に、なにを
「ええっと、竜剣舞とか、竜気の扱いとか……。ああっ、そうか!」
僕は勘違いをしていた。
というか、難しく考えすぎていたのかもしれない。
僕たちとは全く違う戦い方をするアーダさんに
僕は、スレイグスタ老や竜人族のみんな、それにアイリーさんや剣聖様が認めてくれた、竜剣舞の正当後継者だ。
だから、新たな境地を目指すにしても、一から新しいことを学ぶなんて間違いなんだよね。
新しいこと、さらなる技術は、これまで積み上げてきたものに上乗せして極めていけば良いんだ。
「攻撃型の竜剣舞から、防御型の竜剣舞へ。……いや、違うか。より精度をあげて、自由自在に繰り出せる竜剣舞を習得すれば良いんだよね」
これまでだって、ただ戦うための
なら次は、負けないための
僕は霊樹の精霊さんにお礼を言う。
どうやら、目指すべき目標が明確に定まったようだ。
あとは、努力して身につけるだけです。
「でも、それは明日からじゃ駄目ですかねぇ? 僕はもう、へろへろです」
土のなかで脱力する僕に、霊樹の精霊さんは優しく微笑んで、頷いた。
「駄目だ」
「そ、そんなぁぁぁっっっっっ!」
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