銀炎の戦士 揺れる乙女のときめき

 エルネアたちが魔族の国に向かって数日。

 暴君や古代種の雪竜を警戒してか、北部竜人族の挑発的な動きは影を潜めていた。


「ザンさん!」


 背後から声をかけられ、振り向くザン。少し離れた場所から走ってきたのは、最近知り合った男だった。

 名前はたしか、ラニセーム。南部出身の戦士だが、今回の騒動にいち早く駆けつけた勇猛ゆうもうな男だ。

 ラニセームは息を切らせてザンのもとへやって来ると、落ち着きなく辺りを見回す。


「ザンさん、すみません、うちの妹を見かけませんでしたか?」


 ラニセームに聞かれ、ザンは「はて?」と思案する。

 この男の妹とは? 記憶をたどり、すぐに思い出す。

 そうか。あの女か。竜王でもないのに竜宝玉を身体に宿す、珍しい女。確か、エルネアが過去に腐龍と戦った際、知り合ったという女だったか。

 だが、その女がどうしたのだろうか。

 今日はザンも休みを取っている。各地から集まってきた戦士たちで交互に警戒をしているが、休みなく気を張っていれば精神を消耗する。だから休めるときは休む。

 休日の今日は、以南の戦士たちが集結するこの村で、ザンはのんびりと過ごしていた。しかし、ラニセームの妹とやらを目撃した記憶がない。

 そして、なぜラニームがそんなに妹を心配しているのか理由がわからない。


「あいつ……。どこに行ったんだ?」

「何を心配している?」

「ああ、そうなんです。朝から妹のアネモネの姿が見えなくて……。あいつは普段は元気なんですが、今でも急に体調を崩すことがあって……。まさか、ひとりで森とかには行ってないよな?」


 質問の答えになっていない、苦笑するザン。

 しかし、ラニセームの心配事は理解できた。

 そう言えば、エルネアから紹介されたときに、本来は病弱だという話をしていたか。親しかった飛竜の竜宝玉を受け継ぎ、元気にはなったということだったが。


「体調を崩すといっても、急に意識を失って倒れるわけではないだろう? それに、竜宝玉を宿しているのだったな。ならば、ひとりで森に入っても問題はないだろう?」


 ザンたちが拠点にしている村は、山岳の中腹にある。そこから少し下ると、豊かな森が広がっていた。

 森に北部竜人族が潜んでいる可能性は低い。ザンたちの警戒網は、村だけではなく、周囲の竜峰にまで及んでいる。

 竜峰同盟がある今、危険なのは魔獣くらいだろうが、竜宝玉を宿す女なら、戦えずとも逃げるくらいはできるだろう。

 ザンはラニセームに言って聞かせるが、落ち着かない。

 やれやれ、妹想いにも程がある。


「ザンさん、アネモネを見つけるのを手伝っていただけませんか? もしもあいつが森に入っていて動けなくなっていたらと思うと……」


 ラニセームは心配性なだけだと思うのだが、ザンは仕方なく相談を受けることにした。

 妹や家族を大切に想う気持ちを笑うようなザンではない。


「ならば、お前はあちらを探せ。俺は向こうを探してみよう」

「ありがとうございます!」


 そう言えば、ラニセームの方が年上なはずだが、言葉遣いが逆転している。苦笑しながら、ザンは受け持った森の方へと足を向けた。






 二人の男が自分を探していることなど露も知らないアネモネは、朝から森のなかへと山菜を採りに来ていた。

 自分たちが拠点にしている村には、以南の竜峰から続々と戦士たちが集まってきている。だが、増加する戦士の数に比べ、食糧が足りない。遅れて支援物資は届く予定にはなっているが、とにかく防衛強化のために、と先んじて集合した戦士の急激な増加で、食糧危機が訪れようとしていた。

 食糧が足りなくなってからでは遅い。村の女たちは戦士の腹のうれいをなくすべく、既に動き始めていた。

 森には数人の女が入っている。

 危険だという者もいたが、ここは戦士たちの警戒区域に入っているので、北部の者たちの襲撃はないはず。危険になっても、自分たちは竜人族。戦えずとも、逃げるくらいは十分にできる。

 誰が一番に食糧を調達できるか、なんて遊び半分の競争を交えつつ、アネモネたちは森で山菜採りを行っていた。

 病弱で、幼少の頃よりあまり出歩かなかったアネモネにとって、こうして森を駆け回り、他の者たちと元気に動けることはとても気分が良かった。

 親しかった飛竜にはとても感謝している。そして、想いを繋いでくれたエルネアには深い愛しみを感じていた。

 でも待って!

 エルネア君にはもう既にお嫁さんがいっぱいなの。非常に出遅れた感がある。

 もしかして、もう手遅れかしら?

 だけど、他に素敵な男性の知り合いはいないし……

 胸の奥で温かみを感じる竜宝玉に問いかけてみるアネモネ。答えは返ってこなかったが、飛竜が応援してくれている気がした。

 しかし、ときめく心と久々の野外活動の楽しさのあまり、アネモネは気が緩んでいた。今更ながらに、森の奥深くまで来てしまっていたことに気づく。

 みんなとはぐれてしまったかしら?

 戦士でもないアネモネには、周囲の気配を探るような能力はない。

 だから、がさりと近くで物音がしたとき。

 はっ、と体を強張らせ、慌てて振り返った。

 そして、安堵のため息を吐く。

 茂みから姿を現したのは、魔物でも魔獣でもなかった。見るからに強そうな、竜人族の戦士の男だったから。

 茂みから現れた男は、アネモネの姿を見て少しだけ驚く。


「やれやれ。単独行動をする竜宝玉の気配を感じたから接触を試みたのだがな」


 困ったように頭をく男は、今が一番脂の乗っているような時期の中年。少し細身だが、引き締まった筋肉が無駄なく身体を包み込んでいる。そして手には、つかの長い戦斧せんぷを持っていた。

 誰だろう、とアネモネは記憶を辿る。

 日々増えていく戦士だが、夕時などで食事の準備も担当しているアネモネは、大体の者たちの顔を見ているはず。

 しかし、目の前の中年の男には、全く見覚えがない。


「竜宝玉を内包する女か、珍しい。お前はあの村の者か?」


 中年男は、村のある方角を指差す。アネモネは素直に頷く。駆けつけた戦士の妹で、竜王エルネアの知り合いですよ、と名乗っておく。

 エルネアには悪いが、こんな森の奥で知らない男と二人きり。念のための保険として、アネモネはエルネアの名前を出した。

 しかし、それがわざわいを呼ぶ。


「そうか。噂に聞く、新しい八大竜王か。ならば、お前には価値があるな」

「えっ?」


 目の前の中年男の言葉が理解できない。首を傾げるアネモネ。


「古代種の竜族が出たと騒ぐ連中が居てな。仕方なく以南の連中の様子を偵察に来たのだが、思わぬ収穫だ。八大竜王の動きを封じるために、お前にはこちら側へ来てもらおう」


 あっ、とアネモネが気づいたときには、手遅れだった。

 中年男に鋭い瞳で睨まれたアネモネは、蛇に睨まれたかえるのように身体の自由を奪われていた。

 胸の奥で、アネモネの危機に竜宝玉が熱く脈動するが、動けない。

 逃げなければ。この男は、北部竜人族の戦士だ!

 必死に身体を動かそうとするアネモネ。しかし、指先ひとつさえ動かない。

 もしも今、自分が北部の竜人族に捕まってしまったら……

 エルネアだけではなく、彼の家族の竜姫や多くの者たちにも迷惑がかかってしまう。

 焦る気持ちとは裏腹に、身体は言うことを聞かない。

 中年男はアネモネを強く睨んだまま、近づいてくる。

 がさり、とアネモネの背後で、もうひとつの物音がした。


「やれやれ。竜宝玉の気配を辿って来てみれば……」


 全身の自由を奪われ、振り向くことさえもできないアネモネの背後で、誰かがため息を吐く。


「悪いな、その女には俺も用がある。強引にでも奪わせてもらうぞ、ガーシャーク」

「……コーアの村の戦士ザンか」


 アネモネの正面に見える中年男。背後のザンという男の言葉が正しければ、名前はガーシャークというらしい。

 アネモネでも知っていた。

 竜王ガーシャーク。疾風しっぷうの竜王。


「俺を竜王ガーシャークと知っていて、挑もうというのか。戦士ザンよ」

「何者であろうとも関係ない。たとえ相手が竜王であろうと、魔王であろうとな」


 アネモネを挟んで対峙する男たち。

 ガーシャークの鋭い視線が、アネモネから背後のザンへと移る。

 その瞬間、身体の自由が戻ったアネモネは、慌てて味方らしい背後の男、ザンの背中の後ろへと逃げる。

 赤銅色しゃくどういろの肌に銀髪がよくえる、雄々しくたくましい男の姿に、アネモネは一瞬の安心を覚える。

 しかし、すぐに思い出す。

 敵対者は、竜王。そして、このザンと呼ばれた男は、雄々しい雰囲気を纏っていても、ただの戦士。

 竜王とそうでない戦士にどれほどのへだたりがあるのか。竜人族であれば、誰もが一般常識として、それを知っている。

 ザンの背後に隠れながら、アネモネの胸の奥には不安が沸き起こっていた。


「そこで大人しくしていろ。」


 だがザンは、竜王という存在に気後れした様子もなく、一歩前に出てガーシャークとの間合いを詰める。


「竜王よ。いずれあんたと、もうひとりの竜王ベリーグが裏切ることはわかっていた」

「ほう?」

「あんたらは北部出身だ。北部の連中を見捨てることはできない」

「よくわかっているじゃないか。なら、話は早い。以南のなかでも屈指の戦士ザンを葬り、女を連れ帰る。それだけで北部の奴らは高揚するだろうよ」


 ぞわり、とガーシャークの気配が膨れ上がる。アネモネを守るように立つザンも、出し惜しみはしない。

 竜王相手に手加減なんてしていれば、一瞬であの世行きだ。しかも、相手は疾風の竜王ガーシャーク。

 ザンとアネモネの目の前で、ガーシャークの姿が変貌へんぼうしていく。

 緑色の鋭い翼が背中から生え、ガーシャークの首や顔にも深緑色の鱗が浮かび上がる。柄の長い戦斧を持つ手や腕が、飛竜のそれへと変わった。

 そして、ガーシャークの周囲に鋭い旋風が巻き起こる。旋風は木の葉を切り刻み、森の木々に深い裂傷を与えた。

 どくり、とアネモネの胸の奥の竜宝玉が強く脈動していた。

 同じ竜宝玉を持つ者同士、ガーシャークの竜宝玉から溢れる桁違いの竜気を敏感に感じ取る。

 息苦しささえ覚えるガーシャークの竜気。それに対し、目の前で変貌していくザンの竜気は、燃えていた。

 赤銅色の肌に、髪と同じ銀色の鱗が浮かぶ。銀の翼、銀の尻尾がアネモネの目の前に姿をあらわす。膝から下の衣服が弾け、竜族のような脚に変わる。肘から先も、銀の鱗に覆われた竜族の腕へと変化していく。

 赤銅色と銀色が混ざり合った神々しいザンの後ろ姿に、アネモネは魅入ってしまう。


「言っておくが、手加減はしないぞ。お前の命は、今日限りだ」


 鋭く吹き荒れるガーシャークの竜気が、ザンの燃えたぎる竜気を巻き上げる。

 最初に動いたのは、ガーシャークだった。

 一瞬、ガーシャークの身体がぶれたように見えた。直後、ザンの翼や尻尾から鮮血が飛ぶ。

 続けて、ガーシャークの烈風がザンを襲う。

 ザンは身体を切り刻む鋭利な風に構うことなく、ガーシャークに突っ込む。

 煉獄の炎を纏ったザンの拳が、ガーシャークに迫る。しかしガーシャークは戦斧の刃の腹で、ザンの拳を受け止めた。


「ぐっ!」


 ザンの拳の炎が炸裂する。

 ザン、は全身が武器である。触れるもの全てを燃やし、爆発させる。

 爆裂で戦斧が弾ける。その隙をつき、ザンはガーシャークに蹴りを入れる。

 だが、ザンの鋭い蹴りは宙を薙いだだけだった。直前までザンの目の前にいたはずのガーシャークの姿が消えていた。

 疾風の竜王ガーシャーク。竜王のなかで最速を誇るその動きは、全力で竜気を解放し、人竜化したザンの目でも捉えられない。

 周囲で吹き荒れる旋風のなかに、まれに微かな気配を感じる程度。

 ザンの肩口の鱗が弾け、血飛沫ちしぶきが風に舞う。


「どうした。動かなければ、そのまま俺に斬り刻まれて死ぬだけたぞ?」


 ガーシャークの姿は未だに捉えられない。風に乗ってザンの耳に届くのは、死を予告する無慈悲な言葉だけ。

 ザンはしかし、重心を低く落とし、どっしりと構える。

 動きを止めたザンに、容赦なくガーシャークの攻撃が襲いかかった。

 烈風がザンの翼や尻尾、銀色の鱗を斬り刻む。姿さえ捉えることができない速度で動くガーシャークは、戦斧でザンの腕や脚、胴に深い傷を与えては離脱する。

 ザンは見る間に傷を負っていく。そして傷から出た血は、鋭い旋風に乗ってザンの周囲を赤く染めた。

 アネモネは、自分の油断から生まれてしまったこの絶望に、ただ息を呑み茫然ぼうぜんと見つめることしかできないでいた。

 自分を守る為に戦ってくれているザンは、エルネアが兄のようにしたっていた青年だ。自分にも大切な兄がいるからよくわかる。もしもザンがここで死んでしまったら、エルネアはひどく悲しむだろう。

 しかし、ザンが敗北するであろうことは、戦いを知らないアネモネの目にも明らかなように見えた。

 ガーシャークを捉えることすらできず、ただ一方的に攻撃を受け続けるザン。今この瞬間にも、ザンの頭と胴が切り離されそうな状況に、アネモネは何もできないでいた。

 ザンは自分の背後で、守るべき女が絶望していることを知っていた。

 無理もない。情けない姿だ。

 エルネアに戦いの手ほどきなどと指導しておきながら、自分はこうして無様な姿をさらしている。

 未熟だ。己の弱さを痛感する。

 ザンは少しでも女を安心させようと、気休めにも似た言葉をかけた。


「そこで見ていろ。すぐにこの戦いを終わらせてやる」

「はははっ、すぐに、か。それはすなわち、お前の死をもっての終幕だろう?」


 風に乗り、ガーシャークの声が森に響く。

 ちっ。ザンは舌打ちをする。女の不安を軽くしようと発した言葉だったが、逆に不安をあおる形になってしまった。

 何もかもが、竜王に遠く及ばない。

 これでは、あの可愛い小竜のようなエルネアに笑われてしまうな。

 ザンば自嘲じちょう気味に笑みを浮かべると、瞳を閉じた。

 どうせ目を開けていても、ガーシャークを捉えることはできない。ならば、視覚は邪魔だ。

 全身に竜気をみなぎらせ、周囲の気配を探る。

 目では見えなくとも、気配を微かに追うことはできる。

 集中し、ガーシャークの動きを捉えようとする。

 ガーシャークは遠巻きに超高速で移動しながら、一瞬でザンに近づき攻撃を加える。直後にはまたザンの射程から距離を取る。

 気配を捉えても、ガーシャーク自身を捕捉できなければ意味がない。

 更に竜気を膨らませるザン。

 全身からあふれ出る竜気は炎を呼び起こし、ガーシャークの旋風を払っていく。

 ザンの身体から吹き出す炎は次第に勢いを増していき、大気を焦がす。

 アネモネは目を見開いて、ザンを見つめた。

 紅蓮の炎だったザンの竜気が、恐ろしく高温になっていく。アネモネの額にはいつしか、大粒の汗が浮かんでいた。

 そして、アネモネが見つめるなか、ザンが身に纏う炎に変化が生まれ始めた。

 全てを焼き尽くしそうな業火の炎が、徐々に青白くなっていく。温度が上昇するにつれ、紅から青へ。そして最後は、白とも銀ともつかない美しい炎へと変化していた。

 ザンは瞳を閉じ、深く構えた姿勢で高みを目指す。

 己には、エルネアの竜剣舞のような多彩で手数の多い攻撃は必要ない。ただ一撃。それをもって敵を沈められるだけの威力さえあれば良い。

 竜宝玉から授かるような、巨大で力強い竜気は必要ない。唯一、攻撃の一点に宿る、全てを圧倒する力さえあれば、後は何も求めない。

 全身から溢れ出す竜気を、拳に集めていく。

 溢れる竜気は無駄なものだ。身を包む炎など、ガーシャークの衣服を燃やす程度の効果しかもたらさない。必要のない竜気の無駄を省き、一極集中で竜王との力の差を補う。

 白銀の炎へと変わったザンの全身の炎が消える。

 竜気が尽きてしまったのかもしれない。そうアネモネが錯覚してしまうほど、目の前のザンの竜気は静かだった。

 だが、アネモネとは逆に、ガーシャークはザンの竜気の変化に戦慄せんりつを覚えていた。

 荒れ狂い、煉獄の炎と比喩ひゆしてもおかしくないほど密度の濃かった竜気の炎が昇華しょうかし、ザンのみに与えられたような美しい白銀の炎へと変わった。それだけでも驚嘆きょうたんすべきことだが、若いこの戦士は更なる極みへと、この短い戦いのなかで昇りつめた。

 竜宝玉を持たず、竜王の称号さえも手にしていない若造が、竜気の極地へと至ったことを、竜王としてガーシャークはすぐさま悟った。

 あれは、ただならぬ戦士。

 油断をすれば、負けるのは自分かもしれない。

 ガーシャークは、次の一撃がお互いの必殺になることを予感し、竜気を最大限まで膨らませる。

 そして、全身全霊の竜気を込めて、ザンへと迫った。

 僅かに捉えたガーシャークの気配が、今までになく膨れ上がったことをザンは知る。

 だが、気負うことはない。今まで到達したことのないほど澄みきった精神が、静かな水面のように落ち着いている。

 来る! そう気配を読んだ直後。

 ザンの腹部を激痛が襲う。

 ガーシャークが手にする戦斧の渾身の一撃が、ザンの横っ腹から胴半分を切断した。

 しかし、腹の中程で戦斧は止まる。

 ガーシャークが戦斧を引こうが押そうが、びくりとも動かない。ザンの強靭な腹部の筋肉により、戦斧は縛り封じられていた。

 戦斧を手放すしかない。咄嗟とっさに判断したガーシャークは、長い柄から手を離し、身を引こうとした。

 回避するガーシャークの視覚が、ザンの顔を捉える。強化された視力が世界の動きの全てを緩慢かんまんに捉えるなか、ザンの瞳がゆっくりと開いていくのを見る。

 ザンの瞳が、金色に輝いていた。

 いかん!! 危機を察知し後退するガーシャークに、ザンの拳が迫る。

 ゆるやかに流れているはずの世界のなかで、ザンの拳だけが高速で迫る。

 咄嗟に利き腕を伸ばし、防ごうとした。


「ぐがあっ!」


 しかし、ザンの拳を止めることはできなかった。

 ザンの拳とガーシャークの左手が重なった瞬間。猛烈な痛みにも似た熱がガーシャークの全身をむしばむ。そして、ガーシャークの左腕の、二の腕から先が吹き飛ぶ。肉片は一瞬で白銀色の炎に包まれ、灰となり跡形もなく消えた。

 ガーシャークは全身を焼き尽くすような熱と左腕の激痛に顔を歪ませ、地に伏した。

 金色に瞳を輝かせたザンは、倒れたガーシャークを静かに見下ろす。

 ガーシャークは苦悶に満ちた顔で、ザンを悔しそうに見上げた。


「恐れいった、戦士ザンよ。俺の負けだ、殺せ」


 お互いに渾身こんしんの一撃だったことは、二人ともに知っている。そして、今なお立つのは、ザンだ。

 ガーシャークの敗北の言葉に、しかしザンはとどめを刺すことはなかった。


「死闘であったはずだが、見逃すのか?」

「ふん、くだらない。あんたは利き腕を失った。それで十分だろう。まさか竜王ともあろう者が、敗北を宣言した後も足掻あがくのか?」


 ザンの金色に輝く瞳に見据えられ、ガーシャークは苦笑する。


「ふはは。敵だったものに見せるその豪胆ごうたんさ。誠に恐れいった」


 全身から苦痛の汗を流しつつ、ガーシャークは笑った。


「ザ、ザンさん!」


 戦いが終結したことを悟ったアネモネが、焦ったように駆け寄ってくる。アネモネの視線は、ザンの腹部に食い込んだままの戦斧に釘付けになっていた。


「お怪我が……」


 アネモネは倒れ伏しているガーシャークを気にしながらも、ザンの傷の心配をする。


「これくらい、どうということはない。腹が半分裂けただけだ」

「それって重大なことだと思います!」


 焦るアネモネの肩に、ザンは手をかける。


「そう思うのなら、村へ急いで戻れ。そして、誰かを呼んでこい。ついでに、エルネアからの土産の中身を調べて来い。そのなかに竜の森の守護竜の霊薬があるはずだ」

「は、はい! 急いで行ってきます。だから、死なないでくださいね!」


 アネモネは必死だった。

 絶体絶命と思っていたザンが、一瞬の攻防でガーシャークを倒した。そう思ったら、腹部に戦斧が深く食い込んでいるではないか。

 早く治療をしなければ、命の恩人が出血多量で死んでしまうかもしれない。

 アネモネは無我夢中で、村に向かい飛び立った。


「……あの女、変身できたのか」

「いや、あれは無意識だろう。竜宝玉を受け継ぐ娘なだけはある、ということか……」


 翼を瞬時に生やし飛び去っていったアネモネを、ザンとガーシャークは呆気にとられて見送った。

 命をかけて戦った二人の間には、既に戦意はない。

 ひとりの竜王として、ガーシャークは負けたことに悔しさを覚えてはいる。しかし、目の前に立つ若き戦士が相手だったのだ、仕方がないと諦めた。

 そして負ければ、素直に勝者に従うのが敗者の誇りだ。

 ザンにしても、竜王の称号を持つ者が後を濁さない誇りを持っていることくらい知っている。そして何よりも、自分にはもう戦うだけの余力はない。実を言うと、立っているだけで精一杯の痛みが腹部を襲っていた。


「ところで、ザンよ」


 ガーシャークの言葉に、視線を落とすザン。


うまく俺の攻撃を受けたな。なぜ首を取りに行くのではなく、腹だとわかった?」

「何を言うかと思えば。そんなもの、予想も何もしていない。攻撃は避けきれない。ならば攻撃を受けた直後に、そこに全防御を回せば良い。そう判断し、実行しただけだ」

「……」

「あんたにもう少し膂力りょりょくがあったら、真っ二つになって負けていたのは俺だ。速さ一点張りのあんたで助かった」

「そうか……」


 ガーシャークはザンの揺るぎなく強い精神に完全な敗北を痛感した。


「しかし、それほどの力を持っておきながら、竜王にはなりたいと思わぬのか?」

「ふんっ」


 ザンはガーシャークの言葉を鼻で笑い、遥か西の空を見た。


「女の尻に敷かれるのは、真っ平御免だ」

「はっはっはっ。ミストラルか。なるほど、なるほど」


 ガーシャークは愉快に笑う。

 なんという男だ、このザンという戦士は。

 竜姫は、竜王を従える能力を持つという。ザンは、ミストラルの下になるくらいなら、竜王の称号は要らないと言うのだ。


「どうも、俺は何もかもお前に負けたらしい。利き腕も失った。竜王を引退する時期かもしれんな」

「馬鹿を言え。あんたは北部を取りまとめる重鎮じゅうちんのひとりだ。勝手に引退をされては困る」

「北部か……見捨てられずに加担してしまったが、これからどうなるのだろうな……」

「傷を癒しながら、待っていればいい。そうすれば、エルネアとミストラルたちが必ず北部の奴らも巻き込んで良い方へと導いてくれる」

「ほほう、若き八大竜王と竜姫を高く評価しているのだな」

「会えばわかるさ」


 ザンとガーシャークは、揃って西の空を見上げた。

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