大地の流れ
僕が僕たりえる為の力とはなんだろう。疑問符を頭の上に浮かべる僕に、スレイグスタ老は取り敢えず腰を下ろすように促してくる。
言われるがまま、僕はスレイグスタ老の前に座る。
僕はこれから何をするんだろう。スレイグスタ老が何を考え、何をさせようとしているのか分からず不安になり見上げる。
スレイグスタ老はそんな僕を黄金の瞳で静かに見下ろしていた。
「ふむ、今は不安で心が揺らいでおるな。まずは我を信じ心を鎮め、我の言う通りにするのだ」
別に信用していないわけじゃないんだけどね。ただ、やっぱり先が見えないと不安なんだよね。何をするかくらいは教えてほしいなあ。そう思いながらも、僕は心を落ち着かせようとする。でも、どうやったら落ち着くんだろう。普段そんなことなんて考えないから、余計に変な思考をしてしまう。
「楽な姿勢でゆっくりと目を閉じよ」
言われるがまま、瞳を閉じる。僕の視界は真っ暗になった。目を瞑らせておいてがぶり、という事は今更はないだろう。
スレイグスタ老がその気になれば、目を開けていようが逃げていようが僕は一瞬だからね。
「これこれ、妙な思考はするでない。心を無にし、世界を感じよ」
しまった、思考を読まれちゃった。
世界を感じるって、どういうことなんだろうね。さっぱりわからないけど、取り敢えず無駄な思考は止めてみよう。
僕は暗く閉ざされた世界で、世界とやらを感じようと試みる。
目を閉じているので真っ暗で、世界どころか目の前のものも感じないよ。それでも僕は言われた通り、心を落ち着かせて瞑想を続けた。
ずっと長い間目を閉じていると、色々と他の感覚が鋭くなってくる。
さわさわと、苔の広場を柔らかい風が流れている。
風には古木の深い匂いが含まれていて、鼻腔に落ち着く香りを届けてくれる。
遠くでは古木が風に揺れて枝葉をこすり合わせ、優しい音を奏でていた。
すぐ側では、スレイグスタ老の深くゆっくりとした息づかいが聞こえる。小山のような巨竜なのに、息づかいは微風よりも静かで自然に溶け込んでした。
がさり、と微かな音がする。スレイグスタ老の前脚辺り。苔の広場の中央でずっしりと横たわり、首から上しか動かさないと思っていたけど、身体は意外と身動きしているのかな。巨体としてしか見ていなかったから、細部の小さな動きには今まで気付かなかったよ。
古木の森の奥から、動物の鳴き声が聞こえてきた。神聖な場所と言っていたので、近くにはスレイグスタ老以外は居ないんだと思っていたけど、思いの外動物の鳴き声は近くで聞こえていた。
小鳥のさえずりが聞こえてくる。古木の森の奥。そして、頭上からも。はたはたと鳥の羽ばたきが聞こえた。
ああ、ずっとずっと高い位置から、微かに鳥のさえずりが聞こえる。霊樹の枝に留まっているのかな。
遠く遠く、古木の森よりも遠い距離の頭上から、木々の揺らめきが聞こえてきた。ゆっくりと風に揺れている。
見たことも聞いたこともない、小山のようなスレイグスタ老よりも遙かに大きな樹。
僕は気づけば、霊樹に意識を向けて長いこと瞑想していた。
「いま、汝には霊樹がみえるか」
僕の瞑想を妨げない程度の小さな声で、スレイグイスタ老は言う。
見えてはいない。だって目は閉じているもん。でも、何故か頭上の霊樹の枝葉を僕は心で鮮明に捉えていた。
「霊樹は我らよりも遙かに生命力の強きもの。目で捉えずとも魂で見ることが出来る程に」
確かに、霊樹からは言いようのない強い何かを感じる気がする。その正体が全くもって何なのかはわからないけど。
「さあ、霊樹の枝葉が見えたのなら、それに沿って幹を見てみるのだ」
何となく見れる気がした。
僕はまず枝葉を感じ見る。それを辿って、苔の広場の先にある霊樹の幹に意識を向けた。
広場のずっとずっと遠く。古木の深い森の先に、とても巨大な垂直に立つ山が見えたような気がした。
いや、山ではなく、それが霊樹の幹だ。とてもとても太く、生命力に溢れた霊樹の本体。
不思議と、遠く離れているはずの霊樹を近くに感じる。
そして、生命力に溢れた巨木と感じ見ていると、じつは大地から力強く何かを吸い上げていて、それでより一層生命力が輝いているのだと気づく。
「ほほう、一日で竜脈を感じ取るか」
感心したようなスレイグスタ老の声が聞こえる。
「竜人族であっても、長年修行してようやく見ることの出来る境地なり。さあ、竜脈を辿り、世界を感じよ」
霊樹が大地から吸い上げている何かが、竜脈というものなのだろうか。
僕は、今度は霊樹に吸い上げられている何かに意識を向けた。
竜脈とは一体なんだろう。竜人族が修行の末に見ることが出来るようなものを、僕なんかがちょっと瞑想したくらいで見ることができるなんて信じられない。
何かの間違いなのかな。でもスレイグスタ老が間違っている様にも思えない。
僕はとにかく、深く瞑想をして霊樹に吸い上げられている何かに意識を向けた。
最初は、水だと思った。木は水を吸い上げて糧として、成長するしね。
でも、なんか違う。
水なんかよりも圧倒的な力を感じる。
霊樹は大地の下、深く広く張った根から何かを吸い上げていた。
力溢れる何かは、霊樹の下に海原のように広がっていた。ううん、海原じゃなかった。とても大きく、僕は最初それが海のように見えたけど、違った。海原ではなく、それは大河だった。
大きくうねりをあげ、大河のように力強く流れている何か。
それは、先は霊樹が立つ場所の遙か先に続き、手前は苔の広場の下にも通り、そしてまた古木の森の奥へと続いていた。
辿れば本流からは支流が無限に枝分かれをし、大地に大小無限の河がくまなく広がっていた。
僕は圧倒的な規模とその力強さに驚愕する。
曲がりくねり力強く流れる様は、長胴竜が空を泳ぐ姿に見えた。
「今感じておるのが、世界の生命。大陸にくまなく満ちておる力。霊脈なり。竜族は竜脈と呼ぶ」
僕はスレイグスタ老の言葉をゆっくりと心に沈めこませる。世界には、こんな凄い力が溢れていたのか。
僕は今まで気付かなかったよ。ううん、人族は誰も気付けていないんだね。竜人族でさえ、修行しないと見えないって言っていたし。
でもなんで、それが僕に見えたんだろう。
意識をスレイグスタ老に向けると、スレイグスタ老はゆっくり静かな呼吸とともに竜脈を吸っているのがわかった。
「獣や虫、人。植物にも生命は勿論あろう。それと同じように大地も、世界も生きて命があるのだ。ただ、それは気づき難い。巨大すぎてのう」
生まれた時から当たり前のように傍に有るけど、大き過ぎて感じ取れない。感じ取れないことが当たり前になって、それが有ることさえ意識しないってことなのかな。
よくわからないや。
僕の思考に、スレイグスタ老は少し苦笑した。
「難しい話であったな。何はともあれ、竜脈を感じ取れることが第一歩なり」
言ってスレイグスタ老は安心したようにひとつ、深い息をついた。
「そのまましばし、竜脈を感じ続けるが良い」
言われて僕は、竜脈に意識を向け続けた。霊樹の存在なんかは簡単に捉えられるんだけど、竜脈は深く瞑想し続けないと、すぐに見失いそうだった。
巨竜のスレイグスタ老や霊樹なんかよりも遙かに巨大な力なのに不思議だ。
どれくらい瞑想していたんだろう。何刻も長い時間にも感じたし、もっと短い時間のような気もする。
雑念が増えていき、深く瞑想し続けることが段々と難しくなってきて、比例して竜脈をなかなか感じ取れなくなってきた。
僕は諦めて瞑想を止める。
視線の先では、スレイグスタ老が満足そうに僕を見下ろしていた。
「初日にしては上出来すぎであるな」
「竜脈を感じられたことがですか」
「左様。先ほども言うたが、竜人族でさえ長年の修行の先にたどり着く境地なり。ここが霊樹の傍、竜脈の本流の真上だとしても、よもや一日で感じ取れるようになるとは我でも思わなんだ」
そうなのか。なんか僕、凄い事をしでかしちゃったのかな。
「ぐははは、聖域の結界を越えてここまで来られた時点で、汝は凄い事をやり遂げておるわ」
言われてみるとそうだった。本当は、ここには誰も来られないんだよね。来られても、もしかするとスレイグスタ老に食べられちゃうかもしれないしね。
スレイグスタ老は霊樹を護りこの聖域に居るけど、やっぱり僕以外の侵入者はいたりするのかな。
「もちろん、居る。汝のように迷いこむ者は極稀なれど、最初から悪意を持って森へと侵入するものは後を絶たぬ」
そうなのか。でもそうだよね。霊樹があるとはさすがに思わないだろうけど、禁止されている竜の森の木の伐採をしようとする人もいるだろうし、悪い人は他にもいるよね。
そう思って、ふとスレイグスタ老の前脚に視線が行った。
そういえば瞑想の時に動きを感じた前脚。
右手と言えばいいのかな。その指の先、爪の付け根が少し陥没して出血していた。
「ああ、指の先を怪我していますよ。どうしたんですか」
僕は驚いた。スレイグスタ老は竜の森の、伝説の巨竜。古代種の老竜だよ。それが怪我をして出血してる。
やっぱり侵入者と戦って、負傷したのかな。
「うむむ、これか」
スレイグスタ老はすこし指を動かす。
痛くないのかな。
というか、古代竜の鱗を突き破り陥没させるってどんな威力なんだろう。
「この傷は気にするでない」
少しばつが悪そうに、スレイグスタ老は誤魔化した。
負傷したことが不名誉とかなのかな。あまり突っ込んで聞いちゃいけない気がした。
怪我したなら、万能鼻水を塗ればいいのに。
「この傷は、まぁ、一時このままであるな」
苦笑いを浮かべるスレイグスタ老。
やっぱり不名誉な傷で、自戒の念をこめて残しておくのかもしれない。
スレイグスタ老に傷を負わせた相手も気になるけど、これはいっとき聞けそうになかった。
「さあさ、瞑想の時間はおわりだ。陽はもう少しある。次は汝に舞を教えてしんぜよう」
「えっ」
スレイグスタ老の言葉が理解できませんでした。
僕に舞を教える? 何で?
「汝の舞いは下手くそすぎる。我が舞というものを教えてやろう。男には男の舞い方というものがある」
なんということだ。僕は舞踏家になってしまうのか。思いもしなかったことに困惑する僕。
「集めておいた薪の中から、手頃な枝を二本持ってくるがよい」
狼狽を隠せないまま、僕はそれでも集められた薪の場所まで移動する。
苔の広場の片隅には、薪と果実が沢山あった。
なんで木の枝を使って舞いの練習なんだろうね。
ああ、そういえば昨日、僕はここに細身の中剣を忘れたんだったよ。
木の枝じゃなくて中剣はどころだろう。
僕は薪と果実の周りを探し、広場を見渡してみる。
でも、どこにも中剣は落ちていなかった。
「おお、あの見すぼらしい剣は我が捨てておいた」
なな、なんだってー!
あれは両親が貯めてくれたお金と僕のお小遣いでやっと買えた剣だったんだ。たしかに竜族からしたら
「ははは、気にするでない」
きにするよー。
僕は年甲斐もなく涙するのだった。
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