竜姫と鈍器
僕は阿呆の子です。
巨竜のスレイグスタ老に舞いとはなんぞや的な話と軽い指導を受けた後、僕は帰路に就いたんだ。
集めてもらっていた薪と果実を家に持って帰ると、母さんはすごく喜んでくれた。でも、その後せっかく購入した中剣を森の中で失くしたと伝えるとひどく怒って、帰ってきた父さんにも拳骨をもらってしまったよ。
本当はスレイグスタ老が捨てたんだけど、そんな事は言えないしね。
そうそう。竜の森の聖域、巨竜のスレイグスタ老、そして霊樹の事は他言無用ときつく念を押されている。たぶん勇者のリステアにも言えない秘密事だよ。
翌日、僕は学校に、もちろん登校した。
ただし、この日から僕は剣の練習ではなくて、呪術の修行をしているクリーシオたちと共に武芸の時間を過ごすことなった。
呪力の無い僕が剣術の修行を放棄したことに、教師や退役して指導に来ている元王国騎士の人だけでなく、同級生徒たちからも白い目で見られて痛かったよ。
リステアからとても心配されたけど、理由もまともに話せないし、申し訳ない気持ちで修練場の隅に座り、瞑想修行をする僕。
「学校では、剣術の練習なんぞせずに、瞑想をして竜脈を感じ取るのだ」
スレイグスタ老のこの言葉に従い、僕は瞑想をする。
周りから見れば、僕は武芸修行もせず無意味に瞑想をする痛い子、阿呆の子として見られる日々を送ることになった。
でも僕には、瞑想の修行は大切なものなんだという自覚があった。
というのも、苔の庭で瞑想をすれば竜脈は感じ取れるのに、森の外ではいくら瞑想しても竜脈を感じられないんだ。
スレイグスタ老によれば、苔の広場は特殊な場所で竜脈の本流の真上だから感じやすいらしい。だけど、外だと本流から外れてしまうので、余程頑張らないと感じられないんだとか。
目下、僕は苔の広場の外でも竜脈を感じられるように修行をするのだった。
学校では来る日も来る日も瞑想をして、竜脈を感じる修行をする。午後からは急いで竜の森へと向かい、スレイグスタ老の元でやっぱり瞑想。それと舞を教わるのが僕の日常になった。
学校での僕の評価は完全に阿呆の子。定期的に行われる遺跡調査の練習でも、僕と組みたがる人はいなくなった。
ただ、最初はリステアが、続いてクリーシオが、そして呪術の修行をしている他の生徒と呪術士の教師が、次第に僕の瞑想の深さに関心を示し出していた。
苔の広場での毎日にも、僕は充実感を感じていた。
竜脈をはっきりと感じ取れるようになってくると、次は竜脈の力を自分に流し込む練習に移った。
これがものすごく難しい。
感覚的には、激流の大河から
激流に尻込みして杓子を浅く差したら欲しい分が汲み取れない。かといって思いっきり杓子を突っ込めば激流に身体ごと持っていかれて溺れてしまう。うまく差し込めたと思っても、杓子が激流に耐えられずに折れてしまう。
なかなか思うように出来なかったけど、スレイグスタ老の助言のもと、僕は少しずつでも成長していると思う。
そして、舞。
なんで僕は伝説の老竜に舞なんかを教わっているのだろう、という疑問は置いておいて。
竜脈の修行の後は日が沈むまで二本の木の枝を持って舞の練習だった。
ちなみに、僕が苔の広場に来ると毎日薪と果実などが準備されていた。それと、来る前にかなりの頻度で魔獣に追い回されるんだけど、なぜかいつも危機一髪で助かっていた。
舞。
スレイグスタ老は男には男の舞がある、と言って毎日僕に熱心に指導してくれた。
枝の角度、挙げる手の指先から上げる脚の描く円の軌道から。
駄目な時は手加減なく叱責するけど、逆に巧くいくと心から褒めてくれた。
少しずつ少しずつ、舞でも僕はスレイグスタ老のもとで成長していると思う。
ところで、僕はこのまま舞踏家にでもなるのだろうか。そう思う日もあるけど、やっぱり僕は舞踏家の卵ではなくて阿呆の子だった。
「エルネア。あんた、明後日から三日間、遺跡で夜営練習でしょう。ちゃんと準備したの?」
ある日の夜、僕は母さんに指摘されて大変なことを思い出した。
そうだった。明後日から遺跡に泊まり込みだったんだ。
すっかり忘れていたよ。
遺跡は、夏前に僕たちが初めて調査練習に入った時に魔族が出て一時封鎖されていたけど、その後、王国騎士とリステアたちがくまなく調査をして安全が確保された後に、また学校に解放されていた。
他の地区の学校と交代で、僕たちは遺跡を使って調査訓練や弱い魔物の退治の実戦を繰り返していた。
そして明日は臨時で学校が休みになり、その間に必要な準備をして、明後日から三日間遺跡に入って本格的な夜営の練習だったんだ。
僕は阿呆の子で通っているので、夜営の練習では他の同級生徒から「一緒にやらないか」というような声はかからなかった。
リステアは気を使ってくれていたけど、彼の仲間内に入って迷惑をかけるわけにもいかなかったから、結局ひとりで夜営の練習をすることにしていたんだ。
でもそれが仇となり、誰も指摘してくれ人がいなくて、日にちを忘れて準備を忘れてしまっていたよ。
大変だ。明日は急いで準備しなきゃ。
ああ、スレイグスタ老にも三日間訪問できないことを伝えないといけない。
明日は休校だし、朝に行って伝えてから準備をしよう。
「あんたが持って帰ってくる竜の森の幸が三日間ないってのは辛いけど、仕方ないわね」
母さんが残念そうに肩をすぼめる。
名目的には、僕は毎日森へ薪と果実などを採りに行っていることになっている。
実際には、苔の広場に行くといつもスレイグスタ老が準備をしていてくれて、それを持って帰ってきているだけなんだけどね。
裕福ではない僕の家にとって、毎日持って帰る薪と果実などは母さんには喜ばしいことみたいだった。
中剣を失くしたと伝えた時は、もう竜の森には行くなと激怒されたけど、今では毎日持って帰る僕の手土産に笑顔が絶えない。
その日の夜は出来るだけの準備をして、残りは翌日に済ませることにした。
翌日、僕は急いで竜の森へと向かう。
今日は忙しいよ。夜営に必要な小道具は父さんが昔使っていた物を再利用する。でも長い間使っていなかったから使えるか点検しなきゃいけないし、使えなかったら修理か買い直しが必要なんだ。
食料も、三日分の水と食べ物を準備しないといけない。
何人かで組む同級生徒だと作業を分担するんだろうけど、僕はひとりなので全部自分でしなきゃいけないんだ。
スレイグスタ老に三日間の不在を伝えて、急いで戻って準備をしなきゃいけないよ。
僕は竜の森へと入り、彷徨う。
苔の広場は、行こうと思って辿り着ける場所じゃないのが困るんだよね。
大概はあの大きな狼のような魔獣に追われるか迷子になった頃に辿り着ける。
魔獣のやつ、いつも僕を待ち伏せしているんだ。僕以外に魔獣の被害なんて王都に上がっていないから、他に襲われている人はいないのかな。
とにかく、奴は僕を見つけると意地悪に追いかけ回すんだ。
でも、今日はどうやら気配を感じない。
いつもは学校が終わってからの午後に竜の森へと入るから、まさか午前中のしかも早朝に来るとは思っていないに違いない。
僕は竜の森の中を当て所なく彷徨う。
とにかく進んでないと苔の広場にはたどり着けないしね。
明日から三日間をどう過ごそうか、などともの思いに耽っていると、不意に周りの気配が変わった。
澄み切った早朝の森の気配から、深く柔らかな空気へと変わる。
僕はすぐに、苔の広場へと導かれたのだと直感する。
太い幹の古木を抜けると、僕は苔の広場へと辿り着いた。
広場の中央では、相変わらず小山のような巨竜のスレイグスタ老が居た。
まだ早朝ということもあって、静かに瞳を閉じて寝ているようだった。
来るのが早すぎたかな。
寝ているスレイグスタ老を起こさないほうが良いのか。
とりあえず僕は静かにスレイグスタ老の近くに歩いていく。
驚かしてやろうか。一瞬邪な考えが過ったけど、スレイグスタ老が驚いて僕を踏み潰してしまうかもしれないから却下。
僕が苔の広場に入って中程まで歩いた辺りで、スレイグスタ老は目を覚ました。
「おおお、誰かと思えば汝であったか。いつも来る時間ではないな」
「はい、今日は臨時休校だったんです。それで、明日からの事を伝えようと思って」
「ほうほう」
スレイグスタ老は朝の澄んだ空気と一緒に竜脈を吸い込み、深呼吸をする。
「ええっと、実はですね」
がさり。
僕が明日からの事を説明しようとした時。
苔の広場の先、古木の森から物音がして、僕は振り返った。
「えっ」
そして僕は、思いがけない光景に目を丸くした。
人がいた。
女の人。
とても美しい女の人。
銀に近い金髪は長く腰まであって、朝の眩しい木漏れ日に輝いていて。
切れ長の眼、宝石のように深く輝く碧い瞳。
薄く、でも柔らかそうな唇の口角はちょっぴり上がっていて。
小顔で一見華奢に見える身体は姿勢が良く。
女神様が現れた。
僕は瞬間的にそう思ってしまった。
女の人も、僕を見て驚いていた。
「かかか、よもやこのような形で会うことになろうとは」
スレイグスタ老だけが、愉快そうに僕と女の人を眺めていた。
「エルネアよ、あれが汝の嫁だ。ミストラルよ、この者が汝の夫だ」
「「えっ」」
僕と女の人は、同時に驚きの声を上げた。
「
「おじいちゃん、いまなんて言ったの」
僕と女の人は同時に聞き返し、スレイグスタ老を見上げる。
「ふははははは。ミストラルよ、汝はいつも縁談の話しで悩んでおっただろう。丁度良い、エルネアと結婚してしまえ。そしてエルネアよ、汝の望みの、おっぱいだ」
「「はあぁぁぁっ!?」」
スレイグスタ老のとんでもない発言に、またしても僕と女の人の声が被った。
お、おっぱいって……
ちらり、と僕はミストラルと呼ばれた女の人を見た。
ミストラルさんは両手に抱えていた沢山の薪と果実を先ずは丁寧に足下に置き、ずんずんと地響きがしそうな足取りでスレイグスタ老に近付く。
あああ、もしかして。毎日の薪と果実は彼女がいつも集めていたのだろうか。
しかし、怒り心頭風の足取りでスレイグスタ老の下へ歩を進めるミストラルさんの胸は。
無かった……
ちっぱいだった。
「むむむ、ちっぱいとな。人の姿をした者の胸の価値観が我にはわからぬ。あれば良い、というものではないのか。大きくなければいかんのか」
僕の思考を読んだスレイグスタ老が唸る。
「翁、そこに直りなさい」
ミストラルさんは物凄い殺気でスレイグスタ老に近付き、腰の武器を手にした。
あれは。
漆黒の片手棍。先端の球体に恐ろしい棘が無数に生えた片手棍。
ミストラルさんは片手棍を振り上げる。
「ま、待て待て待て。落ち着くのだ、ミストラルよ。早まってはいかん」
慌て
「問答無用!」
漆黒の片手棍の先端が蒼白く発光しだす。
そして、ミストラルさんは片手棍をスレイグスタ老の指先に振り下ろした。
蒼白い輝きが尾を引きながら、命中する。
直後に、天へと蒼い光の柱が突き抜けた。
「ぎゃあああっ」
絶叫するスレイグスタ老。
「竜人族の小娘が、我になんということをするのだ」
スレイグスタ老はミストラルさんを威嚇するが、涙目で全く迫力がない。
一撃を食らわせて満足したのか、ミストラルさんは片手棍を腰に直してスレイグスタ老を無視した。
スレイグスタ老の指先は陥没し、出血していた。
ああ、もしかしてずっと前に同じようなところを怪我していたのも、ミストラルさんの一撃だったのだろうか。
というか、伝説の古代竜に一撃を食らわせて負傷させるなんて、なんて恐ろしい女の人。なんて恐ろしい技なんだ。
僕が冷や汗を流していると、冷たい眼差しでミストラルさんは僕を見据えた。
「む、胸など邪魔なだけです」
顔をいろんな意味で真っ赤にして、ミストラルさんは今度は僕の方へと歩み寄ってきた。
あ、物凄く危険な感じがします。
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