竜姫と竜王

 ミストラルさんは揺れない胸を片手で隠しながら、顔を真っ赤にして僕に迫る。


 ああ、命の危険が迫っている。


 竜の古代種をも負傷させる一撃なんて、僕には防ぎようもないよ。


 ミストラルさんの気迫に押され、僕は尻餅をつく。

 そして、僕の眼前に仁王立つミストラルさん。

 恐ろしい片手棍こそ手に握ってはいないけど、右手を大きく振り上げる姿に僕は怯えてしまう。


「うわわ、助けてください」


 僕は土下座でミストラルさんの許しを乞う。


 ちっぱいなんて思ってごめんなさい。揺れる胸を願ったことは謝罪します。だから助けて。

 というか、僕の心を読んで口に出したスレイグスタ老が悪いんじゃないか。

 くうう、まさか他者の口が災いの元とは。


 ひれ伏す僕。


 ミストラルさんの鉄拳制裁は。


 待てど暮らせど落ちてこなかった。


 恐る恐る顔を上げると、ミストラルさんはまだ右手を振り上げたままだった。


 慌てて再度ひれ伏す。


「ごめんなさいは?」

「ごごご、ごめんなさい」


 僕は必死に謝った。


 許してもらえるなら、なんでも言うことを聞きます。だから許してください。助けてください。

 僕の誠心誠意の謝罪に、やがてミストラルさんはため息を吐いて許してくれたのだった。


「まったく、翁といい貴方といい……」


 ぶつぶつと愚痴りつつも、ミストラルさんは僕の前から立ち去る。


「それで。きちんと説明してくれるのですよね、翁」


 ミストラルさんはスレイグスタ老の傍らに場所を移すと、僕を手招きする。


「貴方もこちらに来なさい。翁の悪ふざけに巻き込まれて迷惑しているのでしょう」


 迷惑かどうかはともかく、僕は立ち上がると言われた通りミストラルさんの隣りに移動した。


「ふむ。説明も何も、先ほど言った通りであるのだがな」


 しかしスレイグスタ老は視線を逸らす。

 無言で片手棍を再度抜き放つミストラルさん。


「あああ、わかった。わかったからその物騒な鈍器はしまえ」


 さすがの古代種の竜でも、ミストラルさんの片手棍は怖いみたいだ。慌てるスレイグスタ老に、ならば説明を、と迫るミストラルさん。


 なんか二人を見ていると、巨竜と人と言うよりも孫と悪ふざけをしているおじいちゃんに見えてくる。


「ふむ、孫と祖父という関係に感じるのなら、そうかもしれぬな」


 スレイグスタ老は僕の思考を読んで答えた。


「ミストラルは我が庇護する一族の者。一族の者は全員我の孫、もしくは子の様なものだ」

「翁との血の繋がりはありませんけどね」


 ええと。竜の森の守護者にして伝説の巨竜。古の老竜が庇護する一族。そしてさっき、スレイグスタ老はミストラルさんのことを竜人族と言ったよね。

 つまり彼女は人族ではなくて、西の竜峰に住むという竜人族なのか。


 僕は隣に姿勢良く立つミストラルさんを見た。


 見た目は人族と何も変わらない。僕よりも背が高いとか胸がないとか、そんなことは些細なことだ。


 そう、些細なこと。


 彼女の美しさに比べれば、全てが些細なことに思えた。


 あまりの美しさに、僕はミストラルさんに見とれてしまう。

 僕の視線に照れたように、ミストラルさんは少しはにかんだ。


「ミストラルは、一族を代表して我の元へ面倒をみに来ておるのだ」

「ここは神聖な領域なので、一族の中でも限られた者だけが訪れることができるの。現在はわたしが翁の面倒をみているわ」


 なるほど。スレイグスタ老はミストラルさんの一族を庇護し、代わりに一族の人が毎日いろんなお世話をしているのか。


 僕に毎日持たせてくれていた薪や果実は、世話役のミストラルさんが集めてくれていたんだね。

 そりゃあそうだよね。スレイグスタ老のような巨体で森に入って、彼の身体からしたらほんとちっぽけな薪や果実なんて集められないもんね。


 感謝すべきはスレイグスタ老じゃなくて、ミストラルさんだったんだ。ありがとう。


「ふふん、ミストラルは良くできた娘だ。年齢も近い。良い夫婦になるのではないか」


 相変わらず思考を読むスレイグスタ老。


「思考を読んで二人だけしかわからないような会話をしないでください。貴方も、簡単に思考を読まれないように注意しなさい」


 僕とスレイグスタ老を見て、ミストラルさんが言う。

 読まれないように注意って、どうすればいいのかな。


「とにかく。わたしと彼にわかるように、き・ち・ん・と説明してください」


 ミストラルさんの気迫に、項垂れるスレイグスタ老。なんか、ミストラルさんの前だと古の老竜としての威厳が無くなってしまっているよ。


「ふーむ。困った」

「困っているのはわたしと彼です」

「ええと、はい。困って……いるのかな?」


 僕としてはミストラルさんの様な見目麗しい女性がお嫁さんだなんて、願ったり叶ったりなんだけどね。

 ただ、スレイグスタ老の突然の爆弾発言で戸惑っているのは確かだった。


「ミストラルよ、汝は竜姫りゅうきになった。これから先、他部族との縁談話や勢力争いで舵取りは難しくなり、身動きが取れなくなるぞ。折角の竜姫としての力が霞んでしまうことを我は危惧する」


 そういえば、スレイグスタ老はミストラルさんを竜姫と言ってたね。竜人族のお姫様ということなのかな。つまり、一族の族長の娘ということだろうか。


 僕の頭上に疑問符が浮いていたのだろうか。ミストラルさんが補足してくれる。


「竜姫とは称号です。そうですね、人族で言うところの勇者や騎士といったものと一緒です」


 力や功績があった人に送られる称号ということかな。


「竜姫とは、竜王を超える力を手に入れた竜人族の娘に与えられるものなり」


 スレイグスタ老の補足に、僕は目を丸くする。

 王より姫の方が強くて上の称号ってどういうことだ。


「過去、竜人族には竜王の称号のみが存在した。しかしある時、竜王の称号を得た者の妻がその者よりも力と功績をあげてしまい、新たに生まれた称号なり」

「それって、竜皇后とか竜女王とかって称号じゃ駄目だったんですか」


 竜王の妻だったんなら、そっちのほうがしっくり来そうなものなのに。


「ふむ。あれはいやつでのお。やはり姫が似合っておったのだ」


 おいおい。もしかして称号を新たに生んだのはスレイグスタ老ですか。


「かかか。生み出すだけなら誰にでもできる。だが新たに生み出し世に認めさせるだけの権威を有する者は数える程なり。よって我が生みだせし竜姫の称号はそれ相応の効力をもつ」

「竜姫の称号を贈られた者は、竜王を支配する力を翁から授かります。竜王の称号自体もそれなりの力と功績が必要ですが、それを超える、竜人族にとっては絶対的な象徴が竜姫なのです。なので未婚の竜姫が出ると誰を夫にするのか、どの部族の者と結ばれるかで大変な騒ぎになるのです」


言って深くため息を吐くミストラルさん。本当に困っているんだね。


 そして竜王はあくまで称号で、竜王だからと言って竜人族の王様ではないのか。


 竜人族は部族ごとに竜峰のどこかに住み、一族は族長が纏めあげているんだっけ。前に座学で竜人族のとこについて教師が言っていたことを思い出した。


「竜姫をめぐる部族間の争いに、我は辟易しておった。そこに、汝が現れた」


 スレイグスタ老はミストラルさんから僕に視線を移す。


「我は汝に約束したであろう。もしも我の興味を惹くことができれば、願いを叶えてやると」


 そう言えば最初に言っていたね。

 でも、僕はもう願いは叶っていると思っていたよ。竜脈を教わり舞を学び、毎日薪と果実を貰って、僕は満足していたよ。


「今までの事で満足であったか。しかし、汝が一番強く願ったのは、嫁であろう」


 さすがにおっぱいとは言わなかったか。


 確かにお嫁さんは欲しいよ。男だもの。

 でも、とミストラルさんを見る僕。


 ミストラルさんも困惑の表情だ。

 凛とした立ち姿は気品を感じさせ、僕が今まで生きてきた中で見た、最も美しい女性であることは間違いなかった。

 でもだからこそ、僕とは不釣り合いなんだよね。

 だって、僕なんて学校では阿呆の子で通ってる王都に住む普通の男の子ですよ。


 これがもし勇者のリステアだったりしたら、絶対違ったんだと思うけどね。

 彼の傍らにミストラルさんが立っていても、違和感はないと思う。背丈にしても、身分にしても。


「ミストラルは今年で十七になる。少し年上ではあるが問題なかろう。いま二人並んで立っておるが、お似合いだ」


 スレイグスタ老に言われて僕とミストラルさんは視線を合わせ、恥ずかしくなって逸らした。


「しかし……」


 困惑の表情を深めるミストラルさん。


 ああ、なんかわかってしまうよ。

 ミストラルさんは嫌がっているんだよね。でも庇護してもらっている古代竜のスレイグスタ老には逆らえない。


 そりゃあそうだ。いきなり見ず知らずの、しかも人族の男と結婚しろだなんて言われて、喜ぶわけがない。

 竜人族は人族なんて、下等な種族としか思っていないだろうしね。


「ミストラルよ、想い人がいないのであれば受け入れよ。そしてエルネアよ。ミストラルは汝がこれから成長していくにあたって、必ず助けになる者だ。今は突然でお互いに困惑しておるのは百も承知。ただ、利害関係の一致として先ずは受け入れよ」


 スレイグスタ老のすごく強引で一方的な提案に、僕とミストラルさんは再度顔を見合う。


 僕はどんな表情をしていたのだろうか。


 ミストラルさんはとても困った表情で微笑んでいた。


「して、エルネアよ。何ぞ我に用事があったのではなかったのか」


 言われて、ここに来た当初の目的を思い出した。


 そうだった、明日からのことを伝えなきゃいけなかったんだ。

 ミストラルさんとの出逢いと突然の縁談で、完全に忘れていたよ。

 僕は明日からの三日間、学校の行事でここに来られないことをスレイグスタ老に伝える。


 早く帰って準備しなきゃいけないから、早朝にここに来たんだよね。


「ふむ、夜営の練習か。そんなものはミストラルがいれば問題なかろう」

「いやいやいや、ミストラルさんは生徒じゃないから連れていけないですし」


 竜人族だなんて知られたら、大騒ぎになっちゃうよ。

 竜人族は、西の竜峰に住んでいるとはいっても、僕たち人族とはあまり交流はないんだ。

 年に何度か、竜人族の人が竜峰を降りて来て交易をするくらいだよ。

 竜人族を見たことがないって人は、王都にも大勢いる。僕もミストラルさんと会うまで、竜人族は見たことがなかった。


「ふむ、そうか。しかし折角ここに来たのだ。修行していけ。ミストラル、汝は夜営に必要なものを準備してやるのだ」

「……はい」


 縁談については思う所が多々あるんだろうけど、ミストラルさんは言われた通り行動しだす。


 行動しだしたのかな。


 ミストラルさんは来た道を引き返し、古木の森の中へと姿を消した。


「本当に今から修行するんですか」

「無論」

「僕とミストラルさんの縁談は本気なんですか」

「もちろん」


 ははは。僕は嬉しいのやら困ったやらで、複雑な笑みを浮かべるのだった。

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