竜姫と魔獣
僕はいつものように、竜脈を感じるための瞑想から入る。
苔の広場で瞑想を行うと、すぐに竜脈の大河を認識できる。それどころか、今では瞑想をしていなくても意識すれば竜脈を感じ取れるようになっていた。
瞑想の後は、実践。
竜脈を汲み取り、身体に取り込む。これはまだまだ難しくて、思うようにいかなかった。
竜脈から身体に取り込んだものは、竜気と言うそうだ。
竜気を足に流し込むと、普段よりも高く跳躍できたり速く走れたりする。目に流し込めば、遠くのものがよりはっきりと見えるようになった。
これって、呪術での身体能力向上だったり、達人が身体を廻る気をつかって行う氣術と同じようなものだよね。
呪術士のような呪力がなく、達人のような気も無い僕が、竜気を使って同じことを再現しているわけだ。
そして、竜気によって行えることは、これだけではなかった。
竜脈から汲み取った竜気を凝縮し、手のひらに集める。すると、翠に輝く竜気を掌の上で精製することが出来た。
精製した竜気を矢の形に変換し、離れた目標に投げる。
竜気の矢は目標に当たると、思いもよらない破壊力を示した。
ただ、これは他よりも格段に難しくて、まだまだ上手くいかない。
苔の広場の外では、未だに成功しない技だった。
一通り竜脈と竜気の修行が終わると、今度は舞の稽古。
舞には型があって、一通り踊れるようになったのは最近だった。
とは言っても、一通りなぞれる程度で精度は極最低だなんだけどね。
足の上げ方とか手の振り方、振り向き方、視線の動き。事細かにスレイグスタ老は指摘をする。
僕は必死に修正するんだけど、思うように身体が動かないのが実情だった。
必死に稽古していると、いつの間にかミストラルさんが戻って来ていて、僕の舞を観ていた。
視線に気づき、途端に恥ずかしくなって赤面してしまう。
男が舞だなんて、変だよね。気持ち悪いよね。
今まではスレイグスタ老だけが僕の舞を見ていたし、何よりも師匠なので恥ずかしくはなかったけどね。ミストラルさんのような見目麗しい女性に見られて、僕は恥ずかしくてたまらなくなる。
でもミストラルさんは、僕の舞を見て驚嘆していた。
「翁、あれはまさか、
ミストラルさんの質問に、スレイグスタ老はしたり、と頷く。
「左様。竜剣舞なり」
僕が教わっていたのは、竜剣舞というものだったらしい。
「そんなまさか。彼があの剣舞を舞えると言うのですか」
「まだまだ
ミストラルさんの驚きの声と、スレイグスタ老の確信めいた声。
竜剣舞とは、凄いものなのかしら。
僕はただ、スレイグスタ老に教わり必死に稽古していただけなんだけど。
「すみません、突然ですが少し手合わせをお願いします」
どういう脈略なのか、ミストラルさんは薪の中から手頃な枝を選び、僕と対峙した。
「えええっ、いきなり何でしょうか」
訳がわからず混乱する僕。
竜人族のミストラルさんと勝負をしても、僕が相手になるわけないじゃないか。
しかも彼女、超怪力で古代種の竜族を負傷させるようなお方ですよ。
むりむりむり。
勝負になりません。
しかし、僕の焦燥感を余所に、ミストラルさんは枝を剣に見立てて斬りかかってきた。
うわっ!
咄嗟に右手に持つ枝で受ける。
重い一撃ではあったけど、想像していたような破壊力はなかった。
もしかして、枝の耐久力と僕の力量を
それでも、なんで突然ミストラルさんと試合わなければいけないのかわからず、混乱している僕。
ミストラルさんはお構いなく追撃してきた。
僕は慌てて、即席二刀流でミストラルさんの攻撃を受ける。
ミストラルさんは片手棍の使い手だと思っていたけど、なかなかどうして剣術も上手かった。
というか僕が弱すぎるのかな。
なにせ、学校でも武芸の時間に剣術を習わず、瞑想ばかりしていたからね。
僕は防戦一方になる。
すると突然、ミストラルさんは攻撃を止めて小首を傾げた。
「何故舞わないのですか」
舞う? 何のことだろう。
意味がわからず、僕も小首を傾げる。
「かかか、ミストラルよ、無理を言うでない。我は、エルネアに教えているのが竜剣舞であり、それが実戦用の剣舞だとは伝えておらぬ」
スレイグスタ老の発言に、今日何度目なのかわからない驚きを僕とミストラルさんは覚えた。
「なるほど、そういうことでしたか」
しかしミストラルさんはスレイグスタ老の言葉にすぐに納得して、僕に謝罪してきてた。
「すみません。突然試合だなんて。その様な事だとは露知らず。お怪我はありませんか」
ミストラルさんの謝罪に、僕は慌てて大丈夫だと返答する。
怪我はないけど、やっぱり訳がわからないよ。
竜剣舞が実戦用の剣舞だとはどういうことだろう。
「ふむ、ミストラルとの顔合わせも済んだことであるし、ここでひとつ補足をしておくかの」
スレイグスタ老は僕に休憩を促す。
ミストラルさんが果実の中から果汁の多そうな真っ赤な果物を持ってきてくれて、僕に渡してくれた。
「剣術の極みは舞にあり。汝は剣聖を知っておるか」
僕は受け取った果物を頬張りながら頷いた。
剣聖。
勇者とか竜姫といったものと同じ称号だ。
でもこれは、資格ある者に与えられるわけではなく、ただひとりの女性の為だけに存在する称号だった。
剣聖ファルナ。
剣を極めた女性。
人族だと言われている。
剣聖ファルナ様はその極めた剣を讃えられ、女神様より不老の命を授かったという。
大陸の長い歴史の中で、剣聖ファルナ様の名前は何度となく登場する。京劇の演目で一番多いのも、剣聖ファルナ様の物語なんだ。
今をもって存命の、生きる伝説。ある意味古代種の竜族であるスレイグスタ老と対等に存在する人。
剣を志す者だけじゃなくて、老若男女誰もが知っている女性であり、称号なんだ。
勿論、僕も知っている。
「剣聖の剣技は、舞だという。太刀筋、身体さばきは誰もが見とれる舞であり、優雅な戦いの姿はまさに舞曲を踊る舞姫。剣聖は、相対する者、場所によって多種の舞を使い分け、その中のひとつに竜気を使ったものがある」
京劇などで披露される剣舞の元は、剣聖ファルナ様の戦い方を再現したものなんて言われたりするよね。
剣聖ファルナ様の舞のような剣技は、勿論有名だった。
「竜気を使った剣舞であれば、竜脈を使い慣れた竜人族であれば修められるのではないか。そう思い立った竜人族が過去にいてな。剣聖に師事し長い歳月をかけて会得したものが、竜剣舞なり。ただ、剣技の極み、竜気の極みに到達できる者はそうそう現れるものではなく、今では途絶えてしまった技。我の記憶にのみ残るものとなってしまった」
スレイグスタ老は残念そうに瞳を閉じるけど、僕は衝撃で鳥肌が立っていた。
僕は物凄いものを教わっていたんだ。
今では使う者がいない技。
言ってみれば竜人族の秘伝の剣技。
そんなものを、ただ苔の広場に迷い込んだだけの人族の僕なんかに教えてくれるなんて。
畏れ多くてこれからは舞えないような気がしてきたよ。
「ふふん、気にせずこれからも舞えば良い。ここに迷い込めたのも、汝の下手くそな舞を見て竜剣舞のことを思い出したのも、全ては巡り合わせである」
そうなんだろうか。本当に僕で良いのかな。
「迷わず学ぶといいです。こんな機会は竜人族でもないのですから」
だからこそ、人族ではなくて竜人族が学んだ方が良いとは思うけどなあ。
「今の竜人族の主流は、力任せの技だ。見てみろ、竜姫でさえ鈍器ではないか」
言われて僕はミストラルさんが腰に帯びた片手棍を見た。
「片手棍にも技術は必要なんですよ」
苦笑するミストラルさん。
「気にすることはない。剣技を疎かにしておる今の竜人族には竜剣舞を教わる資格はない」
「竜姫の立場で言うのも心苦しいですが、翁の言う通りだと思います。なので是非、竜剣舞を極めてください」
ミストラルさんにも背中を押され、僕はようやくまた舞える気がしてきた。
「ふむ、ここまできたら少し実戦を交えてやってみるかの」
スレイグスタ老の決断で、これ以降僕はミストラルさんを相手に竜剣舞の練習をすることとなった。
そして急激に上がった難易度に、僕は悲鳴をあげる。
手の動きが違う。足さばきが違う。
スレイグスタ老の叱責が飛ぶ。
視線が違う。身体さばきが違う。動きが遅い。
僕に隙を見つけると、ミストラルさんは容赦なく一撃を与えてくる。
そして舞いながら竜脈を感じ竜気を練り、技に組み込むのは至難だった。
気づけばいつの間にかお昼になり、空腹に僕のお腹が今度は悲鳴を上げた。
「休憩にしましょう」
「もう嫌だ。へとへとだー」
「相変わらず下手くそな舞であるな」
「翁、一生懸命にやっている人にそれは失礼ですよ」
「そうだそうだ、僕は身も心もおじいちゃんのせいでぼろぼろだよ」
そんな会話をしながら、僕は苔の大地に寝そべる。
しっとりと湿度を含んだ苔の柔らかさが心地良い。
もう夏に入っているので、いくら霊樹の枝木の傘で太陽は隠れているとはいっても、少しは暑い。
滴る汗を上着で拭いながら、僕は一息ついた。
ああ、お腹すいたな。
「こんな事になるとは思わなかったので、今日は果実しか採ってきてません。どうしましょうか」
僕のお腹の虫の悲鳴を聞いて、ミストラルさんが困った表情になる。
「森に行ってなんぞ狩れば良い。汝ならば容易く獲物を狩れるであろう」
スレイグスタ老の助言に頷き、ミストラルさんは僕に一緒に来るように促してきた。
「捕まえるのは容易いですが、捌いたり焼いたりはここでは出来ませんので、外でついでに食事にしましょう」
なるほど。聖域を血で汚すのは駄目なのね。
スレイグスタ老に一撃を与えて出血させてたと思うけど、あれは例外なんだろう。
僕はミストラルさんと共に古木の森の中へと向かう。
「ほほう、早速の逢い引きか」
スレイグスタ老の余計な一言に殺気を放つミストラルさん。
こ、こわい。
僕はミストラルさんと並んで古木の森を歩き、獲物を探した。
古木の森には、意外と多くの動物が生息していた。
だけど、ミストラルさんは鹿や猪などの大型の動物には目もくれない。
「昼食に必要な分であれば、小動物でいいです」
なるほど、確かにそうだよね。森を守護する竜が庇護する一族の者として、森での必要以上の殺生は避けているんだろう。
僕も、小動物がいないか辺りを見回しながら歩く。
そして、隣で歩くミストラルさんを改めて見て、僕には分不相応な相手だと感じる。
竜人族で竜姫で。とっても美人で。隣に並んで歩くことさえも気が引けちゃうよ。
「あまり、翁の言うことは気にしないで。年配の老人と同じで、何かと世話を焼くのが好きなだけだから」
僕の気持ちを読み取ったのか、ミストラルさんは申し訳なさそうに言ってきた。
「いえいえ、僕の方こそ申し訳ないですよ」
僕は照れ笑いを浮かべながらミストラルさんから視線を外す。
「縁談の件はともかく、竜剣舞の稽古にはわたしも付き合いますので頑張ってください」
ミストラルさんは優しく微笑み、僕に気を使ってくれる。
本当にいい人だな。きっと竜人族の中でも、竜姫としてではなく、ひとりの女性として物凄く人気があるんだろうな。
そう思っていると、ミストラルさんが足を止めた。
「居ました」
ミストラルさんが指差す先に、一羽の兎がいた。
するとミストラルさんは突然、目にも留まらぬ速さで兎の目の前に移動し、鷲掴みにする。
ああ、弓矢とか罠とかいらないんですね。
予想以上の身体能力に、僕は愕然とするばかりだった。
その後、ミストラルさんは手馴れた動きで兎を捌き、火を通して僕に渡してくれる。
味付けは香辛料だけだったけど、新鮮なお肉と空腹で僕は美味しく頂くことができた。
食後に一息ついていると、僕は魔獣のことを思い出した。
そういえば、ここは竜の森だし、森には僕を付けねらう魔獣がいたんだった。
いつも狙われて、危険で怖いんだよね。
ミストラルさんなら、もしかしたら魔獣を倒せるんじゃないかな。
そう思って、僕は魔獣のことをミストラルさんに話した。
「なるほど、魔獣ですか。翁が動かないということは竜の森自体に被害はないのでしょうが、貴方が困りますね」
僕の話を真剣に聞いてくれるミストラルさん。美人で優しくて、そして素直な人なんだと僕は感じた。
「それでは、今から討伐に行きましょう」
えっ。
今からですか。
魔獣のことは話したけど、まさか直後に討伐に行くとは思っていなかったよ。
驚く僕の手を取り立ち上がらせ、ミストラルさんは有無を言わさず移動し始める。
「こういうことは早いほうがいいです。次またひとりの時に襲われて、無事だという保証はないでしょう」
確かにそうなんだけどね。でも森は広いし、探して簡単に見つかる相手だとは思わないんだけど。
僕の疑問に、ミストラルさんは地面を指差す。
「竜脈を辿るのです。魔獣も竜脈を使います。貴方以外に目撃情報がないということは、普段は竜脈に遁甲しているのでしょう。竜人族にとって、竜脈を辿り目標を探すことは容易いです」
言って迷いなく歩を進めるミストラルさん。
僕もミストラルさんについて森の中を歩いていった。
「どうやら、魔獣も自分を狙う相手がいることに気づいたようですね」
歩いて暫し。ミストラルさんは突然歩みを止め、周囲を警戒しだした。
「あいつは物音をさせないんです」
僕の注意に頷くミストラルさん。
「魔獣は術を使います。きっと術で音を消しているのでしょう」
僕とミストラルさんは互いに背中を合わせ、警戒する。
さっきまで聞こえていた動物や鳥の鳴き声が、いつの間にか消えていた。
「近くに居ます、気をつけて」
ミストラルさんが言った直後だった。
僕の前方の地面から突然、巨大な狼の姿をした魔獣が飛び出して、襲い掛かってきた。
大きく跳躍して、一足で僕に迫る大狼魔獣。
突然で身体が硬直して動かない。が
「あっ」
前脚が僕を襲う直前。
魔獣は叩かれた。
ミストラルさんに、蝿でも叩く様に、叩き落された。
重鈍な音を爆発的に発して吹き飛び、地面にめり込む魔獣。
たった一撃で、魔獣は伸されてしまっていた。
お、おそろしい。
見れば、ミストラルさんは素手だった。片手混ではなく、素手の平手打ちの一撃で魔獣を倒してしまったんだ。
「手加減しました、死んではいないでしょう」
ミストラルさんは魔獣に歩み寄り、足でぐりぐりと魔獣の顔を踏みつける。
ええと、美人さんがするような所作ではないですよ……
やがて意識を取り戻した魔獣は、ミストラルさんを見て怯えていた。
「さて、なんでエルネア君を襲ったのか聞きましょうか」
足を魔獣の顔から離さず脅すミストラルさん。
というか、魔獣と会話できるのかな。
僕の疑念を余所に、視線を交わし合うミストラルさんと魔獣。
魔獣の瞳には、完全に怯えの色があった。
「なるほど。よくわかりました。ですが今後彼を襲うようなことがあれば、わたしが許しませんよ」
言って足を退けるミストラルさん。
魔獣は足の重みがなくなると、慌てて遁甲し、その場から居なくなった。
視線を交わし合っただけでわかったのかな。
よくわからない状況に、僕は首を傾げる。
「高位の魔獣であれば、人の言葉を話すものもいます。今の魔獣であれば、人の言葉は話せませんが、竜姫として修行を積んだわたしであれば意思疎通ができます」
ほほう、そうなのか。ミストラルさんは、はやっぱり普通の竜人族よりも優れているんだね。
「それで、魔獣の意思を読んだのですが。どうも最初にあなたに逃げられて、追いかけて襲うごとに、あと一歩という所で突然消えて居なくなるのが面白くて襲っていたようです」
苦笑するミストラルさん。
「魔獣は本気で貴方を殺そうとはしていないみたいでしたので、今回は見逃しました。良かったでしょうか」
ミストラルさんのおかげであっけなく解決できて、何でいつも襲われていたのかもわかったので、僕は素直にお礼を言う。
僕は本当に凄い人と出逢ったんだな、としみじみと思った。
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