末裔の意志

「料理は俺が持っていく」


 ギルディア用に準備された肉料理や果物くだものが盛られたお皿を持って、アルフさんが長屋から出て行く。

 その後ろ姿を、アミラさんが不安そうに見送っていた。


「さあ、アミラ。たくさん食べて元気になって」


 いだ毛皮を丁寧に洗って干し終えたミストラルが戻ってきて、元気のないアミラさんを気遣う。

 アミラさんは笑顔を浮かべて頷いたけど、やはり昨日よりも余裕がない感じだ。


 ただでさえ声の出せないアミラさんをこれ以上不幸にはさせないと、アレクスさんがギルディアとの交渉に当たり、アルフさんが色々と気を遣って動いてくれている。とはいえ、アミラさん自身は、自分の未来がかかった時期に、自分では何もできない。

 しかも、最悪の場合は好きでもないギルディアと結婚しなきゃいけない上に、弄ばれることが目に見えている。


 アミラさんの不安を思うと、僕たちも気が沈んでしまう。

 だけど、だからといって僕たちまで現状に引きずられて暗くなっていたら、アミラさんに余計な心配させてしまう。


 ああっ、もう!

 それもこれも、全部ギルディアのせいだよね!

 ギルディアが問題を持ち込んでさえなければ、アミラさんや村の人たちは平穏な毎日を過ごせていたはずなんだ。

 小さな村の人たちを、自分勝手な欲望によって掻き乱すギルディアを、僕は絶対に許せないね!

 だから、絶対にアミラさんを守り抜いて、ギルディアの鼻をへし折ってやるんだ。


「にゃんっ」


 神族の目を気にして人の言葉を口にしないニーミアも、僕の心を読んで頷いてくれていた。


「ようし、いっぱいご飯を食べて、力を蓄えておくぞ」

「エルネア君が夜に向けて気合を入れているわ。今夜は眠れないわね」

「エルネア君が夜に向けてやる気をみなぎらせているわ。今夜は激しくなるわね」

「ユフィとニーナは何を言っているのかな!? 僕は夜のことを言ったわけじゃないよ?」


 僕のやる気は、そっち方面に向けたものじゃないからね?

 プリシアちゃんも、何を勘違いしたのか「いっぱい食べて遊ぼうね?」と満面の笑みを浮かべて一番大きな鹿肉を手に取っていた。

 僕たちの何気ない普段の談笑に、アミラさんの笑顔から少しだけ不安が抜けていた。






「とまあ、ユフィとニーナには言ったわけだけど」


 僕は、今夜もこっそりと長屋を抜け出していた。

 まあ、昨夜の様子からすると、村長のお爺ちゃんとプリシアちゃん以外のみんなには気づかれているだろうけどね。


「にゃん」


 そして、今夜のお供はニーミアです。

 ニーミアは僕の頭の上で丸まり、長くてふわふわな尻尾をゆらゆらと揺らしながら寛いでいる。


「さてさて、今夜ものんびりとお散歩しますか」


 今夜はどこを歩こうかな、と向かう方角を決めるように広場の中心で辺りを見回す僕。すると、お屋敷のあかりが気になった。


「今日は夜更よふかししているね?」


 長屋の隣に建つお屋敷からは、昨夜とは違い夜更けになっても窓の奥から灯りが溢れていた。

 いったい、誰が起きているのかな?

 灯りが溢れる部屋の奥からは複数の気配が読み取れたので、ギルディアたちが起きているのかもしれない。そうすると、あの部屋が来賓用らいひんようのお部屋なんだね。


 僕は部屋から覗かれて見つからないように、慎重に広場を抜け出す。そして、昨夜と同じように歩き出した。

 小さな広場を抜けて小道に入り、田畑の間を縫うように延びる畦道あぜみちを行く。


 すると、昨夜と同じように、何者かの気配が僕の後を追ってきた。

 やれやれ。またグエンかな?

 あの人は、夜更かしをしているご主人様の護衛もせずに何をしているのやら、と背後から近づいてくる気配に肩を落とす僕。

 だけど、今夜のお客さんはグエンではなかった。


「エルネア君、少し良いだろうか」

「アレクスさん!?」


 予想外の人物の登場に、僕は心底驚いてしまう。


「にゃんは気付いていたにゃん」

「驚かせてしまったのなら、申し訳ない。君が昨夜と同じように外に出る気配がしたのでね。少し一緒に歩こうかと思って声をかけたのだが、迷惑だっただろうか」

「いいえ、大丈夫ですよ。ただ、本当に驚いただけです」


 だって、アレクスさんはアミラさんのことでずっと忙しかったからね。それに、監視の目もあるだろうから、迂闊うかつには動けないと思っていたんだよね。


 今夜も、月と星が夜空を照らすいい夜だ。

 僕はアレクスさんと一緒に、細い畦道をのんびりと歩く。


「アミラは、元気でいるだろうか?」


 心配そうに、アレクスさんが聞いてくる。

 ギルディアとの交渉と監視の目があるせいで、アレクスさんは殆どアミラさんにかまってあげられていない。だから、とても心配なんだね。


「はい。村長さんの家で、みんなと仲良く過ごしていますよ。でも……。正直に言うと、だんだんと元気がなくなっているように感じます。僕たちの前では気丈に笑顔を見せているけど、やっぱり不安なんだと思います」

「そうか……」


 アミラさんは、とても健気けなげな人だ。自分自身が一番大変なはずなのに、僕たちに気を遣ってあれやこれやと気を回してくれる。


「妖魔の王を討伐するときに感じた勝気かちきな性格がアミラさんだと思ったんですけど、違ったようですね。本当はとても家庭的で、優しい人です」

「アミラも、ああ見えて闘神とうしん末裔まつえいだからね。戦いになれば、誰よりもいさましく戦う妹だ。だが、本当は誰よりも優しい妹なのだよ。だからこそ……」


 なぜか、アレクスさんはそこで言葉を切った。

 いったい、後に続く言葉はなんだったんだろう?

 それと気になるのは、やはり夜中にアレクスさんがお屋敷を抜け出して僕に接触してきた理由だね。

 なぜ、アレクスさんが今になって動いたのか。きっと、何かの事情があるに違いない。そうじゃなければ、ギルディアに目を付けられるような軽率な行動をアレクスさんが取るはずがない。


 そういえば、と周囲の気配を入念に探ってみる。

 だけど、グエンや他の者の尾行は読み取れなかった。


「変だな? グエンどころか他の神兵の気配もないなんて、無警戒過ぎるような?」


 夜更かしをしていたのに、お屋敷を抜け出したアレクスさんの気配に気付かなかったのかな?

 夜の護衛担当というのなら、あの曲者グエンは間違いなく起きているはずだし、アレクスさんがこっそり動いたら気付くはずなんだけどな?

 グエンやギルディア側の無警戒さに僕が首を傾げると、隣で歩くアレクスさんが少し苦笑した。


「グエン殿は食えない男だが、まあ、今夜は問題ないだろう。ギルディア殿がまだ起きているようだから、護衛で屋敷を離れられないはずだ」

「でも、グエンならきっと、アレクスさんがこっそり外出したことも僕が抜け出したことにも気付いていると思いますよ? それでも、警戒しないのかな?」

「気付いていても、動かないだろうね。彼は、そういう男だ」

「そういう男?」


 たしか、アレクスさんとグエンは、元々面識があったんだよね?

 グエンがまだウェンダーさんの部下だった頃に、何度かこの村に来ているらしい。その頃はまだ敵対関係ではなかっただろうから、アレクスさんとグエンが親交を持っていてもおかしくはないよね。

 では、アレクスさんは曲者グエンをそれほど警戒していない? そう思って聞いてみたら、意外にも首を横に振られた。


「いいや。彼こそ最も警戒すべき男だよ。今回の件でも、グエン殿がギルディア殿の隣で目を光らせているせいで、非常にやり辛い」

「アレクスさんにそう言わせるほどの男なんですね……。でも、グエンはただの護衛ですよね?」


 かつて武神の部下だったということもあり、実力は申し分ない。そこにくせのある性格が加わって、とても厄介な存在にはなっているけど、それでも今の立場は領主の護衛役だ。アレクスさんがその気になれば、たとえグエンでも、どうにかなりそうに思えるんだけど?

 それとも、アレクスさんはもっと別の何かを警戒しているのかな?

 僕たちがまだ見落としている何かに。


 アレクスさんは、夜の畦道を静かに歩く。

 僕も並んで歩きながら、アレクスさんの答えを待った。


 野鳥が森の奥で鳴いている。

 時折、獣の遠吠えも聞こえてくるような、辺境の小さな村。

 アレクスさんは夜空の月と星に照らされた静かな村を見渡しながら、何かを決心したように声を漏らした。


「……できれば、君にはアミラを連れ去ってもらいたい。と思っている」

「えっ!?」


 思わぬ言葉に、僕は立ち止まってアレクスさんを見上げてしまう。

 アレクスさんも足を止めて、僕に振り返った。

 夜闇に浮かぶアレクスさんの顔は、真剣な表情だった。


「アミラだけでなく、アルフも逃してやりたい」

「ま、待ってください、アレクスさん! 僕の質問から、どうしてそんな返答になっちゃうんです!?」


 僕はグエンのことを聞いただけなのに、なぜ弟と妹を連れ去るような展開になっちゃっているのかな!?

 困惑する僕に、アレクスさんは言う。


「君は、なぜアミラの声が封じられているか、誰かから聞いただろうか」

「いいえ、誰からも聞いていませんよ?」


 なぜ、アミラさんが声を封じられているのか。

 初対面の時から気にはなっていたけど、アレクスさんたちが何も口にしなかったので、深く追及はしなかった。

 きっと、他言できないような理由があるんだと思う。日中に僕たちは色々と探りを入れたけど、誰もアミラさんの声に関する話はしなかったしね。だから、気安く踏み込んではいけない話題なんだと思う。

 でも、それとアミラさんとアルフさんを僕たちが連れ去る話と、僕のグエンに対する質問はどう繋がるんだろう?


 僕の疑問に、アレクスさんは難しい顔をしながら話してくれた。


「私たちは、アミラの声の封印を誰にも知られたくはないと思っている。だが、グエン殿は君も知っての通り、手に負えないほどの曲者だ。だから、彼に何かを知られる前に、できればアミラとアルフをこの村から連れ出してほしいのだよ」

「でも、そんなことをしちゃったら、アレクスさんや村の人たちがギルディアに何をされるかわからないですよ!? マグルドだって帝尊府らしいですし、きっと酷いことになっちゃいます!」

「それでも、私たちはアミラを護りたいと思っている」

「私たち……」


 それはつまり、アレクスさんだけの考えではなく、村人全員の意志、という意味なんだね?

 そして、アミラさんと一緒にアルフさんも逃したいということは……


「私たちがいかなるばつを受けたとしても、アルフとアミラさえどこかで生き延びていてくれれば、受け継いできた悲願はいつか叶うと信じている。それに、村を離れている者たちもいる」

「そんなの、絶対に駄目です!」


 アレクスさんや村の人たちは、アルフさんとアミラさんを逃す代わりに死んでも良いと言っているんだ!

 たとえ領主のギルディアや帝尊府といえども、帝国内から出られると手出しはできなくなる。だから、僕にどこか遠くへ連れ去ってほしいと願っている。

 だけど、領主に歯向かうような騒動を引き起こしたら、絶対に落とし前をつけなくてはいけない。だから、自分たちは死をもって騒動の精算を図ろうとしているんだ。

 そして、今は出稼ぎなどで村から離れている人たちが、いつかアルフさんとアミラさんの元に集まることができれば、子々孫々ししそんそんと受け継いできた願いをまた後世へ託せると思っている。


 だけど、どちらかを生かすためにどちらかを見捨てるだなんて選択肢を、僕は絶対に選ばない!


「僕にお願いをするのであれば、全員が無事にこの難題を乗り切るって方向じゃないと嫌です!」


 僕の強い意志に、アレクスさんは困った表情を見せた。


「実は、ギルディア殿がきた時点で、モンド辺境伯へ使者を送っている。仲裁ちゅうさいに入ってもらおうと思ってね」

「この地域の元領主様ですし、善い人なんですよね? それなら……?」

「いいや、残念ながら、未だに返事がない。モンド辺境伯の住む湖の島まで、我々のような翼のない者であれば数日かかるが、天族の者を向かわせたので、早ければ一両日中か二日程で戻ってくると思っていたのだが。未だに近況を伝える知らせさえない」

「それってつまり?」

「モンド辺境伯は、もしかしたらこの件に不介入を決めているのかもしれないね」

「ま、まさか! ギルディアとモンド伯の間で、既に何かしらの協定が結ばれているとか!?」


 そもそも、人柄に定評のあった領主様が、成り上がりの横暴な男にあっさりと領地を割譲かつじょうするなんて話からして違和感があった。

 つまり、モンド伯は何かの理由で、ギルディアの言いなりになっているということだ。

 そうすると、やはり仲裁には入ってくれないだろうし、ギルディアの横暴を止められる者はいないということを意味する。

 だから、アレクスさんはこの事態に、アミラさんとアルフさんを逃すという最後の手段を取ろうとしているんだ。


「もう、時間的な猶予ゆうよはないように思える。ギルディアは明日にでもアミラを強引に連れ帰りそうな気配なのだ。だから、その前に……」

「最後まで諦めないでください! 僕は、アミラさんやアルフさんと同じように、アレクスさんやこの村の人たちを大切に思っているんです」


 アレクスさんは、善い人だ。神族でありながら、僕たちにも紳士的な対応をしてくれる。アルフさんやアミラさんだって、僕たちに優しい。

 村の人たちとはあまり接点を結んでいないけど、彼らの直向ひたむきな忠誠心は尊敬に値すると思う。

 だからこそ、僕はアレクスさんの今の考えに賛同するわけにはいかない。


 なにか、あるはずだ。

 みんなが幸せになる方法が。


 だから、最後まで諦めるわけにはいかない。

 改めて僕の決意を伝えると、アレクスさんはそれ以上何も言わなかった。

 無言で、畦道を歩き始める。

 僕も、アレクスさんと並んで歩く。


 どうするば、横暴なギルディアを止めることができるのか。

 それには、やはり帝尊府のマグルドが邪魔だよね?

 マグルドが目を光らせているせいで、余計に話がややこしくなっているような気がする。

 それに、ともうひとりの護衛者が頭を過った。


「やっぱり、グエンの動きが読みづら過ぎて動きを制限されている感じですね」

「まさに、彼はギルディア殿の護衛に相応しい男だと私も思う。だが、覚えておいてほしい。私が今、最も憂慮ゆうりょしていることは……」


 アレクスさんはそこでまた足を止めて、僕を正面から見た。そして、言葉の続きを口にした。


「アミラだ」

「えっ!?」


 意味がわからずに、立ち尽くす僕。

 アレクスさんは、そんな僕に真面目な表情で言い放った。


「もしもアミラの封印が解かれてしまった場合。私たちは、全力でアミラを殺すことになるだろう」

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