崩壊

 意味がわからなかった。

 アレクスさんが何を言っているのか、理解できなかった。


 殺す?

 アミラさんを?


 しかも、アレクスさんはまた「私たち」と言った。

 それってつまり、村の人たち全員で、ということ?


「な、なぜです!?」


 咄嗟とっさに、叫んでしまった。

 僕の声に驚いたのか、野鳥たちが声をひそめる。

 アレクスさんは、静かに僕を見下ろしていた。


「なぜそんなことを言うんですか、アレクスさん。アミラさんは、大切な妹なんでしょう? それを、いきなり殺すだなんて!」


 大切な妹であれば、何がなんでも守り抜くことこそが兄としての務めじゃないの?

 それなのに、封印が解かれたら殺すだなんて……!


 お屋敷から離れた場所で良かった。

 僕の声がマグルドやギルディアに届いていたら、騒ぎになっていたかもしれない。

 アレクスさんは、詰め寄る僕の肩にそっと手を添えた。そして、真面目な表情で言う。


「理由は、言えない。だから私は君に、何かが起きる前にアミラを連れ去ってほしいと思っているのだよ」

「そ、そんな……!」


 僕たちは、アレクスさんやみんなの力になりたいと思っていた。でも、こちらから目立つ行動を起こしたらアレクスさんたちに逆に迷惑をかけるからと、協力要請が来るまで穏便にしていた。

 それなのに、肝心の協力要請が「アミラさんをさらって、この地から去ること」だなんて!

 しかも、アレクスさんや村の人たちは、騒動の責任をとって死まで覚悟している。


 これが、僕たちの望んだアレクスさんからの協力要請?

 さらに言うなら、もしもこの要請を断って、万が一にアミラさんの封印が解かれるような事態になったら、アレクスさんたちは全力でアミラさんを殺すことになるという。


「いったい、アミラさんの声の封印って何なんですか!? そこまでして護り通さなきゃいけないほどの何かがあるんですか!?」

「すまない。そればかりは、たとえエルネア君であっても言えない。だが、君たちと一緒にいるのなら、きっとアミラの封印が解かれることはないだろう」


 つまり、僕たちに「アミラさんの封印」の詳細を伝えなくても、この騒動を乗り切ってアミラさんがこの地から去っていれば、今後は絶対に封印が解かれる心配はない、とアレクスさんは判断しているわけなんだね。

 そして、アミラさんが意図しない男性にとつぐかとつがないかという問題よりも。自分や村の人たちの命よりも。なにより、アミラさん自身の命よりも。封印が解かれることを最も恐れているんだ。


「一方的な話で、本当に申し訳ない。だが、それでも私たちはアミラの封印のことを他者に知られるわけにはいかないのだよ。だから、君には何も言わずにアミラを連れ去ってもらいたい」

「お断りします!」


 アレクスさんの真摯しんしな気持ちは十分に伝わってきていた。

 だけど、僕は即答で断る。


「アレクスさん側の事情はわかりました。とはいっても、理由までは言ってもらえないのでわからないですけどね。でも、それでも、僕たちはその協力要請をお断りさせていただきます!」

「にゃんっ」


 これは、僕だけの意思じゃない。この場にいない家族のみんなだって、断っていたはずだ。


「最初に言った通り、僕たちは何かを救うために何かを犠牲にするなんて選択肢は取りません。だから、僕たちはアミラさんだけじゃなくてアレクスさんや村のみんなも救える手を考えます」


 今度は、僕が真剣な表情で想いを伝えた。

 すると、アレクスさんは一言「そうか」とこぼし、僕の肩に置いていた手を引く。そして、ひとりで来た道を戻り始めた。


 アレクスさんは、こちらに振り返らなかった。

 僕は、アレクスさんを追わなかった。


「……ねえ、ニーミア。僕は間違っていないよね?」

「間違っていないと思うにゃん。いつも通りのエルネアお兄ちゃんにゃん」


 僕の頭の上で、ゆらゆらと尻尾を揺らすニーミア。


「アレクスさんは、本気なんだよね?」

「本気だったにゃん」

「アミラさんの封印って、なんだろうね?」

「それは読めなかったにゃん。にゃんが心を読めると知っているから、アレクスお兄ちゃんは考えないようにしていたにゃん」

「なるほどね」


 ニーミアなら、アレクスさんの心を読んで何かを掴めると思ったんだけど、流石に無理だったみたいだね。


「仕方ない。それじゃあ、帰ってみんなと相談しようか」

「悪い領主は明日にでもアミラお姉ちゃんを連れて行くかもって言っていたにゃん。急ぐにゃん」


 僕たちには、あまり時間が残されていない。

 アレクスさんの話によれば、ギルディアは明日にでも強引にアミラさんを連れ去るかもしれないらしい。そして、場合によってはその時に、予期しない騒動が起きるかもしれない。

 いや、アレクスさんはほぼ間違いなく起きると予想しているんだと思う。だからその前に、アミラさんを僕に連れ去ってほしいと願ったんだ。


 アミラさんの声の封印。

 なぜ、声が封じられているのか。

 アレクスさんたちがひた隠しにする理由とは何か。

 それと、なぜ連れ去られる時に封印が解かれるって確信しているんだろうね?


 アミラさんの封印のことを関係者以外の誰も知らないのであれば、封印を解く方法もわからないはずだ。そもそも、声が封じられている理由がわからないのなら、解こうとさえ思わない。

 僕たちだって「アミラさんの声は封印されている」と聞かされていなければ、アミラさんは声を出せない女性なのだとしか思わなかったはずだよね。


 それに、と考えを巡らせる。

 もしも、ギルディアたちにアミラさんの声の封印の秘密が露見してしまったら。

 強引で横暴なギルディアのことだ。領主という地位と、帝尊府ていそんふという存在を暴虐ぼうぎゃくに利用して、アミラさんの事を根掘り葉掘り聞いたり、場合によっては封印を破ろうと画策するかもしれない。

 

 用心深いアレクスさんのことだ。きっとそうなることを予見して、ギルディアたちにはアミラさんの声については詳しく話していないはずだ。

 そう考えると、グエンはまだしも、ギルディアやマグルドはアミラさんの声について、僕たちとは違って「声を出せない女性」と勘違いしているかもしれない。


 では、なぜアレクスさんは封印が解かれると思ったんだろう?

 アミラさんの声の封印自体を知らないギルディアたちが、封印を意図的に破ることはないと思う。

 それともやっぱり、曲者くせものグエンがからんでいるのかな?

 もしくは、ギルディアがアミラさんをめとるという話自体が封印に関わることなのかな?


「逆に、ギルディアたちもアミラさんの声の封印を知っていたとしたら? ……いいや、違うだろうね。ギルディアやマグルドが知っていたとしたら、そんな周りくどい手段を使うはずがないよね」

「アミラお姉ちゃんの封印を狙っているなら、最初から強引に行動していると思うにゃん」

「そうだよね」


 それなら、やはりギルディアは単純にアミラさんを娶りたいと思っているだけだ。

 でも、それなのに封印が解かれる事態になる?


「ううう、意味がわからないよ……」

「何か見落としがあるにゃん」

「きっと、僕たちは大切な何かを見落としているんだね」


 いったい、何を見落としているんだろう?


 ギルディアの強引な婚姻の話。

 マグルドが帝尊府だということ。

 グエンという曲者。

 そして、アミラさんの声に関する封印。


 それらのどこかに見落としがあって、僕たちは導き出すべき答えに正確性を欠いてしまっている。


「ひとりで考えても答えがわからない時は、みんなで考えるにゃん」

「ニーミア、良いことを言ったよ!」


 僕は、畦道を歩いて長屋へ戻る。

 もう、アレクスさんの影はどこにもなかった。






 村の中心に戻る前に、出歩いたことをギルディアたちに気付かれないようにと気配を消す。そうして広場まで戻ってくると、まだお屋敷に灯りが残っていた。


「ギルディアはまだ起きているのかな?」

「にゃん」


 気配を探ると、お散歩前と同じように貴賓室の奥に複数の気配があった。

 それと、アレクスさんは自室に戻ったみたいだけど、まだ寝付いてはいないね。

 他にも、神兵たちの気配を探る。居間や客間に複数の気配があって、ほとんどの者は寝ている様子だ。


「よし、少し深入りしてみよう」

「にゃん?」


 首を傾げるニーミアに、心の中で伝える。


 僕たちは、まだ何かを見落としている。

 でも、もう時間がないかもしれない。

 だから、こっそりとお屋敷に忍び込んで、ギルディアたちの様子を伺ってみようと思うんだ。

 まだ起きているのなら、きっと何かをしているはずだよね。

 グエンがこちらの尾行をしなかったことを考えると、きっとギルディアの側から離れられない理由があるはずだ。


「んにゃん」


 ニーミアを頭の上に乗せたまま、僕は気配を殺してお屋敷に近付く。そして、空間跳躍でいっきに貴賓室の窓際まどぎわまで飛んだ。


 息を潜め、聞き耳を立てて中の様子を伺う。

 すると、微かに話し声が漏れ聞こえてきた。


「ギルディア様。いつまであの人族どもを放って置くおつもりですか」

「また、そのことか。今はこれ以上の騒ぎを起こしたくはない」

「ちっ。竜人族の女さえいなければ」

「巫女も二人いるんだ。だから、お前もあまり手荒なことはするな」

「しかし、あいつらは我々神族をめています。奴隷身分如きの分際で……」


 どうやら、マグルドとギルディアが話しているらしい。

 マグルドとギルディアは、気配からして窓際に近い場所にいるようだね。ただし、壁を挟んで外に身を潜める僕の気配には気付いていない。

 やっぱり、マグルドもギルディアもそれほど恐れるような力は持っていないみたいだね。


 では、と貴賓室の奥側、つまり窓際とは反対の建物の奥に位置取るもうひとりの気配を探る。

 こちらは、間違いなくグエンだね。

 運が良いことに、グエンと僕が身を潜める窓際までは距離がある。昨夜もそうだったけど、僕が本気で気配を殺せば、グエンでも気配を読めないはずだ。

 僕はグエンの動きに注意しながら、更に聞き耳を立てる。


「それで、いつまで下手したてに交渉なさるおつもりです? あのアレクスなる男、ギルディア様が穏便にことを進めようとしているのを良いことに、あれやこれやと難癖なんくせをつけては交渉をはぐらかしている様子ではありませんか」


 いやいや、アミラさんを強引に連れて行こうとしているのに、どこが穏便なのかな! と、心の中で突っ込みを入れる。


「こう言っては何ですが、あまり下手に出過ぎていては、帝の威光を傷つけることにもなりますよ?」

「そんなことは、わかっている」


 貴族であり、領主であるギルディア。一方、肩書かたがき的には辺境の村民でしかないアレクスさん。そのアレクスさんに領主のギルディアが交渉で手こずってる様子は、帝尊府であるマグルドからして見ればあってはならない光景なんだろうね。

 だって、領主とはすなわち、地方に帝の威光を示す存在なんだから。

 だから、帝の威光を示さなきゃいけないギルディアは、支配下にある村民なんかに交渉で遅れをとってはいけないんだ。


「だが、彼はあの闘神とうしん末裔まつえいだ。帝も目を掛ける一族に、そうも強引に話を進めるわけにはいかない」


 会話のやりとりを聞いているだけだと、やはりセフィーナさんの報告にあったように、ギルディアは少なからず良識を持っているみたいだ。

 アミラさんを娶る、という部分はあまりに横暴だけど、交渉を丁寧に進めている感じだし、ちゃんとアレクスさんの立場も理解している。

 だけど、マグルドは違った。


「いいえ、違います、ギルディア様」


 語気を荒くするマグルド。


「良いですか、ギルディア様。先にも進言いたしましたが、その帝が目を掛ける闘神の末裔の娘を娶ることによって、ギルディア様の力を今以上に示すことができるのです。そして、領主たるギルディア様が力を示すということは、即ち帝の威光がこの地にまで轟いているというあかしになるのです。ですから、何がなんでもあの娘を娶る必要があるのです」


 そういうことか!

 つまり、ギルディアはマグルドにそそのかされて、アミラさんを連れ去ろうとしているんだ。

 マグルドの言葉に、ふつふつと怒りが込み上げてくる。

 怒りで、拳を握りしめてしまう僕。すると、ニーミアが僕の頭の上から尻尾を振った。目の前でゆらゆらと揺れるニーミアの尻尾を見て、我を取り戻す。

 いけない。ここで怒りに任せて気を膨らませちゃったら、身を潜めていることがグエンに露見しちゃうね。

 なんとか気を静めて、もう少し様子を伺う。


「ここは、ギルディア様が領主であるというところを、この村の者や闘神の末裔に見せつけるべきです」

「具体的には?」

「交渉を打ち切り、強引にでもあの娘を連れて帰るべきだと具申ぐしんいたします」

「しかし、そうなるとアレクス殿も黙ってはいないだろう」

「ならば、次の交渉はギルディア様のやかたで、と伝えるのです。領主が田舎にいつまでも滞在すべきではありません。それに、あの娘を手中に収めつつ交渉する姿勢を見せれば、領民たちもギルディア様の力を改めて感じることでしょう」

「なるほど、一理あるな」


 やっぱり、そういう流れになるのか。

 しかも、この悪い流れを作っているのは、ギルディアではなくてマグルドみたいだ。

 マグルドの口ぐるまに乗って、ギルディアの思考も湾曲わんきょくしてしまっている。

 何が、アミラさんを手中に収めつつ交渉をする、だ。それってもう、交渉になっていないよ!


 もうこれ以上、話を聞いても無駄だ。

 ギルディアは、マグルドに操られている。そして、アレクスさんが懸念していた通り、明日にでも強引にアミラさんを連れ去るかもしれない。

 僕は空間跳躍でお屋敷の窓際から離れると、長屋へと戻った。

 みんなと相談して、早急に対策を練らなきゃいけない!






 だけど、こちらが動くよりも早く。

 マグルドの方が先に動いてしまった。


 翌朝。まだ日が昇るよりも早く。

 長屋の玄関を激しく叩く音が響く。そして強引に玄関の扉が破られると、神兵たちが屋内へなだれ込んできた。


「な、なにごとでございますか!?」


 早朝の騒ぎに、村長さんが慌てて起きてきた。


「あなた達、もう少しつつしみが持てないのかしら?」


 居間にいた僕たちの中で、ミストラルが割って入ろうとする。だけど、それを強引に退けて、神兵とマグルドがこちらに詰め寄ってきた。


「その娘を渡せ!」


 アミラさんへ手を伸ばすマグルド。


「お前っ! いい加減にしやがれ!!」


 今度は、妹をかばおうとアルフさんが立ちはだかった。

 僕たちも、アミラさんを護ろうと身構える。

 それを見たマグルドが、険しい剣幕で腰の剣に手を伸ばす。


 あっ、と思う間もなかった。


 マグルドが躊躇いなく剣をさやから引き抜く。

 そして、一刀諸共にアルフさんを斬った!


「っ!」


 あまりの展開に絶句ぜっくする僕たちの前で、袈裟懸けさがけに斬られたアルフさんが血を吹きながら倒れる。


「……ぁ」


 背後で、小さな息が漏れた音がした。


「ぁ……ぁぁあ」


 それがアミラさんの声だと知った時。


「あああぁぁぁぁぁあああああっっっっ!」


 世界は、崩壊していた。

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