叫び

『よくも、アルフお兄ちゃんを!』


 アミラさんが叫ぶ。

 封印されているはずの声を発して。

 たったそれだけで、マグルドが断末魔だんまつまをあげることもなく、一瞬で消し飛んだ。


「なっ!?」


 アミラさんが、声にならない声で絶叫する。

 その直後。こちらに押し迫ろうとしていた神兵たちまでもが血の一滴いってきさえ残さずに消し飛んだ。


 それだけではなかった。

 長屋が爆散し、大地が激しく揺れる。

 地面が割れ、巨大なひび割れが縦横にはしり、空が赤や黄色や様々な色に変色していく。


『お兄ちゃん、お兄ちゃん!』


 アミラさんが叫ぶ。その度に、大地が裂けて天変地異が巻き起こった。


「アミラさん、落ち着いて!」


 絶叫し混乱するアミラさんよりも早く、ルイセイネとマドリーヌ様がアルフさんに駆け寄っていた。


「アルフさんは何がなんでもお助けします。だから、気を落ち着けてください!」


 血の海に沈んだアルフさんの指先が、僅かに動いた。


「ア、アミ……ラ…………」


 必死に声をしぼり出そうとするアルフさん。だけど、肩口から腹部にかけて深く斬り裂かれたアルフさんには、それ以上の余力はなかった。


『嫌だ! お兄ちゃん、死なないで!』


 アミラさんが叫ぶ。

 それだけで、立っていられないほどに地面が揺れる。

 大地に刻まれたひび割れが更に深く巨大になり、地面が遥か地表の下へと崩落ほうらくしていく。

 僕は慌てて、まだ崩れ落ちていない地面へとみんなを連れて空間跳躍をする。そして、大地が崩落した奈落ならくの底を覗き込んで、息を呑む。


 異様な光景だった。

 大地が裂けたその遥か下。深く、どこまでも深く地層が続いていると思っていたのに。見下ろした奈落の底には、何故か赤や黄色や様々な色に急変する空が在った。

 まさか、と僕たちは空を見上げる。

 目まぐるしく変化する空から、崩落したはずの大地の欠片かけらが雨のように降り注いてきた。


「んにゃんっ!」


 ニーミアが大きな姿になる。

 僕たちがニーミアの背中に乗って逃げるのと、地面に大地の欠片が落ちてきたのは同時だった。


「ああ、なんということだ……」


 ニーミアは、飛翔する間際に村長のお爺ちゃんを掴んで救出してた。その村長さんが、ニーミアの手の中から絶望の視線を投げていた。

 視線の先には、崩壊していく大地に取り残されたアミラさんの姿があった。


 アミラさんには、手が届かなかった。

 絶叫するアミラさんから放たれた圧力が凄まじ過ぎて、僕たちは近づけなかった。


「いったい、何が起きているんですか!?」


 訳がわからない。

 アミラさんの声は、封印されているはずじゃなかったの!?

 地面が崩落したり、空の色が急変したり、大地の欠片が雨のように振ってくる天変地異は、アミラさんの声が原因なの!?

 いったい、アミラさんの声とはなんなのか。

 突然の事態に頭が混乱し、思考が正しく働いてくれない。

 そんな中、村長のお爺ちゃんが絶望しながら呟いた。


「終わりだ。アミラ様がああなってしまっては、もう誰にも止められん」

「えっ!?」


 大地の欠片が、崩落をまぬがれた地面に激突する轟音が響き渡っていた。そのせいで、うまく聞き取れなかった。

 もう、終わり?

 いったい、なにが?

 そう思って、思い出す。

 アレクスさんの、昨夜の言葉を。


「アミラ、やはり抑えきれなかったか……」


 まともに立っていられないほど激しく揺れる地面に、しっかりとした姿勢で佇む男性の姿が見えた。

 手には神剣を持ち、神力をみなぎらせるその人物は、紛れもなくアレクスさんだ。


「……すまない。こうなってしまっては、もうお前を止められる手段を私たちは持っていない。……許せ」


 高く飛翔したニーミアの背中から、崩壊していく小さな村が見渡せた。

 大地は揺れ、ひび割れ、崩壊していく。その中で、村の人たちが手に手に武器を取り、集まり始めていた。


「ミストラル!」


 僕は叫ぶ。


「アレクスさんたちを止めて!!」


 アレクスさんは言った。

 アミラさんの声の封印が破られた時は、全力を持って殺すと。


『アレクスお兄様』


 剣をたずさえ、殺気を放つ兄を見て、アミラさんが叫ぶ。


『お兄様まで、私の邪魔をするの? 嫌だ。嫌だあぁぁぁっっ!』

『我が声は汝に届かず。されど汝の声も我には届かず!』


 アレクスさんが、力ある言葉を口にした。

 だけど、結果は予想外のものだった。


 アミラさんの声を受けて、一瞬で遥か彼方かなたまで吹き飛ばされるアレクスさん。それだけでなく、背後にそびえていた竜峰の断崖だんがいまで粉々になって消し飛んだ。


「そ、そんなっ!」


 もしもアレクスさんの神言しんごんが間に合っていなかったら、アミラさんはしたっていたお兄さんを消しとばしていたかもしれない。その事実に、僕たちは困惑しながらアミラさんを見下ろす。


「駄目なのだ……。もう、アミラ様自身が感情を制御できなくなってしまわれた。だから、この事態を収めるためには、アミラ様を殺すしかないのだ」


 村長のお爺ちゃんが、悲痛な声で言う。


「すまない、アレクス様のご友人方。身勝手な話だが、どうかアミラ様を……」

「お断りします!」


 たとえこの状況がアミラさんの声のせいだったとしても、僕たちは最後まで諦めたくない。

 ニーミアの背中の上では、今でもルイセイネとマドリーヌ様が必死にアルフさんの治療を行っていた。

 アルフさんを救い、アミラさんの問題も解決してみせる。それが、僕たちの変わらない決意だ!


 だけど、そのためには知らなきゃいけない。

 アミラさんの声とは何なのか。

 封印とは何なのかを。


 ニーミアにお願いして、お爺ちゃんを背中の上へ移してもらう。


「村長さん、もうこうなったら秘密も何もないでしょう? アミラさんのことを、僕たちに教えてください」


 崩壊していく地面に取り残されたまま、アミラさんが絶叫していた。

 感情のままに叫ぶ。その度に大地が激しく揺れ、亀裂が奔った場所から地面が奈落の底へと崩壊していく。そして、崩れ落ちた大地が、激変し続ける空から降ってくる。

 この全てがアミラさんの声に起因するのだとして。なぜ、ただの「絶叫」や「声」だけで天変地異が起きてしまっているのか。


 だけど、村長さんから聞き出す余裕もなく、事態は悪い方向へと急激に進んでいく。

 遥か遠くまで吹き飛ばされたはずのアレクスさんが、素早い身のこなしで崩れいく大地を跳躍し、戻ってきた!


「エルネア、わたしは行くわね」


 アレクスさんを止めるために、ミストラルがニーミアの背中から飛び立つ。

 人竜化じんりゅうかしたミストラルは翼を羽ばたかせて、アレクスさんの頭上に迫る。


「貴方をこれ以上は進ませないわ」

「ミストラル殿。たとえ貴女と対峙しようとも、私はアミラを止めなければいけない。でなければ、この地だけでなく世界が滅びることになるのだ」

「随分と大袈裟に言うわね? でも、わたしたちの意志は変わらないわ。エルネアが諦めない限り、わたしたち家族も絶対に諦めない」

「では、戦うしかない」


 神剣を構えるアレクスさんに対し、ミストラルも漆黒の片手棍を抜き放つ。


「良いのかしら? さっきの神言は、神術に対する究極的な防御でしょう? 己の神術を犠牲にして、相手の神術を無効化する。今の貴方は、神術が使えないのじゃなくて?」

「さすがは竜姫殿と讃えるべきか。その通り。自己暗示によって、相手の神術の効果を打ち消す術だ。代償に己の神術まで封じてしまうことになるがね。それでも、私は事を成さなければいけない」

「それは、アミラを殺す、ということね?」

「無論だとも」


 アミラさんが絶叫と共に解き放ったのは、無差別的な力を持つ神術だった。

 アレクスさんは、アミラさんの叫びがもたらす影響を無効化するために、自分自身に強い暗示の術を掛けたんだ。

 だけど、それですらアレクスさんは遥か後方まで吹き飛ばされた。


 相対するミストラルとアレクスさん。そこへ、ルーヴェントや村中から集まった神族や天族の人たちが合流してくる。


「俺たちとて、アミラ様に手をかけるのは断腸だんちょうの思いなんだ」

「それでも、我らは止めなければいけない」

「たとえ、竜人族の戦士が立ちはだかろうとも」

「たとえ、アミラ様を殺すことになっても、だ!」


 望まない戦いの戦端が開かれた。

 人竜化したミストラルに、闘神の末裔とその家臣たちが襲いかかる。

 ミストラルは漆黒の片手棍を振るい、自分と同じように空を飛ぶ天族を払い除けた。そして、隙を見てアミラさんへ迫ろうとするアレクスさんや神族に攻撃を仕掛け、足止めを図る。


「エルネア君、アミラさんが!」


 ミストラルとアレクスさんたちの方にばかり気を向けてはいられない。

 別の場所でも、事態は動いていた。


「ひ、ひぃいいっっ!」

「ちぃっ。『わたれ』」


 崩落した大地と一緒に奈落の底へ落ちそうになったのは、ギルディアだった。それを、グエンが神術で救い出す。

 だけど、それが目立ってしまった。

 絶叫するアミラさんの視界に、二人が映る。


『お前のせいで……アルフお兄ちゃんが!』


 アミラさんのその言葉だけで、グエンとギルディアが足を着けていた大地が木端こっぱのように砕け吹き飛ぶ。


『渡れっ!』


 アミラさんの声が届くよりも早く、グエンが咄嗟に空間跳躍させる。

 別の場所に移ったグエンとギルディアが、アミラさんの力に驚愕きょうがくしていた。

 でも、アミラさんは二人を逃すつもりはないらしい。移動先を視界に収め、大きく息を吸い込む。


「駄目だ、アミラさん!」


 暴走し続けるアミラさんに、叫ぶ僕。

 だけど、僕の声は届かない。


「過去に過ちを犯した者として、これから間違いを犯そうとする者をこのまま見過ごすわけにはいかぬ。リン!」

「了解よ、ユンお姉ちゃん! プリシア、思いっきり使役しちゃって良いから、援護をちょうだい!」

「わかったよっ」


 顕現したユンユンとリンリンが、グエンとギルディアの眼前に立つ。そして、プリシアちゃんの精霊力を授かり、光と闇の巨人へ姿を変える。

 そこへ、アミラさんの絶叫が襲いかかった。


「ぐうっ」

「くうっ、そんなっ!」


 燃える光の巨人と化したユンユン。闇の巨人と化したリンリン。その二人の輪郭が、激しく揺れる。それどころか、顕現さえ維持できないかのように、二人の姿が薄れる。

 東の大森林において賢者と呼ばれた二人が、プリシアちゃんの全力の支援を受けてなお、アミラさんの絶叫に耐えられなかった。

 しかも、二人が押さえきれなかった余波だけで、またしても大地が砕け、爆散し消滅する。


「くそっ……!」


 砕かれ、奈落の底に落ちていく岩石の隙間に、グエンとギルディアの姿が見えた。

 なんとか二人は無事だったようだ。それでも、崩壊する足場と悲鳴をあげるだけで役に立たないギルディアに、グエンには余裕がない。


『渡れ!』


 ギルディアを抱え、空間跳躍を駆使して崩落していく大地から別の場所へ逃げようとするグエン。

 そこへ、アミラさんが更なる攻撃を仕掛けようとしていた。


「アミラさんっ!!」


 僕はもう一度叫ぶ。


「駄目だ。怒りに呑まれてその二人まで殺してしまったら、取り返しがつかなくなっちゃう!」


 ギルディアが憎いのはわかる。

 ギルディアが問題を持ち込まなければ、アミラさんたちは平穏でいられたんだ。

 だけど、だからといって感情のままに人殺しを重ねてしまったら、それは単なる復讐者になってしまう。

 アミラさんには、そんな人になってほしくないんだ!


 だけど、僕の想いはアミラさんに届かなかった。


『貴方たちも、邪魔をするのね!』


 ユンユンとリンリンが介入したことによって、僕たちにまで敵意が向けられた。

 こちらを睨んで絶叫するアミラさん。その瞳には、もう理性の光は宿っていなかった。代わりに、憎悪と怒りで紫色に光る瞳に、僕たちは戦慄せんりつする。


「んにゃんっ」

「ニーミア!?」


 突然だった。

 これまで、上空から落ちてくる大地の欠片を回避しながら飛行していたニーミアが、急に高度を落とし始めた。


「にゃにゃんっ。飛べないにゃん!?」

「ええっ!」


 必死に羽ばたくニーミア。だけど、高度は急激に下がるばかり。それどころか、前後左右にも進めなくなってしまったようで、頭上から落ちてくる巨大な岩石を回避することもできない。

 慌てて、結界を張り巡らせる僕たち。

 竜術の結界に阻まれて、巨大な岩石が頭上で砕かれる様子を、僕たちは息を呑んで見上げた。


「エルネア君!」


 それでも、異変は収まらない。

 ルイセイネの叫びに、振り返る。そして、絶句する。

 ルイセイネとマドリーヌ様が今まで必死に治療していたはずのアルフさんの姿が、忽然こつぜんと消えていた。


『アルフお兄ちゃん!』


 そして、ニーミアの背中から消えたアルフさんは、アミラさんの傍に横たわっていた。


『嫌ぁぁっっ! アルフお兄ちゃん、死なないで!』


 血に染まったアルフさんの姿を見て、更に絶叫するアミラさん。

 目を見開き、髪を乱雑らんざつきむしって、アルフさんにしがみつく。

 だけど、アルフさんは動かない。


「駄目だ、アミラさん! アルフさんをこちらに返すんだ! じゃないと、治療ができなくて本当に死んじゃう!!」


 アルフさんの傷は、その場で絶命していてもおかしくないくらいの深傷ふかでだった。それを、スレイグスタ老の秘薬とルイセイネとマドリーヌ様の治癒法術でなんとか支えていたんだ。それなのに、巫女の二人の手から離れてしまったら、それこそ手の施しようがなくなってしまう!


 だけど、完全に理性を失って暴走しているアミラさんには、伝わらない。それどころか、アルフさんを奪おうとする敵だと叫ばれた。


『渡さない。お兄ちゃんを奪う者は、みんないなくなれ!!』


 アミラさんの叫びに呼応するように、天変地異が加速する。


 大地が隆起と陥没を繰り返し、激しく波打つ。そして砕け、奈落の底へと次々に崩落していく。

 もう、春の収穫と新たな作付さくづけを待っていた長閑のどかな村落の風景はどこにもない。

 更に、大地だけではなく空にまで無数の亀裂が奔り始めた。

 耳をつん裂くような断裂音だんれつおんが響き、空が砕けていく。

 砕けた空の先は、千手せんじゅ蜘蛛くもの魔獣が空間転移する時に見せる闇そのものだった。


「あの闇に呑み込まれたら、もう戻ってこられないような気がする! ニーミア!」

「うにゃーっ!」


 ニーミアが必死に羽ばたいていた。だけど、飛べなくなったまま落下し続ける。

 そこへ、崩落していく大地の欠片や巨大な岩石が襲いかかってきた。

 無軌道に乱れ飛ぶ障害物を防ごうと、僕たちも全力で結界を張り巡らせる。


『嫌ぁぁあああぁぁっっっ!』


 崩壊していく世界で、アミラさんが絶叫し続けていた。

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