霊樹の精霊

「はい、おしまい」


 言って女性は、左手は腰に、右手を口元に当て、妖艶ようえんに微笑んだ。


「ええっと……アレス……さん?」


 状況についていけません。


 僕の腕の中から抜け出したのは、確かに幼女姿のアレスちゃんでした。それが、僕から離れた後、歩くたびに身長が伸びていき、女性らしい曲線を表し、妖艶な女性の姿へと変貌していくさまを、確かにこの目で見ました。


 だけど、なぜか心が理解に追いつきません。


 どうして?

 なんでアレスちゃんが急に大人になったの?


「やれやれ。ニーミアが姿を変えることには抵抗ないというのに、妾は駄目なのか?」


 ふわり、と空中を漂い、僕のもとへと戻ってくるアレスさん……ちゃん?


「この姿は、嫌いかえ?」


 なまめかしく僕の身体に腕を回してくる彼女に、僕はたじろぐ。


 うん。状況がさっぱりわかりません!


 助けを求めて暴君を見たら、呆れたようにこちらを振り向いて見ていた。


「ええっと……何がどうなったのか、教えてもらっても良いですか?」

「妾とそなたの関係で、敬語は禁止だ」


 そっと人差し指を唇に当てられて、不覚にもどきり、としてしまう僕。


 なんでしょう。この大人の色気は!?

 幼女アレスちゃんからは想像もつかないほどの妖艶な仕草と身体つきに、僕の胸は激しく動悸どうきする。


『我の背中で、逢引あいびきするなっ。それと、あの地上の大穴はどうするのだ』


 ちょっと苛ついた暴君の言葉で、なんとか我を保つ。

 油断すると、アレスさんに吸い寄せられてしまいそう。


「ああ、そうであったな」


 アレスさんは思い出したかのように、ぱん、と両手を叩いた。


 それだけだった。


 だけど、顔を引きつらせる暴君の様子が変だったので、何だろうと地上を覗き込み。


 そして、絶句する。


 山脈の麓に空いていたはずの大穴は、跡形もなく消え去っていた。ただし、大穴の範囲に含まれていた森の草木は元には戻らずに、土と岩だけの、丸い空間として元通りになっていた。


「これはいったい……」


 大地に大穴を開けたり、綺麗さっぱり消し去る力が、アレスちゃん、ではなかった、アレスさんの力なのだろうか。


 僕の疑問の視線に、目頭を細めてアレスさんが微笑む。


 ううむ、何から何まで色っぽい。


「今回だけ、特別だ。エルネアが頑張っていたし、レヴァリアも頑張っていたのでな」


 未だに降りしきる雨に濡れ、アレスさんの髪がしっとりと濡れている。


「妾は霊樹の精霊。森羅万象を操る力こそが、妾の能力」

「それって、風の精霊や土の精霊なんかの、全ての力が使えるってこと?」

「ふふふ。さとい子は好きだ」


 アレスさんは僕の腰に腕を絡めて、顔を近づける。


「全ての精霊が、妾の下僕。正確には、妾が操っているわけではなく、下位の精霊に命令しているだけだがな」

「それってつまり……」


 僕はこめかみを押さえる。


 今の大技は、大地の精霊に命令して地上に大穴を開けて、魔物を飲み込んだ。ということだろうか。そして事が済んだ後は、また命令をして、元に戻した?


「ほぼ正解」


 ふふふ、と口元を空いている手で隠し、妖艶に微笑むアレスさん。


「それだけだと、大地に飲み込まれた森に宿る風や木の精霊、地下水に宿る水の精霊が怒るでしょう。だから喧嘩しては駄目だと、従わせる必要がある」


 はい。桁違いの能力で、理解が追いつきません。


 とりあえず、アレスさんは計り知れない存在、ということですね!


 まさか、霊樹の精霊がこれ程までの存在だったとは。

 僕は、こんなにすごい精霊と、毎回融合していたのか。


「でも、今回は本当に特別。本当は、妾を完全に使役しないと使えない力だ」


 精霊使いは、精霊を使役することによって、色んな術を使う。

 だけど、僕は精霊使いじゃない。それなのに、今回はアレスさんが力を使って魔物を倒してくれた。

 何故だろう?

 口に出さなくても僕の疑問がわかるのか、アレスさんはころころと喉を鳴らし笑う。


「仕方ない。種明かしをしてやろう。だがその代わり、空腹であるからご飯を頂戴する」


 ご飯くらい、いくらでもあげますよ。それくらい、今回のアレスさんの活躍は凄かったんだ。それに種明かしをしてくれるなら、願ったり叶ったり。


 身近な相手のことは、なるべく色んなことを知っておきたいからね。


「約束であるぞ?」


 と念を押すアレスさんに、僕は固く頷く。


「エルネアは、プリシアに感謝することだ。あの子が少しずつ妾に干渉し続けたからこそ、今回のような力が使えたのだ」

「プリシアちゃんが!?」


 たしかに、プリシアちゃんはアレスちゃんとよく遊んでいた。だけど……


「プリシアちゃんは、アレスちゃんを使役しないと言っていたよ?」

「そう。使役するような干渉ではない。だが、少しずつ妾に精霊力を送り、いざという時に妾が力を使えるように、影響を及ぼし続けていた。あの子もあの子なりに、エルネアの役に立とうと頑張っていたようね」


 そうだったのか。


 プリシアちゃんは普段から少しずつアレスちゃんに精霊力を送り続けて、僕が危険になった時に、力を解放してもらえるようにしてくれていたんだね。


「もしかして、アレスちゃんと遊んだ後にプリシアちゃんがよく寝ていたのは、精霊力を消費して疲れていたから?」

「プリシアは、小さいのに頑張り屋なのよ」


 知らなかった。天真爛漫で、全力で遊んで全力でご飯を食べて、全力で寝る愛らしい女の子、という認識だったんだけど、改めないといけないね。


「じゃあ、もしかして。最近いつも眠ってばかりなのは?」

「妾がこの姿に成長するために、すこし無理をさせたのかしら」

「ということは、その姿には最近なれるようになった?」

「今さっき、ね」


 おおう。なんということでしょう。

 僕はアレスさんの成長に立ち会ったわけですね。


「エルネアの霊気だけでも、いずれはこの姿になれた。しかし、急かしたのはプリシア。きっと、エルネアのことが心配だったのだろうね」


 そうか。僕は幼いプリシアちゃんにも心配されていたんだね。これからはあまり心配されないように、自重しよう。


「さあ、種明かしは終わりだ。ごはんごはん」

「ええっ!? 今からご飯なの?」


 急に言われても。というか、妖艶な姿のままでの、最後の幼女口調は反則です!

 とはいえ、今の僕は何も食べ物を持っていないよ。と思った矢先。


 アレスさんは、かぷり、と僕の首筋に噛み付いた。


「うひっ」


 甘噛あまがみしてくるアレスさん。ちろり、と舌で舐められた時、全身に電流が走るような感覚に襲われる。


「ご、ご飯って、竜気のことか!」


 体内を巡らせていた竜気が、アレスさんに流れていく。


 というか、竜気を僕から貰うなら、首筋を甘噛みする必要性は全くないと思うんですが!?


 稀に舌が首を舐める感覚にぞくりとしながら、アレスさんのやりたいようにやらせる僕。


 なんだろう。すごく気持ちいいんですが、背徳感が拭えません。


 暴君は背中での僕たちのやりとりに呆れつつ、カルネラ様の村に戻り始めていた。


「ところでさ。とっておきの能力で、あまり使えないような能力を、今回出しちゃって良かったのかな?」


 僕が危険になった時のため。ということでプリシアちゃんが貯めていた力なら、ここぞという時に取っておいた方が良かったんんじゃないのかな。


「ふふふ。それはね」


 と、首元で微笑まないでください。溢れる吐息がくすぐったくて、変な気持ちになっちゃいます。


 首筋から口を離すアレスさん。

 すると、見る間に身体が縮み出した。


「うわっ、どうしたの!? 大丈夫?」


 僕が心配の声を掛けている間に、アレスさんは元のアレスちゃんに戻ってしまった。


「ながいじかん、おとなはむり」


 小さくなると、話し方も元に戻る。


「おとなになれるようになったから、もういちどさいしょから」


 大人と子供の姿では、出来ることが違うから力の貯め方も違うらしい。だから、今回一旦放出してしまって、また最初から貯め直さないといけないのだとか。


 そして、普段は僕から貰った力の消費を抑える為に、小さい姿の方が効率が良いらしい。


 カルネラ様の村に戻る道中、僕はアレスちゃんを質問攻めにした。


 だけど、幼い姿の時は思考も喋り方も幼くなるのか、なかなか要領を得にくい部分もあって苦労した。


 これなら、大人の姿の時に疑問は全て解消しておくべきでした。


 そして要約すると。


 普段は、今まで通りの幼女アレスちゃん。だけど、いざという時はいつでも大人の姿に戻れるらしい。ただし、僕の竜気を大量に消費して、長時間は無理だとか。

 アレスちゃんが森羅万象の大技を使う為には、僕の竜気じゃなくて、プリシアちゃんの精霊力が必要。幼いプリシアちゃんではなかなか貯まらないから、頻繁には大技は使えないみたい。注意しなきゃね。

 そして、融合は今まで通り。


 こんなところかな。

 僕は忘れないように、心に刻み込んでおく。


 アレスちゃんが大技を使えるようにはなったけど、それはプリシアちゃんの力。アレスちゃんに無理をさせるということは、プリシアちゃんにも負担が行くということを決して忘れないようにしよう。


 小さな幼女へと姿を戻したアレスちゃんは、消えることなく、そのまま僕の腕の中で寝入ってしまった。


 ううむ。この幼女が成長すると、あの妖艶な女性になるのか。

 プリシアちゃんが大人になったら、どんな女性になるのかな、と思わずにはいられないです。







 寝入ったアレスちゃんを腕の中であやし、暴君の背中で寛ぐことしばし。


 次第に雨風が強くなってきました。

 どうも、僕が巻き起こした嵐は、まだ影響を消し去っていないみたい。


 暴君は乱れた気流を四枚の翼で器用に受け流しながら、嵐の雲の下を飛び続けてくれた。

 そして程なくすると、カルネラ様の村が視界に入ってくる。


 躊躇いなく進む暴君の先には、大樹の上の踊り場で手を振るみんなの姿があった。


「ただいま」


 気を利かせてくれた暴君が、踊り場の前で滞空してくれる。

 僕が空間跳躍で踊り場に飛ぶ前に、プリシアちゃんが飛んできた。


「おかえりっ」


 突然目の前に姿を現したプリシアちゃんを、慌てて抱きとめる。

 周りの気配に気づいたのか、アレスちゃんが眼を覚まして、プリシアちゃんと僕の腕の中で戯れ出した。


 ううむ、やはりもう一度思わずにはいられない。

 この愛らしい幼女が姿を変えると、あの妖艶な女性になるのか!


 むむむ、とアレスちゃんを見て唸っていたら、暴君に早く降りろと急かされる。

 仕方なく、幼女二人を抱えて、空間跳躍で踊り場に移動する僕。

 暴君は僕たちを下ろすと、咆哮をあげて飛び去っていった。


「こらっ。まだ朝なんだから、近所迷惑なことをしちゃ駄目でしょ!」


 僕の注意は、はたして暴君に届いたのかな。

 遠ざかる暴君の後ろ姿に、僕はやれやれ、と肩を落とした。


「さあ、中に入りましょう」


 ミストラルに促されて、踊り場に面した建物へと入る。そこは、女性陣が宿泊している建物だったみたい。

 建物に入っただけで、女の人の甘い香りが鼻腔に触れた。


 女の人って、なんでこんなに良い匂いがするんだろうね。というか、男部屋になっている僕とフィレルの建物は、野郎臭いのだろうか……すごく気になります。


 建物に入った僕たちは、苦笑し合う。


 嵐の中で迎えてくれたのは嬉しかったけど、全員ずぶ濡れになってしまっていた。


「エルネア。貴方はお風呂に入って来なさい。わたしたちはその間に、乾かしあっておくから」


 どうやら、僕だけは汚れていたみたい。ずっと雨風にさらされてきたけど、暴君が最初に巻き上げた土砂の汚れが残っていたみたいだね。


 お風呂は、各建物に設置されている。水は大樹の枝葉につく雫を丁寧に集めた水槽が各建物に設置されている。贅沢はできないけど、寝泊まりする際に必要な分の水は、建物ごとに確保されているみたい。


 着替えは、ミストラルがわざわざ僕の泊まっている部屋まで取りに行ってくれるということで、お言葉に甘えて、女性陣が宿泊している建物でお風呂に入れさせてもらうことにした。


「んんっと、プリシアも入る」

「にゃんも入るにゃん」


 プリシアちゃんはみんなが止める前に、早速濡れた服を脱ぎ出して、お風呂場に向かう。ニーミアはプリシアちゃんの頭の上。


「エルネア君と、裸のお付き合いは大切だわ」

「エルネア君と、背中と背中の流しあいは大切だわ」

「ちょっ、ちょっとお待ちください、お二人とも!」


 ごく自然に風呂場に向かおうとした双子王女様を、ルイセイネが慌てて捕まえる。


「プリシアちゃんの面倒を見ますわ」


 と言って、ライラも何気にお風呂に入ろうとしないでください。


 僕の服を取りに建物から出ようとしていたミストラルが素早く戻ってきて、ライラをがしりと捕まえた。


「まったく。貴女たちは」


 ミストラルとルイセイネが疲れたように、ため息を吐いた。


「もうお風呂場に行ってしまったプリシアは仕方ないわ。さあ、エルネアも今のうちに入って。このお馬鹿さんたちは見張っておくから」


 僕はどうやら、お胸様を拝む機会には恵まれなかったみたい。少しだけ残念に思いつつ、お風呂場に向かう。


 というか、幼女のプリシアちゃんと一緒のお風呂は良いのか。


「おふろおふろ」

「うひっ」


 違和感なくアレスちゃんが僕の後についてきて、顔を引きつらせる。


 アレスちゃん……?

 これって良いのだろうか。


 アレスちゃんはアレスさんで、幼女であって妖艶な女性なのです。


「小さい子供ですし、許します」


 僕が助けを求めてルイセイネの方を見たら、何かを勘違いされて、諦めたように微笑まれた。


 違うんだ。違うんです。


 ああ、どうしよう。


 僕の困惑をよそに、アレスちゃんは裸になって、お風呂場へと歩いていった。

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