黒の竜騎士

『おおおぉぉ、どうしたことだ』


 暴君は、無惨に変わり果てた仲間の死骸を上空から見つめ、悲しそうな咆哮をあげた。


 暴君はもう僕のことなんて意識になかった。

 握り締められていた掌の力が抜けている。


 暴君は、自分の巣の上空を何度か旋回した後、ゆっくりと地上に降りた。


『おのれっ、我の仲間をよくも……』


 ぎりりと鋭い牙を食いしばり怒りを露わに、黒焦げになった巣と仲間たちの死骸を見渡す暴君。


 僕はその隙に暴君の掌から抜け出した。


 一瞬だけ暴君はこちらを睨んできたけど、今は僕に構っている余裕はないみたいだ。

 暴君は僕からすぐに視線を外し、黒焦げになった仲間の飛竜を悔しそうに見渡す。


 僕も暴君を警戒しつつ、周りの惨状を確認した。


 飛竜の死骸だけじゃなく、地面も何もかもが黒く焦げ付いている。

 それと、飛竜の死骸の中には、ただ焼け死んでいる者だけじゃなく、何かに引き千切られたような跡や、明らかに術で吹き飛ばされたような穴を身体に空けて死んでいる飛竜が多くいた。


 これは焼かれて死んだんじゃない。何者かに攻撃され、倒された後に焼かれたんだ。


 なんて酷い。


 暴君が鶏竜にやったことは勿論怒りも覚えるし許されないと思う。

 だから報いは受けるべきだと思う。

 でもだからといって、暴君の仲間だからというだけで仲間の飛竜までも報いを受けるべきだ、とは思わない。

 だからこそ、この目の前の状況を作り出した何者かに、僕は激しい怒りを覚える。


 生存した飛竜はいないのかな。と思い辺りを見渡す。

 だけど、暴君の巣は隈なく炭化した世界になっていて、息のある飛竜はどこにもいなかった。


 僕は山岳の中腹にある暴君の巣の淵に立ち、さらに周りを見渡す。

 すると、巣だけじゃなくて周りにも飛竜の死体が転がっていた。

 ざっと数えても、巣と合わせて二十体以上は飛竜が死んでいる。


 竜族の中でも凶暴な飛竜をこうも一方的に殺戮さつりくした何者かに、今度は戦慄する。


 暴君は、覇気を失ったように周りの状況をただ見るばかり。

 自分は他の竜を虐殺していたのに、いざ身内を惨殺されると消沈する。

 ずるい、卑怯だ、と思うと同時に、暴君もやはり普通の感情を持っているんだな、と思い知らされた。


「ぎゅるる」


 何か小さな鳴き声が聞こえた。

 僕だけじゃなく、暴君にも聞こえたらしい。

 鳴き声の聞こえた方に走り寄る僕。

 暴君も近づいてきた。

 一瞬緊張したけど、暴君の眼中にはもう僕は入っていないみたいだ。


「ぎううう」


 また鳴き声。小さく消え入りそうな声だよ。


 鳴き声は、巣の外、急斜面の崖の下から聞こえてきた。


 目を凝らしてみると、崖の岩と岩の間に、子供の飛竜が挟まって苦しそうに鳴いていた。


 逃げ延びた竜が居たんだ!


 子竜の生存を知って、暴君の四つの瞳に少しだけ生気が戻る。

 暴君は首を伸ばし、子竜を救出しようとする。でも届かないし、届いても岩の隙間は暴君の大きな顔じゃ潜り込めない。


「僕が助ける」


 言うと、暴君はやっと僕を思い出したかのように、ぎろりと睨んできた。


「今は休戦だよ。あの子竜を助けたいんでしょう?」


 僕は瞳に強い意志を乗せ、暴君を睨み返す。


 睨み合ったまましばし。


 無言でただ睨むだけの暴君に、僕は同意を感じとる。

 きっと、人族ごときが何を、なんて思っていて、口に出して「お願いします」とは言えないんだろうね。

 暴君の矜持きょうじ心がそれを許さないんだと思う。


 僕は背後から襲われないと確信をして、子竜を救出することにした。

 まずは、空間跳躍で子竜の挟まった岩の隙間に跳ぶ。


 跳んでみてびっくり。

 子竜といっても、暴君と似た姿をしていた。

 大小四枚の翼。四つの瞳。紅蓮色の鱗。

 ただし、身体はやはり小さい。きっと、翼や尻尾を伸ばせば僕よりも大きいんだろうけど、躯体はまだまだ小柄で、顔も小さい。

 

 その子竜も、突然目の前に人族の僕が瞬間移動してきたことで、驚いて四つの瞳を丸くして驚いていた。


「大丈夫だよ。今助けるからね」

『何で人族が?』

「質問は後だよ」

『言葉がわかる?』


 子竜の、驚きから一転させて興味深そうに光る瞳に微笑んで、僕は集中する。


 僕は、プリシアちゃんみたいに誰かと一緒に空間跳躍をしたことがない。

 だから、子竜と一緒に巣の場所に飛ぶのには不安があるんだよね。

 だからここは、力任せで行こうと思う。


 竜気を全身に蓄えて身体能力を上げた僕は、子竜を岩の隙間から引きずり出す。

 負傷しているのかな。子竜は苦しそうに鳴くけど、僕に抵抗はしなかった。


 僕は自分よりも重そうな子竜を背負う。

 そして、ずっと上から見下ろしている暴君に叫んだ。


「今から飛び上がるから、捕まえて!」


 僕の言葉を了承して、暴君はぐるると喉を鳴らしす。

 僕は下半身に力を溜め、全力で跳躍した。

 岩の隙間から勢いよく抜け出す僕と、背負われた子竜。

 暴君は素早く首を伸ばし、僕たちを口で受け止めた。


「うわっ」


 まさか口で捕獲されるなんて予想外ですよ!


 僕は恐怖に顔を引きつらせた。


 しかし暴君は僕たちを噛み殺すようなことはせずに、口で捕まえた後は巣に降ろしてくれた。


 巣の惨状を見て、子竜が悲しく鳴く。


 広い場所で見ると、子竜は翼が折れ、全身が深い傷だらけだった。


 痛いだろうね。

 子竜の負傷に、僕は心を痛めてしまう。


 僕が子竜の傷を心配し、暴君が何か言おうとしたその時。


 ばさり、と上空で羽ばたく音がした。


 暴君と僕。そして子竜が一斉に音のした方を振り向く。

 するとそこには、不気味な飛竜と、それにまたがる者がいた。


 黒の飛竜。だけど、スレイグスタ老のように艶やかな鱗ではなく、どす黒く不気味な黒。

 その飛竜に跨る者も全身を黒の甲冑で覆い、両手にはこれまた黒い投槍を手にしていた。

 そして、飛竜と跨る者の全身からは、黒く揺らめく可視化するほど濃い竜気が溢れていた。


『何者だっ!』


 暴君が荒々しく吠える。


 だけど、黒甲冑の者は返答せず、代わりに投槍を放ってきた。

 警戒していた僕が防御結界でなんとか防ぐ。

 でも同時に結界は弾け飛ぶ。

 相殺された!


 黒甲冑の者はもう一本の投槍を放った。

 暴君が火炎放射で迎え撃つ。

 しかし、投槍は火炎放射の勢いを易易と突き破り、暴君の一枚の翼に突き刺さった。


『があああっ、貴様も忌々しい武器を持つか!』


 暴君の言葉に、僕は投槍の性質を知る。

 竜殺し属性なんだ!

 だから暴君の反撃をすり抜け、容易く翼に刺さったんだ。


 この黒甲冑者は何者なんだろう。飛竜に跨るということは、竜騎士だよね。

 まさか、ヨルテニトス王国の竜騎士が!?

 と一瞬だけ僕は恐ろしいことを考えてしまう。


『おのれっ、今でなければなぶり殺しているものを』


 暴君は悔しそうに言って、そして僕と子竜を捕まえて巣を飛び立った。


「えええっ!?」


 思わぬ状況に、僕は混乱する。


『あのままあの場所で死にたいのなら、放り投げてやる』


 暴君に睨まれ、僕はぶんぶんと首を横振って否定した。


 巣から荒々しく飛び立ち、山岳から離れる暴君。

 その暴君を余裕な気配で見送った黒の竜騎士は、しかし見逃してくれずに追って来た。


 速い!


 瞬く間に暴君に追いつく黒の飛竜。


 暴君も追いつかれたことを察知し、更に加速した。

 だけど、引き離せない。

 黒飛竜は不気味な闇色の竜気を纏わせ、暴君に追いすがる。

 そして、竜騎士が攻撃してきた。

 竜術の矢を高速で何本も飛ばしてくる。

 暴君は体を捻り回避するけど、数が多い。

 何本もの竜術の矢が暴君に命中する。


 黒飛竜が真っ黒な炎の塊を吐き飛ばす。

 暴君は急降下でやり過ごした。

 黒い炎の塊は山に着弾すると、一帯をどす黒く炭化させた。


 こいつらだ! 間違いない!!


 暴君の巣を襲い、飛竜たちを惨殺したのは、この黒飛竜と竜騎士なんだ!


 僕と子竜は暴君の手の中で震えた。


 ううん、僕たちだけじゃない。暴君でさえも恐怖している気配が伝わってきて、襲撃者の恐ろしさに顔を青ざめさせる僕。


 竜騎士の矢の弾幕に、暴君が悲鳴をあげる。

 竜殺しの武器でない攻撃には流石に耐える暴君だけど、被弾の数があまりにも多い。

 回避しきれない竜術に、暴君は少しずつ負傷していく。


 おかしいよ。


 暴君が鶏竜の巣を襲った時は、もっと俊敏に空を飛び回っていたような気がする。と思って、僕は思い出す。


 暴君は、僕に胸を斬り裂かれていたんだ。

 見れば、今でも暴君の胸の傷からは血がしたたっていた。


 胸の傷は深い。斬りつけた僕だからこそよくわかるよ。

 それでも死に至らず、今も大空を飛ぶ暴君の生命力に、僕は驚かされる。


 だけど、呑気に暴君の手の中でこの戦いを傍観しているわけにはいかない。

 暴君が落とされれば、僕も子竜と共に地面に落ちて死んでしまう。


 僕は残り少なくなった竜気を懸命に練り、暴君の周りに防御結界を張る。

 しかし、竜騎士の竜術に簡単に粉砕される。


 僕の竜術では、竜騎士の竜術を防げない。向こうの方が圧倒的に竜術に長けているんだ。

 このままじゃ、暴君が落とされるのも時間の問題だ。


 焦る僕。


 何か逃げ切る方法はないか。


 暴君は、黒飛竜の炎を空中で身を翻して回避する。

 そして急角度で飛ぶ方角を変え、逃げる。

 暴君の必死の気配が伝わってきていた。


 暴君でさえも恐怖するんだね。

 相手はそれ程に恐ろしく、強いんだ。


 僕は黒飛竜と竜騎士を見る。


 竜騎士は、無尽蔵と思えるような勢いで竜術を放ち続けてくる。

 そして黒飛竜は旋回し、暴君を追う。


 おや、と思う僕。


 暴君と比べると、黒飛竜は飛翔技術が低いように見える。

 陽の沈みかけた大空を縦横無尽に逃げ回る暴君。

 竜騎士はそれを逃すまいと竜術を放ち続けているけど、黒飛竜の方は暴君の動きに追いついていない。


 速さはあるけど、飛ぶ技術が低い。そう結論付けた僕は、暴君に叫ぶ。


「あの細い渓谷に逃げて!」


 僕が指差す先には、山岳の間に出来た狭く切り立った谷があった。


 僕の意図を汲んだのか、暴君は急降下して渓谷の隙間に滑り込む。

 深い渓谷には、すでに太陽の光は届いていないようで暗い。だけど、暴君は細い渓谷の隙間を縫うようにして、器用に飛んだ。


 竜騎士は、最初は上空から暴君を追ったけど、獲物が黒飛竜の体の下にあるということで思うように竜術を放てなくなる。

 黒飛竜の放つ闇色の炎は高威力だけど、単発だから暴君には当たらない。


 業を煮やした竜騎士は高度を下げ、渓谷に入って追い始めた。

 そうなると飛行技術の劣る黒飛竜は暴君に追いつけなくなる。

 暴君と黒飛竜の間が徐々に広がりだした。


 暴君は急角度の谷を素早く曲がる。

 きっと黒飛竜も遅れて曲がってくるはずだ。


 案の定、黒飛竜は速度を極端に落として曲がってきた。


 しかし、その目の前には、暴君が立ちはだかっていた!


 暴君は、谷を曲がり姿を黒飛竜から消した直後、急停止して振り向き直り、追跡者を待ち構えていたんだ!


 突然目の前に見えた暴君に、竜騎士も黒飛竜も慌てて逃げようとした。


 でも、もう遅い。


『我に牙を向けたことを、己の命を代償として思いしれ!!』


 暴君の渾身の火炎の息吹が、黒飛竜と竜騎士を襲った。

 断末魔の悲鳴をあげ、真っ赤に燃え上がりながら渓谷の底に落ちていく黒飛竜と竜騎士。

 暴君は、黒飛竜が落ちて行く様子を確認することなく、火炎の息吹を見舞った後は直ぐに高く飛び上がり、その場を去った。


「黒飛竜が死んだか確認しなくていいの?」


 と聞くと、忌々しそうに後ろを振り向き。


『ふんっ、あの程度で奴が死ぬものか。回復する前に今は逃げ切るのみ』


 と言って、本格的に暗くなり始めた空を高速で飛んだ。

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