弱肉強食

 大小合わせて四枚の翼を持つ、真っ赤で巨大な飛竜だった。


『何をしている、暴君ぼうくんだぞっ、逃げろ!』


 呆然と空を見つめていた僕に注意を促した鶏竜も、一目散に逃げていく。

 暴君と呼ばれた飛竜は上空でゆっくりと旋回すると、鋭い爪を立てて急降下してきた。


 いけない、危険だ!


 僕も慌てて雑木林の中に逃げ込む。


 直後、もの凄い地響きと轟音と共に、今し方まで僕たちがいた窪地がえぐられた。


 逃げ遅れた何羽かの鶏竜が、鋭い爪の犠牲になる。


 激突するような勢いで窪地を抉った暴君は、すぐに急上昇をして上空でまた旋回する。


 恐ろしい威力だった。


 たった一度の攻撃で窪地は見るも無惨な荒地へと変貌してしまっている。


 暴君は爪に引っ掛けた鶏竜を咥え。

 明後日の方角へと吐き捨てた。


 ゆっくりと上空を旋回する暴君。

 赤い鱗が夕日に照らされ、不気味に光っていた。


『逃げろ逃げろっ』


 雑木林になんとか逃げ延びた鶏竜たちは、必死に物陰に隠れようとしている。


 僕も逃げ惑うけど、身を隠せるような場所が見当たらない。


 雑木は枝が貧相で、上空からはどこに逃げても丸見えなんだ。

 僕が暴君を絶えず視認できているように、向こうにもこっちが見えているはずだ。


 暴君は一度旋回を止め、上昇する。

 そして加速をつけて急降下。


 翼と同じ数の鋭い瞳が、地上で逃げ惑う鶏竜を捉えていた。

 僕は狙われなかった。一瞬安堵するけど、暴君の急降下の先には多くの鶏竜が。


 間に合えっ!


 僕は急拵きゅうごしらえの竜術で鶏竜の上に結界を張った。


 重い壺を叩き割ったような鈍く乾いた音が大気を裂く。その直後に、大地が吹き飛ぶ震動と爆音が響いた。


 僕の結界は全く役に立たなかった。


 暴君の恐ろしい爪と顎によって、多くの鶏竜が犠牲になった。


 暴君は再び急上昇する。

 巨体なのに、小鳥のように身軽に空を舞う巨大な飛竜に、僕は戦慄した。


 空高く舞い上がった暴君は、爪の間や顎で捉えた鶏竜をまたも放り捨てる。


 恐怖が薄れ、ふつふつと怒りが湧き上がる僕。


 あいつは遊んでいるんだ!


 暴君はお腹を満たすため、捕食のために鶏竜を襲っているんじゃない。

 ただ殺戮さつりくをして遊んでいるだけだ。


 なんて酷い。


 食事の為、生きる為に鶏竜の巣を襲ったのなら、僕はまだ納得していたかもしれない。


 でも、あいつは違う。


 弱者をしいたげ、もてあそぶことに楽しみを見出している。


 現に暴君は連続して襲ってくることはなく、わざと上空でゆっくり旋回して、逃げ惑う鶏竜たちに鋭い牙や爪を見せつけてくる。

 いくら凶暴な飛竜だからといっても、命を冒瀆ぼうとくする暴君に、僕は恐れよりも怒りを覚えた。


『止せ、何をしても無駄だ。奴は飛竜族の中でも悪名高い暴君なんだ』


 群れを率いている一際大きな鶏竜が、逃げろと僕を促す。


『奴に標的にされては、もう逃げるしかすべはない』


 雑木林で逃げ惑う仲間の鶏竜を悲しそうに見つめ、一際大きな鶏竜も逃げていった。


 弱者は強者に怯えるしかない。


 それはよくわかるんだ。

 僕だって、上空で旋回を続ける暴君を見て恐怖している。

 だけど、だからと言って逃げるだけだなんて、そんな理不尽なことはないよ。

 されるがままに命を落とすなんて、納得できないよ。


「アレスちゃん、僕は無謀なのかな……?」


 珍しく緊張した面持ちのアレスちゃんに聞く。

 アレスちゃんは僕を見上げ。


「まもってあげるよ。だからいまはおもったことをするといいよ」


 と言って、微笑んでくれた。


「ごめんね。それと、ありがとう」


 何かを決意しても、結局は誰かを頼らないといけない弱い僕。

 でも今は、それでもこの状況をどうにかしたいと思った。


「おねがい。アレスちゃんは鶏竜が逃げられるように協力して」


 僕はその間、暴君の注意を引き付ける。


 勝とうなんて大それたことは思わない。一矢報いてやるなんて無茶なことも考えていない。

 ただ時間が稼げればいいんだ。

 鶏竜たちが雑木林の奥の繁みに身を隠せるだけの時間が。


 僕の意思を受け、アレスちゃんがまず行動に移した。


「森よ、木よ、わらわの声を聞け。守れ。守れ」


 いつもの幼い声じゃない。威厳のあるよく通る声で、アレスちゃんは森の木々に命じた。

 両手を広げ、少しだけ宙に浮いたアレスちゃんが金色に優しく輝く。


 すると雑木林の木々が動いた。


 意思でもあるかのようにお互いの枝を絡ませ、深い枝の影を作り、上空からの見通しを遮る。


 次に、霊樹の木刀が小さく振動し出した。

 辺り一面に新緑の葉っぱが舞い散り、緑色の深い霧が立ち込め出す。


 凄い! と感心している場合じゃない。


 暴君は地上の異変を察知し、発生源とわかる金色に発光したアレスちゃんを上空からの睨む。


「おまえの相手は僕だっ!」


 僕は最大限の竜気を練りつつ、駆け出した。


 金色に発光するアレスちゃんよりも、爆発的に膨れ上がった竜気をもつ僕に暴君の注意は向く。


 僕は走りながら竜術を完成させた。


 鋭い翼の竜を模した竜槍。

 尻尾の部分を持って、僕は勢いよく暴君に竜槍を放つ。

 豪速で飛んでいく竜槍。

 しかし、暴君は上空で軽やかに身をひるがえし、間髪入れずに僕へ向かって急降下してきた。


 四つの恐ろしい瞳が僕を捉えている。


 一瞬で眼前に迫る鋭い爪。


 僕は寸前でなんとか空間跳躍を発動させて、回避した。

 暴君は地面に激しく激突し、土砂が噴き上がる。

 恐ろしいほどの振動に、僕は体勢を崩す。


 土煙が舞う。


 霊樹の作り出した葉っぱの嵐と深い緑色の霧と合わさって、視界が悪い。


 だけど、僕は暴君の影を見失わなかった。


 そして暴君もまた、僕を見失っていなかった。


 深い緑の霧の奥で、四つの真っ赤な瞳が光る。

 顔の影が動き、口元から灼熱色に輝く炎の揺らめきが見えた。


 来る!


 暴君が火炎の息吹いぶきを放つ直前、僕はもう一度空間跳躍をした。


「があああぁぁぁっっっ!!」


 火炎の息吹と共に、暴君の悲鳴が響き渡った。


 暴君は油断した。

 たかが人族とあなどり、飛翔せずに僕と相対した。

 僕はその一瞬の隙を捉え、暴君の懐に飛び込んだ。

 そして、白剣を深々と暴君の胸に突き刺した。


 竜殺し属性の白剣の威力は、暴君に絶大な威力を示す。

 暴君の固く厚い鱗を易易と貫いた。


 僕は目一杯力を込めて、白剣を振り抜く。


「があああぁぁっっ!」


 暴君は再び悲鳴をあげ、慌てたように飛翔して大空に逃げた。


 僕は、羽ばたく翼の起こした爆風で飛ばされる。

 荒れ果てた窪地を転がるけど、なんとか体勢を立て直して上空の暴君を見上げた。


『おのれ、よくも! 人族如きの分際で!!』


 暴君は怒り狂った咆哮をあげる。

 しかし、その胸は僕によってばっさりと斬られ、雨のように血を地上に降らせていた。


「すごいすごい」


 アレスちゃんが跳ねて喜んでいる。

 だけど、僕は油断することなく上空の暴君の動きを観察した。


 鶏竜たちは粗方あらかた避難を終えている。

 僕もこれ以上戦う必要はない。

 暴君が去ってくれれば一番良いんだけど。


 しかし、怒り狂った暴君は紅蓮の炎を全身に纏い、僕めがけて急降下してきた。

 僕は冷静に暴君を引き寄せ、空間跳躍で回避する。


 一瞬で遠くになる暴君。


 回避した。と思った直後、暴君の瞳が僕を捉えた。


 しまった。


 僕は全力で防御結界を展開する。


 霊樹の木刀が震え、アレスちゃんが叫ぶ。


 回避したはずの暴君の鋭い爪が、僕に一瞬で迫る。


 激しい衝撃が僕を襲った。


 今までに体感したことのない鈍く重い揺れに、僕の視界は霞む。

 だけど確かな手応えも同時に感じていた。


『がああっ、よくもっ!』


 恐ろしい勢いで振り抜いた暴君の掌に、僕は白剣を突き立てていた。

 そして僕の防御結界、霊樹の結界。それとアレスちゃんの結界でなんとか僕は無事でいられた。


『憎たらしい人族め』


 掌に白剣を突き立てたままの僕を、暴君は睨む。

 そして僕を握り潰そうと掌を閉じた。


「ぐわあっ」


 白剣が抜けなかった。


 白剣を手放すことも空間跳躍することも出来ず、僕は暴君に握り潰されそうになり悲鳴をあげる。


 竜気を練り、必死に結界を張って耐える。


 ぎりぎりと陶器が軋むような音が僕を恐怖に突き落とす。


「はなしてっ」


 アレスちゃんが精霊術を使おうとする気配を暴君は素早く察知し、飛翔した。


 僕を握りしめたまま。


『潰れろ。その忌々いまいましい剣と共に粉々に握り潰してくれるわ』


 恨みのこもった視線に、僕は必死にあらがう。


『無駄に抵抗し、永く苦しみを味わえ。そして貴様の先に待つのは恐怖に深く沈んだ死だ』


 言って暴君は高く上昇し、鶏竜の巣があった窪地を飛び去った。


 どんどんと遠ざかっていく地上とそこにある鶏竜の巣。

 僕は、握りつぶされないように必死に抵抗しながら、暴君はいったいどこに連れて行く気なんだ、と恐怖した。


 白剣は暴君の掌に刺さったままで、引いても押しても動かない。

 そして暴君は、僕を握り潰そうとしながらも、どこかに向かって飛び続けた。


 幾つかの山を越える。


 僕は激しく消耗していく竜気を感じながら、潰されないように抵抗し続ける。

 抵抗するだけで、反撃はできない。

 もしも今暴れて暴君が僕を捨てたら、暴君からは解放されるけど、そのまま地上に落ちて死んでしまう。


 僕は暴君の掌の中で脱出の機会を伺った。


 暴君はさらに幾つかの山を越える。


「があぁっ!!」


 暴君が吠えた。

 そして僕の竜心は、暴君の困惑した気配を感じ取る。


 絶対優位のはずの暴君がなぜ困惑を、という疑問はすぐにわかった。

 暴君が目指す先の山岳。その中腹から幾筋もの黒煙が上がっていた。


『我の住処が! どうしたことだっ』


 暴君の困惑が深くなる。

 暴君が黒煙を上げる山岳の中腹に近づき、僕は見た。


 無惨にも黒焦げになった、飛竜の群の死骸を。

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