命の選択

 僕たちは危機をなんとか乗り切り、太陽が山脈の先に完全に沈むまで飛び続けた後に、鬱蒼うっそうとした森へと降りた。


 暴君は竜騎士の追撃を警戒して、随分と遠くまで飛んだみたい。

 だけど、途中から見る間に衰弱しているのがわかっていた。


 竜騎士に付けられた傷よりも、僕が斬り裂いた胸の傷が致命のようだ。


 暴君は森に着地すると、荒い息で体を横たえた。


 僕と子竜は暴君の手から抜け出す。

 すると子竜は空かさず暴君に歩み寄り、心配そうに身を寄せた。


 なんだかな、と僕は複雑な想いを抱く。


 あれだけ鶏竜の巣で残虐なことを繰り返した、怒りを覚えるだけの暴君なのに、目の前で徐々に弱っていき子竜に擦り寄られている姿を見てしまうと、助けたいと思う気持ちが出てきてしまう。


 僕は甘いのかな。


 暴君は名の通り、今まで散々に残虐の限りを尽くしてきたに違いない。

 どれだけの命が暴君によって奪われたのだろう。

 そう思うと、やっぱり暴君はこのまま息を引き取ったほうが良いと思うんだけど……子竜の悲しそうな鳴き声を聞くと、心が揺れる。


 暴君といえど、この子竜にとっては、今ではもうただ唯一の同族なんだよね。

 暴君が死ねば、子竜は独りになってしまう。


 それは自然の摂理。他者が軽い気持ちで介入して良いことじゃない。


 わかるんだけど……


『殺せ』


 思い悩む僕を、暴君は睨む。


『我の首を取り、竜殺しの名誉を手にするが良い』


 暴君の言葉をじっと黙って聞く僕。


『嫌だ、殺さないで。レヴァリアがいなくなると、リームは独りになっちゃう!』


 子竜が泣きついてきた。

 自身も翼を折り全身傷だらけなのに、暴君とこちらの間に入って、僕を止めようとする。


『子供とはいえ貴様は我の一族。独りになろうと弱さを見せるな』


 暴君は子竜を一喝する。


『さあ、殺れ。殺らねば我が貴様を殺してしまうぞ』


 言って暴君は威嚇を込めて口を大きく開き、鋭い牙の奥に紅蓮の炎を見せた。


 僕はただ黙って暴君を見つめ。


 そして意を決して右腰に手を伸ばした。


『嫌だ! レヴァリアを殺すというなら、リームが相手だ!』


 子竜は鎌首をもたげ揚げ、鋭い爪を僕に向ける。


「ごめんね」


 しかし僕は、霊樹の木刀のつたを使って子竜を押さえ込む。

 霊樹の木刀の蔦は傷ついた子竜に巻きつき、動きを容易く封じ込めた。


 僕はゆっくりと、警戒しながら暴君に近づく。

 殺せと言って油断させておいて、近づいたらがぶり、なんて洒落にもならないからね。


 暴君は近づいてくる僕を睨み据える。

 最期の抵抗なんだとわかる。


 僕は暴君の顔の横を通り過ぎ。


 長い首を通り過ぎた。


 そして、右腰に回していた手を動かす。


『!?』


 暴君の戸惑いが感じ取れた。


『貴様、何をする!』


 暴君は振り返り、僕を睨む。


 無視無視。


 暴君の戸惑いも子竜の悲鳴も、僕のあれやこれや考えてしまう思考も、全部無視!


 僕は右腰から取り出した小壺の中身を、暴君の胸の傷に塗り込んだ。


 スレイグスタ老謹製、鼻水万能薬。


 はたして、竜殺しの武器で負った傷にも効くのか。


 そんなのは、いま試せばいい。


 実験実験。


 僕はたっぷりと、傷口にスレイグスタ老の鼻水を塗り込んだ。


 いつも思うけど、傷口に鼻水を塗り込むとか汚いよね。


『何を、いったい!?』


 状況を理解できていない暴君が身悶えるけど、もう身体を自由に動かす力も残っていないみたい。

 暴君は僕を睨みつけるだけで何も出来ないでいた。


 僕は胸の傷口に鼻水を塗り終わると、今度は僕が白剣を突き刺したてのひら、次に竜騎士から受けた翼の傷に移動して、鼻水を塗っていく。

 大小四枚ある翼のうちの一枚は、竜騎士の投槍で傷ついているんだよね。これも竜殺し属性の武器らしくって、傷口が酷い。

 全身の細かな傷に塗るだけの量は流石に無いので、危険な傷だけに僕は鼻水を塗っていった。


 そして、最後に残った鼻水を、子竜の折れた翼に塗る。

 僕が鼻水を塗り込んだ傷は、目に見えて治っていった。


 子竜の翼は、塗った直後から。竜殺しの武器で傷ついた箇所も、ゆっくりとだけど傷口が塞がっていく。

 だけど限界があるみたいで、暴君の胸と翼の傷は塞がったけど、大きな傷跡は残った。


 謎の軟膏で治っていく傷に、暴君と子竜は驚いていた。


『何故、助ける』


 困惑しつつも僕を睨み据える暴君に、僕は渋面する。


「本当は助けたくないんだ。貴方のせいで多くの命が消えたんだよ」


 だけど、と自分に言い聞かせるように、僕は言葉を紡ぐ。


「でも、貴方を今僕がここで殺しても、消えた命は戻らない。それに、子竜が悲しむ」


 僕の言葉を鼻で笑う暴君。


「もしも子竜がこの先成長して、復讐から貴方みたいになってしまう可能性もあるよね」

『人族風情が、我ら竜族に口出しをするつもりか!』


 僕は暴君の言葉を黙殺する。


「竜族の社会がどうなのかなんて僕は知らないけど」


 と前置きをして。


「人は罪を犯したら罰を受けるんだよ。牢屋に入れられたり、過酷な強制労働をさせられたりね」


 睨みつつもじっと黙り、話を聞く暴君。


「だから、僕は貴方に罰を与えようと思う」


 僕は白剣を鞘から抜き、残り微かな竜気を送る。


「貴方はこれまでに殺してきた命の償いをしなきゃいけない。これまでに暴れ、奪ってきた多くの者たちへつぐないをしてもらう」


 白剣が暴君によく見えるように、四つの瞳の前にかざす。


「貴方はこれからは、竜族、竜人族、人族。その他多くの命のために生きてください」

『今更、我に善行をせよ、と命じるのか』


 憎々しげに僕を睨む暴君に、僕は澄まし顔で答えた。


「そうだよ。貴方はこれからずっと、竜峰とその周辺に住む者たちの為に生涯を捧げるんだ」

『我がそのようなはずかしめを受けると思うのか』


 暴君は、威嚇するように大きく口を開いた。


「そうだね。今まで散々暴れてきた貴方が善行だなんて、矜持心が許さないだろうね。でもだからこそ、やってもらうんだ。だからこそ償いになるんだ」


 僕は負けじと白剣を翳す。

 白剣は、竜殺し属性。暴君よりも僕の方が立場が上なのだ、という脅しで剣を見せつける。


『人族如きの命令など聞かぬ。今ここで貴様を殺せば問題ない』

「はいはい、身動きも出来ないのに虚勢を張っても、僕には効かないよ。それに、僕に何かあったら竜姫と竜の森の守護竜が黙っていないんだからね」


 ごめんなさい。ミストラルとスレイグスタ老の威厳を借ります。


 暴君は、竜姫という言葉に少し反応し、竜の森の守護竜に顔を引きつらせた。


「僕の師匠は竜の森の守護竜。お嫁さんは竜姫だからね!」


 虎の威を借る狐じゃない、竜の威厳を勝手に借りる人族だね。

 ミストラルと再会した時には、このことはちゃんと謝罪しよう。


『……今だけ聞く振りをして逃げたらどうするのだ』


 暴君らしい悪知恵だね。


「別に良いけど、その時は追い掛けて捕まえて恥ずかしい目に合わせるよ? 言っておくけど貴方より強く速い竜族の知り合いなら竜の森の守護竜以外にもいるからね」


 ニーミア、そのときは宜しくね。


 僕の自信満々の言葉が真実だと暴君は受け取ったらしい。

 見るからに嫌そうな顔つきになる。


『人族のめいに服するぐらいならば、自らこの命を絶とう』

「その時は、暴君は人族の少年に尻尾を巻いて恐れをなして自殺したって、後世に汚名を残すことになると思うよ?」

『ぐっ』


 僕は意地悪い笑みを浮かべる。


「ちなみに、ちゃんとこの場の証人もいるからね」


 と僕が言うと、すぐ横にアレスちゃんが現れた。


「あきらめたほうがいいよ?」


 にっこりと微笑むアレスちゃん。


 アレスちゃんとは一度鶏竜の巣で別れちゃったけど、彼女は絶えず霊樹と僕に憑いている。

 だから一度姿を消せば、僕がどこに居てもまた側に現れることが出来るんだよね。


『この恨み、いずれ必ず晴らしてみせる』


 暴君は吐き捨てるように言い、僕とアレスちゃんから視線を外した。

 でも、渋々だけど僕の言葉に従ってくれる気配に、僕はほっと胸を撫で下ろした。

 そして、一件落着したことをアレスちゃんと頷きあって確認し、子竜の呪縛を解く。

 子竜は身動きを封じていた蔦がなくなると、急いで暴君の下に駆け寄った。


 子竜は嬉しそうだね。でも、暴君は命拾いしたけど人族の命令に従わないといけない、という複雑な心境に、喉を鳴らして苦悶していた。


 竜騎士の追撃もなく、暴君もなんとかぎょせたんじゃないかな。


 僕はここにきて、どっと押し寄せてきた疲れに崩折くずおれた。

 地面にへたり込む僕。

 竜気も殆どないし、体力も気力も限界だよ。


「おいもたべる?」


 どうやら、鶏竜の巣から取り戻してきたらしい。アレスちゃんは芋を二つ持っていた。


「ありがとう」


 僕は小さい方の芋を受け取って、アレスちゃんには大きい方をあげる。

 アレスちゃんは嬉しそうに微笑み、僕の膝の上に座って芋を食べ出す。


 あああ、皮はこうね。僕は苦笑しつつアレスちゃんの芋の皮を剥く。

 そして自分の分も剥いて食べた。


 そういえば、背負っていた荷物は鶏竜の巣のところに置きっぱなしだよ。

 困ったね。


 僕は、もうここが竜峰のどこなのかなんて全然わからない。

 ミストラルの地図も役には立たない。

 どうしよう。


 思い悩む僕の頭を、アレスちゃんが撫でてくれた。


 アレスちゃん、芋を触った手で撫でると、僕の髪がべとべとになっちやうよ。


 僕は苦笑しつつ、今日のことを考える。


 僕の判断は正しかったのかな。

 今まで、仲間や家族を暴君によって殺されてきた多くの者たちは、僕を恨むだろうか。

 僕はこの先、暴君を生かしたことの責任からは逃れられないよね。

 暴君がまた暴れた時には、僕は責任を持って討伐しよう。


 だけど今は、僕は僕の考えで行った事が正しかったんだと自分に言い聞かせる。

 暴君の命の選択肢を決定したのは僕だ。だから僕だけは、自分の行いが正しかったと思っていないと、不満に思う者たちを説得できないよ。


 暴君がこれからどう竜峰の為に動くのかまでは、僕にはわからない。でも僕は暴君を信じ、自分の判断を信じよう。


「おうえんするよ」


 アレスちゃんが僕を見上げて微笑む。


「アレスちゃんは優しいね。ミストラルたちに何てことをしたんだって怒られたら、一緒に謝ってね?」

「うん、いいよ」


 冗談のつもりで言ったんだけど、アレスちゃんは真面目な顔になって頷いてくれた。


 暴君と子竜は憔悴しょうすいしきって、すでに眠りに落ちていた。


 傷ついた竜族を見て、僕は先程までの戦いを思い出して恐怖する。

 あの黒飛竜と竜騎士は何だったんだろう。

 竜族の巣を襲撃して二十以上の飛竜を虐殺し、僕からの手傷があったとはいえ暴君を追い詰めていた。


 暴君は、他の竜族が「襲われたら逃げるしかないと」言わせる程の存在だったのに。


 あれはもしかして、本当にヨルテニトス王国の飛竜騎士なのかな?

 ヨルテニトス王国以外で竜騎士の存在なんて聞いたことがないし……

 だけど、あの禍々まがまがしい竜気は人族のものではないような気がした。黒飛竜も、ただの飛竜じゃないような気がする。


 それでは、いったい何者なのか。

 僕の知らないことが、まだまだこの竜峰にはあるんだろうね。


 早くミストラルの村に着きたい。

 そして、今日の僕の判断と竜騎士のことを相談したいよ。


 だけど、僕はここがどこだか知らない。

 どうしよう、と悩む僕のことなんて知らないとばかりに月は昇り、星が瞬く。


 僕はアレスちゃんに警戒をお願いして、休むことにした。


 とにかく今は、僕たちには休息が必要だった。

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