もうすぐで

 ちゃぷん、ちゃぷん、と足先で弾かれたお湯が竜神の泉に小さな波紋を生む。

 僕たちは、仲良く紫水晶のような岩場に腰を下ろして、足湯を楽しんでいた。


 昼食を摂り、午後からも温泉に入ったり休憩したり。

 気づけばは傾き、空は紫紺色しこんいろに染まり始めていた。

 暖かい足先。幻想的な空。そして、神秘的な竜神の泉の風景。

 ここはもしや、伝説の桃源郷とうげんきょうですか!?


「竜神が水浴びをした場所にゃん」

「そ、そうだね……」


 プリシアちゃんは、こういう時に無限の体力を発揮する。

 僕たちは足湯で満足しているというのに、幼女たちは本日何度目かの入浴中。

 入浴というか、泳いでいます。


 夢心地の気分を容赦なく砕いたニーミアは、少し深い場所で犬かきをして泳いでいる。

 犬かき?

 猫かきというか、竜かきというか……


 子猫のような姿だからとても愛らしく見えるけど、これを本来の大きさで再現されると、きっと大迫力なんだろうね。


「んにゃん」


 プリシアちゃんも、ニーミアの近くで同じような泳ぎ方をしている。

 顔を必死にお湯の上に出して、手や足を可愛く動かしています。

 立っても足がつかないくらいの深さだというのに、怯えた様子は全くといっていいほどない。近くでアレスちゃんが見守ってくれているからかな。

 僕たちの代わりにプリシアちゃんの相手をしているアレスちゃんは、お湯に浸かりながら浮いていた。


 変な感じだ。

 空中と同じように、何事もないかのように水中で浮いてます。

 プリシアちゃんやニーミアのようにお湯をかくこともなく、胸元から上だけをお湯の上に出した状態で浮遊しているアレスちゃんが、なんだか妙な感じに見えた。


「プリシア、滝にだけは近づかないこと」

「わかったよ」


 ミストラルの注意に、両手を挙げて返事をするプリシアちゃん。その拍子ひょうしに、浮力を失ってぶくぶくと沈んでしまう。

 アレスちゃんが潜って救出すると、プリシアちゃんはきゃっきゃと楽しそうに笑っていた。


 本当に怖くないんだね。

 アレスちゃんを信頼しているからなのか、子供らしく恐怖に鈍感だからなのか。

 むしろ、今の浮き沈みが楽しいと感じたようで、今度は潜り始めた。

 僕は怖いもの知らずの幼女たちを、ちょっとどきどきしながら見守る。


「変態にゃん」

「こらっ、違うよ!」

「どきどきはプリシアとアレスのつるぺたにゃん」

「エルネア君?」

「誤解だ、ニーミアは僕をおとしめようとしているんだっ」


 小悪魔ニーミアめ、なんということを言うんですか。

 たしかに、プリシアちゃんもアレスちゃんも裸で楽しんでいるけど、僕はそういう目では見ていませんからね!


 僕はやっぱり、お胸様は控えめでもミストラルやルイセイネのように大人の女性の身体つきの方が好みだよ。

 まあ、ライラやユフィーリアやニーナのように、素晴らしい双丘も大好きですが。


「エルネア君がすけべなことを考えているわ」

「エルネア君がよこしまなことを考えているわ」

「うひっ、いつから二人は読心術が使えるようになったのかな!?」

「今夜は危険ですわ」

「あらあらまあまあ、エルネア君は婚前になにをなさろうとたくらんでいるのですか」

「なにも企んでいないよっ」

「今夜は、エルネアだけ外で野宿ね」

「うわぁん、ひどいよっ」


 のんびりなのか、わいわいなのか、どう表現したらいいのかはわからないけど、とにかく楽しいひと時を過ごす。


 今日は、竜神の泉でお泊まりです。

 せっかく遠いところまで来たのだから、思う存分満喫しよう、ということみたい。


 レヴァリアたちも、数日くらいは向こうでのんびりしたいだろうしね。


 だけど、僕だけ野宿ですと?

 みんなは、寝るときは小屋で休むらしい。

 どうか、僕もそのなかに入れてくださいませ……


 夕ご飯は、きっと疲れて面倒になるから、とお昼のうちに準備していた。

 それをちょこちょこと摘まみながら、西の山脈に沈む太陽を見送る。


 夕焼けの残り火が山脈の稜線りょうせんを燃やし尽くすと、紺よりも暗い黒が竜神の泉を優しく包む。

 すると、神秘的な風情を見せていた竜神の泉はより一層幻想的なものになった。


 精霊とは違う不思議な光の粒が、岩場や泉の底からきらきらと湧き出す。

 白や黄色、桃色や青色に優しく発光する光の粒は、ゆっくりと空に昇っていく。

 途中で消える光。どこまでも天高く昇っていく光。

 気づけば、星の瞬きなのか光の粒なのかわからないほど、僕たちの周りには輝きが溢れかえっていた。


「エルネア君、見てください。岩場が綺麗ですよ」

「泉も綺麗ですわ」


 ルイセイネとライラが感嘆のため息を漏らす。

 紫水晶のような岩は、光の粒の輝きをあわく反射していた。

 泉は底から湧いてくる光をゆらゆらと揺らし、魅惑的だ。


「まるで、宝石のなかにいるようだわ」

「まるで、宝箱のなかにいるようだわ」


 ユフィーリアとニーナがうっとりとした表情を浮かべている。

 珍しく、ミストラルも不思議な光景に見入っているようで、ぼうっと周りを眺めていた。


 僕はちょっとお口の開いた可愛い表情のミストラルの手を取り、竜神の泉に誘い込む。

 岩場の周りは、膝下くらいまでしか深さはない。

 ミストラルに続き、ルイセイネとライラも誘う。

 ユフィリーアとニーナの手を取って、みんなで竜神の泉に入った。


 僕に誘われたみんなは、無言のまま僕を中心にして輪になる。


「あのね、みんな」


 僕は、優しさときよさとはじじらいと思いやりと明るさとの中心で、少し恥ずかしくなって笑みを浮かべる。

 みんなは、そんな僕を愛情いっぱいの瞳で見つめてくれていた。


「今さらなんだけど。きっと、もっと早くに言葉にすべきだったんだろうけど。みんな、僕と結婚してくれて、本当にありがとう。僕は絶対に、みんなを幸せにするからね」


 みんなの顔をひとりひとりしっかりと見つめていき、僕は心からの言葉を口にした。

 飾り気なんてない、なんの変哲も無いありきたりな言葉だけど、これが僕の心の底からの気持ちだ。


「ふふふ、本当に今さらだわね」

「エルネア君、正確にはまだ結婚していませんよ」

「エルネア様、いつまでもおそばに」

「感謝しているのは、私たちの方だわ」

「幸せにするのは、私たちも同じだわ」


 急になにを言い出すのやら、とみんなは笑みを浮かべる。

 だけど面白おかしく笑うのではなく、全員が満足したような柔らかい微笑みだった。


 ミストラルたちは輪を小さくしていく。

 そして、僕を中心にみんなで抱き合った。


「これからは、よろしくね」

「これからも、よ」


 なぜだろう。

 ミストラルの優しい呟きに、僕たちの瞳から涙が溢れてくる。


 種族、身分、立場。全てが違う僕たちがこうして巡り会えて、ひとつの家族になることができた。


 きっとこれは、奇跡だ。


 ごく普通の、ありふれた家族の愛。

 だけどこれこそが、なによりも手に入れたかったものかもしれない。


 僕たちは全員で、愛の形の可能性を試されたのかもね。

 種族を超えて愛をはぐくむことができるのか。


 これまで、スレイグスタ老から数多くの試練を受けさせられてきたけど。

 僕たちは最初から、女神様の試練を受けていたのかもしれない。


『僕たちは合格することができたでしょうか』


 そっと心のなかで女神様に問いかけてみたら、空の星がまたたいたように見えた。


「んにゃんっ。竜族も愛してほしいにゃん」

「プリシアも抱きしめて欲しいよ?」

「あいしてあいして」

「うわっ。もちろん、みんなも大好きで愛してるよっ」

「あらあらまあまあ、エルネア君が早速浮気をしていますよ」

「エルネア、あまり困らせないでね?」

「ち、違うんだーっ」


 幼女たちは、僕たちが抱き合っている様子を見て飛びかかってきた。

 どうやら、仲間に入れて欲しいらしい。


 むむむ、そうだね。

 種族を越えて、ということなら、耳長族も竜族も精霊も加えなきゃね。


節操せっそうがなくなってきたにゃん」

「くううっ、心を読んじゃだめっ」


 ほっこりとした雰囲気はなくなって、結局のところ僕たちはいつも通り、きゃっきゃうふふと楽しんだ。






 深夜。

 僕はひとり、また竜神の泉の近くでたたずんでいた。


 いえいえ、本当に僕だけ野宿になったからじゃないですよ?

 見張りは不要だということで、程よい疲労感に身を任せて眠っていたんだけどね。なんだか目が覚めちゃった。


 夜中でも、神秘的な風景は続いていた。

 淡い光の粒は無限に湧き出し、天へと昇っていく。

 ルイセイネはこの光景に「女神様のもとへとされる魂を見ているようです」と表現していたけど。


「竜神の泉なら、竜神のもとに、だと思うわ」

「竜族や竜人族は女神様を信仰していないわ」


 という容赦のない双子王女様の突っ込みに、肩をすぼめていたっけ。


 でも、僕はどちらでも良いと思うんだよね。

 女神様であっても、竜神様であっても。

 どちらにせよ、光の粒は夜空に昇って、満天の星空になるんだ。


 ふわりふわりと浮き上がる光に手を差し伸べる。

 不思議なことに、光は障害物である掌を難なく通り抜けて上がっていく。

 熱は持っていないはずなのに、光に触れるとほんわかと暖かくなる。これは、肌で感じる温もりじゃなくて、心の温もりなんじゃないかな。なんて思いながら、幻想的な世界に浸っていた。


 かたり、と背後で物音がした。

 小屋で寝ているみんなを起こさないようにと気を使う気配。

 振り返らなくても誰だかわかる。


 静かに外へと出てきた人物は、ごく自然に僕の傍へとやってきた。


「ミストラルも起きちゃった?」

「ふふふ、そうね。なんだか目が覚めてしまったわ。本当は、プリシアの相手をして疲れているはずなのだけれど」

「プリシアちゃんは元気だねぇ」

「誰に似たのかしら?」

「そこでなぜ、僕を見るのかな!? あれだよ。プリシアちゃんには自由奔放なお姉ちゃんがいるらしいし、その影響だよ」

「どうかしらねぇ」

「ぐうう……」


 プリシアちゃんのお母さんは、とてもしっかりした女性だ。油断すると、僕たちなんかも怒られちゃうくらい。だから、お母さんの影響ではないと思うんだけど。

 というか、それならお母さんの影響で真面目な子に育ちそうなものなんだけど。

 やはり、普段から多く接している人の影響なのか……。そして、プリシアちゃんのそばにいる人物といえば。


「やっぱり、僕のせい?」


 しょんぼりとしたら、ミストラルが頭をよしよし、と撫でてくれた。

 相変わらずミストラルは僕を年下扱いする。

 まあ、本当に年下なんだけど。

 でも、こうして頭を撫でられるのは大好きだね。

 ミストラルの優しさが手から伝わってくる。


 僕はお返しに、ミストラルの腰に手を回して引き寄せた。

 ミストラルは抵抗することなく、僕の横にぴたりとくっつく。


「ねえ、ミストラル」

「ん?」

「綺麗だね」

「ふふふ、そうね」


 ミストラルは、周りで瞬く光の粒をうっとりと見つめていた。

 僕は「ミストラルがだよ」と心で呟いた。


 肌を寄せ合い、無言で不思議な景色に見入る僕とミストラル。

 場を待たせるような余計な会話なんて必要ない。ただこうして触れ合っているだけで、幸せに包まれる。

 きっと、ミストラルもそうじゃないかな。と思えるくらい、僕はミストラルのことを誰よりも知っている。

 ザンよりも、ミストラルの両親よりも、僕はミストラルを心から愛している。躊躇ためらうことなく、微塵みじんの迷いもなくそう思えるくらい、僕は成長した。

 もう、軟弱だとか言わせないよ。

 僕は立派な男として、ミストラルの隣に立っている。


 もう少し強めにミストラルを引き寄せると、彼女は僕に体重を預けてきた。

 僕よりも身長の高いミストラル。こくん、と頭を僕の肩に乗せる。そして、上目遣いで僕を見ていた。

 僕はミストラルの瞳を見つめ、顔を近づける。

 ミストラルは長い睫毛まつげを揺らして、瞳を閉じた。

 ゆっくりと、唇が近づく。


「禁止ですわーっ!」

「それ以上は禁止ですよーっ!」

「また、ミストラルが抜け駆けしているわっ」

「また、ミストラルだけが美味しい思いをしようとしているわっ」


 だけど、僕とミストラルの唇は触れ合えなかった。

 背後から襲撃してきた乙女たちにもみくちゃにされて、引き剥がされる。

 そして、あわわと騒いでいるうちに足を滑らせて、全員で竜神の泉に落ちた。

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