月下の憩い

 光る大樹に実った桃のような果実を、大切そうに両手に持って眠る女の子。

 プリシアちゃんとモモちゃんは、女の子の寝顔に満足したのか、二人で小躍りする。

 なるほど。モモちゃんもそちら側ですか。


 ところで、疑問なんだけど。

 光る大樹は、妖魔の王の残滓ざんしを浄化し終えたら、消えるだろうね。

 では、女の子に贈った果実も、その時に消えちゃうのかな?

 そもそもさ。僕の術は、物質創造ではない。だから、アステルのように本物の食べ物ではない。だから、食べることはできないんだよね。


 ……できないよね?

 あれ?


 気のせいかな。

 女の子が両手に握る果実が、本物のように見えたぞ?


 あれれ?

 自分で、自分の術が分からなくなってきたぞ?

 僕の術は本物の物質ではないのに、果実は本物?


「おおう……」


 混乱し始めた頭を抱える僕。


「んんっと、お腹が空いたの? あのね、プリシアとモモちゃんはお腹が空いたよ?」

「頭を抱え込んでいるのに、なんでお腹が空いたと思っちゃったのかな!? でもまあ、僕もお腹が空いちゃったよ」


 きっと、空腹だから頭が回らないんだ。だから、答えが出せないだけだよね。それなら、お腹いっぱいご馳走を食べて、頭に栄養を与えよう!


「それじゃあ、ご飯を食べに行こうか」

「いこうっ」

「オ、腹……スイ、タ」


 プリシアちゃんとモモちゃんと手を繋いで、僕たちは塔を後にする。


「そうだ、後で仙の人たちにもご馳走を持っていってあげようね」

「んんっと、交代で休憩するって言っていたよ?」

「そうか、仙の人たちもお腹が空いたんだね。そういえば、食いしん坊のニーミアはどこに行ったのかな?」


 いつもなら、プリシアちゃんの頭の上で寛いでいるはずのニーミアの姿が、今はどこを見渡しても見えません。


「グググッ。ミカン、ト……ゴ、飯……食、べ」

「あのね、アシェルお母さんのところに行ったんだよ」

「行ったというか、拉致らちされたというか……」


 ミカンとは、モモちゃんの大親友である大鷲おおわしのことだね。

 ニーミアは、ミカンと一緒にアシェルさんのところでご飯を食べているみたいだ。きっと、ウルスさんも側にいるに違いない。

 親子団欒おやこだんらんを邪魔しちゃ悪いし、近づかないようにしておこう!


「くくくっ。親馬鹿の小僧が怖いのだな?」

「おじいちゃん、違いますよ。面倒なだけです!」

「かかかっ、言うではないか」


 塔を出ると、スレイグスタ老が寛いでいた。

 相変わらずの存在感だね。ただし、首もとには見慣れた歯形があった。

 あれは、スレイグスタ老の悪戯に対する、アシェルさんのお仕置きの跡だろうね。


「おじいちゃんも、いっぱい食べてくださいね?」

「コーネリアが世話を焼いてくれておる。汝らは我らを気にすることなく、祝いの場を楽しむことだ」


 スレイグスタ老以外にも、宴会場の周囲には古代種の竜族たちが集結していた。

 もちろん、竜峰やヨルテニトス王国の竜族たちも集まってきているんだけど、古代種の竜族の前では存在感が薄れちゃうね。

 ただし、レヴァリアは除きます。


 さすがは、レヴァリア。

 古代種の竜族でもないのに、他を圧倒する気配を放っている。


「……というか、みんなが怖がって近づけていない!?」


 やれやれ、と苦笑する僕。

 レヴァリアも宴会場の近くにいるんだけど、竜だけでなく、人や獣も近づけさせないような気配を放っています。

 レヴァリアの周りには、子竜のリームとフィオリーナ、それに甲斐甲斐しくお世話をしているライラの姿くらいしかなかった。


「でも、あれじゃあ、レヴァリアは良くてもリームとフィオが可哀想だね。プリシアちゃん、モモちゃん?」

「んんっと、わかったよ!」

「任、セ……テ」


 僕の手を離れて、プリシアちゃんとモモちゃんが駆けていく。もちろん、向かう先はレヴァリアだ。


「レヴァちゃーん!」

「ゴ、ハーンッ!」

『ええい、うるさい小娘どもめっ』


 どんなに怖い気配を放っていても、無邪気な幼女や無垢な女性に絡まれたら、威厳も台無しです。

 レヴァリアは、刺客を送り込んだ僕を遠くから睨む。

 僕は、慌てて会場の奥へと逃げた。


「でもまあ、あれで他の竜たちもレヴァリアに近づきやすくなっただろうね」

「ふふふ、後でどうなっても知らないわよ?」


 次に声をかけてきたのは、ミストラルだった。


「やあ、ミストラル。お料理の準備をありがとうね」


 アステルは沢山の食材や料理を出してくれたけど。ミストラルや他の人たちも頑張って料理してくれたからこそ、いろんな種族や国の料理が宴会場に並んでいるんだよね。

 そしてもちろん、料理をしてくれた人たちの中には、ミストラルや僕の妻たちも含まれていた。


「それで、どうしたのかな? もしかして、抜け駆け?」


 こういう場面で、誰よりも上手く抜け駆けを成功させるのは、実はミストラルだったりする。

 抜け駆け常習犯、及び、確定の未遂犯であるライラも、もうちょっと上手く作戦を練ると良いんだろうけどね。

 何はともあれ、ミストラルも裏方の準備が終わって、ようやく宴会場に出られたみたいだね。

 僕と並んで、レヴァリアの周りできゃっきゃと騒ぐちびっ子と熊を見つめるミストラル。だけど、抜け駆けの誘いではなかったみたい。


「ふふふ、このまま貴方を連れて、大樹の枝の上でのんびりと過ごしたいのだけれど」

「あっ、それは名案だね!」

「でもね、残念。わたしは、貴方へのお誘いを伝えにきたのよ。耳長族の人たちが貴方の術に感動して、色々と話を聞きたいと言っていたわ」

「わわっ、耳長族か」


 竜の森に住む耳長族であれば、守護竜であるスレイグスタ老が大切に護る霊樹の存在を伝え聞いているはずだ。それに、ヨルテニトス王国東部の大森林から来てくれた耳長族にとっても、自然を象徴するような光る大樹と、精霊の力さえも取り込んだ僕の術に、興味が湧くはずだよね。


「向こうで、部族の垣根を越えて交流しているから、貴方も顔を出してくれないかしら?」

「うん、もちろんだよ!」


 主催者として、協力してくれた者たちへの労いをおろそかにするわけにはいきません。

 望まれるのであれば、僕はどこにでも顔を出しましょう!


 よし、次は耳長族の人たちに会いにいこう。そう思った僕に、新たな要望が舞い込んできた。それも、同時に複数件!


「はわわっ。エルネア様、レヴァリア様から苦情ですわ。早くプリシアちゃんたちを連れて行けと。それと、竜族の方々がエルネア様を称えたいと仰っていますわ」

「エルネア君、獣人族の人たちが貴方を囲んでお酒が飲みたいそうですよ?」

「向こうで、アームアード王国の騎士たちが祝勝会を開いているわ。ルドリアード兄様が、エルネア君に顔を出してほしいと言っていたわ」

「あっちで、ヨルテニトス王国の騎士たちが祝勝会を開いているわ。グレイヴ王子が、エルネア君に顔を出してほしいと言っていたわ」

「エルネア君、精霊や魔獣たちとも遊んであげてね?」

「レティ様やスー様が、エルネア君を大変にお褒めになっていましたよ。後で、聖職者の輪にも加わってくださいね?」


 ルイセイネ、ライラ、ユフィーリア、ニーナ、セフィーナさん、マドリーヌ様。みんなが、次から次に僕への依頼を届ける。


「わっ、わわっ、どこから行けば良いのかな!?」


 あっちに行こうと服を引っ張られ、向こうに行きましょうと腕を掴まれる。抜け駆けしたいと腰に腕を回されて、抜け駆けはまだ禁止です、と抱きつかれる。


「やれやれ。どうやら、戦いが終わっても僕たちの戦いは続くようだね」


 僕は、みんなに呼ばれていることが嬉しくて、大変な状況なのに笑顔が絶えなかった。






 大宴会は、いつまでも続く。

 夕方に始まって、日が暮れて。とっぷりと夜が更けても、騒ぎは一向に収まる様子がない。きっと、朝が来てお昼が過ぎても、大宴会は続いているだろうね。

 酔った者も、寝て目覚めたらまだ宴会が続いているものだから、またお酒を飲んで酔っぱらう。

 踊り、歌う者たちも、疲れたと休んでは、また歌い踊る。

 共に肩を並べて戦った者同士、種族の垣根を越えて語り合い、笑い合う。


 僕たちは、精霊たちが灯す明かりに浮かび上がる大宴会の様子を、ずっと高い位置から見下ろしていた。


「んにゃん。やっとお父さんに解放されたにゃん」

「ウルスさん、最後はアシェルさんに脅されていたよね」


 アシェルさんとウルスさんの夫婦喧嘩を思い出して、笑う僕たち。

 その僕たちは、光る大樹の太い枝の上にいた。

 もちろん、ここまではニーミアが連れてきてくれました。


「んんっと、モモちゃんはこんなに賑やかで楽しいのは初めてなんだって!」

「グググッ、凄、イ。美味、シ……イ」

「ほら、モモちゃん。お口が汚れていますよ」

「ア……リ、ガト、ウ」


 ルイセイネにお口を拭いてもらったモモちゃんだけど、またもも肉にかぶりついたので、お口周りが汚れてしまう。

 それを見て、僕たちはまた笑う。


「ちょっと、休憩だね」


 あっちに呼ばれ、こっちに拉致され。僕たち家族は、大宴会で大忙しだった。だから、少しお休みです。

 モモちゃんとミカンを含めて、ひと時の家族団欒。

 光る大樹の枝の上で、のんびりと寛ぐ僕たち。


「エルネア。貴方、随分と西の地方に興味を示していたわね?」


 巫女様たちに呼ばれて話をしていたら、どんどんと西の地方に興味が湧いてきちゃった。

 神殿都市を中心とした、人族の文化圏。星の聖四家や、神聖王国、それに、東西南北の偉人たち。


「そういえば、東西南北のうち、僕たちは西の聖女以外と面識を持っていることになるんだよね!」


 今も僕たちと一緒に光る大樹の枝に腰を下ろし、お肉を頬張っているモモちゃん。彼女こそが、東の魔術師と云われる偉大な女性だ。

 南の賢者のひとりであるアリシアちゃんも、枝の上でプリシアちゃんを膝に乗せて、のんびりと眼下を眺めている。

 そして、北の魔女といえば、アーダさんのお師匠様だね。


「アーダさん……。偽名ってことはわかっているんだけどさ。星の聖四家のルアーダ家と、とっても似た苗字だよね?」


 ちらり、とアリシアちゃんを確認する僕たち。

 アリシアちゃんは、アーダさんのことを僕たちよりもよく知っているらしい。だから、表情を伺ったんだけど。


「アリシアは、なにも言いませーん。アーダちゃんにはアーダちゃんの事情があるんだから、アリシアが他言するわけにはいかないでしょ?」

「ぐうの音も出ない、正論だね。でもまさか、あのアリシアちゃんの口から、そんな正論が出るだなんて!?」

「んんっとぉ、アリシアも一応は賢者なんですよっ」

「あのね、お姉ちゃんが真面目なことを言うと、精霊さんたちが石につまずいて転けちゃうんだって。お母さんが言ってた」

「それくらい、珍しいことって意味なんだね!」


 僕たちだけじゃなくて、周りに集まっていた精霊たちも笑う。

 アリシアちゃんは肩をすくめて、苦笑していた。


「でも、エルネア。ちゃんと巨人の魔王の言いつけは守ってね?」

「そうだね、ミストラル。モモちゃんの負担を減らす上でも、僕は我慢しなきゃ」


 それは、僕が西の地域に興味を示して色々とお話を聞いた後のこと。

 巨人の魔王が、わざわざ酒宴の席を離れて、僕に釘を刺してきた。


「其方の興味を阻むことにはなるが。数年は、大人しくしていろ。妖精魔王に、西へ手を伸ばすなと約束を交わしたのは、其方であろう。ならばその手前、其方が気安く西に向かうべきではない」

「クシャリラに、西に侵略の手を伸ばすなと言っておきながら、僕がなにも考えずに天上山脈を超えちゃうと、魔族を刺激しちゃうってことですね?」

「東の魔術師のためにも、妖精魔王には野望を控えてもらっていた方が良かろう?」

「そうですね」


 というやりとりが、巨人の魔王と僕の間にあった。


「ルイセイネやマドリーヌ様のためにも、西に連れて行ってあげたい気持ちはあるんだけど。数年は、我慢しようね!」


 なぜ、数年かというと。

 僕も巨人の魔王も、いずれはクシャリラが約束を破って動き出す、と確信を持っているからだった。


 それに、僕たちには時間がいっぱいある。

 だから、生き急ぐことはない。

 まあ、マドリーヌ様とセフィーナさんは、まだ不老ではないんだけど。でも、それを考えると、マドリーヌ様とセフィーナさんを、どう迎え入れるかという問題の方が、西に想いを向けるよりも断然に先だ。


「神族の国にも今は近づかない方が良いと、アレクスが言っていたわ」

「今の帝国には関わらない方が良いと、ウェンダーが言っていたわ」

「そうそう。南の方も物騒になってきているんだよね」


 神族の帝国が、なにやら不穏な動きをしている。それに関わることなのか、ウェンダーさんとジュエルさんは僕たちと違って、今後は西に向かうらしい。


「流石はエルネア君ね。巨人の魔王と妖精魔王を相手に、神族と天族が魔族の国を通ることを認めた通行証を取るなんて」

「セフィーナさん、その後にエルネア君は、賢老魔王けんろうまおうと呼ばれる魔王の国の通行許可も、お約束いただいていましたよ? 正確には、巨人の魔王様が口添えしてくださる、ということでしたけれど」


 今回の激戦に見合う報酬を、僕はみんなに準備しなきゃ行けない。

 なかでも、神族のウェンダーさんと天族のジュエルさんには、西へ向かうための魔族の国の通行許可を準備しなきゃいけなかった。

 だけど、それは意外と簡単に入手できちゃった。


「二人が竜峰を越えるまでには、通行証を準備してくれるって言っていたね。でも……」


 そこは、魔族と神族。やはり、敵対する種族同士だ。

 巨人の魔王もクシャリラも、国内の通行許可は与えるけど、実際に自分の身を守るのは自分自身になる、と忠告していた。

 つまり、国が出す正式な通行許可証があったとしても、魔族と問題を起こした場合の身の安全までは保証しない、と宣言したようなものだ。


「まあ、あの二人なら問題ないでしょうけれど」

「元武神と、不敗の神将だからね!」


 ウェンダーさんとジュエルさんは、竜人族の案内で竜峰を越える手はずになっている。そして、通行証を持って魔族の国を横断し、天上山脈へ到達するはずだ。

 天上山脈では、きっとモモちゃんが力添えをしてくれるに違いない。そして、二人は僕たちのまだ見ぬ西の地域へと至るだろう。


「いったい、どんな場所なんだろうね」


 行くなと言われていても、想像するくらいは良いよね。

 西の地を思い浮かべるだけで、わくわくが止まらない。

 いつか、僕たちも絶対に行きたいね!

 でも、その前に。

 僕たちは、まだまだ忙しい。


 大宴会は、あと数日は続くだろうから、僕たちは接待を続けなきゃいけない。

 他にも、大宴会の開催中に、みんなへの報酬を準備しなきゃいけないでしょ。

 もちろん、惜しみなく協力してくれた妻たちも労いたい。


 そして、と僕は右腰で気持ち良くつばの先の葉を揺らす、霊樹の木刀に触れた。


「楽しかった?」

『うんっ。いっぱい思い出ができたよ!』


 霊樹ちゃんの喜びが、僕の心に直接流れてくる。


「禁領に戻ったら、いよいよだね」

「たのしみたのしみ」


 アレスちゃんが、霊樹ちゃんに優しく頬を当てて微笑んでいた。

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