そして海底へ

 金色に染まり輝く海面。海の中も、陽光とは違う眩い輝きに満たされていた。

 だけど、それも浅い場所だけ。

 僕たちを海中へと引き摺り込む金色の鞭に身を任せて海の底へと沈んでいく。

 金色の鞭に絡め取られた僕たちは、不思議と息ができていた。


 僕はゆっくりと呼吸しながら、移りゆく海の景色と周囲の気配に気を配る。

 海深が増すにつれて、徐々に周囲が暗くなっていく。

 泳ぎ回っていた海の生物たちも次第に姿を消していき、不気味な闇が広がり始めた。

 それでも、僕たちを海中へ引き摺り込んだ金色の鞭は動きを止めない。

 深い海底へと、僕たちを連れていく。


 いったい、何処まで行くんだろうね?

 というか、この金色の鞭や海面を金色に染めていたのは、やっぱりシャルロットの魔力だったんだね?


 僕は、最初に違和感を覚えていた。

 北の海は、確かに計り知れない魔力によって満たされていた。

 だけど、北の海の支配者とおぼしき魔力とは別に、もうひとつ何度も感じたことのあるような魔力の気配を感じていたんだよね?

 でも、最初はの正体について確信を持てていなかった。

 僕は、セフィーナほど完璧には相手の気配を読むことができないからね。


 それでも、二度目に北の海の空域へ侵入した時に知ることができた。

 というか、シャルロットはわざとらしく存在を示してくれていたんだ。

 大海原を金色に染めて。

 金色に輝く計り知れない魔力といえば、シャルロット。

 そしてシャルロットだから、北の海に侵入しいなかった飛竜にも容赦なく攻撃を仕掛けた。

 きっと、北の海の支配者であれば、たとえ自分の力を利用する者たちであっても領分をたがえずに、北の海に入った者たちだけを襲っていたはずだ。


 竜の森の守護者であるスレイグスタ老がそうであるように、力を持ちつ者ほど自分の役目を見失わない。

 北の海の支配者は、北の海をべる。だから、近隣でどれだけ騒ぐ者がいたとしても、自分の領域に入らなければ手を出さない。

 近くが気になるからと際限なく手を出し続けていたら、何処まで気にすれば良いのか区別ができなくなるからね。そうした区切りをしっかりとつけているからこそ、自分の領域をしっかり護れるのだし、外の者たちも分別をわきまえることができる。


 だから、陸地の上空を飛ぶ飛竜たちを金色の鞭が襲った時点で、僕は確信できていた。

 北の海にシャルロットの気配があることを。


 でも、なんで北の海にシャルロットがいるんだうろね?

 北の海の支配者がシャルロットでした、という落ちではない。

 それは確信している。

 なにせ、僕が感じた気配はシャルロットともうひとつで、そちらの方が北の海を支配しているように感じていたからね。

 シャルロットの魔力の気配は、この空間ではおまけだ。


 いま思えば、最初に北の海の支配者から見逃してもらえたのだって、僕がルイララの友達だったからではないのかもしれない。

 シャルロットが干渉してくれていたから、見逃してもらえたんじゃないかな?

 そして、それを僕に気づかせようと、シャルロットは最初から魔力を放っていた?


「でも、なんでさ? なんで僕たちが北の海に来ることを知っていたのかな?」


 と呟いてみたけど、シャルロットからの返信はなかった。

 僕と戦巫女さまは、金色の鞭に絡め取られたまま、海底に向かって沈んでいく。

 周囲の景色は、既に真っ暗。

 時折、遠くで何かが泳ぐ気配と小さな輝きが見えるだけ。


「ねえねえ、シャロット。僕たちをいったいどこへ連れていくの?」


 僕たちに絡みついた金色の鞭は、触っても実触はない。それでも何故か全身に絡みついているという気配はあって、しかもこれは自力では振り解けないぞ、という確信を伝えてくる。

 まあ、飛竜さえも潰しちゃうような鞭を、僕が解けるわけがないよね?

 それに、解いた瞬間に息ができなくなって死んじゃいそうだから、抵抗なんてしません!

 僕は、そう思います。


「おもうおもう」


 僕が戦巫女さまを抱き寄せているので、アレスちゃんはそれを避けて僕に抱きついていた。

 でも、そう考えるのは僕とアレスちゃんだけであり、現状を理解できていない人には通用しない。


 僕が声を出したせいか、腕に抱いていた戦巫女さまが意識を取り戻す。

 睫毛まつげを震わせて瞳を開き、きょろきょろと辺りを見渡す戦巫女さま。


 僕たちと同じか、少し年上くらいの年齢だろうか。

 僅かに幼さの残る容姿だね。

 戦巫女さまは、大きな瞳で周囲を見渡す。

 だけど、ここは深い海。どれだけ見渡しても、僕や戦巫女さまに絡みついた金色の鞭の先は暗闇に閉ざされている。

 その状況に、戦巫女さまが悲鳴をあげて暴れ始めた!


「きゃっあっ! 助けて!! お母さん!」


 叫び、全身に巻き付いた金色の鞭を引き離そうとする。だけど、金色の鞭は物質ではない。しかも、たとえ実体があったとしても、飛竜を潰すような膂力りょりょくに人があらがえるわけがない。

 深い海の底で恐慌状態に陥り、悲鳴をあげて暴れる戦巫女さま。


「お、落ち着いてくださいっ。大丈夫ですよ、この身体に絡みついている光が僕たちを助けてくれたんですから」


 腕の中で暴れられていたら、僕だって大変です!

 戦巫女さまを安心させるように、強く抱きしめる。

 それで、戦巫女さまはようやく僕の存在に気づいてくれたのか、大きな瞳を周囲から僕の顔に向けてくれた。


「きゃあぁぁっっ!!」


 そして、また悲鳴をあげる戦巫女さま。

 なんでさ!?


 混乱しているときって、全てが恐く見えるものなのかもね?

 それでも、まずは落ち着いてほしい!


 そうしないと……!


 ぞわぞわっと、金色の鞭から不愉快そうな気配が伝わってきた。


「ほらね! シャルロットは無制限に優しいわけじゃないんだよ? 戦巫女さま、落ち着いてください。そうしないと海の底に放り出されちゃいますよ!?」


 よしよし、と子供をあやすように、僕は戦巫女さまを力強く抱きながらも優しくあやす。

 すると、最初は恐慌状態で暴れるだけだった戦巫女さまも次第に落ち着きを取り戻し始めて、乱れた息を僕の腕の中で整え始めた。


「落ち着きました? 大丈夫ですか?」


 戦巫女さまの様子を慎重に伺う僕。

 大きな瞳は未だにおびえた色を讃えているけど、そこには理性も垣間見えるようになってきたね?

 というか、この女性は誰かに似ているような……?


「あ、ありがとうございます……」


 戦巫女さまも、落ち着いてきてようやく状況が呑み込め始めたみたいだ。


「私はイラから弾き出されて……。そ、空を!」

「はい。それを僕が捕まえて、この金色の鞭の魔法を放っていた人に助けを求めたんですよ?」

「でも、この鞭は!」

「そうですね、飛竜やみなさんを襲っていましたね。でも、安心してください。今は大丈夫ですから」


 シャルロットのことは、もう少し落ち着いてから説明しよう。それよりも前に、戦巫女さまにもっと現状を正しく理解してもらわなきゃいけない。


「落ち着いて聞いてくださいね? 僕たちは今、何処かに連れていかれている最中なんです」

「で、でも、助けてくれたのでは?」

「そうですね。ですが、本来のこの海の支配者は、この鞭の魔法の相手ではないんです。ここは北の海で、そこの支配者は海に侵入した者を何者であっても許さないんです。だから、僕たちは鞭を操る者に助けられたけど、北の海の支配者からはまだ逃れられていないんですよ?」

「ま、魔法!? それじゃあ……!」


 腕から伝わる戦巫女さまの気配が固くなる。

 僕は慌てて釈明を入れた。


「あっ。自己紹介が遅れていましたね。僕は人族ですよ! 八大竜王エルネア・イースと言います」


 にこり、と戦巫女さまに微笑みかける僕。

 戦巫女さまは、僕の腕の中で硬直したまま、こちらを見上げていた。


「八大竜王? 人族なのですか?」


 おや?


 僕は、アリスさんとの違いを感じ取る。

 アリスさんは、僕が名乗る前から僕のことを知っていた。僕を人族だと知っていたし、八大竜王がどんな称号で、僕がどういう立場なのかを理解していた。

 だけど、この戦巫女さまからはそういう気配がまるで伝わってこない。

 竜王という称号どころか、僕のことさえ知らない様子だ。


 そういえば、イヴが言っていたね。

 アリスさんは「巫女騎士」として特別であり、追っ手であるこの戦巫女さまたちは、聖域の外のことを知らないのだと。

 アリスさんは、聖域の守護者として様々な知識や経験を積み重ねてきたんだ。逆に、普通の戦巫女であるこの女性は、あまり多くのことは知らない。

 きっと、竜神さまから話を聞いたのはアリスさんだけで、戦巫女さまたちは何も聞かされていないんだろうね。


 なるほど。特別な立場のアリスさんと、それ以外の者たちか。と、困惑の瞳を向ける戦巫女さまを見返しながら納得する僕。


「あっ。すみません。挨拶が遅れて……。助けていただいたのに……」


 戦巫女さまは僕に見つめ返されて、さっと視線を逸らした。

 周囲の暗闇や金色に光る鞭に視線を泳がせながら、それでも神職に身を置く者として正しくお礼を言う。

 そして、名前を教えてくれた。


「私は、ミシェル・バラードです。本当に、助けていただいてありがとうございます」

「えっ!」


 そこで、僕は驚く。


「バラード姓? ということは……! もしかして、アリスさんのご親戚か姉妹ですか!?」


 アリス・バラード。今回、僕を騒動に巻き込んだ巫女騎士さまの苗字みょうじと、ミシェルさんの苗字が同じだということに驚く僕。

 ミシェルさんの方も、僕の口からアリスさんの名前が出たことに驚いた様子で、改めて僕の顔を見つめ返してきた。


「アリス様を……お母さんを知っているのですか!? あっ! 貴方は!!」

「アリスさんが、お母さん!? それじゃあ、貴女は!」


 僕とミシェルさんの驚きの声が、海の底で重なる。


 なんということでしょう!

 時に母のような包容力で僕を包み込んでくれていたアリスさんが、ほんとうに娘のいる母親だったなんて!

 でも、ちょっと待って。

 二十代半ばから三十歳手前くらいに見えたアリスさんの娘が、僕たちと同じ十代半ばから後半の年齢!?

 いったい、アリスさんは何歳でミシェルさんを産んだんですか!?


 母であるアリスさんと娘であるミシェルさんの年齢の近さに驚いて、大きく仰け反ってしまう僕。

 でも、そういう母娘もいるのかもしれない。

 僕の故郷であるアームアード王国だって、十五歳の旅立ちの年が過ぎれば立派な大人と認められて、そこで結婚する人は多くいるんだ。

 キジルムなんて、十五歳の旅立ちの終わりには既に子供が生まれる予定が立っていたしね。

 そう考えると、アリスさんとミシェルさんの関係も非現実的な年齢差ではないのかな、と思えてしまう。


 では、ミシェルさんは母であるアリスさんの暴挙を止めるために、必死に追いかけてきたというわけかな?

 そういえば、と思い出す。

 黒い天馬に乗って、先頭で必死に叫びかけていたのは、ミシェルさんだった。


 ミシェルさんは、母親であるアリスさんを止めたいんだね。

 母親が間違いを犯す姿なんて、娘は絶対に見たくないだろうからね。

 ミシェルさんの心境を理解する僕。


 だけど、僕の思考とミシェルさんの思考には大きな食い違いが生まれていた。

 そして、それがミシェルさんの驚きに含まれていたのだと、直後に思い知る。


「あ、貴方は、アリス様と一緒にイヴに騎乗していた人ですね!」


 ミシェルさんはここでようやく、僕の姿を上空で見ていたのだと思い出したようだ。

 その途端、ミシェルさんの表情が険しくなった。


「どうして!」


 暗い海底で、ミシェルさんが叫んだ。


「どうして、アリス様の手助けをしているんですか! どうして、お母さんを殺そうとするんですか!!」

「えっ……!?」


 ミシェルさんの悲痛な叫びに、僕は思わず絶句してしまった。

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