深海の化け物

 僕がアリスさんを殺す!?

 いやいやいや、ミシェルさんは何を言っているのかな!

 意味がわからずに混乱する僕。その僕に、容赦ようしゃなくミシェルさんが詰め寄ってくる。


「アリス様は……お母さんは、お父さんを亡くして絶望しているのに! 悲しんでいるお母さんを、貴方は無慈悲に殺すんですか?」


 いま、ミシェルさんは何と言った?

 お父さん、つまり、アリスさんは夫を亡くした?

 それはつまり、死んでしまったということだよね?


 アリスさんは言った。

 邪族の襲撃の際に、ひとりの巫女さまが裏切った。最愛の夫を救うために邪族と取り引きをしてしまった。

 だけど、これまでの功績などから、巫女さまの罪はみんなから許された。

 ただひとり。アリスさんを除いて。

 アリスさんだけは、巫女さまの罪を許さなかった。

 大罪は、死をもってつぐなうべきだと。

 それで、アリスさんは巫女さまを殺すために、僕のもとを訪れた。

 巫女さまは、北の海を越えた先、夫であった神官さまの生まれ故郷である小島に向かったはずだとして。


 でも……


 がくがくと、僕の襟首えりくびをきつく握って強く揺さぶってくるミシェルさん。


「何で! なんで貴方はお母さんを殺すの!? 私からお母さんを奪わないで!! じゃないと私は……私は……」


 ミシェルさんの大きな瞳からは、なく涙が零れ落ちる。

 僕を責めるように激しく揺さぶって、訴えかけてくる。

 だけど、僕にはアリスさんを殺すと誓った覚えはない。


 でも……!


 もしも、アリスさんが殺してほしいと言った巫女さまが、アリスさん自身だったとしたら。


 神職に身を置く者は、自分の命を粗末に扱うことはできない。

 創造の女神様より授かった命を自らの手で終わらせるなんて、不信奉なことはできないんだ。

 そしてそれは、巫女騎士という特別な身分のアリスさんにもあてはまる。


「ま、まさかアリスさんは……!?」


 自害を許されないアリスさん。

 でも、最愛の人を失い、自らが犯した罪を誰よりも許せなかったとしたら。

 そして、最期の時は愛した夫の生まれ故郷で迎えたいと思ったら。


「それじゃあ、アリスさんが殺してほしいと言っていた巫女さまって、自分自身のことだったんだ!」

「お母さんを殺さないで! お願いだから!!」

「ミシェルさん、落ち着いてっ」


 僕は、アリスさんを殺すことも、他の巫女さまを殺すようなこともしないからね?

 そう説得したかったんだけど、半狂乱で僕に詰め寄ってくるアリスさんは、僕の言葉になんて耳を傾けてはいなかった。

 ただひたすらに、母であるアリスさんを殺さないでと、必死に訴えかけるばかり。

 どうやってミシェルさんを落ち着かせて、僕の言葉を聞いてもらおうか。

 だけど、そう悩む暇も、僕には与えられない。


「たいへんたいへん」

「アレスちゃん?」


 僕の服を強く掴んだり腕を引っ張ったりして半狂乱気味に泣き叫ぶミシェルちゃんに場所を奪われたアレスちゃんが、脇から暗い海の先を指差した。

 嫌な予感しかしない。

 僕たちは、現在もなお金色の鞭に絡め取られたまま、深海に引き摺り込まれている最中だ。

 その状態で、アレスちゃんが警戒の声をあげた。

 ということは、きっと大変な事態が迫っているに違いない。


 僕は、必死に訴えかけてくる半狂乱のミシェルさんを取り敢えず後回しにして、アレスちゃんが指差した深海の先に目を凝らす。

 瞳に竜気を宿して、深い海を支配する暗闇を見通した。


「……っ!?」


 そして、息を呑む。


「な、なななっ!? あれは何かな!!」


 暗い深海の先。

 金色に輝く鞭が照らす、ずっと先。

 というか、金色の鞭が伸びる先に、それは居た!


 竜族どころか、古代種の竜族でさえも軽く丸呑みにしてしまいそうなほど巨大な口を開けた、海の化け物!

 ひげのような歯がびっしりと生えた超巨大な海の化け物が、僕たちの全身に絡みついた金色の鞭の先で待ち構えていた。


「た、食べられちゃう!?」


 そして、金色の鞭は僕たちをその超巨大な化け物の口腔内へと引き込んていく。


「ミ、ミシェルさん! どうか落ち着いて。今はアリスさんのこと以前に自分の身の心配をしなきゃいけませんよっ」


 空の上で、黒い天馬から落馬したミシェルさん。それを助けようと、咄嗟に空へ飛び出した僕。

 だけど、僕だって空は飛べないから、誰かの救いがなきゃ助からない。

 だから、海面を金色の魔力で満たして巨大な鞭を振るっていたシャルロットに助けを求めた。


 求めたはずだった!?


 でもでも!


 このままでは、深海に潜んでいた超巨大な化け物に、僕たちは丸呑みにされちゃう!?


「ま、まさかっ。シャルロットに似た魔力も、金色の鞭も、僕たちを釣る罠だったのかな!?」


 古い童話で聞いたことがある。

 魔物や魔獣のなかには、自身の身体の一部を利用した疑似餌ぎじえを使って獲物をおびき寄せて捕食する者がいるって。

 僕もかつて、ヨルテニトス王国の辺境で、美しい花を疑似餌にした魔物に遭遇したことがあるよね。


 それじゃあ、あの超巨大な化け物は……!


 そして、北の海に住む化け物で連想する者といえば?


「た、大変だよっ。僕たちは北の海の支配者に捕食されちゃう!?」


 し、しまった!

 全てが罠だったんだ!


 北の海の支配者なら、巨人の魔王の最側近であるシャルロットを知っていてもおかしくはない。というか、自分の子供であるルイララを奉公に出しているくらいなんだから、知っていて当然だよね?

 だから、北の海の支配者はシャルロットの存在を真似て僕をだまして……!

 いやいや、なんで北の海の支配者が僕とシャルロットの関係性を知っていたのかな!?

 ルイララから聞いていた?


 わかりません!


 だけど、いま確実にわかっていることといえば!


「たーべーらーれーちゃーうーっ!」

「きゃああぁぁぁぁっっっっ!!」

「ほしょくほしょく」


 深海の化け物の超巨大な口が迫り、金色の鞭の輝きに照らされてその存在がミシェルさんの瞳にも映り。そこでようやく、ミシェルさんも半狂乱から立ち直って現状を理解したんだけど。

 その途端に、自分たちが未知の化け物に丸呑みにされると知って、絶叫する。

 僕も、悲鳴をあげる!


 このままでは、僕たちは北の海の支配者に食べられてしまう!

 だけど、全身に絡みついた金色の鞭は振り解けない。

 それどころか、抵抗する僕たちを逃すまいと、これまで以上にきつく身体に絡む。

 更に、深海の超巨大な化け物の口腔に引き摺り込まれた直後から、海流が激しく乱れ始めた!


 大量の海水ごと僕たちを飲み込むつもりなのか、口腔内に取り込んだ僕たちを体内へと流し込む。

 激流が僕たちを襲う。

 たとえ全身に金色の鞭が絡みついていたとしても、激流にはあらがえない。

 僕たちは激流によって右へ左へと激しく身体を揺さぶられて、目を回す。


「あああぁぁぁぁっ……」


 そして、不覚にも意識を失ってしまった……






「……」


 ひたり、と頬に冷たい水滴の感触を覚えて、薄く意識を取り戻す僕。


「おきたおきた」


 次に、小さく暖かい幼女の手の温もりをひたいに感じて、ようやく覚醒する。


「アレスちゃん!」


 がばり! と僕は勢い良く起きた。

 そして、何が起きたのかと思考を整理しながら周囲の状況を確認し……


「……アレスちゃん。僕はもうしばらく意識を失っておくから、良い頃合いになったら起こしてね?」


 そして、今度は自分の意志で意識を失います!


「ふふふふ。エルネア君、それでは陛下の御前にまかりましたら起こして差し上げますね?」

「拒否! だんこきょひーっ!」


 いやいやんっ、と僕は仕方なく起き上がる。

 だけど、やっぱり意識を失っていた方が平和だったのでは、と直後に後悔をした。


「ふふふ。なぜ後悔をなさるのでしょうか? せっかく助けて差し上げましたのに」

「うーん……。本当に僕たちは助けられたのかなあ?」


 辺りを改めて見渡す僕。

 最初に視界へ飛び込んできたのは、もちろんアレスちゃん!


「えらいえらい」


 次に、横巻き金髪の糸目の美女が映る。


「……あの鞭って、シャルロットの髪だったんだね?」

「正確には、魔力を髪の延長として伸ばして操っているだけでございますよ?」

「な、なるほど」


 シャルロットが本気で魔法を使うと、世界は金色に染まるんだよね。現在は力を封印しているとはいえ、それだけ膨大な魔力があるのなら、髪を鞭に変換して魔法として放つくらいは造作もないんだろうね。


「ということで、僕たちを助けてくれたのはやっぱりシャルロットでした!」


 ぱちぱちぱち、と可愛く拍手をしてくれるアレスちゃん。

 シャルロットは、いつものように糸目を更に細めて微笑むばかり。


「……た、助けてくれたんだよね?」

「ふふふ」


 えっ!?

 違うの?


 ……やっぱり、違うのかな?


 だって……


 僕に拍手を送るアレスちゃん。

 傍で微笑むシャルロット。


 そして遠くに見える、僕たちを丸呑みにしたはずの化け物の内臓とおぼしき肉の壁と……


「な、なんで化け物のお腹の中にお城があるのかな!?」


 そうなのです!

 僕が意識を失いたかった理由。


 超巨大な化け物に食べられてしまったことも、結局のところ僕たちを救ってくれたのがシャルロットでした、という事実確認よりも、目を背けたい現実がそこにはありました!


 まるで、真珠と同じ材質のような乳白色の美しい城壁。窓や外壁など至る所に施された絢爛豪華な装飾。

 七色に輝く床が、化け物のお腹の中で淡く輝いて、幻想的にお城を映し出していた。


 これほどに美しいお城を、僕は見たことがない。

 人族の王城は、足元にも及ばない。

 荘厳という意味では魔王城の方が遥かに立派だけど、美しさで言えば巨人の魔王が新たに築いた離宮さえも上回っていた。


「これって、どういうことかな?」


 意味がわかりません。

 僕たちは、超巨大な化け物に丸呑みにされて、お腹の中にいるはずだよね?

 それなのに、僕たちの周囲は海水で満たされることもなく、これまで目にしたこともないほど美しいお城が聳え建っている。


「しかも、ミシェルさんがいない!」


 僕たちと一緒に飲み込まれたはずのミシェルさんの姿だけが、この場にはなかった。


「シャルロット?」


 嫌な予感をひしひしと感じながら、全ての状況を把握しているはずのシャルロットへと問い掛けた。

 そうしたら、案の定、というか当たり前のようにシャルロットは言った。


「それでは、エルネア君。お姫様を救いにお城へ参りましょうか。ふふふ。楽しませてくださいませね?」

「まさか、ミシェルさんをお城の中に捕らえて、僕たちを弄ぶつもりだね!」

「ふふふ。エルネア君とご一緒に救出した巫女様だけでなく、他の方々や飛竜も捕らえていますよ? さあ、頑張って全員を救出してくださいませ」

「な、なんだろうね、この状況は!!」


 僕は、化け物のお腹の中で絶叫してしまう。


 もう、意味がわかりません!


 アリスさんの事情に巻き込まれて、追っ手に追われるようにして北の海へ来てみたら。追っ手の人たちが竜族に襲われていたり、それを救おうとして海に落ちたり。

 シャルロットに助けられたと思ったら、今度は全員を救出する羽目になってしまいました!


「シャルロット、ひとつだけ確認させてね?」

「はい、どうぞ?」

「囚われているみんなは無事なんだよね?」

「今のところは?」

「何でそこで疑問系なのさ?」

「ふふふ。エルネア君のやる気次第で、犠牲者も必要かもしれませんと思いまして? よろしければ、出発前に飛竜の肉でお腹を満たされますか?」

「ああっ! あの、犠牲になった飛竜を食べさせる気だね!? あの飛竜は……」

「まだ生きていますよ? 竜の森の守護竜様の秘薬であれば、助けられるかもしれませんね?」

「それじゃあ、お肉にしちゃ駄目だからねっ」

「ふふふふふ」

「なんでそこで笑うのさっ」


 シャルロットの不穏な微笑みに、僕は顔を引きらせる。

 僕がここで「他人事ですので」とシャルロットのたわむれを拒否したら、きっと本当に飛竜のお肉の料理がお城の中から運ばれてくるに違いない。


 襲われたとはいえ、飛竜たちには迷惑をかけたからね。

 それに、アリスさんやミシェルさんたちを救出しなきゃいけないのは事実だ。

 そうしないと、後でどうなることやら……


「あっ。もうひとつだけ、質問してもいい?」

「はい、何なりと」

「この、僕たちを丸呑みにしてお腹の中にお城を持っている化け物の正体って、やっぱり北の海の支配者?」


 僕の質問に、シャルロットは微笑みながら答えてくれた。


「いいえ、違いますよ?」

「それじゃあ、この化け物はなんなんですかーっ!」

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